学位論文要旨



No 117060
著者(漢字) アーサン モハッモド ナズムル
著者(英字)
著者(カナ) アーサン モハッモド ナズムル
標題(和) 半導体基板上の強磁性MnAs薄膜およびMnデルタドープGaAsをペースとしたヘテロ構造のエピタキシャル成長と物性
標題(洋) Epitaxial Growth and Properties of Ferromagnetic MnAs Thin Films on Semiconductors and Mn δ-doped GaAs Based Heterostructures
報告番号 117060
報告番号 甲17060
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5201号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,雅明
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
 東京大学 助教授 高橋,琢二
内容要旨 要旨を表示する

 半導体をベースとする材料及びヘテロ構造中にスピンに起因する機能を導入することによってスピンエレクトロニクデバイスと呼ばれる新しい機能デバイスの実現が期待できる。近年、このような観点から、III-V族半導体をベースとした新しい磁性材料や構造の研究が行われてきた。特に、(1)MnAs/GaAsやFe/GaAsなどのような強磁性金属/半導体ヘテロ構造及び(2)InMnAsやGaMnAsなどのような希薄磁性半導体などが注目を集めている。前者に関しては強磁性金属と半導体との結晶構造の違いから半導体基板上に平坦な表面と急峻な界面を持った強磁性金属の成長が困難であることや薄膜多層構造の成長が難しいといった問題が残されている。また、後者に関しては希薄磁性半導体の強磁性転移温度は低く、高い強磁性転移温度を得ることが大きなボトルネックとなっている。本研究はこれらの二種類の材料システムに対してこのような解決すべき点を念頭において研究を進めてきた。

 序論に続き第二章「半導体Si及びGaAs基板上に成長した強磁性金属MnAs薄膜の磁気光学特性」ではSi(001), Si(111)及びGaAs(001), GaAs(111)B基板上に成長したMnAs薄膜の磁気光学的な性質を調べた。MnAsは室温以上に強磁性転移温度を持つ強磁性金属である。Si(001)及びGaAs(001)基板上では成長条件によってMnAs(1100)面あるいはMnAs(1101)面に膜の成長面を制御することができる。一方、Si(111)及びGaAs(111)B基板上ではMnAs(0001)面が成長面となる。そこで本論文ではSi(001), Si(111), GaAs(001)そしてGaAs(111)B基板上に成長したMnAs(1100)、MnAs(1101)及びMnAs(0001)の結晶成長方位を持つMnAs薄膜の磁気円二色性(MCD)を調べた。MCDは膜における左円偏光と右円偏光の反射率の差を示し、特に材料のバンド構造上の特異点などでは強い強度を示す。本研究では光波長200から1000nm領域でMCDスペクトルを調べた。MCDの強度・スペクトル形状ともにMnAsの成長方位に大きく依存することがわかった。これはMnAs膜膜の一軸結晶磁気異方性が薄膜の成長方位に依存するために生ずると明らかにした。また、MCDはエピタキシャル膜の結晶性に対しても顕著に変化する。GaAs基板上に成長したMnAsの結晶性はSi基板上に成長したものより優れており、GaAs基板上のMnAs薄膜のMCD強度はSi上に成長した場合に比べて強く観測された。MnAsの電子構造に関してはいくつかのモデルがあるが本研究で得られたMCDスペクトルはGoodenoughが提案したイオンモデルに良く一致していることを示した。さらに、フルポテンシャル線形マフィンティン軌道法(FLMTO)を用いたカー楕円率の計算結果にも非常に良く一致する。このように本章ではMnAs薄膜の磁気光学効果だけではなく薄膜の電子構造に対しても統括的な理解を与えた。

 第三章「Si(111)基板上の強磁性金属MnAs薄膜の成長過程」では半導体Si(111)基板上にMnAs薄膜の初期成長過程及び膜質やモフォロジと磁気的な性質について調べた。平坦な表面表面及び急峻なヘテロ界面の作製が強磁性金属/半導体構造の重要な課題となっており、強磁性トンネル接合などのデバイス作製にはこの課題の克服が必要である。本論文では、Si(111)基板を用いMnAs薄膜のMBE成長初期過程を調べた。Si基板上の強磁性MnAs薄膜に関する本研究は既存の半導体デバイス及び回路技術と互換性を保ち今後の新しいスピンエレクトロニクデバイス作製及び応用に大きく寄与すると期待できる。特にSi(111)表面の三角的な原子配置及びその基板上に成長するMnAs(0001)面の六角的な原子配置間は対称にあることと互いの面間の格子ミスマッチが比較に小さいことがエピタキシャル的な結晶成長を促進すると期待できる。本研究は半導体Si(111)基板上にMnAs薄膜を成長する際、成長条件としてAs4/Mnのフラックス比と基板温度を変えながら初期成長過程及び膜質やモフォロジーと磁気的な性質について調べた。MnAs薄膜の成長モード(2次元あるいは3次元的)、膜質、モフォロジー、及び磁気特性と磁気異方性なるはAs4/Mnのフラックス比と基板温度に強く依存することを示した。成長条件を制御することによって所望の磁気特性(所望の保持力及び飽和磁化)が得られることは将来のスピンエレクトロニクデバイス作製に大きな自由度を与える。

