学位論文要旨



No 117010
著者(漢字) 金,慶午
著者(英字)
著者(カナ) キム,キョンオ
標題(和) ジメチルエーテルを燃料とした予混合圧縮着火燃焼の制御に関する基礎研究
標題(洋) A Fundamental Study on Combustion Control of Homogeneous Charge Compression Ignition Engine Operated on Dimethyl Ether
報告番号 117010
報告番号 甲17010
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5151号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 畔津,昭彦
 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 手崎,衆
 東京大学 助教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

 予混合圧縮着火機関は希薄燃焼及び非伝播型予混合燃焼であるため、高効率化とともに、すすと窒素酸化物の同時低減を実現する技術として大いに期待されている。この予混合圧縮着火は、1979年に大西らによって火花着火2行程機関が希薄領域で実現されて以来低公害−高効率運転の可能性が期待されていたが、燃焼制御が困難であるため、全負荷領域で運転可能な4行程圧縮着火機関は実現されていない。この方式の機関では、火花放電時期や噴射時期のような、従来のエンジンが持っている着火制御手段を持たず、着火及び燃焼が予混合気の圧縮による化学反応に依存している。ここで、予混合圧縮着火機関での燃焼制御とは、着火時期及び燃焼期間の制御を指している。着火時期とは混合気が自着火に至る時期を指しており、その予測は吸気の状態、エンジンの運転状態及び残留ガスの影響など、さまざまなパラメーターの影響を受けるため、極めて困難だと知られている。燃焼期間に関する問題は燃焼様式が非伝播型予混合燃焼であるため、火花着火機関でのノッキングのように、過度なノイズや物理的な衝撃をエンジンに与えることになり、機関の正常な運転ができなくなる点である。この種の制御は、エンジンにとって基本的な制御であり、エンジンの効率や排ガスの質などに大きな影響を及ぼす。しかしながら、従来の予混合圧縮着火機関での燃焼に関する研究では、様々な機関と燃料を対象とした実験的な運転研究が多く、着火時期と燃焼期間に及ぼす多くのパラメーターの影響に関して、化学反応を含めた温度−圧力履歴及び低温酸化反応と主燃焼の関連性から現象を検討した例はまだない。とりわけ、低温酸化反応による影響は着火遅れという総括的なパラメーターをもって説明され、また、その機構的な研究が進んでおらず、エンジンにおける低温酸化反応の影響は解明されていない。そこで、本論文では、異なる圧縮比をもつ2種の改造エンジンとジメチルエーテルを用い、圧縮開始から熱炎の終了までの着火及び燃焼を系統的に検討するとともに、素反応を用いた数値解析を行うことによって、特性の理論的な解明を目的としている。

 本研究では、圧縮比8.1のガソリンエンジンと18.0のディーゼルエンジンを改造した図1の実験装置を作成し、燃焼時に圧力をクランク角度ごとに収集できるようにした。吸気は温度変化を与えるためヒータを取り付け、また、窒素酸化物、酸素、一酸化炭素及び二酸化炭素の測定のため、ガス分析装置を用意した。

 図2に、この装置から取った典型的な圧力線図を示した。ジメチルエーテルを使った予混合圧縮着火機関での燃焼は、混合気が滞留している温度帯によって、二つの着火現象が現れる。最初の着火は比較的低温領域で発生するため、冷炎もしくは低温酸化反応と呼ばれる。冷炎は温度がさらに高くなるにつれて、低温酸化反応の特性によって縮退してしまう。その後、さらに圧縮され燃料が持っているエネルギーの大半が消費される段階の火炎が現れる。これを熱炎と呼ぶ。熱力学の第一法則に基づいて、圧力線図を解析し、化学的なエネルギーの変換率を求め、熱発生率解析を行う。図2(a)で表した圧力線図を熱発生率から見ると、図の2(b)のようなふたつのピークを得ることができる。冷炎、熱炎各々の熱発生率ピーク値の20%にあたるクランク角度を発生時期及び終了時期、さらにその差を発生期間として定義した。なお、冷炎での熱発生量も定義により、熱発生の開始から終了までの積分から求めた。

