学位論文要旨



No 117049
著者(漢字) 井上,大介
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ダイスケ
標題(和) 半導体レーザの温度依存性を低減する新しいヒートシンク構造に関する研究
標題(洋) Study on New Heatsink Structures for Reduction of Temperature Sensitivity in Semiconductor Lasers
報告番号 117049
報告番号 甲17049
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5190号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 高橋,琢二
 東京大学 講師 年吉,洋
内容要旨 要旨を表示する

1-1.背景

半導体レーザは小型で体積の割に高出力で扱いやすいという特徴をかねそろえたレーザであり,民生品,計測器、通信機器など幅広い分野に応用されており日常生活に不可欠なものとなっている。特にInGaAsP系長波長半導体レーザは石英光ファイバでの損失が少ない波長で発振し高速変調できるため、通信システムの光源として必要不可欠なものとして注目されている。

1-2.これまでの技術の問題点

 半導体デバイスは温度によって電気的特性が大きく変化することが欠点であり,InGaAsP系長波長半導体レーザは材料の性質上半導体の中でもとりわけ温度特性が悪い。実用化している製品はペルチエ素子を用いて温度を一定に保って特性変化を防いでいるが、半導体レーザの消費電力が数mAないし数十mAであるのにたいしペルチエ素子の消費電力は数百mAないし数Aとペルチエ素子は実に数十倍の「無駄な」電力を消費している。

1-3.目的

 本研究の目的は半導体レーザの発振しきいちや発振波長などの温度特性を改善できるヒートシンクを開発することである。

2.熱応力による温度特性補償ヒートシンクの提案

 半導体には歪みを与えると結晶の周期構造が変化しバンド構造が変化しバンドギャップや屈折率が変化するという性質がある。したがって半導体レーザに応力を加えると発振波長やしきい値が変化することが知られている。我々は、半導体レーザに温度に応じた適切な歪みを与えれば温度による特性の変化を補償させることができると考えて、半導体レーザを載せるヒートシンクが温度によって変形することによって半導体レーザが変形し温度による特性の変化を補償させるような「温度補償ヒートシンク」を考案した。

 この方法はこれまで研究されてきた量子井戸構造の最適設計と併用することができるという利点があるほか、半導体レーザ以外の半導体デバイス一般にも広く応用できる可能性を秘めた実用的で有望な研究である。

3.外的歪みによる半導体レーザの特性変化の理論的考察

3.1バンド構造の計算

 バンド構造の計算の際に歪みの効果と温度変化の効果を取りこむ。歪むの効果を取りこんだLuttiger-Kohnのハミルトニアンで活性層の量子井戸のバンド構造およびエネルギー準位を計算する。ハミルトニアンを作るとき同時にInGaAsP系材料のバンドギャップの温度依存性をここで取りこむ。そして、次の波動方程式を解くことで波動関数と固有値が得られる。

コンダクションバンド側

バレンスバンド側

ここでUel(z)とUhl(z)はコンダクションバンドおよびバレンスバンドのポテンシャル変化、V(z)は外的な電界によるポテンシャル変化、Eeli(κ)とEhli(κ)はコンダクションバンドおよびバレンスバンドのサブバンドエネルギー、φeli(κ,z)とφhlvv'(κ,z)は波動関数の包絡線である。

3-2.光学遷移確率の計算

エネルギー準位から光学遷移確率をフェルミの黄金率を使って計算する。フェルミの黄金率から近似的に導かれる光学遷移要素は次のようにかかれる。

3-3.利得と屈折率の計算

 光学遷移確率と擬フェルミ準位からゲインピークと屈折率を計算できる。

 nrは屈折率、〓は擬フェルミ準位、LWは井戸幅、L(E)=〓は半値幅Γのローレンツ関数である。

 屈折率変化〓は次のようにして見積もられる。

 ファブリペロレーザはゲインピーク変化から発振波長変化を予測でき、DFBレーザの場合屈折率変化から発振波長変化を見積もれる。

4.半導体レーザの温度特性を保証するヒートシンク

4-1.半導体レーザの温度特性を補償するヒートシンク

ヒートシンクの構造

Fig.1(a)のようなシリコン製のサブマウントにAu(80wt.%)Snはんだによっていったん半導体レーザを実装した。サブマウント材料にシリコンを選んだ理由は、

