学位論文要旨



No 117000
著者(漢字) 吉嶋,法生
著者(英字)
著者(カナ) ヨシジマ,ノリオ
標題(和) 開発途上国における輸入型都市計画の確立・展開過程に関する研究 : タイ・バンコク首都圏を事例として
標題(洋)
報告番号 117000
報告番号 甲17000
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5141号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 助教授 北沢,猛
 東京大学 助教授 城所,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 この論文の目的は、現在開発途上国の大都市において要請されている都市経済の生産性向上、貧困問題の緩和、都市環境の改善といったマクロな課題群に対し、その多くで導入されている近代的都市計画制度の適切な翻訳によって一定の対応を果たしうるとの基本認識の下で、事例研究の対象としたタイ国の都市計画制度の導入過程及び制度変容の要因を明らかにし、改善の方向性を示すことである。

 分析枠組みとして開発途上国の多くがモデルとした近代都市計画制度をフォーマルルールとインフォーマルルールから構成される制度体系として解釈し、国際協力や技術移転の結果途上国に輸入されたフォーマルルールを『輸入型都市計画』と定義した。また、『輸入型都市計画』は、まず法律面の制度導入過程で当該国の法体系や行政制度との整合性に起因するルール変更を受け、続いて法に基づく中間行為策定において、当該国の政策決定構造や行政組織制度等から構成される行政組織領域における制度環境、及び政府の規制に対する考え方等社会の価値規範等の総体として捉えうる社会環境領域における制度環境、の二つの条件によってルール変更を受ける。現実にはこれら三つの要因の複合作用によって開発途上国の計画制度のモデルからのルール変更を説明できるという枠組みを提示した。

 こうした枠組みに沿って、個々の制度変容のプロセスを理解し、社会経済政治的背景との関連を把握することにより、途上国における近代都市計画制度の無批判な導入でも全否定でもない現実主義的な制度改善が可能になると考えられる。具体的には、途上国政府の政策決定構造や行政制度の再編など行政組織領域における制度環境に対する適切な操作によって社会環境の変化に対して敏感に反応し機動的な対応を可能にするとともに、法体系の整合性に関連する法律レベルの制度輸入時のルール変更に対しても事後的に改良可能な制度運用が可能になるとの考え方を提示できる。

 本論文は序章及び8の章から構成される三部構成をとっている。

 序章では、この論文の背景・分析枠組みの概要・目的・構成及び意義について論じた。

 第I部は輸入型都市計画という本論の分析枠組みの提示や途上国における都市計画の展開に関する既往研究の整理及び本研究の位置付けを行う。

 第一章では、主として欧米先進諸国で制度化が図られてきた近代都市計画をフォーマルルールとインフォーマルルールから構成される制度として解釈する考え方を提示した。このうちフォーマルルールとしての側面は法律−中間行為の策定−行政処分という法的構造のもとに展開され、その運用にあたって行政組織領域の制度環境と社会環境領域の制度環境の両面からの影響を受ける。

 開発途上国における都市計画制度の多くは、都市問題の認識とそれへの対処の必要性から出発し、何らかの先進的モデルを発見・選択する過程を経てシステム総体として導入される『輸入型都市計画』としての性格を有するが、ここで移転されるのはフォーマルルールの部分のみである。こうして導入されたモデルのフォーマルルール体系及びその構成要素は開発途上国における基層社会特有の制度環境に適応させるかたちでルール変更がなされる。そのルール変更の要因として、モデルが前提とする行政法システムと当該国の法体系との整合性、制度運用時、特に中間行為策定時の行政組織領域の制度環境と社会環境領域の制度環境、の三つがあげられる。

 第二章では、開発途上国の都市計画に関する既存研究の整理を行い問題の所在を明らかにすると同時に本研究の位置付けを明確化した。

 まず、途上国大都市の都市計画を実効性を評価する上での基本認識となる開発途上国特有の都市化過程と都市的状況に関する理論研究を整理した。過剰都市化論や首座都市論によって説明されてきた従来の途上国都市論も近年のグローバル化の進展に伴い国際経済との連関において理解する必要性が強く認識されるに至り、世界都市論や都市システム論の影響を受けた拡大大都市圏構造等現代の途上国特有の都市構造と都市問題が出現している。