 冷炎の発生時期はほぼすべてのパラメーターによって変化する。しかし、冷炎が発生した時点での温度と圧力をもって整理してみると図3の結果となる。エンジンのように温度と圧力が外部圧縮によって連続に変化する場合、着火時期を温度と圧力で決定したとしても、その空間的に平均を表す温度と圧力自体がもつ物理的意味は小さくなる。むしろ、着火時の圧力は圧力の時間履歴をよく代表できる実用的には意味のある物理量である。解析の結果、圧縮開始時の吸気に対する情報から冷炎着火までの温度挙動をある程度予測ができ、予め求めておいた温度−圧力の着火条件との交差点から冷炎の着火時期を決めることが可能であることを確認した。

 吸気温度、二酸化炭素投入およびエンジンの回転数に対して、同じ投入燃料量範囲をもつデータセットの冷炎での熱発生量の例を図4に示した。この図からも分かるように、二酸化炭素の投入量を増やせば増やすほど、また回転数を上げれば上げるほど全体投入燃料が持つエネルギーに対する冷炎での熱発生量の割合が小さくなることがわかる。二酸化炭素の冷炎抑制効果に関して詳しく調べるため、CHEMKINによる解析を行った。その結果、予混合圧縮着火機関のような希薄燃焼をさせる環境での冷炎の発生量は、燃料の初期濃度と酸素濃度の影響を最も強く受けることが分かった。これは二酸化炭素の代わりに、不活性ガスである窒素を投入した実験結果からも確認された。(図10)冷炎での熱発生量と燃料および酸素の初期濃度の関連は、低温酸化反応のメカニズムから説明することができる。ジメチルエーテルの場合、冷炎反応の開始は燃料分子から1個の水素を取り出すことから始まり、2回の酸素分子添加によって連鎖反応が起きることが知られている。ここで、燃料濃度は水素が1個切断されたラジカルの量に影響し、そのラジカルに酸素が添加された過酸化物の量が存在する酸素の濃度によるのである。同じ運転条件では高速回転の場合、冷炎での熱発生率比がかなり低くなるのは図9から見てもわかる。しかし、回転数によって吸気の充填効率が低くなる点を考え合わせると、酸素濃度の低下が高速回転時の冷炎低下の主要な原因と考えられる。図4に燃料濃度及び酸素濃度を組合わせたものを横軸にとった冷炎での熱発生量を整理した結果を示したが、回転数の影響は酸素だけではなく冷炎が滞留する温度一時間履歴とそれに従う熱発生波形の変化が影響を及ぼしているため,高回転においてやや小さめになるのが分かる。

 冷炎での熱発生量を基準に取り、エンジンの回転数、吸気温度および排気ガス再循環の模擬として二酸化炭素の投入量を主要パラメーターとして、熱炎の発生開始からノッキングまで燃料を投入量を変化させ、圧力データを解析した。熱炎の発生開始とノッキングの判断は、圧力モニター用のオシロスコープにより、熱炎による圧力上昇が確認された時点で熱炎の発生開始とし、熱炎発生後圧力波形に波のような変動が発生したときをノッキングとした。[図5]

 実験によって確認した結果を吸気温度の影響に関しては図6(上段)、二酸化炭素投入の影響は図6(中段)に示した。実際の結果は二酸化炭素投入のほうがより広い負荷範囲をもつことが分かった。この違いの原因は前述した冷炎での熱発生量であると言える。つまり、二酸化炭素を投入した場合、燃料投入量を上げても冷炎での熱発生がより少ないからである。

 特に、冷炎での熱発生量は主要な結果のひとつとしてまとめたが、冷炎での熱発生量は混合気を高温、高圧にし冷炎終了後の圧縮過程を支配するだけではなく、冷炎での反応によって大量のラジカルなど反応性の高い中間生成物が作られるのである。冷炎での反応過程によって熱炎の発生時期が急激に変わる様子を図7の計算結果から示した。冷炎の発生時期の予測と冷炎での熱発生から熱炎の発生時期を決めることもできる。つまり、冷炎の発生時期と発生熱量が吸気条件とエンジンの回転数に依存することが分かったため、吸気条件を代表する温度、二酸化炭素投入量、燃料投入量および酸素濃度とエンジン回転数をもって熱炎の発生時期を一義的に決定することが可能である。その結果を図8に示した。

