学位論文要旨



No 117016
著者(漢字) 小林,克年
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,カツトシ
標題(和) 壁面モデルを適用した乱流LESの構築とその実用性の評価
標題(洋)
報告番号 117016
報告番号 甲17016
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5157号
研究科 工学系研究科
専攻 機械情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 谷口,伸行
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 加藤,千幸
内容要旨 要旨を表示する

 LESは複雑非定常な乱流場を高精度で予測できる数値解析手法である.しかし工業界において見られる各種流体機械や環境関連機器の設計支援ツールとしてLESを用いることは,現在の計算機環境では不可能である.本研究の目的は低計算負荷かつ高精度の数値予測が可能なLES乱流数値解析手法を構築し,数種類の複雑乱流場においてその評価を行うことである.

 滑り無し境界条件(No-Slip)のLESで壁乱流を数値解析した場合,高精度の数値解を得るためには壁近傍に多くの計算格子が必要であり,通常,乱流境界層の内層領域(粘性底層,緩和層,対数則領域)に全体の約50%の格子が設定される.この問題点を解決するための手段として,壁面モデルによる内層領域のモデル化がある.図1に壁面モデルの概念を示す.壁面モデルを適用したLESでは細かい計算格子を設定することによって内層領域を直接,正確に解くことを放棄する.その代わり高い予測精度を保つため壁面境界条件として必要な壁面剪断応力,壁面熱流束,壁面温度を壁面モデルから算出する.

 本研究では代数式型壁面モデル(AWM)および微分式型壁面モデル(DEWM)を壁面モデルとして適用する.AWMは圧力勾配が壁面剪断応力を用いて表現できる2次元平行流の壁近傍で成り立つ壁法則(線形則+対数速度分布則の2層モデルやSpalding則)を用いて壁面剪断応力を算出する手法である.壁法則は速度と壁面剪断応力を非線形の代数式で関係付けており,壁面第一格子点でのLES速度を代入してその代数式をニュートン法で解くことにより壁面剪断応力が算出される.DEWMは壁近傍にLES格子とは別の格子(Embedded Grid)を設置し,その領域で,LES壁面第1格子点での速度および圧力を境界条件に用いて境界層方程式を離散的に解き,得られた速度場から壁面剪断応力を算出する手法である.本研究ではAWMとして森西により提案されたSpalding則を適用する手法,DEWMとしてCabotにより提案された手法を採用している.

 図2は本研究で行った解析例とそれぞれの解析において壁面境界条件に適用された手法を表している.図3に各検証例での予測精度および計算時間について示す.誤差10%以内を○,10〜50%以内は△,50%以上を×とする.平行平板間乱流,円管内乱流,静止直円管内旋回乱流ではNo-Slipによる解析も行ったが,本研究では計算格子数が不十分であったため予測精度の悪い計算結果となっている.そこで格子解像度が粗いNo-Slipの結果から得られた壁面摩擦速度を用いて,格子解像度が主流方向に関して約57〜70,スパン方向および周方向に関して約28〜69となるような計算格子数の場合の計算時間と比較した結果を「計算時間(Fine No-Slipを100%)」に示した.以下に検証結果を説明する.

(1) 平行平板間乱流および円管内乱流の検証

2次元平行流の代表例である平行平板間乱流,円管内乱流をAWM, DEWM, No-Slipを用いたLESで数値解析した.この2つの流れ場は圧力勾配の効果が無視できる最も単純な壁乱流であり,AWMで用いられるSpaldingの式は2つの流れ場における壁近傍の平均速度を表している.よってAWMとDEWMの間に予測結果の違いはほとんどなく平均速度を誤差10%以内で予測できている.しかし2次の乱流統計量に関しては壁面モデルを適用しても予測制度は改善されない.またDEWMの計算時間は平行平板間乱流でNo-Slipの13%,Fine No-Slipの3.25%,円管内乱流でNo-Slipの25%, Fine No-Slipの2.5%であり低計算負荷が実現できている.

