学位論文要旨



No 117062
著者(漢字) 井海田,隆
著者(英字)
著者(カナ) イカイダ,タカシ
標題(和) 超強磁場サイクロトロン共鳴による半導体量子構造の電子状態の研究
標題(洋)
報告番号 117062
報告番号 甲17062
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5203号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 長田,俊人
内容要旨 要旨を表示する

1: 研究の背景と目的

 近年、半導体製造技術や微細加工技術の進歩とともに良質の量子井戸・量子細線・量子ドットの作成が可能になり、次元性を制御することが容易になってきた。それとともにそのような系において様々な興味ある物性現象が観測されている。それらは電子のド・ブロイ波長が系のサイズと同程度になることによって、特有の興味深い性質を示すが現れるためである。このようなメゾスコピックな系の量子現象については、未知な点もまた数多く残されている。本研究は量子構造を持つ半導体中の電子状態について超強磁場におけるサイクロトロン共鳴実験を手段として研究を行い、その新しい物性についての解明を目指すものである。その対象物質としてはSi/SiGe二次元電子井戸系と、PbSe/PbEuTe自己形成量子ドットにおける零次元電子系を選び研究を行った。近年Si/SiGe量子井戸構造を用いることによって、高易動度の二次元系電子ガスを作成することができるようになった。この二次元電子系はSi-MOSのそれよりもはるかに高い易動度を持つので、Si-MOSでは不可能であった種々の現象の観測も可能になると期待される。一方、PbSe/Pb1-xEuxTeの超格子構造は、1998年にG. Springholzらによって、量子ドット層を積み重ねた構造では、ドットが3次元的に面心立方格子状に配列することが、実験的に確認された(図1)。またその超格子の間隔やEuのドープ量(〜8%)などを制御することによって、自己形成される量子ドットのサイズや形、間隔さらには量子ドット結晶の構造を制御することが出来る。この構造は中遠赤外の量子カスケードレーザーとしての応用や、中遠赤外の3次元フォトニック結晶として振舞うことの期待などから多大な関心を集めている。しかし、この試料においては現在までにX線などによる構造解析がなされているものの、その詳しい電子状態に関しては未だに十分な研究がされていると言える状況ではない。この試料はドットの密度がきわめて高く、ドットが面心立方型の結晶を構成しているので、サイクロトロン共鳴による観測に適しており、自己形成ドットが結晶として規則配列をしている効果を調べることができるという点で強い興味がもたれる。

2: 実験方法

 本研究では広範囲の領域の強磁場と遠赤外、赤外領域の光源を用いてサイクロトロン共鳴の実験を行った。20T〜40Tの領域では物性研究所の長時間パルスマグネットを用いて磁場を発生し、光源としてはCO2レーザー励起メタノール分子レーザーを用いた。100T以上の強磁場を発生するためには、一巻きコイル法を用いた。これは銅で出来た直径10mm,幅10mmのコイルに瞬間的に大電流を流し、慣性によって銅の変形があまり進まないうちに超強磁場を発生する方法である。この一巻きコイル法で発生可能な最大磁場は300Tである。超強磁場領域ではこの一巻きコイル法とCO2レーザーを組み合わせて実験を行った。

3: Si/SiGe二次元電子系における実験結果と考察

 図2は井戸幅10nmの試料についての5T〜15Tまでのサイクロトロン共鳴実験のスペクトルである。測定可能な磁場領域で透過光の10%〜20%程度の吸収が観測された。また、図3は得られた有効質量を磁場に対してプロットしたものである。ランダウ準位の占有率(フィリングファクター)vは磁場と電子密度によって変化するものであるが、本研究では磁場を変化することによって制御している。

 有効質量は特に低温ではvが整数の値になるところの付近で極大値を持っている。図4はサイクロトロン共鳴線幅から見積もった移動度である。この移動度はおおよそTHz領域のAC移動度となっている。この移動度もvが整数の値をとるところで明らかな変化が見られる。v=2からv=1までの間では同じような値を取っていたAC移動度がv=1を超えたところから一転して温度によって2倍程度の違いが見られた。