 このように熱炎の発生時期に大きく関わっている冷炎での熱発生は、エンジンの回転数に影響を受けることを図4の整理から確認した。この実験結果を計算によって確認するため次のような体積変化を与えて、計算を行った。つまり、まず実験で使ったエンジン(圧縮比8.1)と同じ体積変化を与え、冷炎での総熱発生量を求めた。(図9の実線)この計算と同じ初期条件を持つ混合気に対して、冷炎の発生までは同じ体積変化を与え、その後体積変化を凍結させた場合の結果を図9の点線で表した。このような計算によって冷炎の発生までの温度及び圧力の時間履歴を一定にし、冷炎領域での体積変化だけの影響を調べることが可能になった。計算結果から分かるように冷炎発生時の体積変化は冷炎の熱発生に影響を及ぼし、熱発生量が減ることが明らかになった。

 排気ガス再循環(EGR)はエンジンで簡単に用いられる手段であるため、窒素酸化物の低減のためすでに広く使われている。EGRが予混合圧縮着火機関の着火時期に及ぼす影響を調べるため、二酸化炭素を添加した計算結果と、添加した二酸化炭素と同じモル分率の窒素、空気及び水に入れ替えた計算結果の比較を図10に表した。冷炎での熱発生量は酸素の希釈効果として説明できるが、熱炎の発生時期は単に不活性ガスの比熱だけでは説明できないことが分かる。つまり水に入れ替えた場合、その高比熱にも関わらず熱炎の発生時期が窒素に入れ替えた場合とほぼ同等であることである。これは単分子分解反応である過酸化水素(H2O2)の分解反応(H2O2+M→OH+OH+M)の圧力依存性を用いて説明することが可能であった。

 理想的に均一な混合気の場合、ある着火条件に達すると空間内の全ての混合気が一気に燃えてしまうことになる。この面から見ると、予混合圧縮着火ではノッキングを避けるのは不可能だが、実際の場合は空間的な温度分布を持ち、燃料と空気の混合も分子的な水準まで混合されているとは考えられないため、混合気の燃焼には理想的な状態よりは長い燃焼期間をもつことになる。特に、全体的に希薄な混合気の場合には、様々な不均一性の影響が受けやすくなると推測できる。実際のデータを見ると上死点以後の膨張過程に入ってから熱炎が発生すると、燃焼期間をより長くすることができる。つまり、同じ負荷条件でも熱炎の発生時期によって、ノッキングにも正常な燃焼にも変化するということである。冷炎の発生時期と熱発生量をもって熱炎の発生時期を制御することが可能なことは、予混合圧縮着火での高負荷運転がある程度可能性があることを示している。

 以上のように、ジメチルエーテルを燃料とした予混合圧縮着火機関での着火及び燃焼の一般的な特性を調べた結果、次のような知見が得られた。1)冷炎の発生時期は混合気の温度履歴に依存する、2)冷炎での熱の発生は燃料、酸素の初期濃度及びエンジンの回転速度に依存する、3)過酸化水素の分解は熱炎発生のトリガーであり、その圧力依存性により高圧であるほど、水の分率が高いほど熱炎の発生時期は大幅に早くなる、4)吸気の温度低下と二酸化炭素の添加によりもっと高負荷まで運転が出来るが、二酸化炭素添加の場合その希釈効果により運転可能な負荷の範囲も広くなる。

図1 この研究で使われた実験装置の概略図

図2 実験から得られる典型的な圧力線図(a)及び圧力線図から得られた熱発生率線図、冷炎と熱炎の存在及び着火時期、火炎の終了時期(b)

図3 3種類のエンジン回転数に対する冷炎と熱炎の温度と圧力で表した着火時期

図4 燃料及び酸素の初期濃度からなるパラメーターによる冷炎での熱発生量

図5 燃料投入量の増加による、正常燃焼からノッキングヘの変化

図6 初期温度変化によるノッキング限界及び着火限界の変化(上段),二酸化炭素添加による限界の変化(中段)及び二酸化炭素添加時の燃焼期間(下段)

図7 燃料投入量による冷炎での熱発生増加及び熱炎発生時期の変化

図8 冷炎から熱炎までの遅れ予測

図9 体積変化が冷炎での熱発生に及ぼす影響(計算結果)

図10 不活性ガスの種類による冷炎での熱発生量及び熱炎の発生時期

審査要旨 要旨を表示する

 工学修士 金 慶午提出の論文は,「A Fundamental Study on Combustion Control of Homogeneous Charge Compression Ignition Engine Operated on Dimethyl Ether(ジメチルエーテルを燃料とした予混合圧縮着火燃焼の制御に関する基礎研究)」と題し,5章からなっている.

