学位論文要旨



No 116999
著者(漢字) 小貫,元治
著者(英字)
著者(カナ) オヌキ,モトハル
標題(和) PCR−DGGE法を中心とする微生物群集解析手法を用いた生物学的リン除去を担う微生物の検索
標題(洋)
報告番号 116999
報告番号 甲16999
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5140号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 矢木,修身
 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 助教授 佐藤,弘泰
内容要旨 要旨を表示する

 標準活性汚泥法の前段に嫌気プロセスを設け、汚泥を嫌気工程と好気工程の間で循環させる(嫌気好気活性汚泥法)と、排水中のリンをポリリン酸の形で菌体内に蓄積する微生物(ポリリン酸蓄積菌:Polyphosphate accumulating organisms (PAOs))が集積することが知られている。こうしてリンを蓄積した微生物を余剰汚泥として引き抜くと、排水からリンを除去することが可能であり、嫌気好気活性汚泥法は生物学的リン除去プロセス(enhanced biological phosphorus removal (EBPR) process)として提唱されている。湖沼や内湾など閉鎖性水域の富栄養化が問題となり、下水処理における栄養塩除去の必要性が叫ばれるようになって久しい今日、嫌気好気活性汚泥法は、リン・有機物の同時除去が可能な生物学的プロセスとして期待されている。すでに、都市下水処理場にも適用され、嫌気好気活性汚泥法は、今や実用段階に入っている。

 しかし、多くの研究者の長年にわたる研究にもかかわらず、実際にリン除去を担っているポリリン酸蓄積微生物(本論文では脱リン菌と呼ぶ)はいまだに単離も同定もされていない。生物学的リン除去プロセスは、工学的に実用化されてはいるものの、最も基礎的な知見を欠いていると言わざるを得ない。このため、今日でも、脱リン菌の同定は重要課題である。脱リン菌が同定され、嫌気好気活性汚泥微生物群集が詳細に解明されれば、生物学的リン除去のメカニズムを、個々の微生物群の機能やそれらの間の相互作用として記述することが可能となり、より精密な数学的モデルの構築や、より高度でより安定した運転法の開発につながると期待できる。

 近年は、分子生物学的知見に基づく微生物群集解析手法が導入され、脱リン菌の探索も急速に進みつつある。現在は、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属が脱リン菌の有望な1候補として受けいれられつつある。そこで本研究ではまず、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属が本当に脱リン菌であるのか確かめることを目的とした。

 研究者によっては、脱リン菌の同定はRhodocyclus近縁脱リン菌候補属で完結したとみる向きもある。しかし、これまでRhodocyclus近縁脱リン菌候補属の優占が確認されたのは、酢酸が主要な炭素源のときのみである。実下水は、様々な物質を含んでおり、酢酸が主要な炭素源であるとは限らない。酢酸以外の様々な基質を利用してリン除去をおこなう脱リン菌が、存在する可能性は十分に考えられる。そこで本研究では、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属以外の脱リン菌が存在しないのか確かめるためことを第二の目的とした。このため、酢酸利用性にこだわらず、嫌気条件下で有機物を摂取できるという条件で、幅広く脱リン菌を検索した。

 本研究ではまず、上記目的を達成するため、PCR-DGGE-シーケンシング法によって、嫌気好気活性汚泥の起ち上げ期の群集解析をおこなうことを提案した。PCR-DGGE法は、微生物群集の各構成微生物種をゲル上のバンドとして可視化する。一度に多量のサンプルを扱うことができ、時系列サンプルを扱えば、各微生物(遺伝子型)の挙動が、分離されたバンドの挙動として表される。嫌気好気活性汚泥の起ち上げ期の群集を解析すれば、生物学的リン除去活性の発現とともに増殖した微生物(の遺伝子型)が特定できる。これにより、脱リン菌を推定することが可能となる。さらに、脱リン菌と推定された遺伝子型をもつ微生物が、実際にリンを蓄積していることを確認するため、FISH法とリン染色法により、同一微生物をin situで染色する手法を開発した。