・ シリコンの熱膨張係数(4.2ppm/℃)がInPの熱膨張係数(4.5ppm/℃)に近い。

・ シリコンの熱伝導率が比較的よい。(151W/m・K)

・ 安価で入手しやすい。

等の理由による。

サブマウント上には電子銃蒸着装置によってTi(100nm)/Ni(100nm)/Au(100nm)の薄膜を蒸着しておき、その上に抵抗加熱蒸着装置によってAu-Snはんだを6-8μm蒸着した。

ヒートシンクの構造をFig.1(b)に示す。インバーの熱膨張係数は1.1ppm/℃であり、亜鉛の熱膨張係数は30.5ppm/℃である。亜鉛とインバーとの熱膨張係数の差のため半導体レーザがサブマウントごと曲げられる。亜鉛の長さは20mmである。

4-2.半導体レーザの温度特性を補償するヒートシンクの作成

作成した半導体レーザの構造はFig.2のようになっている。半導体レーザは9つの半導体レーザが並んだ長さ4.5mmのバーの状態で使用した。

1.半導体レーザのバーをサブマウントの上にマウントした。このとき顕微鏡で観察しながらレーザのリッジがサブマウント上の溝にくるように半導体レーザを位置あわせした。

2.ここで一度測定を行った。

3.シアノアクリレート系接着剤(CC35)によってヒートシンクにサブマウントを接着した。

4.電極をヒートシンク上につけ金のワイアを超音波でボンディングした。

5.100℃で2時間加熱しエージングを行った。

6.温度補償ヒートシンク付きでの測定を行った。

4-3.半導体レーザの温度特性を補償するヒートシンクの性能測定

実験方法

■ 発振波長の測定

テーパファイバによって半導体レーザの出力を取り出し、スペクトラムアナライザAQ6315B(安藤)によって半導体レーザの発振波長を測定した。

■ しきい値の測定

電流源はILX3811(ILX Light Wave)を用いた。光出力の測定はMA93(安藤)を用いて行った。

実験結果

■ 発振波長の温度特性

半導体レーザをSiサブマウント上に実装したときのCW発振の条件での発振波長の温度依存性と同じレーザをサブマウントごと温度補償ヒートシンクに実装した時の発振波長の温度依存性を比較したものをFig.3(b)に示す。Siサブマウント上では20℃から60℃の+40℃の温度変化で、+26.0nm発振波長がシフトしている。温度補償ヒートシンクを使った場合は20℃から60℃の+40℃の温度変化で、+11.8nm発振波長がシフトしている。温度補償をかけた半導体レーザの発振波長に不連続点があるのは、利得変化と屈折率変化がかみ合わなかったために起こるモードホップとよばれる現象である。CW発振の条件で半導体レーザをSiサブマウント上に実装したときの発振スペクトルをFig4.(a)に、同じレーザをサブマウントごと温度補償ヒートシンクに実装した時の発振スペクトルをFig4.(b)に示す。

CW発振では自己発熱による発振波長の長波化と発振しきい値の上昇による発振波長の短波長化が起こり、純粋な歪みによる温度補償効果が観測できない。われわれはパルス発振での発振波長の温度依存性も測定した。その結果をFig.3(a)に示す。Siサブマウント上では20℃から60℃の+40℃の温度変化で、+20.9nm発振波長がシフトしている。温度補償ヒートシンクを使った場合は20℃から60℃の+40℃の温度変化で、+14.5nm発振波長がシフトしている。

■ 発振しきい値の温度特性

半導体レーザをサブマウント上に実装したときのCW発振の条件での電流−光出力の温度依存性をFig.5(a)に、同じレーザをサブマウントごと温度補償ヒートシンクに実装した時の電流−光出力の温度依存性をFig.5(b)に示す。そして、発振しきい値の温度依存性を対数グラフにしたものをFig.6(b)に示す。サブマウント上での半導体レーザの発振しきい値の特性温度は44.9であり、温度補償ヒートシンクを使用した場合の特性温度は80.5である。CW発振しきい値の特性温度が80%向上している。