 燃料と空気を予混合し圧縮着火により燃焼させる予混合圧縮着火エンジンは,ディーゼルエンジンを上回る高効率性と,ガソリンエンジン以上の低公害性を合わせ持つ,次世代エンジンの候補として注目を集め始めている.その実用化は,着火・燃焼制御の可否にかかっているが,まだ不明な点が多いのが現状である.このような背景から,本研究は予混合圧縮着火燃焼の特徴を詳細に検討することにより,着火・燃焼制御の支配要因を明らかにすることを試みたものである.なお燃料としては,天然ガスや石炭を原料として容易に製造でき,クリーンな次世代燃料として注目されているジメチルエーテル(DME)を採用している.

 本研究ではまず試験エンジンを用いた系統的な実験により,燃料流量,吸気温度,エンジン回転数などの運転条件と,排ガス再循環(EGR)による燃焼制御を念頭においた,CO2,H2O,N2などの吸気組成が,着火と燃焼に与える影響を,実験的に検討している.さらにDMEの詳細な素反応スキームを基にした,反応動力学的計算を実行し,実験結果の解析と,結果の一般化に向けての検討を進めている.

 第1章は序論であり,本研究の背景を述べ,予混合圧縮着火燃焼とDMEの反応動力学に関する従来の研究を紹介しながら,研究の目的と意義を明確にしている.

 第2章では,実験に使用した2種類のエンジンと周辺機器及び実験手法について述べている.本研究の一つの特徴は,ガソリンエンジン及びディーゼルエンジンを改造した,圧縮比の異なる2種類の予混合圧縮着火エンジンを試作し,使用した点にある.これにより,圧縮後の温度・圧力を,広い範囲で検討することが可能になり,従来よりも一般的な知見を得ることを目指している.

 第3章では,実験結果に基づいて予混合圧縮着火燃焼の特性を詳細に検討している.予混合圧縮着火燃焼の特徴は,大きな熱発生を伴わない冷炎と,それに続く熱炎の2段階の燃焼過程を経ることであり,冷炎の発生時期と熱炎の発生時期を制御することが必要になる.本研究では,冷炎の発生時期は,圧縮後の温度と圧力が主たる支配要因であるが,回転数も影響を与えることを指摘している.さらに,熱炎の発生時期には冷炎での熱発生量が大きな影響を与えていること,この冷炎の熱発生量には燃料濃度と共に,吸気組成,特に酸素濃度が大きな影響を及ぼすことを明らかにし,定量的に予測する実験式を提示している.

 第4章では,詳細な素反応スキームを基にした反応動力学的計算による実験結果の解析と一般化を検討している.なお反応スキームとしては,Curranらが提案している,80成分351素反応式からなるスキームを採用し,計算には汎用化学反応計算コードであるChemkin IIを使用した.エンジン実験結果との詳細な比較の結果,このスキームは定性的に良く冷炎・熱炎の特性を説明できること,また冷炎の発生時期については定量的にも予測できることを明らかにしている.系統的な計算の結果,前章で説明した回転数が冷炎発生時期に与える影響は,圧縮過程の経過時間の影響に帰着できること,CO2,H2O,N2などのEGRガスの成分が冷炎の諸特性に与える影響は,これらの成分の混入による比熱と酸素濃度の変化で説明できることを明らかにしている.さらにH2Oについては,冷炎から熱炎に至る過程で重要な素反応である過酸化水素の分解反応に影響を与える可能性があることを指摘しており,これらの知見は,EGR等による着火・燃焼の制御に有用な指針を与えるものになっている.

 第7章は,本論文の結論であり,本研究において得られた知見をまとめている.

 以上を要するに,本研究はジメチルエーテルを燃料とする予混合圧縮着火燃焼の諸特性と,着火・燃焼の制御要因について,実験と数値計算により系統的に検討を加え,その影響を明確にすると共に,着火・燃焼の制御に有用な指針を与えるものであり,機械工学,特に内燃機関工学,燃焼工学に寄与するところが大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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