学位論文要旨



No 117063
著者(漢字) 石渡,洋一
著者(英字)
著者(カナ) イシワタ,ヨウイチ
標題(和) 軟X線分光によるIII−V族希薄磁性半導体の研究
標題(洋)
報告番号 117063
報告番号 甲17063
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5204号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 勝本,信吾
内容要旨 要旨を表示する

 現在の半導体エレクトロニクスにスピンの自由度を加えた'半導体スピントロニクス'に関する研究が近年盛んに行われている.これには強磁性半導体材料の発見と進歩による影響が大きい.中でもIII-V族希薄磁性半導体(DMS)は既存のデバイスへの適応が容易であり,さらにキャリア誘起強磁性を示す事から大きな注目を集めている.この性質を生かして光や電場による強磁性状態のスイッチング等の成功が収められているが,そのメカニズムは未だ明らかでない.その解明には磁性を媒介しているキャリアの特定が不可欠である.

 III-V族DMS中の磁性不純物は,系に磁気モーメントとキャリアを導入する.是故磁性不純物の周囲における局所的な電子状態は,そのキャリアと直接的に関係する.この時軟X線による内殻励起分光は,サイト選択性によりその最適な測定手法となる.さらに内殻正孔の寿命はfsのオーダーであり,短い時間スケールにおける系の情報を提供する.これは輸送等の測定と対極的な情報を示し,磁気的な散乱効果の研究への適性が期待される.本論文では軟X線吸収・発光分光を用いて,III-V族DMS(主に(Ga,Mn)As)におけるMn部分電子状態を明らかにし,キャリア誘起強磁性の理解を得る事を目的とする.

 (Ga,Mn)AsはMn濃度(x)の増大で絶縁体−金属−絶縁体転移(MIT)を表す.故にその強磁性転移温度(Tc)はx≒0.045近傍で最大値(110K)を持つ.ここで磁化測定より絶縁体的な試料において強磁性成分に加えて常磁性成分の共存が示される.又(Ga,Mn)Asは低温成長の為に過剰にAsが混入されており,それらがドナーとして作用する事が知られている.この2つの効果は(Ga,Mn)Asの強磁性と密接に関係し,強磁性状態の理解にはそれらを考慮した体系的な研究が必要となる.これより最大となるTcを挿んだ試料のx依存性とその低温アニール効果を測定した.前者はMITの理解についても重要である.後者は最近開発された手法でアニール温度の変化により,xに因らずAsドナー濃度のみの制御を可能にする.ここでは共に最適化されたas-grownと低温アニール試料を用いる.測定試料は東京大学物性研究所家・勝本研究室よりご提供頂いた.試料条件をTable Iに示す.測定は高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリーBL-2Cで行われた.測定は全て高真空(<10-9 Torr),室温で行われた.

 (Ga,Mn)As(x=0.032, 0.038, 0.047, 0.052, 0.058)のas-grownと低温アニールされた試料のMn 2p吸収分光(XAS)の結果をFigs.1(a)(b)に示す.各スペクトル強度は入射光子フラックスで規格化されている.ここで640eVと651eV近傍の構造は内殻のスピン軌道相互作用分裂によるL3(2p3/2→3d)とL2(2p1/2→3d)ピークを示す.アニール後のスペクトルに注目すると,それらは(特にx=0.047)Mn2+イオンの計算と非常に良く一致する.これより(Ga,Mn)As中の正孔は主にAs 4p軌道に生成し,Mnと強く束縛していない事が示される.一方as-grown試料ではL3ピークの低エネルギー側(639.5eV)に新しく(肩)構造が現れる.これはas-grown試料におけるmetastableなMn状態の存在を示している.x=0.047の試料についてas-grownのスペクトルをアニール後のスペクトルを用いて分解した結果をFig.1(c)に示す.ここでアニール後に残るスペクトル('intrinsic')の低エネルギー側に'metastable'な成分が見つけられる.XASはMnの周囲の局所的な環境を反映するので,そのアニールによる変化はas-grown試料におけるMnとAsドナーの結合を示唆する.低温アニールはAsドナーを除去し,intrinsicなMn2+イオンと正孔を与えるものと考えられる.