 このような有効質量がvに依存して変化する振る舞いの理由としてはキャリア数がスピンレベルを含めてランダウレベルをちょうど埋める(v=偶数)時に、フェルミエネルギー付近の電子の状態密度が減少し、不純物に対するスクリーニングの効果が低下して、サイクロトロン共鳴線幅が上昇し、有効質量が低下することが考えられる。しかし、ドープされた半導体ではそのドーパントによって有効質量やサイクロトロン共鳴線幅の振動が異なるので、不純物のあるときの有効質量は一般的な二次元電子系の振る舞いとして測定するには信頼性がないとされた。この研究はその後、主にGaAs系で進められたが、このような有効質量の振動現象についてはいまだにはっきりとした決着が得られていない。近年のSi-MOSにおける電子の有効質量測定の実験においては、1996年にKotthausらによって、v=4nのスピンレベルの上下および、折りたたまれた2つのXzバレーのすべてが埋まる状態で、有効質量がピークをもつことが確認されている。彼らはまた、スピンの上下のみのv=4n+2や、折りたたまれたバレーの一方だけが先に埋まった状態であるv=4n+1の状態においても有効質量ピークは観測されるように見えるが、誤差範囲であるとしている。本研究は、v=4n+2やv=4n+1においても有効質量の振動があることを確認した初めての研究である。

4: 実験結果と考察〜PbSe/PbEuTe自己形成量子ドットの実験結果と考察

図5に自由電子レーザーとスプリット型の超伝導マグネットによって測定されたサイクロトロン共鳴スペクトルを示す。まず、110cm-1(13.6meV)と114cm-1(14.1meV)の光ではLorentz型の吸収ピークが確認できた。また、若干見にくいが5T程度の位置にも吸収ピークが存在している。

また、97cm-1(12.0 meV)より低エネルギー側では、マグネトプラズマ効果によって、ある磁場を越えたとたんに光が透過するようになっている。この振る舞いは一般的であり、簡単にスペクトルを計算し、有効質量および共鳴線幅を求めることができるものである。また、実験の可能な一番低いエネルギーである15cm-1(1.86 meV)の光を入射すると、ピークは強磁場側にシフトした。このようにエネルギーを下げているにもかかわらずピークが強磁場側にシフトする現象は、ハミルトニアンに量子ドットによるポテンシャルを導入することによって説明される。それぞれのデータをフィッティングし、共鳴磁場と入射光の波数の関係を示したものが図6である。量子ドットによるポテンシャルとPbSe本来の狭ギャップによる複雑なバンド構造を反映することにより、これらのピークの位置はよく説明できる。

図7は同じ試料に対する超強磁場におけるサイクロトロン共鳴スペクトルの入射光エネルギー依存性を示したものである。強磁場に現れる重い有効質量の共鳴ピークの中心位置はPbSeのそれとほぼ同じであるが、ピークが2つまたは3つに分裂した。この分裂の原因は、PbSeの3つの重い有効質量の伝導帯谷の縮退がドット近傍の強い歪みによって分裂したものとして理解できる。さらにもともと異方性の大きい伝導帯谷に異方的な歪みが加わることによって有効質量が変化する効果も考えられる。ドット周辺のひずみが関係していることは一巻きコイル法による実験を繰り返し、温度ヒステリシスと磁場の強力な衝撃を与えることによって、その分裂の度合いが減っていくことからも検証され、また、もともと歪の小さいと思われるAAAタイプの量子ドットに対してはその分裂幅が小さいこともこの推論を支持している。

 次に実験結果に見られる大きな特徴は、吸収強度が測定波長によって大きく変化することである。普通サイクロトロン共鳴の吸収の断面積は電子数に依存していて、その半値半幅が緩和時間に依存している。したがって一つの試料でわずかな波長の違いによって共鳴断面積が大きく変化するという現象には、形状に依存した何らかの効果が出ていることは間違いない。形状に依存した効果で最も簡単に考えられるのは薄膜が干渉効果を起こしていることである。

 入射光の波長は空気中では10.6μmだが、これらの試料の低温での誘電率はおよそ30近くになることから、試料内部での波長は2μmを下回る。このことから、試料内部で定在波が立ち、試料空間を何度も往復する光の吸収が見られたと考えることが可能である。