自己発熱の影響を除くためパルス発振で計測した発振しきい値の温度依存性をFig.6(a)に示す。サブマウント上での半導体レーザの発振しきい値の特性温度は60.8であり、温度補償をかけた後では特性温度は99.8となっている。パルス発振しきい値の特性温度が64%向上している。

5.本研究の結論

本研究ではヒートシンクの熱歪みによって半導体レーザの発振しきい値および発振波長の温度特性を改善する研究を行った。

亜鉛とインバーの熱膨張係数差を利用した単一軸熱応力温度補償ヒートシンクを半導体レーザに用いることによって、20℃から60℃の温度範囲内において次のような結果を得た。

■ 発振波長の温度ドリフトをCW発振では26.0nmから11.8nmへ55%抑えることに成功し、パルス発振では20.9nmから14.5nmへ31%抑えることできた.

■ CW発振しきい値の特性温度が44.9から80.5へと80%改善し、パルス発振しきい値の特性温度が60.8から99.8へと64%改善した.

■ この温度範囲ではレーザの破損は見られなかった.

■ SiサブマウントとAu-Snはんだにより、これまで考案されたヒートシンク構造より信頼性が高く、かつ放熱特性に優れた温度補償ヒートシンクになった。

参考文献

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[2] Shunji Seki, Hiromi Oohashi, Hideo Sugiura, Takuo Hirono, and Kiyoyuki Yokoyama, IEEE J. of Quantum Electronics, Vol.32, No.8, August 1996

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[10] Daniel A. Cohen, Larry Coldren, IEEE J. of Selected Topics in Quantum Electronics, Vol.3, No2, April 1997

Fig.1:(a)シリコンサブマウントに実装した半導体レーザ。

サブマウントの大きさは10×5×0.4mmであり中央に幅50μm深さ300μmの溝がいれてある。この溝によって応力集中が起こる。(b)温度特性補償ヒートシンクの模式図。大きさは10×25×5mmであり、熱膨張係数の異なるインバーと亜鉛によってできている。

Fig.2:作成した半導体レーザの(a)デバイス構造,(b) SEM写真。

活性層は5層の歪み量子井戸でできておりバリアの組成はIn0.70Ga0.30As0.54P0.48(格子整合、バンドギャップ1.25μm)幅10nmであり井戸の組成はIn0.76Ga0.24As0.84P0.16.(1%圧縮歪み)幅10nmである。

Fig.3:発振波長の温度依存性、それぞれ、(a)パルス発振、(b)CW発振での測定結果。

不連続点はレーザキャビティの屈折率変化と利得変化によって生じるモードホッピングである。

Fig.4:CW発振でのスペクトルの温度依存性の比較。

(a)シリコンサブマウントに実装したときのスペクトル、(b)温度特性補償ヒートシンクに実装した時のスペクトル。

Fig.5:電流−光出力特性の温度依存性。

(a)シリコンサブマウントに実装した状態での測定結果、(b)温度特性補償ヒートシンクに実装した状態での測定結果。

Fig.6:発振しきい値の温度依存性。

(a)パルス発振でのしきい値の温度変化、(b)CW発振でのしきい値の温度変化。CW発振のほうが特性温度の改善が大きいのはヒートシンクを追加したため放熱効率が上がったためと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,バイメタルを利用したヒートシンク構造によって半導体レーザに応力を印加しレーザの温度依存性を低減する新しい技術に関して,理論と実験の両面から論じたものであり,6章より構成されている.

 第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成が述べられている.半導体レーザは温度によって閾値電流や発振波長が大きく変化することが欠点であり,InGaAsP系長波長半導体レーザは材料の性質上,とりわけ温度特性が悪い.実用化している製品は熱電素子を用いて温度を一定に保ち特性変化を防いでいるが,この熱電素子の消費電力は半導体レーザ自体の消費電力の数十倍にのぼる.本研究の目的は,半導体レーザの温度特性を応力印加によって改善する新たなヒートシンクを開発することである.