 上述した2成分とTcとの関係を探る為に,その積分強度のx依存性は重要である.より定量的な評価の為には,L3ピーク(640eV)とその低エネルギー側に現れる(肩)構造(639.5eV)の比が注目される.Figs.2(a)(b)にL3ピーク/肩比とTcのx依存性を示す.挿入図はas-grown試料における'metastable'の積分強度x依存性である.図より明らかにL3ピーク/肩比とTcの強い相関が示される.一方'metastable'の強度は殆どTcと関係しない.これより'intrinsic'が強磁性成分,'metastable'が常磁性成分と判断される.一方L3ピーク/肩比はMn2+イオン/Mn-As complex比を示している.これと正孔濃度(np)の関係に注目すれば,MITとMn2+イオン(アクセプター)/Asドナー比の直接的な関係が見つけられる.故に(Ga,Mn)AsにおいてAsドナーは(i)Mnと結合して常磁性成分を形成し,(ii)MITに影響を与えている事が明らかとなった.

 XASの体系的な研究により磁性を媒介する正孔は主にAs 4p成分となる知見を得たが,その束縛状態の程度は不明である.ここでMnと正孔が束縛される状態(A0)はMn3+イオンと同じ対称性を持つ為に,活性化されたMn2+イオン状態(A-)に較べてd電子間のより小さな素励起が期待される.このようなd-d遷移の測定に優れた分光法が軟X線共鳴発光分光(RXES)である.ここで内殻吸収(2p→3d)端近傍の共鳴励起によるコヒーレントな発光(3d→2p)がプローブであり,終状態で内殻正孔が補償される為にd-d遷移の直接観測が可能である.さらに仮想的な中間状態は終状態と関係し,励起エネルギーの変化で終状態(d-d遷移)を選択できる利点を持つ.今回の場合A0状態はA-状態より高い価数を持ち,ケミカルシフトによる高い励起エネルギーでの共鳴が予想される.さらに明確なA0とA-状態の区別には,Mn3+とMn2+配置を持つ参考試料の測定が必要である.前者にはMn2O3を,後者にはII-VI族DMS(Cd,Mn)Te(東北大学多元物質科学研究所岡研究室より)を用いた.(Ga,Mn)Asより著しく低いTcが特徴的なIII-V族DMS(In,Mn)As(東京大学物性研究所家・勝本研究室より)についても測定を行った.

 アニールされた(Ga,Mn)As(x=0.047),(Cd,Mn)Te(x=0.22),Mn2O3のMn 2p RXESスペクトルをラマンシフト(エネルギー損失)表示でFig.3に示す.図の下部に与えられるスペクトルは(Ga,Mn)As L3ピークと同じエネルギーで,上部のスペクトルはそれより0.8eV程高いエネルギーで励起されている.(Ga,Mn)AsのXASはA-状態を反映し,そのL3ピークにおける励起はA-状態との強い共鳴が期待される.実際(Ga,Mn)Asと(Cd,Mn)Te(Mn2+)のスペクトル形状はほぼ一致しXASとコンシステントな結果を表す.しかし(Ga,Mn)Asの低エネルギー側(〜2eV)では微弱ながら構造が確認され,より高エネルギーの励起でその相違はさらに鮮明となる.ここでL3ピーク励起で現れたA-成分は減少し,変わりに〜2eVの構造が強く共鳴する.この構造はMn2O3のピーク位置に近く,且つ励起エネルギーによる強度変化の傾向もMn2O3と定性的に一致する.故にこの構造は(Ga,Mn)Asに含まれるA0成分とアサインできる.A0成分はas-grown試料で占有比がやや増大する傾向が得られる.一方(In,Mn)Asでも僅かながらA0成分の存在が確認される.強磁性を示すIII-V族DMSにおけるA0成分の観測は初めての結果である.