 こうした都市的状況に対処すべき都市計画制度に関する議論は、モデルからのルール変容要因を主として輸入型の問題として捉える立場と、モデル自身の問題・限界に重点を置く立場に大別される。前者の範疇の研究では、移行経済も含めた開発途上国の法体系の不備、行政構造上の問題、国家開発政策との整合性、私権制限に対する社会的合意の程度、といった論点が提示されている。

 一方、モデルとなっている欧米近代型システムそのものに向けられた批判的論調には、市場機能拡張的アプローチとコミュニティプランニング論という二つの潮流がある。この両者のアプローチは相反するものではなく相互補完的な役割を有するものであり、事前確定的なマスタープランから戦略的・動態的なプランヘ、またインフォーマルな宅地供給の機能を阻害しない土地利用制御手法のあり方や多様なステークホルダー間の合意形成過程を重視する、といった新たな計画システムが有すべき規範が示される。

 第三章では、事例研究として扱うタイ・バンコク首都圏の都市的状況を確認するために、特に1950年代以降のタイの経済成長とバンコク首都圏の都市化過程及びその特質について整理し、開発途上国大都市の事例としてバンコク首都圏が一定の妥当性・普遍性を有することを確認した。

 第II部では、タイ・バンコクにおける都市計画策定過程を実証的・歴史的に分析した。

 第四章では、タイにおける現行都市計画法制の確立過程を検証した。その準備作業としてタイにおける法体系及び行政体系の概要を整理し、さらに土地所有観念の内実とその形成過程を歴史的に検証・整理した。これらの結果抽出された行政組織の縦割りや調整の欠如、及び所有権概念の開発装置化の結果としてのタイ社会における強大かつ自由な土地所有観念といった制度輸入時の初期条件が明らかになる。続いて、1950年代の米国を中心とした国際援助機関による経済開発・近代化支援策の一環として欧米近代型の計画制度の導入が提言され、1975年の法制定に至るプロセスと、その過程における「計画」概念の変容、等を明らかにした。タイにおける輸入型都市計画は1950年代から1960年代にかけての米国を中心とした自由主義諸国の世界戦略の要請とタイ社会の内生的な開発への志向が交錯するクロスポイントに、一連の近代化政策の一環として導入されたこと、また、法律レベルの導入時に「計画」(マスタープラン)と「規制」(ゾーニング)の関係に関する重要なルール変更がなされたこと、その背景要因としてタイの大陸法系の行政法システムと、米国型のゾーニング概念が前提とする判例法的システムとの非整合が存在すること、等を論じた。

 第五章では、タイ・バンコクにおける初の都市総合計画の策定過程を検証した。具体的には、1975年の都市計画法制定以降1992年に都市総合計画が策定されるまでの過程を、タイにおける政策決定構造の変容(行政組織領域における制度環境の変容)、中産階級の台頭といった社会環境の変化(社会環境領域における制度環境の変容)、というマクロな環境変化によって時期区分し、それらが中間行為レベルにおけるルール変更にいかなる影響を与えたのかを検証している。

 1980年代前半はタイにおけるテクノクラート主導の中央集権的政策運営が顕著であった。NESDB(国家社会経済開発委員会)を中心とする中央政府レベルで、一部都市計画法の制度的欠落を補完するような計画体系の構築が試みられた。しかし、1980年代後半以降の政党政治の復活と経済成長に伴う中産階級の台頭といった社会環境変化に伴い、テクノクラート官庁の政策決定の独立性が揺らぎ、調整機能が著しく低下した。また、計画内容に関しても伝統的な地主層の反発に対して用途地域指定等に関して妥協を余儀なくされるとともに、容積率規制に関しても中産階級が要求するマクロ経済政策上の潮流とのせめぎあいの中で大幅に緩和された水準で指定せざるを得なくなる、という経緯が明らかとなった。

 第六章では、1999年に公布されたタイ・バンコクの最新の都市総合計画の策定過程を詳細に分析し、計画技術に関する情報の不備、中央集権的な行政構造の温存による地方政府による政策決定の制約、用途地域や容積率規制といった近代的土地利用制御手法そのものが有する問題、といった点が制度改善の阻害要因として抽出され、近代的なプランニングツールを運用する主体とツールそのものの双方に制約が存在することを示した。