 また、二次元電子系に対して磁場方位を傾けてサイクロトロン共鳴実験を行うと、閉じ込め方向のサブバンドと、二次元面内のランダウ準位の間でカップリングが起こり、共鳴磁場位置に大きな変化が現れる。本研究においても試料を磁場に対して傾けて測定を行うことにより、このカップリングを観測することができた。図8は、ABCタイプ量子ドット試料の、10.6μmの光を入射したときのサイクロトロン共鳴スペクトルの試料方向依存性である。二次元面を傾けるにあたって、傾ける方向は3つに縮退している重い有効質量のバレーに対して、1つが重い方向に傾き、残りの二つが起き上がり、より軽い方向を向くように傾けた。一番重い有効質量をもつピークは完全二次元系の時のシフト量であるcos-1θよりも強磁場にシフトしていった。

 この状態に対しては電子が二次元的であるとして、サブバンドとランダウレベルがカップリングを起こしているとすることで説明ができる。これによるとサブバンド遷移エネルギーよりもサイクロトロン共鳴エネルギーが小さく、また値が近いときに、吸収ピークは強磁場に遷移し、サイクロトロンエネルギーがサブバンド遷移のエネルギーを超えると逆に弱磁場にシフトするはずである。本研究では有効質量に大きな異方性が存在するためにこの関係をそのまま用いることはできないが、角度が10°,波長が9.25μmの実験において、ピーク位置が弱磁場にシフトしている事から、そのエネルギーでクロスオーバーが起きていると仮定してサブバンドを含めてバンドの状態を計算することができた。その結果からはゼロ磁場付近でのクロスオーバーなど、納得のできる結果がうかがえた。

5: まとめ

 本研究では、半導体量子構造の低次元電子系の中からSi/SiGe単一量子井戸中の電子の二次元電子系、およびPbSe/PbEuTe自己形成量子ドット結晶中の零次元電子系を取り上げ、強磁場下のサイクロトロン共鳴という手法を用いてその電子状態について研究を行った。クリーンな二次元電子系であるSi/SiGe量子井戸においては有効質量や共鳴線幅の振動などの二次元電子系特有の振る舞いがこの系でも観測されることを確認した。また、PbSe/PbEuTe自己形成量子ドット系においては、弱磁場では古くから予想されている量子ドットとランダウ準位の混成を確認し、超強磁場によって零次元的な量子構造を二次元的なものとして扱う事によってその電子状態及びドット内の歪の効果を解明した。また、量子ドットの規則配列によると思われる共鳴吸収強度の顕著な磁場依存性などを見出した。

図1PbSe三次元的整列量子ドット

図2:Si/SiGe量子井戸でのサイクロトロン共鳴

図3:有効質量の磁場依存性

図4サイクロトロン共鳴線幅から計算されたAC移動度

図5PbSe量子ドットの弱磁場におけるサイクロトロン共鳴スペクトル

図6共鳴磁場位置と共鳴波数

図7PbSe/PbEuTe量子ドット試料のサイクロトロン共鳴(エネルギー依存性)

図8量子ドット試料のサイクロトロン共鳴(磁場角度依存性)

審査要旨 要旨を表示する

近年、半導体微細加工技術の進展によって各種の低次元電子系の良質の試料がつくられるようになり、多くの新しい現象が見出されるようになった。特に強磁場中の低次元電子系については、種々の量子現象、電子間相互作用による新しい現象が見出されるとともに多くの新しい物理概念が生み出され、基礎物性、応用の両面から多くの研究がなされている。低次元電子系の強磁場物性は現代の物性物理学のもっとも重要な課題の一つとなっているが、未だに多くの未知の問題が残されている。パルス強磁場は従来にない大きな量子化を実現し、新たな現象の発見を生み出す可能性がある。

 本論文は、「超強磁場サイクロトロン共鳴による半導体量子構造の電子状態の研究」と題し、数100Tに及ぶ超強磁場におけるサイクロトロン共鳴を手段としてSi/SiGe量子井戸における2次元電子系およびPbSe/PbEuTe自己形成量子ドットにおける電子状態を研究した結果をまとめたものである。低次元電子系の物性として重要と思われる問題のうち、電子間相互作用、量子ポテンシャルと磁場効果の競合による電子状態に焦点を当て、それぞれについて詳しい研究を行っている。