 RXESの結果は著しく小さいA0/A-比を表した.しかしながらRXESにおける強度比と系のA0/A-比を直接に結びつける事は出来ない.なぜなら半導体中に生成される正孔はかなりの半径を有し,この時局所的な情報に適した軟X線分光における束縛状態の反映が不明な為である.GaAsとInAs中の不純物状態は後者でより大きな束縛半径を持つ.故に(In,Mn)Asの束縛半径の増大とRXESにおけるA0/A-比の減少との相関が示唆される.さらには正孔のホッピングによるスペクトルへの影響も予想される.これは(Ga,Mn)As(x<0.01)のマイクロ波による電子スピン共鳴で,A-成分のみが観測された結果に説明を与える.つまりホッピングによる系の短い時間変化が,軟X線とマイクロ波の時間分解能の違いによりスペクトルで反映された結果と考えられる.

 以上の測定結果から磁性を媒介する正孔は主にAs 4p的であり,Mnの周囲に弱く束縛されている事が明らかとなった.これよりAs 4p正孔のホッピングによる強磁性発現機構を提案した.正孔はMn 3d電子と磁気的に(p-d交換)相互作用し,間接的にMn間の強磁性結合を誘起する.ここで正孔はサイト辺り1個以下であるので多バンドハバードモデルにおける強磁性運動交換が適用可能である.これは試料の絶縁性に係わらず強磁性を発現可能とする.一方金属的な試料においてはA0とA-間での二重交換的な効果も予想される.これらの描像ではp-d交換の符号によらず,その大きさが強磁性の安定性と関係する.

 主な参考文献:H. Ohno, J. Magn. Magn. Mater. 2000, 100(1999).

 S. Katsumoto et al., Mat. Sci. Eng. B 84, 88(2001).

Table I:測定に用いた(Ga,Mn)As試料

Fig. 1.(Ga,Mn)As Mn 2p XASスペクトル.

(a)as-grown.(b)LT-annealed.(c)'intrinsic'と'metastable'成分の分解.全て室温で測定.

Fig. 2.(Ga,Mn)As Mn 2p XASスペクトルにおけるL3ピーク(640eV)/(肩)構造(639.5eV)の比とTcのx依存性.

(a)as-grown.(b)LT-annealed.挿入図はas-grownにおける'metastable'の積分強度x依存性.

Fig. 3.(Ga,Mn)As, (Cd,Mn)Te, Mn2O3のMn 2p RXESスペクトル.

励起エネルギーを図中に示す.

審査要旨 要旨を表示する

 III-V族希薄磁性半導体は近年の`半導体スピントロニクス'の形成に貢献し、特に(Ga、Mn)Asにおいては正孔濃度(np)の増大で発現するキャリア誘起強磁性が大きな注目を集めている。これは外部パラメータによるスイッチングに代表される応用化への期待に加えて、基礎物理学的にも重要な遍歴強磁性の問題と関連している。キャリア誘起強磁性の発現機構として複数のモデルが提案されているが、キャリアとなる正孔の状態が、実験的にまだ未解決である。

 本研究では軟X線分光のサイト選択性を利用して、Mnアクセプター状態の直接的な観測を行うことを目的としている。しかし、軟X線分光の利用には二つの課題が含まれる。一つは測定が与える空間スケールの問題である。軟X線分光の局所性はそのクラスター解析の成功で確認されており、III-V族希薄磁性半導体で予想される大きな正孔半径に応答可能であるかは明らかでない。もう一つは本研究で利用する軟X線共鳴発光分光の歴史が浅く、不純物系への適用が未開拓な点である。近年、軟X線共鳴発光分光の性能は著しく向上しており、不純物の中性(A0)・イオン化(A-)状態の判別に有効性が期待される。本研究ではこれらの問題を解決するために、(Ga、Mn)As系を中心として、複数の参考試料の測定し、比較を行った。