(2) 逆圧力勾配平板境界層

逆圧力勾配平板境界層をAWM, DEWMを用いたLESで数値解析した.逆圧力勾配平板境界層では負の圧力勾配が生じるため,平均速度分布が通常の対数速度分布と異なる.よって通常のSpalding則を用いるAWMを適用した場合,計算精度に問題が生じると考えられる.DEWMの壁近傍で解かれる境界層方程式には,LES壁面第1格子点での圧力勾配と同じ値を示す圧力項が存在する.よってこの圧力勾配の影響を壁面剪断応力の算出に反映することができるため,DEWMの壁面摩擦速度および主流方向平均速度の予測結果はAWMよりも実験値に近づく.しかし誤差は10〜50%であり予測精度は不十分である.2次の乱流統計量に関してはAWMとDEWMの間に計算結果の差異は殆ど見られない.誤差も50%以上であり予測精度は非常に悪い.

(3) 静止直円管内旋回乱流

旋回乱流の壁面近傍では遠心力によって乱れが促進される.この現象を壁面モデルに反映させるため勾配リチャードソン数を用いてDEWMの境界層方程式における乱流渦粘性係数のモデル化に適用されているJohnson-Kingゼロ方程式乱流モデルを修正した.この修正微分式型壁面モデル(MDEWM), DEWM, No-Slipを用いたLESで静止直円管内旋回乱流の数値解析を行った.DEWMは軸方向および周方向壁面剪断応力の減衰分布を実験値よりも過小評価し,No-Slipは過大評価する.MDEWMは勾配リチャードソン数の効果により乱流渦粘性係数が旋回乱流場において大きく評価されることから,DEWMに見られる過小評価を改善し実験値を高精度で予測できている.平均速度及び乱流強度,レイノルズ剪断応力の予測精度に関してはDEWMとMDEWMの間に予測結果の差異は殆ど見られない.それぞれの予測に対する誤差は表に示されている通りである.MDEWMの計算時間はNo-Slipの35%,Fine No-Slipの1.4%と低計算負荷になっている.また旋回成分がなくなるにつれて勾配リチャードソン数はゼロに漸近するため,MDEWMは円管内乱流もDEWMと同様に十分予測することができる.

(4) 円筒炉内強旋回乱流

MDEWMを用いたLESで円筒炉内強旋回乱流の数値解析を行った.旋回強度が高いため勾配リチャードソン数は静止直円管内旋回乱流の場合に比べ非常に高くなる.レイノルズ数が約3×106と非常に高いためため現在の計算機環境ではNo-SlipのLESで高精度な予測を行うことは不可能である.MDEWMは平均速度を誤差10〜50%以内,乱流強度を誤差10%以内で予測できている.

(5)円形衝突噴流

AWM, DEWMにより円形衝突噴流の熱流動解析を行った.DEWMによる温度の数値解析は今だ行われていない.本論文では速度場と同様に壁近傍において温度境界層方程式を解き,温度の境界条件として必要な壁面熱流束および壁面温度を算出する微分式型壁面温度モデルを考案した.速度場に関してはAWM, DEWMの間に予測精度の差異は殆どなく,平均速度に関しては誤差10%以内,2次の乱流統計量に関しては誤差50%以上という結果になっている.ヌセルト数の予測に関して,AWMで適用される温度の対数分布則がよどみ点領域において不適切であるため,AWMはヌセルト数をよどみ領域において定性的に予測できていない.DEWMはヌセルト数を定性的に予測できるが,定量的には過大評価しており誤差は10〜50%以内である.