 第1章「序」では、本研究の目的、意義、論文の概要などが述べられている。

 第2章「研究の背景と目的」では、これまでになされてきた半導体低次元電子系における電子状態の量子化や電子間相互作用の研究から明らかにされてきたことと未解決の問題、またSiの2次元電子系およびPbSeに関連する基礎物性や試料の特徴など、本研究の背景にある基本的問題の要約とそれを踏まえた本研究の目的が述べられている。

 第3章「実験方法」では、種々の強磁場発生技術や遠赤外、赤外分光技術など本研究における強磁場下でのサイクロトロン共鳴の実験法が述べられている。特に申請者が大学院博士課程に進学した段階で柏新キャンパスにおける新超強磁場施設の建設が始まったが、非破壊型長時間パルスにおける実験装置は申請者がそこで開発を進めた新しい装置である。また弱磁場領域における実験は一部米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校の自由電子レーザーを用いて行われたが、その実験法についても述べられている。

 第4章、第5章は本論文の中心をなすもので、本研究で得られた実験結果とその考察が議論されている。

 第4章「実験結果と考察 −Si/SiGe二次元電子系−」では、きわめて移動度の高いSi/SiGe量子井戸における二次元電子系におけるサイクロトロン共鳴の実験結果とその解析が述べられている。超伝導マグネットによる15Tまでの磁場領域では、共鳴幅と有効質量がランダウ準位の占有率vとともに振動する現象を見出し、何らかのポテンシャルの遮蔽効果がvの変化とともに増減することによって電子間相互作用が振動的に変化するためとして説明した。また電子のサイクロトロン共鳴より質量の軽い共鳴ピークを見出し、その束縛エネルギーがドナー準位よりも1桁程度浅いことから界面のゆらぎ等に弱く捉えられた電子による共鳴と解釈し、前述の振動にもモード結合による寄与を与えている可能性を示唆した。また超強磁場における実験では共鳴ピークの強度が磁場の増加とともに急激に減少し、100T以上の領域ではまったくみられなくなることを見出した。この原因についてはまだ明らかではないが、何らかの準位クロスオーバーまたはモード結合が起こっているものと推論している。

 第5章「実験結果と考察 −PbSe/PbEuTe自己形成量子ドット−」では、最近オーストリアグループによって開発され注目を集めているPbSeの量子ドットが3次元的に高密度に規則配列した試料についての超強磁場下のサイクロトロン共鳴の実験結果とその解析が述べられている。比較的弱磁場の領域では自由電子レーザーを用いて量子ドット特有の量子ポテンシャルと磁場効果の競合による準位の共鳴を観測し、量子ドットからの信号を同定した。このピークについて超強磁場下で測定を行い、ピークが分裂すること、分裂の様子が実験の繰り返し状況によって変わることから分裂がドットの周辺の歪みによるものであることを明らかにした。また共鳴ピークの積分強度が波長とともに非常に大きく変わることを見出し、これを多重量子ドット層中の光の干渉効果として説明した。さらに磁場の角度を傾けるとバルク結晶とは異なる角度依存性を示すことを明らかにした。量子ドットが等方的な球に近い構造であれば、超強磁場中でサイクロトロン半径が小さくなるとスペクトルは3次元系と同じになることが期待されるが、この結果は量子ドットの電子系がある程度2次元性を保ち、ランダウ準位−サブバンド結合の効果が現れているものと解釈した。その他、PbSeのWetting層やPbEuTeのマトリックス部分におけるサイクトロン共鳴を観測し、PbSe層へのTeの拡散についての情報を得た。

 第6章は総括である。

 以上を要するに、本研究はメガガウス領域のパルス超強磁場から超伝導マグネットによる定常磁場まで広い磁場領域、波長領域でのサイクロトロン共鳴を手段として、Si/SiGe量子井戸における二次元電子系およびPbSe/PbEuTe自己形成量子ドットについての系統的な研究を行い、この分野で多くの新しい知見を見出したものであり、物性物理学、物理工学の発展に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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