 第四章「GaAs中にMnをδドープした膜の構造評価と伝導特性」ではGaAs中にMnをδドープした構造という新しいスピンエレクトロニクス構造に関して調べた。δドーピングの大きな特長は局所的により高密度の不純物を添加することができること、さらに高密度のキャリアの誘起が可能であることである。一方、磁性半導体材料のInMnAsやGaMnAsなどでは磁性イオンMn濃度を上げることができれば高い磁性転移温度が得られると推測されているが、このような材料ではMnの固溶限界は低く、Mn濃度を10%以上に上げることが困難である。本研究ではδドーピングによってMnの固溶限界に関係なく高濃度のMnをGaAs中に添加することができることを示した。まずこのδドープ構造の界面構造評価を二次イオン質量分析(SIMS)及び透過電子分析装置(TEM)によって行った。Mn原子を数値でモノレヤー以下の濃度でδドープした場合、Mn原子は非常に急峻なプルファイルで局在し、この構造は成長温度350℃まで安定に存在することを示した。成長温度400℃では表面偏析によってMnの分布はGaAs層中に若干広がるが70%以上のMnが界面に存在し、この場合でも準δドープ構造が実現できていることを示した。MnδドープしたGaAs薄膜の伝導特性は成長温度(200-500℃)に大きく依存する。具体的には200-400℃では成長温度を上げれば抵抗率は下がるが500℃では抵抗率はまた上がる。すべての試料は低温では高い抵抗を示し、最も抵抗率の低かった400℃でGaAsキャップを成長したサンプルでも正孔濃度が低く強磁性的な磁性秩序は現れなかった。

 最後に第五章「MnδドープGaAs/p-AlGaAs変調ドープ構造の磁気輸送特性」では、MnをδドープしたGaAs層の下にBeをドープしたAlGaAs層を挿入していわゆる変調ドープ構造(図1)を作製して、用いて二次元正孔ガス(2DHG)をMnδドープ層に導入し、磁気輸送特性を調べた。この構造ではMnのδドープ層からだけではなくBeをドープしたp型AlGaAsからも正孔が供給される。図2にシート抵抗の測定温度依存性を示す。単層のMnをδドープしたGaAsでは正孔濃度が少なく強磁性的な磁性秩序を示さないが(図2挿入図(a))、変調ドーピングによりp型AlGaAsから正孔を供給することによってホール効果に強磁性的な磁性秩序が現れた(図2挿入図(b))。これはMnのδドープ層近傍に発生した2DHGが遍歴的にMnイオンと強い交換相互作用を生じMn-Mn間に強磁性的な磁性秩序が現れたためであると説明できる。また、この構造の強磁性転移温度はMnδドープ層とGaAs/p-AlGaAs界面間のGaAsスペーサー層厚(ds)に大きく存在し、スペーサー層厚3nmでは最大70Kの強磁性転移温度を示した。これはスペーサー層厚3nmではMn原子と2DHG波動関数の重なりが最も大きいからであると説明した。さらに、この構造では低温アニールを行うことによって強磁性転移温度は上昇し320℃のアニールによって160Kといった現在得られているII-VI族及びIII-V族磁性半導体の中では最も高い強磁性転移温度が現れることを示した。この値は磁性半導体GaMnAsの最高値110Kを大きく上回る。本研究はこのようにMnをδドープすることによって局所的に高濃度のMnを添加しさらにその近傍に変調ドーピングによりp-AlGaAsから正孔を供給することにより、GaAsをベースとした半導体ヘテロ構造において高い強磁性転移温度を実現した。これによって今後の新しいスピンエレクトロニクスデバイスへの道を開いた。

