学位論文要旨



No 117061
著者(漢字) 草野,修治
著者(英字)
著者(カナ) クサノ,シュウジ
標題(和) 純粋な蛍光X線ホログラフィの研究とその応用
標題(洋)
報告番号 117061
報告番号 甲17061
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5202号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高橋,敏男
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 助教授 百生,敦
内容要旨 要旨を表示する

 物質の構造を決定する手法としてX線回折が有力であり、これまで数多くの構造が決定されている。X線回折を用いる場合、実際に測定されるのはX線の回折強度であり、回折波の位相についての情報は失われてしまうため、構造因子の位相を決めることがない。このことは古くから位相問題として知られている。そこで、モデルを仮定することなく物質の構造が得られることは、未知の構造を決定していく上で非常に重要な課題であると考えられる。本研究では、モデルフリーな構造解析手法である蛍光X線ホログラフィの手法開発を目的として、実験装置をデザイン、作製し、その応用を試みたものである。

 蛍光X線ホログラフィは、Gaborによって提案された光のホログラフィとは原理的に異なっており、物質内の原子を光源として、原子像の再生は、Helmholz-Kirchhoffの定理を利用したフーリエ変換の計算により行うものである。通常、X線回折では、周期的な構造を持つ長距離秩序を測定対象とするが、蛍光X線ホログラフィでは、局所的な短距離秩序を測定対象とすることに特徴がある。実際に、フーリエ変換により再生される原子像は、着目する原子の近傍の原子のみである。

 近年、蛍光X線ホログラフィによってモデルフリーに構造を決定しようという試みが高まり、バルクについてのモデル実験から、次第にクラスターや準結晶といった希薄な系の局所構造解析へと発展しつつある。これまで蛍光X線ホログラフィには、測定原理として、光学の相反定理によって結ばれる二つの過程、X-ray Fluorescence Holography (XFH) [1]とMultiple Energy X-ray Holography (MEXH) [2]とが提案されている(図1参照)。

 XFHは、ある原子から発せられ、直接、無限遠に置かれた検出器に向かう蛍光X線と近傍の原子により散乱された後、検出器へ向かう蛍光X線との干渉によってつくられる空間強度分布を測定する過程である。前者を参照波、後者を物体波と考えると検出器の位置にはホログラムに相当する強度分布が形成されることになる。一方、MEXHは、平面波X線を入射し、ある原子の位置に直接到達する入射波と近傍の原子によって散乱されてから到達する入射波とがつくる波動場の強度を蛍光X線の収量としてモニターする過程である。前と同様に前者を参照波、後者を物体波と考えると、波動場の強度がホログラムに相当することになる。この過程では、試料に対する入射X線の入射方向を変えて収量測定を繰り返し、さらに、波長を変えて同様の測定を行うことで波数空間での強度分布を得る。XFHに比べてMEXHは、吸収端以上ならば、入射X線の波長を任意に選ぶことができるため、いくつかの波長について測定を行うことで共役像を抑制することができる点において有力である。実際には、XFHとMEXHの過程は、同時に生じており、特別な実験配置をとらない限り測定されたホログラムにおいてXFHとMEXHの情報が混じっていることになる。

 本研究では、試料の表面垂直方向に検出器系を配置することで、純粋なMEXHの測定を行うことに特徴がある。これは、試料の表面垂直方向が、結晶の面内対称軸となっているならば、対称性によってXFHによる情報は一定となり、MEXHのみに起因する信号を測定することになるためである。蛍光X線ホログラフィのシグナル成分は、発せられる蛍光X線の内、0.1〜0.3%程度と非常に微弱であるため、できる限り純粋なシグナル成分を測定することにより、原子像の位置分解能の向上が期待されるためである。このように微弱なシグナルを測定する実験を行うためには、シンクロトロン放射光の利用が不可欠となる。そこで、研究の初期段階として、筑波の高エネルギー物理学研究所内にある放射光施設Photon Factoryのビームライン14Bを利用して、Ge(111)単結晶をによるXFHのモデル実験を行った。縦型のウィグラーからのX線により蛍光X線(GeKα線)を励起し、弾性散乱、GeKβ線からGeKαを分離するため分光結晶Pyrolitic Graphite (PG)を用いて、GeKα線の空間強度分布を測定した。この実験により測定過程と解析過程の確認を行った。測定により得られた空間強度分布のフーリエ変換により、Geの最近接像を再生することにができた。次に、純粋なMEXH測定のため、蛍光X線を分光するLiF分光結晶とそれを制御する回折計をデザインし、作製を行った(図2参照)。ここで、LiF分光結晶は、立体角を広くとること、試料の表面垂直方向に関して、対称に配置できることを意図として、円筒型に設計、作製されている。まず、この分光結晶の特性(エネルギー分解能、立体角)の評価を行った。測定されたLiF結晶のモザイク度、エネルギー分解能、見積もられた立体角を表1にまとめてある。本装置によるPhoton Factoryのビームライン14BでのGe(111)単結晶を用いたモデル実験の後、兵庫県に建設され世界最大級の放射光施設であるSPring8において、Si/Ge/Si(001)結晶を用いて純粋なMEXH測定を行い、Geの原子像の再生を試みた。この試料はGeの量子ドットが形成されており、Geの総量は、180原子層と非常に希薄な系である。Si(001)基板上にGeを成長させていくと、SiとGeの格子定数の違いにより3.7原子層からGeのislandが形成され、3原子層のlayer by layer成長したwetting layerを残してisland成長することが知られている[3]。本試料では、18原子層のGeを成長させ、150AのSiでcapする過程を10回繰り返してある。この試料を用い、4波長に対して測定されたホログラムのフーリエ変換により、量子ドット内の原子像を再構成することができた(図3参照)。ドットの面内の格子定数は、Siの格子定数にほぼ抑えられていることが知られており、その結果を反映した原子像が得られている。また、設計した装置を用いて、このように希薄な系への蛍光X線ホログラフィの適用が、可能であることを示すことができたこととなる。実際に、構造モデルが決まらないような系に対して、本手法の適用が、構造モデル決定の手がかりになりうると考えられる。

[1]M. Tegze and G. Faigel, Nature (London) 380,49 (1996).