 AWMおよびDEWMを適用したLESにより複雑乱流場の数値解析を行った.乱流場が複雑になるにつれて壁近傍を代数式でモデル化することは困難であり,高精度の予測を行うためにはDEWMで適用される境界層方程式の様に,より高次のモデルが必要とされる.本研究ではAWMの代数式としてSpalding則および温度対数分布則を適用したが,逆圧力勾配平板境界層においては負の圧力勾配をモデルに反映できるDEWMがAWMよりも良い予測結果を得ている.また円形衝突噴流の熱流動解析ではAWMはよどみ領域においてヌセルト数を定性的に予測できていない.しかし静止直円管内旋回乱流では,DEWMは遠心力による乱れの増幅を表現できないため壁面剪断応力を過小評価する.勾配リチャードソン数を用いて乱流渦粘性係数を修正したMDEWMは壁面剪断応力を高精度で予測することが可能である.またMDEWMは旋回のない円管内乱流も十分に予測できている.即ち乱流場の複雑さにおおじて境界層方程式の乱流渦粘性係数のモデル化を工夫することにより,DEWMの予測精度を向上させることができる.

 壁面モデルDEWM,MDEWMを適用したLESはNo-Slipよりも低い計算負荷で平均速度など1次の乱流統計量を予測することができる.しかし2次の乱流統計量に関しては今回適用した壁面モデルで予測精度を改善することができない.また剥離流れなどのように更に乱流場が複雑になる場合は境界層方程式中の乱流渦粘性係数のモデル化を工夫する必要がある.その際,RANSがLESよりも優れているとされる利点の一つである,様々な乱流場を予測できる汎用性が損なわれないように,修正モデルの普遍性には留意しなければならない.壁近傍のGS渦構造を格子で直接解くことはLESにDNSに相当する計算負荷を要求することになる.よって気象関係や航空機,またゴミ焼却システムのような大規模な環境装置はレイノルズ数が非常に高いため,No-SlipのLESでは高精度の数値予測が不可能である.しかしDEWMおよびMDEWMを適用したLESはこのような高レイノルズ数の複雑乱流場を予測できる計算手法である.またこのような流れ場にDEWMおよびMDEWMを適用することが,LESの基本的概念である大きな渦だけを直接解くという真意を体現していると考える.

図1 滑り無し境界条件と壁面モデルの比較

図2 解析例と壁面境界条件に適用した手法

図3 計算精度および計算時間

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「壁面モデルを適用した乱流LESの構築とその実用性の評価」と題し,7章より成っている.

 まず、第1章において乱流数値予測の研究状況を概観し、特に、ラージ・エディ・シミュレーション(LES)法が汎用性の高い数値予測法として期待されるが、高レイノルズ数流れの予測に膨大な計算負荷を要することが工学応用の重大な障害であることを示して、壁面モデルの導入によってその解決を図るという本研究の目的が提示される。

 第2章では、LES法および壁面境界条件のモデル化について従来研究を概観して各手法の定式化とその特徴、欠点等についての比較評価が述べられる。滑り無し境界条件(No-Slip)のLESで壁乱流を数値解析した場合には乱流境界層の内層領域(粘性底層,緩和層,対数則領域)に全体の約50%の格子を集中する必要があり、これは実用上過大な計算負荷となる。そこで、内層領域を直接計算することを放棄しても高い予測精度を保つため壁面境界条件として必要な壁面剪断応力,壁面熱流束,壁面温度を壁面モデルから算出する手法の必要性が指摘される。その結果として、壁面近似には代数式型モデルとしてSpalding則と森西の方法を、微分方程式型モデルとして0方程式モデルとCabotの方法が基本的手法として採用した。また、温度境界条件にも同様の考察の元に代数式型モデルと微分式型モデルを定式化した。これらの壁面モデルを導入したLES法について、以下では5種の異なる乱流場に対して数値検証の実施結果を報告している。

 第3章では、圧力勾配の効果が無視できる最も単純な壁乱流として2次元平行流の代表例である平行平板間乱流,円管内乱流を取り上げた。この例では、代数式型モデルと微分式型モデルの間に予測結果の有意な違いはなく平均速度を高精度で予測できることが示された。また、従来のNo-slip条件に比して、代数式型モデルで12,13%,円管内乱流で21,25%の計算負荷低減を実証している。