 第2章は「半導体レーザの温度特性改善ヒートシンクの理論」と題し,研究の基本となる外部応力が半導体レーザ特性に与える影響について理論的考察を加えている.歪みの効果およびInGaAsP系材料のバンドギャップ温度依存性を組み入れたLuttinger-Kohnハミルトニアンで,活性層量子井戸のバンド構造およびエネルギー準位を計算した.次に,光学遷移確率をフェルミの黄金率を使って計算し,これと擬フェルミ準位から利得と屈折率を計算している.ファブリーペローレーザの場合は利得ピーク波長の温度変化から発振波長変化を予測し,分布帰還型(DFB)レーザの場合は屈折率変化から発振波長変化を見積もっている.その結果,2軸歪みの場合,温度上昇とともにレーザチップに86ppm/Kの歪みを与えれば発振波長の温度変化を打ち消すことができ,286ppm/Kの歪みを与えれば発振閾値電流の温度変化を打ち消せることが予測された.一方1軸歪みの場合は,100ppm/Kの歪みを与えれば発振波長が補償できるが,発振閾値電流を補償するには222ppm/Kの逆歪みを与えなければならないことが,計算により明らかにされた.

 第3章は「サンプルの作製」と題し,本研究で用いる1.55μm帯InGaAsP/InP圧縮歪み量子井戸半導体レーザチップの作製方法と,サブマウントの選択,ヒートシンクへの半田接合技術について論じている.レーザ活性層は5層のInGaAsP量子井戸から成り,井戸層は幅10nmの0.8%圧縮歪みInGaAsP四元混晶,障壁層は格子整合したバンドギャップ波長1.25μmのInGaAsP四元混晶を用いている.結晶成長は,有機V族原料による有機金属気相エピタキシー(MOVPE)で行われた.レーザストライプは幅2μm,高さ1μmのリッジ導波路を採用している.チップは9つのレーザが並んだ幅4.5mm,共振器長500μmのバー状態に劈開された.サブマウントとして,種々の観点からシリコンを選択し,金錫半田による接合法を確立した.半田厚さは6〜8μmが最適であり,下地には厚さ各100nmのAu/Ni/Tiを用いるのがよいことを見出した.

 第4章は「半導体レーザの温度特性を改善するヒートシンクの実現」と題する本論文の中核をなす章で,2章の理論検討に従って設計された温度補償ヒートシンク上に,3章のレーザチップを実装して,実際の温度補償効果を測定評価したことについて論じている.亜鉛とインバーの熱膨張係数差を利用した単一軸熱応力温度補償ヒートシンクを考案,試作し,その上にサブマウントおよびレーザチップを種々の技術を組み合わせて実装した.その結果,単にシリコンサブマウントに実装しただけの場合,20℃から60℃の温度変化で発振波長が26.0nm増加したのに対し,温度補償ヒートシンクを使った場合は11.8nmの増加に留まることが確認された.ただし上記の連続動作においては,自己発熱による発振波長の長波長化と閾値電流の上昇による発振波長の短波長化が同時に起こっている.熱歪みによる温度補償効果のみを観測するために,パルス電流駆動で同様の測定を行った結果,サブマウントだけの場合20.9nmの発振波長シフトが温度補償ヒートシンクによって14.5nmのシフトに抑制されていることが観測された.一方閾値電流の特性温度に関しては,サブマウントだけの場合44.9Kであったものが温度補償ヒートシンクを使用した場合には80.5Kに向上した.自己発熱の影響を除くためパルス電流駆動で計測した際にも,60.8Kから99.8Kへの特性温度向上が見られた.また,この温度範囲ではレーザの破損は観測されていない.

 第5章は「研究結果を改善するための提案」と題し,実装方法の改善指針,別形態の温度補償ヒートシンク構造の提案,半導体レーザチップ自体の温度特性改善の指針が論じられている.

 第6章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

 以上のように本論文は,ヒートシンクの熱歪みによって半導体レーザの発振波長および閾値電流の温度依存性を低減することを目的に研究を行い,新たに亜鉛とインバーの熱膨張係数差を利用した単一軸熱応力温度補償ヒートシンクを考案,試作して,20℃から60℃の温度範囲内において発振波長の温度変化を連続動作で55%,パルス動作では31%抑圧し,発振閾値電流の特性温度を連続動作で80%,パルス動作では64%向上させることに成功したもので,電子工学分野へ貢献するところ少なくない.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1901