図1 Mn δ-doped GaAs/Be-doped p-type AlGaAsヘテロ構造。

Be濃度は1.2×1018cm-3。

図2 Mn δ-doped GaAs/Be-doped AlGaAsのシート抵抗の温度依存。

挿入図の(a)ではI-HEMTない及び(b)ではI-HEMTある場合のHallループを示す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「Epitaxial Growth and Properties of Ferromagnetic MnAs Thin Films on Semiconductors and Mn δ-doped GaAs Based Heterostructures」(半導体基板上の強磁性MnAs薄膜およびMnデルタドープGaAsをベースとしたヘテロ構造のエピタキシャル成長と物性)と題し、英文で書かれている。本論文は、半導体基板上にエピタキシャル成長した強磁性MnAs薄膜とMnデルタドープGaAsを含むヘテロ構造に関する研究成果を記述しており、全6章から成る。

 第1章は「Introduction(序論)」であり、本研究の背景を解説し、半導体をベースとする材料及びヘテロ構造中にスピンに起因する機能を導入するという観点から、III-V族半導体をベースとした新しい磁性材料やヘテロ構造、特に、1)MnAs/GaAs等の強磁性金属/半導体ヘテロ構造、及び2)InMnAsやGaMnAs等の希薄磁性半導体などの研究が行われてきたが、これらの問題点を指摘するとともに、本論文の目的と構成を述べている。

 第2章は、「Magneto-optical properties of ferromagnetic MnAs thin films on Si and GaAs(Si及びGaAs半導体基板上に成長した強磁性金属MnAs薄膜の磁気光学特性)」と題し、Si(001), Si(111)及びGaAs(001), GaAs(111)B基板上に成長したMnAs薄膜の磁気光学スペクトルを測定することによって、電子構造を実験的に明らかにした結果を述べている。MnAsは室温以上(313K)の強磁性転移温度を持つNiAs型六方晶の強磁性金属であるが、Si(001)、Si(111)、GaAs(001)、GaAs(111)B基板上に分子線エピタキシー(MBE)で成長した(1100)、(1101)及び(0001)の成長面方位を持つMnAs単結晶薄膜の反射磁気円二色性(MCD)スペクトルを測定した結果、MCDの強度・スペクトル形状ともにMnAsの成長方位に大きく依存することを見出し、この結果はMnAs膜膜の結晶磁気異方性のために生ずると説明している。また、MCDはMnAsエピタキシャル膜の結晶性に依存して顕著に変化し、GaAs基板上に成長したMnAsの結晶性はSi基板上に成長したものより優れているために、MCDが強く観測されたとしている。MnAsの電子構造に関してはいくつかのモデルが存在するが、本研究で得られたMCDスペクトルはGoodenoughが提案したイオンモデルに良く一致していることを示し、さらに、フルポテンシャル線形マフィンティン軌道法(FLMTO)を用いたカー楕円率の計算結果にも非常に良く一致することを示した。すなわちMnAs薄膜の電子構造に対しても理論モデルを実証する実験結果を与えている。

 第3章は、「Epitaxial growth and magnetic properties of MnAs/Si(111)Heterostructures(MnAs/Si(111)ヘテロ構造のエピタキシャル成長と磁気特性)」と題し、Si(111)半導体基板上に成長したMnAs薄膜の初期成長過程および膜質やモフォロジと磁気的性質の関係について調べた結果を述べている。強磁性金属/半導体構造においては、平坦な表面及び急峻なヘテロ界面を得ることが重要な課題となっており、強磁性トンネル接合などのデバイス作製には原子的に平坦な界面を得ることが必要とされる。また、Si基板上の強磁性MnAs薄膜に関する研究は既存の半導体デバイス及び回路技術と互換性を保ち今後の新しいスピンエレクトロニクデバイス作製及び応用に寄与すると期待できる。本章で採用したSi(111)表面とMnAs(0001)面の原子配置はその対称性が類似していること、互いの面間の格子ミスマッチが3%と小さいことから、良質なエピタキシャル成長が促進されることを指摘している。Si(111)基板上にMnAs薄膜を成長する際、成長条件としてAs4/Mnのフラックス比と基板温度Tsを変えながら系統的に調べたところ、MnAs薄膜の成長モードはAs4/Mn比とTsが低い方が成長モードが2次元的になり原子的に平坦な表面が得られること、As4/Mn比とTsを上げてゆくと成長モードは3次元的でMnAsはドット構造になり磁気特性が変化し磁気異方性が生じることを示した。このように、成長条件を制御することによってある程度所望の磁気特性(保持力及び飽和磁化)が得られることは将来のスピンエレクトロニクデバイス作製に自由度を与える、としている。