 PCR-DGGE法により生物学的リン除去活性が発現していく過程の群集解析をおこなうためには、汚泥の運転状況を詳細に把握する必要がある。また、多種の非脱リン菌微生物が存在すると、PCR-DGGE法を用いても、脱リン菌の推定が困難になる。以上のような観点から、本研究では、実験室スケールのリアクターで、単一基質を用いて嫌気好気活性汚泥を馴養し、その群集を解析した。幅広く脱リン菌を検索するため、これを様々な基質について繰り返した。こうした方法に基づいて、6つのRunを運転し、以下のような結論を得た。

 まず、酢酸を唯一の炭素源として嫌気好気活性汚泥を馴養したところ(Run1)、良好な生物学的リン除去が発現し、これを担う脱リン菌はPCR-DGGE法からRhodocyclus近縁脱リン菌候補属であることが示された。酢酸を基質として嫌気好気活性汚泥を馴養すると、東京の都市下水処理場の汚泥を種汚泥として用いた場合も、スイスやオーストラリアの例同様Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属が生物学的リン除去を担うことが確認された。

 また、生物学的リン除去活性が発現していく過程で、PCR-DGGE-シーケンシング法により群集をモニタリングすることは、脱リン菌の探索に有効であることが示された。

 さらに、DAPIによるリン染色法とFISH法により同一視野を染色する方法を開発したことにより、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属が実際にリンを蓄積していることを確認するのに成功した。

 Run1から、酢酸を主な炭素源として嫌気好気活性汚泥を馴養した場合、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属が生物学的リン除去を担うことがはっきりした。しかし、酢酸含有量が小さい下水を処理している嫌気好気活性汚泥も考えられるし、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属以外の脱リン菌が存在しないとは言い切れない。むしろ筆者らは、酢酸以外の基質を利用してリン除去を行う新たな脱リン菌が存在する方がむしろ自然であると考えている。そこでRun2以降は、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属以外の脱リン菌探しを主眼とした。

 まず、酢酸と同じ短鎖脂肪酸で、酢酸よりひとつ炭素鎖が長いプロピオン酸を唯一の炭素源として嫌気好気活性汚泥を馴養した(Run2)。生物学的リン除去活性は、一月弱維持された後失われた(原因は不明)ので、脱リン菌を示すバンドのみが顕著になる状態にはいたらなかった。しかし生物学的リン除去が良好だった期間は、明らかにRhodocyclus近縁脱リン菌候補属によるバンドがはっきりしていることが確認された。FISH法でも、この期間にRhodocyclus近縁脱リン菌候補属が多数観察されたことから、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属はプロピオン酸を代謝して、リン除去を行う能力ももつことが示唆された。しかし、1月ほどでリン除去が悪化した理由は不明であり、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属によるバンド以外のバンドの役割も不明である。さらなる研究、追試が必要である。

 次にアミノ酸に注目し、中でも、グルタミン酸を用いて嫌気好気活性汚泥を馴養した(Run3、4、6)。すると、Run6では良好な生物学的リン除去が発現した。この過程で一貫してバンド強度が大きくなっていったバンドは、緑色非硫黄細菌に近い配列をもつものと、Proteobacteriaβ subdivisionに属するAcidovorax属と近縁な配列をもつものであった。どちらも、データベース上の既知配列との相同性が、最も高いもので90%程度だったので、新規の属である可能性が高い。一方Run3、4においては、生物学的リン除去は全く発現しなかった。Run6のバンドから得られたAcidovorax属に近縁な配列をもつバンドがRun4でも同様に優占したので、Run6のみで優占した緑色非硫黄細菌に近い配列をもつバンドが脱リン菌を示していることが示唆された。ここに、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属以外の脱リン菌が存在し、活発に活動している可能性が強く示された。生物学的リン除去のメカニズムを微生物種ごとの機能や相互作用として理解していくためには、Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属以外の脱リン菌も考慮する必要がある。

 Run3、4とRun6とでは、種汚泥として用いた汚泥が異なっており、緑色非硫黄細菌に近い配列のバンドは、運転初期から認められたため、生物学的リン除去の善し悪しを分けたのは、種汚泥による違いであると推測された。