 第4章では、逆圧力勾配平板境界層を取り上げる。逆圧力勾配平板境界層では負の圧力勾配が生じるため,平均速度分布が通常の対数速度分布と異なり、代数型モデルの計算精度に問題が生じる可能性が懸念されるが、微分方程式型モデルでは圧力項を明示的にもつことでその影響を壁面剪断応力の算出に反映することができるためより一般的と予想される。両者の数値検証結果からは、本解析対象では上記の予測差異は小さく、壁面せん断応力や平均速度分布については実験値をほぼ近似できること、また、2次の乱流統計量に関してはモデル化の過程から推定されたとおり予測精度は低いことが示された。

 第5章では、体積力の働く乱流場の例として旋回乱流が取り上げられる。旋回乱流の壁面近傍では遠心力によって乱れが促進される。この現象を壁面モデルに反映させるため、勾配リチャードソン数を用いた微分方程式型モデルの修正を新たに提案した。まず、静止直円管内旋回乱流の数値検証結果から、基本モデルは軸方向及び周方向壁面剪断応力の減衰分布を実験値よりも過小評価するのに対して,修正モデルでは勾配リチャードソン数の効果により乱流渦粘性係数が旋回乱流場における過小評価を改善し、実験値の壁面剪断応力を高精度で予測できることを示した。平均速度及び乱流強度,レイノルズ剪断応力の予測精度に関しては両者に予測結果の差異は殆ど見られないことも確認された。また、No-slip条件が可能な計算に対して計算負荷を21%減少する計算格子では、平均速度場は高精度で予測できているが2次の乱流統計量は予測精度が悪く、計算時間を36%減少させる場合では平均速度場および2次の乱流統計量ともに高精度で予測できることを報告している。旋回成分がない通常の円管内乱流では、勾配リチャードソン数はゼロに漸近し、修正モデルが基本モデルと同様に適用可能であることも確認している。さらに、旋回を伴う工学流れの例として円筒炉内強旋回乱流を取り上げた。レイノルズ数が約3×106と非常に高いこの対象では現在の計算機環境でNo-SlipのLESで高精度な予測を行うことは不可能であるが,本研究で提案する修正された微分方程式型壁面モデルを適用することで平均速度場および乱流強度をある程度予測できることを実証した。

 第6章では、温度場予測を伴う乱流場として円形衝突噴流の熱流動解析を行った.ここでは、速度場と同様に壁近傍において温度境界層方程式を解き,温度の境界条件として必要な壁面熱流束および壁面温度を算出する微分式型壁面温度モデルを考案した。数値検証の結果から、速度場に関しては代数式型モデルと微分方程式型モデルの間に予測精度の差異は殆どないが,代数式型モデルで適用される温度の対数分布則はよどみ点領域において不適切であるため熱伝達係数を過小評価するのに対して、微分方程式型モデルがより良い精度で実験値を予測することが実証された。

 第7章では、上記の数値検証から、本研究で提案した微分方程式型壁面モデルがLESの計算負荷を低減しかつ高精度の数値予測を可能とする有効な手段であると結論付けるとともに、複雑な乱流場では境界層方程式中の乱流渦粘性係数のモデル化に適切な修正が有効であること、2次の乱流統計量の予測に関しては更なる検討が必要であること、などを指摘している。

 以上の研究成果を審査するに、乱流LES法において近年注目されていたが予測精度や計算手法などの確定していなかった壁面モデルの導入に関して、豊富な数値検証を示し、また、精度改良の有力な修正法を提案したことで、その実用性を実証した価値は大きい。さらに、並列計算を駆使して高レイノルズ数流れや温度場を伴う熱流動解析の実例を示すなど、LES実用化へ向けての工学的寄与も評価できる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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