 第七章では、行政、民間開発業者、一般市民など多様なセクターに対する意識調査から、現在のタイ社会において、社会のインフォーマルルールの内生的変容が生じている可能性、及び近代的計画手法に対する客観的・冷静な見解が台頭してきている現状を明らかにした。特に従来スラム地区において先行的に組織化されてきた地域共同管理機構が郊外の中産階級住宅地においても設置されていることは、市民社会の成立に伴う都市制御制度の拡充の契機として注目される。

 第III部としての第八章では、以上の知見を踏まえ、タイ・バンコクの事例を開発途上国の大都市一般に敷衍することを試みるとともに、社会の内生的変容に対応しうる政策決定を可能にする計画・規制権限の地方政府への集中・統合、政府内の情報蓄積を有効に活用・共有しうる行政内の支援体制確立、また近代的都市計画論に代替する多様な政策手法の可能性や意義を伝える技術支援のあり方、等によって構成される途上国における輸入型都市計画展開論を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、現在開発途上国の大都市において要請されている都市経済の生産性向上、貧困問題の緩和、都市環境の改善といったマクロな課題群に対し、その多くで導入されている近代的都市計画制度の適切な翻訳によって一定の対応を果たしうるとの基本認識の下で、事例研究の対象としたタイ国の都市計画制度の導入過程及び制度変容の要因を明らかにし、改善の方向性を示すことを目的としている。

 分析枠組みとして開発途上国の多くがモデルとした近代都市計画制度をフォーマルルールとインフォーマルルールから構成される制度体系として解釈し、国際協力や技術移転の結果途上国に輸入されたフォーマルルールを『輸入型都市計画』と定義した。また、『輸入型都市計画』は、まず法律面の制度導入過程で当該国の法体系や行政制度との整合性に起因するルール変更を受け、続いて法に基づく中間行為策定において、当該国の政策決定構造や行政組織制度等から構成される行政組織領域における制度環境、及び政府の規制に対する考え方等社会の価値規範等の総体として捉えうる社会環境領域における制度環境、の二つの条件によってルール変更を受ける。現実にはこれら三つの要因の複合作用によって開発途上国の計画制度のモデルからのルール変更を説明できるという枠組みを提示した。

 上記の分析枠組みに沿って、タイ・バンコクにおける都市計画策定過程を実証的・歴史的に分析した。まず、タイにおける法体系及び行政体系の概要を整理し、さらに土地所有観念の内実とその形成過程を歴史的に検証・整理した。これらの結果抽出された行政組織の縦割りや調整の欠如、及び所有権概念の開発装置化の結果としてのタイ社会における強大かつ自由な土地所有観念といった制度輸入時の初期条件が明らかになる。続いて、1950年代の米国を中心とした国際援助機関による経済開発・近代化支援策の一環として欧米近代型の計画制度の導入が提言され、1975年の法制定に至るプロセスと、その過程における「計画」概念の変容、等を明らかにした。

 さらに、タイ・バンコクにおける初の都市総合計画の策定過程を検証した。具体的には、1975年の都市計画法制定以降1992年に都市総合計画が策定されるまでの過程を、タイにおける政策決定構造の変容(行政組織領域における制度環境の変容)、中産階級の台頭といった社会環境の変化(社会環境領域における制度環境の変容)、というマクロな環境変化によって時期区分し、それらが中間行為レベルにおけるルール変更にいかなる影響を与えたのかを検証している。

 また、行政、民間開発業者、一般市民など多様なセクターに対する意識調査から、現在のタイ社会において、社会のインフォーマルルールの内生的変容が生じている可能性、及び近代的計画手法に対する客観的・冷静な見解が台頭してきている現状を明らかにしている。

 結論として、社会の内生的変容に対応しうる政策決定を可能にする計画・規制権限の地方政府への集中・統合、政府内の情報蓄積を有効に活用・共有しうる行政内の支援体制確立、また近代的都市計画論に代替する多様な政策手法の可能性や意義を伝える技術支援のあり方、等によって構成される途上国における輸入型都市計画展開論を提示している。

 本研究は、開発途上国における近代都市計画制度の受容過程をタイを事例として詳細に明らかにし、その分析を通じて今後の制度改善のための有益な提言を行っている。さらに、都市計画制度の国際移転過程を分析するための汎用性の高い分析枠組みを提示しており、優れた学術的価値を有している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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