[2]T. Gog, P. M. Len, G. Materlik, D. Bahr, C. S. Fadley, and C. Sanchez-Hanke, Phys. Rev. Lett. 76, 3132 (1996).

[3]N. Usami, Y. Araki, Y. Ito, M. Miura, and Y. Shiraki, Appl. Phys. Lett. 76, 3723 (2000).

図1 (a)X-ray Fluorescence Holography (XFH)と(b)Multiple Energy X-ray Holography (MEXH)の測定原理。

表1 作製されたLiF結晶のモザイク度、エネルギー分解能、立体角。

図2 本研究において、作製された円筒型LiF結晶と純粋なMultiple Energy X-ray Holography (MEXH)の測定を行う実験装置。

図3 Spring8におけるSi/Ge/Si(001)結晶を用いた実験によるMultiple Energy X-ray Holography (MEXH)の測定からフーリエ変換により得られたGeの原子像(a)z=-d/4 (b)z=-d/2面。

dは格子定数を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 蛍光X線ホログラフィは、原子分解能をもったモデルフリーな局所構造解析手法である。蛍光X線ホログラフィにおいて、これまでに光学の相反定理で結ばれる2つの測定原理、X-ray Fluorescence Holography (XFH)とMultiple Energy X-ray Holography (MEXH)が提案されている。通常の測定では、これらの2つの測定原理が同時に働き、双方の測定原理で得らる情報が混じり合った測定となる。本論文は、このように情報が混じり合うことない純粋な蛍光X線ホログラフィの測定を提案し、手法開発を行ったものである。さらに、提案した測定手法を、蛍光X線を発する原子が極めて希薄な試料に対して応用を試みている。

 本論文は8章からなる。第1章では、蛍光X線ホログラフィにおける研究の背景と手法の特徴について述べ、その中での本研究の位置付けと研究の目的が述べられている。

 第2章では、蛍光X線ホログラフィにおいて、これまでに、提案されている測定原理についての説明と計算、測定されたホログラムからの数値計算による原子像の再構成の方法について述べ、本研究の後章への準備としている。

 第3章では、本研究の趣旨である、純粋な蛍光X線ホログラフィの測定を行うための提案が成されている。蛍光X線ホログラフィのシグナル成分は、参照波の強度のうち0.1%〜0.3%と非常に微弱であり、データ解析において参照波の強度に相当するバックグラウンドは、純粋でない測定の場合、決定するのが難しい。しかし、純粋な測定により、このバックグラウンドは、単純化することができるということである。

 第4章では、純粋なMEXHの測定を行い、しかも広い立体角に渡って蛍光X線の収量を測定することを目的として、設計、作製された円筒型LiF結晶アナライザーの評価について述べている。本研究においては、試料表面垂直方向に関して対称に、この円筒型LiFアナライザー結晶を配置することで、純粋なMEXHの測定を実現することをねらいとしている。作製されたLiF結晶のエネルギー分解能は、計算されたエネルギー分解能とよく一致しており、適切に作製されていることが示されている。

 第5章では、作製された円筒型LiF結晶アナライザーが、純粋なMEXHの測定において期待通りの性能を発揮するかどうかを確認するため、Ge(111)単結晶を用いて、実際に測定を試みている。実験は、Photon FactoryのBL14Bにおいて、単一の入射X線のエネルギーを用いて行われている。シミュレーションと測定から得られた再構成像の比較から、作製されたLiF結晶アナライザーは、純粋なMEXHの測定において有効であることを確認している。

 第6章では、二つの観点において応用を行っている。一つは、希薄な系へ純粋なMEXHの測定を応用するという観点である。試料には、量子ドットの作製されたSi/Ge/Si(001)結晶を用いており、この系は、Geの総量、180原子層と非常に希薄である。また、埋もれたクラスターであること、短距離秩序を持つことから、蛍光X線ホログラフィの特徴を生かした系である。もう一つの観点は、入射X線のエネルギーを4つ用いるということである。この試料を用いてSPring-8のBL09XUにおいて実験を行い、測定されたホログラムから原子像の再構成に成功している。シミュレーションと測定から得られた再構成像の比較により、ドットの面内での平均的格子定数を求めている。

 第7章では、第6章において得られた結果を確認するため、微小角入射X線回折法により、試料面内の格子定数の測定を行っている。その結果、蛍光X線ホログラフィから得られた結果は、X線回折から得られた結果と矛盾しない結果となることを結論付けている。

 第8章は、本研究のまとめである。

 以上を要するに、本論文では、純粋な蛍光X線ホログラフィの提案を行い、純粋なMEXHの手法開発を行った。この測定方法を希薄な系に応用し、180原子層と希薄な系であっても、原子像の再構成に成功したことから、今後の発展として、1原子層への可能性を示したと考えられる。本論文は、モデルフリーな構造解析手法の開発という観点から重要であり、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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