学位論文要旨



No 117008
著者(漢字) 崎山,幸紀
著者(英字)
著者(カナ) サキヤマ,ユキノリ
標題(和) 反応性希薄気体流れの多重スケール解析
標題(洋)
報告番号 117008
報告番号 甲17008
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5149号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 高木,周
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 助教授 霜垣,幸浩
内容要旨 要旨を表示する

 近年の高度情報化社会を支える半導体産業において,エッチングやCVD (Chemical Vapor Deposition)等の半導体製造プロセスが非常に重要な役割を果たしている.1999年にITRSが発表したロードマップによれば,次世代型LSIでは素子の最小設計寸法は100nm以下,また絶縁膜厚は1nm以下とされている.このような極限的な技術開発を効率的に行なうためには,従来までの実験的手法に加えて詳細な数値解析モデルの構築が必須である.特に成膜プロセスにおいては物質輸送,気相反応,表面反応が複雑に干渉しており,これらの相互関係を含めたモデル化が必要である.近年,生産速度の向上とコスト低減のためにプロセスの反応装置内が低圧化される傾向にあり,典型的なCVDプロセスにおいては,もはや連続流体の仮定は成立しない.このような条件下においては,DSMC (Direct Simulation Monte Carlo)法やPIC/MC (Particle In Cell/Monte Carlo)法などによる解析が必要である.これら粒子法では衝突断面積や散乱角といった分子レベルのモデル化が必要となってくるが,そのような汎用的なモデルは未だ確立されていない.そこで本論文では,図に示すように分子の電子状態から反応容器内の流れのスケールまでを体系的にモデル化する多重スケール解析を提案する.この方法では,電子運動を解析することにより分子間相互作用を求め,そこから分子間衝突に関する各種モデルを構築する.さらに,それらのモデルをDSMC解析に導入することによって,最終的な反応装置内の熱流動構造に関する知見を得ることが可能となる.このような従来までの方法とは全く異なるアプローチによって,経験的要素を極力排除した汎用的な解析モデルを構築することが本論文の目的である.特に具体的な対象としてSiH4/H2によるJet-CVDプロセスを念頭におき,SiH4分子の解析を通して多重スケール解析の有用性を論じた.

 まず,SiH4分子の分子間相互作用のモデル化を行なった.Jet-CVDプロセスのような低圧プロセスにおいては気相における分子間衝突の大部分が非反応性衝突であり,これらの詳細を知るためには分子間力を正確に記述する必要がある.これまでに知られているSiH4に関する分子間ポテンシャルは粘性係数の実験値から決定された仮想的な単原子L-J (Lennard-Jones)分子についてのものである.しかし,このようなポテンシャルモデルでは他の輸送係数の再現性については保証されておらず,また,幾何構造を考慮していないため内部自由度の影響を知ることは不可能である.そこで,非経験的分子軌道法を用いてSiH4の分子間エネルギを決定し,そこから分子動力学法に適用し得る原子間ポテンシャルを構築した.電子状態の解析は汎用パッケージを用い,分子間エネルギを求める方法としてはCPC (Counterpoise Correlation)法によるBSSE (Basis Set Superposition Error)補正を加えたSupermolecule法を用いた.このような第一原理計算の場合,電子相関の理論レベルをどこまで引き上げるか,また電子波動関数としてどのような組み合わせを用いるか,ということが問題となる.そこで,まずHFからQCISD(T)まで電子相関レベルを変化させて分子間エネルギの変化を調べた.この結果,MP2, MP3, MP4, QCISDではQCISD(T)に対して7%以内の誤差に抑えられることが分かったが,計算負荷を考慮するとMP2が最適であるといえる.次に,同様の方法で波動関数の基底を変化させてその影響を調べた.この結果,一般的に言われているように基底の数を増加させることによって計算精度が向上することが確認された.上述の電子相関レベルにおける相対誤差を考慮すると,最適な基底はAug-cc-pVTZであることがわかった.以上の結果をまとめると,本論文ではMP2/Aug-cc-pVTZのセットを用いて分子間エネルギの計算を行なえばよいことが明らかになった.具体的な分子間エネルギの計算は,14通りの相対角度に対して重心間距離を18通りに変化させた合計252点に対して行なった.そして,これらの分子軌道計算の結果を最も忠実に再現することのできる原子間ポテンシャルのモデル化を行なった.本論文ではモデルと分子軌道計算とのエネルギ差の二乗和が最小となる関数形を考えることになるが,関数形によっては最小二乗法の非線形性が強くなり正確な最小値を求めるのは非常に困難になる.そこで,分子間エネルギを斥力項と引力項に分解して個別にモデルを構築した.分子軌道計算における斥力項としては電子相関の影響がほとんどないHFレベルの分子間エネルギE HFを仮定し,また,MP2レベルで計算された全エネルギからの差E MP2-E HFを引力項とした.まず,斥力項のモデル化について述べる.斥力項として一般的な関数はLennard-Jonesにおける距離のべき乗やBuckingham型のexp関数である.本論文では,さらにBuckingham型を拡張して原子による電子雲の広がりを考慮したモデルを考案した.この結果,このモデルが最も良く分子軌道計算の結果を再現できることがわかった.なお,このときの相対誤差は7%以下であり,分子軌道計算における誤差と同程度である.次に引力項のモデル化について述べる.SiH4のような中性分子においては引力の大部分は瞬間的な電子分布の偏りによる分散力である.この場合,Londonによる分散力の展開式が近似的に成立する.そこで展開の次数を6乗,8乗,…,と上げていった際の相対誤差の収束性を調べたところ,8乗までの展開で相対誤差を3%以下に抑制できることがわかった.以上の斥力項と引力項に関する解析から,非経験的な原子間ポテンシャルが構築されたことになる.さらに,このポテンシャルの精度を検証するために分子動力学法を用いて粘性係数の実験値との比較を行なった.この結果,200〜300Kの各温度において分子動力学計算が誤差範囲内で実験結果を再現できることが明らかとなった.