 Run6の54日目のサンプルは、さらにクローニング法により解析し、上述の2本のバンドによって表される微生物の16SrDNAほぼ全長の配列を得た。この配列を用いれば、これらの配列を特異的に検出する遺伝子プローブの設計が可能である。本研究で確立した、リン染色法とFISH法による同一視野の染色に、このプローブを用いれば、上記の配列をもつ微生物が脱リン菌であるかどうか確認できる。早急な研究が必要である。

 以上、本研究の大きな成果のひとつは、新規の脱リン菌候補もしくは、生物学的リン除去プロセスで重要な役割を担っている新しい微生物を検出したことである。Rhodocyclus近縁脱リン菌候補属一辺倒に傾きつつある、脱リン菌像の見直しを迫る可能性を秘めた発見である。この新しい微生物が本当に脱リン菌なのか、すなわち典型的な生物学的リン除去代謝を示すのか早急に調べる必要があるが、今後も様々な脱リン菌を広く検索して行く必要がある。さらに、それぞれの脱リン菌のリン除去への寄与率を調べ、脱リン菌の全体像を明らかにしていく必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、廃水からの生物学的リン除去に関する基礎研究として位置づけられるものであり、「PCR-DGGE法を中心とする微生物群集解析手法を用いた生物学的リン除去を担う微生物群の検索」と題する。今日、閉鎖性水域の富栄養化の原因物質として廃水からのリン除去の必要性が叫ばれ、生物学的あるいは物理化学的なリン除去技術が研究開発されている。その中で、生物学的リン除去法は、経済性やリン回収システムへのリンクの可能性の大きさから強く期待されている技術であるが、原理機構に関する情報不足や、時として見られる処理の不安定さから、必ずしもその長所が十分に生かされていない。また、生物学的リン除去に関わる微生物の代謝の特異さは微生物学的にも注目を集め、微生物生態学の研究対象として特に近年は精力的に研究が進められてきた。それにもかかわらずリン除去を担う微生物を単離培養し同定することに誰も成功していない。そのような状況にあって、本研究は、生物学的リン除去の基礎研究の核となる「リン除去を実質的に担う微生物の検索」という中心課題に正面から取り組んだものである。しかも、この数年、分子生物学的手法を中心とする微生物群集解析技術が画期的な進歩を見せ、微生物を単離培養する事なく、遺伝子の解析から群集構造の解析ができるようになってきた。本研究ではそのような新しい群集解析手法を全面的に取り入れて上記の課題に取り組んでおり、まさに時機を得た研究であると言える。

 第1章は「はじめに」であり、本研究の背景となる生物学的リン除去に関する研究の現況を概観し、本研究の意義を述べている。

 第2章は「既往の研究」であり、本研究の対象とする技術である生物学的リン除去法に関する既存の知見のまとめ、本研究で用いた微生物群集解析手法の整理、および、生物学的リン除去法に関与する微生物の群集構造に関するレビューをおこなっている。

 第3章は、「本研究の目的と論文の構成」である。本研究の目的はリン除去を担う微生物の検索であることを宣言するとともに、さらに、本研究で生物学的リン除去を担う微生物を検索し分子生物学的に同定することを試みるにあたり、既存の研究と比べどのような戦略で研究を進めたかを示している。また、論文の構成を記している。

 第4章は「方法」である。本研究では、実験室内で単純な組成の炭素源を用いて生物学的リン除去リアクターを運転することにより、リン除去活性が発現すると同時に微生物群集構造が単純化してゆく系を作り、そのプロセスの群集構造変化とリン除去活性を比較することで、生物学的リン除去において中心的役割を果たす細菌を見つけだすという戦略を用いている。群集解析には、16SrRNA遺伝子中の200bp程度の短いDNA断片をターゲットとして、DGGE法と呼ばれるDNA断片の分離手法により群集構造の変化を追跡する方法を開発した。本章ではこのような戦略に関わる要素技術について説明している。