 第4章は、「Epitaxial growth and properties of Mn-δ-doped GaAs(GaAs中にMnをδドープした薄膜のエピタキシャル成長と物性)」と題し、GaAs中にMnをδドープした構造の成長、構造評価、電気伝導特性について記述している。δドーピングの特長は、局所的により高密度の不純物を添加することができること、さらに高密度のキャリア生成が可能であることである。低温MBEで成長されるIII-V族ベースの磁性半導体材料InMnAsやGaMnAs等では磁性イオンであるMnの濃度を上げることができれば高い磁性転移温度が得られると理論上予測されているが、一般にIII-V族半導体中ではMnの固溶限界は低く、低温MBEを用いたとしてもMn濃度を10%以上に上げることは困難である。本章では、MBE成長におけるδドーピングによってMnの固溶限界に関係なく高濃度のMnをGaAs中に添加することができることを明らかにしている。まず、このMnδドープ構造の構造評価を二次イオン質量分析(SIMS)及び透過電子分析装置(TEM)によって行い、Mn原子をモノレヤー以下の濃度でδドープした場合、Mn原子は原子レベルで急峻なプロファイルで局在し、この構造は成長温度300℃まで安定に保たれること、成長温度400℃では表面偏析によってMnの分布はGaAs層中に若干広がるが70%以上のMnがδドープ層に存在し、この場合でも準δドープ構造が実現できていることを示している。MnをδドープしたGaAs薄膜の伝導特性は、成長温度(200-500℃)に大きく依存し、200-400℃では成長温度を上げれば抵抗率は下がるが500℃では抵抗率は再び上がる。すべての試料は低温では高い抵抗を示し、最も抵抗率の低かった400℃で成長したサンプルでも正孔濃度が低いため、明瞭な強磁性秩序は現れないことを述べている。

 第5章は、「The effect of selective doping on Mn δ-doped GaAs(MnδドープGaAsにおける変調ドーピングの効果)」と題し、MnをδドープしたGaAs層の下にBeをドープしたAlGaAs層を挿入していわゆる変調ドープ構造を作製し、二次元正孔ガス(2DHG)をMn-δドープ層に導入して磁気輸送特性を調べている。この構造ではMnのδドープ層からだけではなくBeをドープしたp型AlGaAsからも正孔が供給される。単層のMnをδドープしたGaAs薄膜では正孔濃度が少なく強磁性的な磁性秩序を示さないのに対し、変調ドーピングによりp型AlGaAsから正孔を供給することによってホール効果に明瞭な強磁性秩序が現れることを見出し、これはMnのδ-ドープ層近傍に発生した2DHGが遍歴的にMnイオンと強い交換相互作用を生じMn-Mn間に強磁性的な磁性秩序が現れたためであると説明している。また、この構造の強磁性転移温度はMn-δドープ層とGaAs/p-AlGaAs界面間のアンドープGaAs層の膜厚(ds)に大きく存在し、ds=3nmでは最大の強磁性転移温度(70K)を観測したが、これはds=3nmではMn原子と2DHG波動関数の重なりが最も大きいからであると説明している。さらに、この構造に低温アニールを行うことによって強磁性転移温度が上昇し、320℃のアニールによって160Kの強磁性転移温度を観測している。この値は最もよく研究されているIII-V族磁性半導体GaMnAsの最高値110Kを大きく上回り、現在報告されているII-VI族及びIII-V族磁性半導体の中では最も高い強磁性転移温度である。本章では、このようにMnをδドープすることによって局所的に高濃度のMnを添加しさらにその近傍に変調ドーピングによりp-AlGaAsから正孔を供給することにより、GaAsをベースとした半導体ヘテロ構造において高い強磁性転移温度を実現した。

 第6章は「Conclusions(結論)」であり、本論文全体の研究成果をまとめて要約するとともにその意義を述べている。

 以上これを要するに、本論文は、半導体基板上の強磁性MnAs薄膜の成長過程、膜構造と磁気特性の関係、磁気光学スペクトルと電子構造を明らかにし、さらに、MnをδドープしたGaAsの微視的構造を詳細に調べ、p型変調ドープ構造を作製し二次元正孔ガス(2DHG)をMn-δドープ層に導入することによって半導体ベースの材料としては高い強磁性転移温度を得たものであり、電子工学、材料工学上、寄与するところが少なくない。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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