 次に,上述の結果を用いた古典的軌道計算からSiH4の分子間衝突における種々のモデルを構築した.衝突のエネルギ範囲を0.01〜0.16eVとして,これらの中で並進及び回転エネルギが異なる組み合わせ405通りに対して,それぞれ10,000回ずつの軌道計算を行った.まず,全衝突断面積について述べる.本論文では衝突を全て古典的に取り扱っているため衝突か否かを判定するためのしきい値が必要となる.しきい値の定義には任意性があるが,ここでは散乱角c=1°を与える最大の衝突係数を最大衝突係数とした.この全衝突断面積を全てのエネルギの組み合わせについて求めると,並進エネルギのみの関数として記述できることが分かった.さらに,Chapman-Cowlingによる1次近似解と同様に,全衝突断面積が並進エネルギのべき乗でスケーリングできることがわかった.次に散乱角モデルの構築を行なった.軌道計算の結果,多原子分子の古典散乱角は単原子分子の古典理論解を平均値として,その周囲に分布することがわかった.そこで散乱角モデルとして,一定の分散を有して単原子理論解の付近に分布するような確率的モデルを考案した.この分布関数は正規分布によって精度良く近似できることが確認され,以上から全衝突断面積及び散乱角モデルが構築されたことになる.しかし,これらのモデルが軌道計算の結果をどの程度再現できているかは定かではない.そこで,軌道計算とモデルによって計算された微分断面積の比較を行なった結果,ほぼ全域にわたって両者が一致していることが確認できた.微分断面積の積分値としての全衝突断面積を比較すると,その差はわずか1.5%以下であった.次に並進と回転エネルギの間でエネルギ交換が行われるような非弾性衝突について解析を行なった.全衝突断面積の場合と同様に,非弾性衝突においても古典的な取り扱いをしているためにしきい値が必要となる.そこで全エネルギ輸送量を導入し,その98%までの累積密度分布を非弾性衝突とした.全エネルギの組み合わせに対して非弾性衝突断面積を求め,並進及び回転の各エネルギモードのべき乗によって整理すると軌道計算との相対誤差2%程度でモデル化することができた.また,回転エネルギ移行確率についても,回転エネルギが増加する場合と減少する場合に分解するとexp関数で表現できることがわかった.以上により,SiH4分子の衝突に関する種々のモデルが構築されたことになる.

 最後にDSMC解析に上述のモデルを組み込み,反応装置内の熱流動解析を行ない実験による膜圧分布との比較を行なった.なお装置内の解析には,計算負荷低減のために,重みを用いた表面反応モデル及び多重時間刻み法も適用した.

 本論文における結論として,Jet-CVDプロセスを対象とした希薄気体流れの多重スケール解析を通じて電子状態論からDSMC解析による反応装置解析までを体系的にモデル化する新しい方法を確立できた,といえる.