 本論文は以下の四つの章で構成される。

 第1章は序章としてIII-V族希薄磁性半導体のキャリア誘起強磁性に関する現在の状況をまとめ、その研究に対する軟X線分光の有用性を指摘している。又III-V族希薄磁性半導体に内包される二種類の試料依存性−'強磁性・常磁性成分の共存'と'Asドナーの混入'−が強調されている。前者の含有比はMn濃度(x)と関係し、後者は低温アニールにより実験的抽出が可能となる。本研究ではx依存性と低温アニール効果を併用し、強磁性状態の詳細な議論を可能にしている。

 第2章は測定試料と測定条件の整理を行っている。ここで参考試料であるIII-V族希薄磁性半導体(In、Mn)As、II-VI族希薄磁性半導体(Cd、Mn)Te、Mn2O3が紹介されている。

 第3章は4つの節に分かれ、測定結果と議論を扱っている。3.1節では軟X線吸収分光による測定結果が提示されている。ここで軟X線吸収分光の簡便さを生かし、上述した試料の系統的な測定が行われている。ここから(Ga、Mn)Asに関する以下の三つの結論が導出されている。(1)強磁性成分はMn2+イオン状態を形成し、As 4p的な正孔の束縛は弱い。(2)常磁性成分はMn2+イオンとAsドナーが結合した状態である。(3)Mn2+イオン/Asドナーの比はnpと相関を持つ。最後の結果は(Ga、Mn)Asの金属・絶縁体転移とAsドナーとの関係を示唆している。

 3.2節では軟X線共鳴発光分光を用いて、軟X線吸収分光で不明であった(Ga、Mn)Asの正孔束縛状態に関する詳細な議論が進められる。ここで(Cd、Mn)Te、Mn2O3との比較から、A-状態が支配化する中で、僅かなA0状態の共存が指示される。然しながら軟X線発光分光は測定空間スケールの問題を抱え、A0状態をそのままのシグナルとして反映するか明らかでない。つまり正孔の束縛半径が大きい時、A0状態をA-状態として認識する可能性が秘められている。

 3.3節は二種類の方法で上記の検証が行われる。初めに軟X線共鳴発光分光測定が行われた(Ga、Mn)Asと、ほぼ等しいnp/x比を持つ(In、Mn)As試料の結果が比較される。ここで軟X線共鳴発光分光の測定空間スケール>正孔の束縛半径が成立すれば、スペクトルに反映されるA-/A0比は一致する筈である。然しながら結果はA-/A0比の明瞭な増大を表す。又np/x比が異なる(Ga、Mn)Asのx依存性は、ほぼ一様なスペクトルのA-/A0比を示す。これらの結果は(Ga、Mn)Asの正孔束縛半径が、軟X線共鳴発光分光の測定空間スケールの限界に近接する状態を指示し、A0状態が束縛半径に関係して、次第にA-状態とカウントされる様子を予想させる。さらに(Ga、Mn)Asにおける軟X線共鳴発光分光の乏しいnp/x比依存性は、系の一様なA0状態の形成を示唆している。

 3.4節では前節で結論された(Ga、Mn)AsのA0状態を考慮した、キャリア誘起強磁性モデルの提案が行われている。これは強磁性運動交換とp-d交換の共存に基づく描像であり、絶縁体試料の強磁性が説明可能な点が特徴的である。

 第4章では以上の結果の要約と、測定空間スケールの定量性を議論する為の実験手法の提案が行なわれている。

 以上、本論文はIII-V族希薄磁性半導体(Ga、Mn)AsのA0状態を初めて明らかにし、且つそこから導出される強磁性機構にまで議論を進めている。又、今まで殆ど議論が行われていない軟X線分光の測定空間スケールに着目し、定性的な結果を与えている。さらに未だ発展段階にある軟X線共鳴発光分光の新奇な物性研究への適用に成功し、その有用性を示した点も、今後に与える影響は大きい。

 よって博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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