 第5章は「酢酸を唯一の炭素源として運転した系の微生物群集解析」である。本章では炭素源として酢酸のみを用いたリン除去リアクターの微生物群集について考察した。その結果、リン除去活性の出現に呼応して細菌群集構造は単純化し、その中で明らかに優先してきたグループを見いだした。その遺伝子解析から、Rhodocyclusグループに相同性の高いDNA配列を持った微生物群がポリリン酸を蓄積しリン除去を担っていることが確認できた(「Rhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群」と言えるものであるとしている)。この微生物群に系統学的に近い細菌が、スイスおよびオーストラリアのグループからも報告されており、酢酸を基質としたときのリン除去を担う細菌はRhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群であることがほぼ確定できたことになる。なお、分子生物学的に見つけた細菌が、実際に廃水処理においてポリリン酸蓄積をおこなっているかどうかを確認するために、このRhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群を標的としたDNAプローブによる蛍光原位置染色法(FISH法)とポリリン酸染色法を顕微鏡上で同じ微生物サンプルに適用し、両者が同一の細菌であることを証明する手法を本章で確立している。

 第6章は「プロピオン酸を唯一の炭素源として運転した系の微生物群集解析」と題し、炭素源としてプロピオン酸のみを用いたリン除去リアクターの微生物群集を解析した。その結果、プロピオン酸が炭素源の系でも、酢酸と同様のRhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群がリン除去を担っていることが示され、この微生物群は酢酸のみならず、プロピオン酸をも基質としてリン除去をおこなう能力があることが示された。

 第7章は「グルタミン酸を主な炭素源として運転した系の微生物群集解析」である。グルタミン酸を主要炭素源とした場合、リン除去がなかなかうまくゆかず、3回おこなったRunのうち2回は十分なリン除去活性の発現を見なかった。一方、3回目のRunではリン除去活性の消長をきれいにとらえることができ、その群集解析から、酢酸を炭素源としたときにリン除去を担っているRhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群とは全く異なる細菌がリン除去を担っていることがわかった。この微生物は、クローニングによる16SrRNA遺伝子の全長配列の解読から、緑色非硫黄細菌に近縁の新規微生物と考えられた。Rhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群以外の微生物がリン除去を担う優先微生物として示唆されたのは初めてである。今後、この細菌群を標的としたDNAプローブの開発、およびその実サンプルへの適用が必要だとしている。

 第8章は「ペプトン・酵母エキスを主な炭素源として運転した系の微生物群集解析」である。炭素源が複雑なので、予想どおり群集構造の単純化は見られなかったが、遺伝子を解析したとことろ、グルタミン酸を炭素源としたときにみつかった非硫黄細菌に近縁の新規微生物と同じ細菌が見つかっており、この細菌がある種のアミノ酸系の炭素源に親和性の高いリン蓄積微生物である可能性が示唆された。

 第9章は「総括」であり、本研究全体を総括し得られた結果をとりまとめると、今後おこなうべき研究やそのための戦略について提言している。

 生物学的リン除去法は、すでに実用化の域に達しつつあるにもかかわらずその原理機構にいまだ不明な点が多い技術であり、なおかつ、その特異的代謝を明らかにすることは学術的な意義もきわめて大きい。そのような生物学的リン除去法の基礎研究の大前提が、リン除去を担っている微生物を特定し、その系統学的な位置を明らかにすることである。これまでの生物学的リン除去の研究において、歴史的な経緯から酢酸を炭素源とする系の解析のみに偏って解析がなされ、微生物群集解析に関しても酢酸の系についてのみこれまでもいくつかの知見が得られていた。本論文の最大の功績は、酢酸を炭素源とした系ではこれまで示唆されていたとおりにRhodocyclus近縁ポリリン酸蓄積微生物群がリン除去を担っていることを実験的に証明したことに加え、酢酸以外の炭素源においては別の微生物がリン除去を担っていることを示した点である。しかも、この新規微生物に関する16SrRNA遺伝子の配列まで特定したので、今後、この新規微生物の機能についても調べる道筋を開いたといえる。今後、リン除去に関わる微生物群集に関して基礎研究を積み重ねることの重要性は非常に大きく、本研究はそのためのきわめて優れた基盤を作ってくれたといえる。以上のような観点から、本研究は都市工学とりわけ環境工学の発展に大きく寄与するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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