図 多重スケール解析の概念図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,半導体製造プロセスのような化学反応を伴う希薄気体流れについて,電子運動から輸送現象までを合理的にモデル化するための多重スケール解析モデルを確立することを目的としている.

 近年の高度情報化社会を支える半導体産業において,エッチングやCVD (Chemical Vapor Deposition)等の半導体製造プロセスが非常に重要な役割を果たしている.このような極限的な技術開発を効率的に行なうためには,従来までの実験的手法に加えて詳細な数値解析モデルの構築が必須である.特に近年,生産速度の向上とコスト低減のためにプロセスの反応装置内が低圧化される傾向にあり,典型的なCVDプロセスにおいては,もはや連続流体の仮定は成立しない.このような条件下においては,DSMC (Direct Simulation Monte Carlo)法やPIC/MC(Particle In Cell/Monte Carlo)法などによる解析が必要である.これら粒子法では衝突断面積や散乱角といった分子レベルのモデル化が必要となってくるが,そのような汎用的なモデルは未だ確立されていない.

 以上のような背景を踏まえ,本論文では分子の電子状態から反応容器内の流れのスケールまでを体系的にモデル化する多重スケール解析を提案する.この方法では,電子運動を解析することにより分子間相互作用を求め,そこから分子間衝突に関する各種モデルを構築する.さらに,それらのモデルをDSMC解析に導入することによって,最終的な反応装置内の熱流動構造に関する知見を得ることが可能となる.このような従来までの方法とは全く異なるアプローチによって,経験的要素を極力排除した汎用的な解析モデルを構築することが本論文の内容であり全6章から構成される.

 第1章は「序論」であり,研究の工学的な背景,目的,そして従来までの研究について述べられている.

 第2章は「分子間相互作用モデルの構築」である.ここでは非経験的分子軌道法を用いてSiH4/H2系に共通な分子間ポテンシャルを構築する手法について述べられている.まずSiH4-H2の分子軌道計算結果を用いてSi-H及びH-H間のモデルを構築する.さらに,この結果を利用してSiH4-SiH4の分子軌道計算結果から残りのSi-Si間のモデルを構築する.このような手順を踏むことによって,SiH4/H2系に共通なパラメータを有するモデルを構築することができる.ただし,この際に斥力と引力に分解することによって最小二乗解を求めるための数学的取り扱いが容易となり,正確なパラメータの決定が可能となる.さらに導出されたポテンシャルの妥当性を検証するため,粘性係数の実験値と分子動力学計算との比較が行ない,両者が実験誤差範囲内で一致することが確認されている.

 第3章は「分子間衝突モデルの構築」である.前章で得られたポテンシャル関数を用いて古典的軌道計算の的解析を行ない,SiH4-SiH4及びSiH4-H2間の衝突断面積,散乱角分布のモデル化を行なっている.全衝突断面積は並進エネルギのみの関数として記述することができ,また散乱角モデルは単原子古典衝突理論から一定の分散を有して分布することが明らかとなった.これらのモデルは数%程度の誤差で古典軌道計算の結果を再現することができ,またSiH4-SiH4及びSiH4-H2に共通である.さらに,得られた結果をDSMC計算モデルへと拡張したところ,熱平衡状態の維持及び並進エネルギの緩和を再現し得ることが確かめられた.

 第4章は「DSMC計算における各種モデルの拡張」である.ここでは,統計的な重みに着目してDSMC計算における化学反応計算モデルの検証と拡張を行ない,さらに多重時間刻み法の提案について述べている.また,境界条件に対する簡単な考察も行なっている.

 第5章は「Jet-CVDプロセスの多重スケール解析」である.ここでは本研究で構築された各種衝突モデルによる実スケールのJet-CVDプロセスの数値解析について述べられている.また本研究と従来までの単純な衝突モデルが成膜にどの程度の差異を生じ得るかについて論じられており,本研究で構築したモデルの有効性が述べられている.

 そして,第6章が「結論」である.

 分子間ポテンシャルや古典的軌道計算といった個々のスケールついては,これまでにも数多くの研究例がある.しかし,これらの異なるスケールを結びつけてマクロスケールの現象までを取り扱った研究は他に類を見ない.本研究は,電子運動から輸送現象までを合理的にモデル化する,という多重スケール解析の具体的な手法を提案したという点で非常に優れた論文である.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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