学位論文要旨



No 117064
著者(漢字) 磯部,衛
著者(英字)
著者(カナ) イソベ,マモル
標題(和) セッケン二分子膜系のトポロジカル転移
標題(洋)
報告番号 117064
報告番号 甲17064
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5205号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
 東京大学 講師 木村,康之
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 両親媒性分子によって水溶液中で形成される、板状の会合体である二分子膜は、膜が層状に積み重なって1次元長距離秩序を形成したラメラ相(Lα)、膜がランダムに連結したような構造をしたスポンジ相(L3)などの高次構造を形成する。これらの構造の安定性は、二分子膜が非常に柔らかいために生じる膜の熱的な波打ち揺らぎや、界面活性剤分子の有効体積に関わる分子内炭化水素鎖の熱運動によって決まると考えられている。これらの、系の安定性を支配する要因は、室温付近において温度や濃度などの熱力学的な量の変化により有意な変調を受けるので、系は膜という基本構造を保ったまま相転移する(図1)。本研究は、このような弱い相互作用によって形成される二分子膜の高次構造のトポロジカル転移現象について、実験的側面から調べることにより、構造の安定性について明らかにすることを目的として行う。

2.二分子膜系に対する流動場効果

 二分子膜系では、膜の熱揺らぎが流れと結合することにより、流動場下において平衡相にない新たな構造が形成される可能性を有する。我々は二分子膜系に対する流動場効果を調べるため、C10E3/H2O系に対してレオロジー測定を行った。

 図2は、C10E3 1.39wt%に対して、スポンジ相より徐冷をしながらスポンジーラメラ転移点付近の粘性率の温度変化をいくつかの剪断速度の下で測定したものである。高温側のスポンジ相の方が低温側のラメラ相よりも粘性率が大きいが、これはスポンジ相の連結構造が流れに対して障害になるためと考えられる。また、高剪断下では粘性率の変化が連続的になっていくが、これは強い流れ場の下で連結構造の破壊が起こっているためと考えられる。これと等価な測定として、温度を一定にしてスポンジ相のstress-strain curveを測定し、連結構造が剪断速度の増加とともに破壊される過程を観察した。この結果から、流動場下での連結構造の変化を推察し、剪断速度をひとつの軸とした、図3のような動的相図を作成した。この相図から、剪断速度が大きくなるとスポンジ相の連結構造が不安定化しラメラ相が安定化されることと、転移点から離れると流動場により誘起される相転移が連続的に成り得ることが明らかになった。

 また、動的光散乱から得られた系の緩和周波数と、連結構造の破壊が生じ始める剪断速度を比較することにより、熱的な過程によって起こる膜のトポロジー変換に要する活性化エネルギーを見積もった。この活性化エネルギーがおよそ1〜1.5kBTであることが分かった。

3.ラメラ−スポンジ共存相におけるMLVに関する研究

 ラメラ−スポンジ相転移は1次相転移であるので、共存相が存在する。この場合、ラメラ相・スポンジ相は、相図のレバールールによって決められる異なった濃度で共存するが、図1の相図から、C10E3/H2O系では仕込み濃度より濃いラメラ相と薄いスポンジ相が共存することがわかる。我々は、この共存相へスポンジ相の一相領域から浅くクエンチした場合、偏光顕微鏡下において図4のような球対称な異方性をもつ構造に特有であるMaltese Crossを観測した。これは、膜が同心球状に配列した構造をしたMulti-lamellar vesicle(MLV)と呼ばれる構造が、スポンジ相よりラメラ相が均一核生成的に現れる上で形成されたことを示していると考えられる。二分子膜によるこのような構造は、これまで流動場下に於いて形成されることが多くの系で示されており精力的に研究されているが、自発的形成に関する報告は極めて少ない。この現象を、濃度場の変化を伴う秩序相の核生成現象として捉え、顕微鏡観察によって調べた。

 クエンチ後、直ちにMLVが形成され、その個数は1〜2秒で飽和する。一方、その半径はクエンチ直後、時間に対してR〜t1/2で成長していくことが分かった。この成長則は、周囲のスポンジ相の濃度場における構成分子の拡散によって、成長が律速されていることを示している。

 また、クエンチ後、数10〜100秒で、MLVがその半径を減少していき、最終的には消滅する過程を観察した。この様子を偏光画像の輝度値の減少として定量化したところ、画面の輝度が減少し始める時刻がサンプル厚の薄いものほど早いということが分かった。これから、MLVは、最終的にはガラス壁に張り付いて存在するラメラ相に吸収されていくと考えられる。

4.二分子膜系における粒子の自発的分配

 スポンジ相よりさらに温度を上げると、スポンジ相は不安定になって水を吐き出し、系は濃いスポンジ相とL1相と呼ばれるほとんど水より成る希薄な相に相分離する。我々は、C12E5/H2O系に直径約100μmのポリスチレンラテックス粒子を混入し、L3+L1相分離領域を観察したところ、スポンジ相より現れたL1相ドメインに図6のように粒子が交互に分配される現象を観測した。

 まず、スポンジ相の平均膜間距離と粒子の大きさという2つの量の幾何学的関係に着目し、このような現象が起こるための条件を顕微鏡観察によって調べた。図7は、直径107nmのポリスチレンラテックス粒子を用いた場合に、分配パターンが観測された領域を相図とともに表したものである。直径175nmのものに対しても同様の実験を行ったが、これらの結果から、分配パターンが発生するには、粒子の大きさが相分離前のスポンジ相の膜間距離よりも小さく、かつ相分離後のスポンジ相の膜間距離よりも大きいという条件が必要であることが分かった。これは、スポンジ相の膜の間に閉じ込められていた粒子が、相分離による膜間距離の減少によって膜間に入りきらなくなって吐き出される過程において、膜で仕切られた2つの空間に対称性の破れが起こっているということを表している。

 このような対称性の破れの原因として、スポンジ相において膜により仕切られた空間の対称性が変化する、Symmetric-Asymmetric転移の存在が考えられる。このような転移が存在すれば、対称性の揺らぎの臨界現象が、濃度揺らぎを通して観測されることが予言されており、これを確かめるため光散乱実験を行った。しかしながら、実験結果からはこのような転移の存在を確認することができなかった。このようなパターンの発生要因について、今後、実験的・理論的両側面から考えていく必要がある。

図1.C10E3/H2O系の相図。

図2.粘性率の温度変化測定。

図3.スポンジ相のstress-strain curveの測定から得られた動的相図。

図4.スポンジーラメラ共存相において見られたMulti-lamellar vesicle。

図5.Multi-lamellar vesicleの半径の時間変化。

図6.L3+L1相分離域において見られたラテックス粒子の分配パターン。

図7.Partitioning patternの発生と相図の関係。

φcは粒子径と膜間距離が等しくなる濃度。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、セッケン二分子膜を基本構造として展開されるトポロジー的な相転移現象について、実験的に研究した成果について述べている。特に、二分子膜系に対する流動場効果、スポンジーラメラ共存相におけるMLVに関する研究、二分子膜系における粒子の自発的分配という3つのテーマについて研究を行い、二分子膜系において起こるこれらの特徴的な現象の性質について明らかにした。

 第1章では研究の背景および目的について述べている。二分子膜のトポロジカル転移は膜が非常に柔らかいことにより生じる熱的に励起される波打ち揺らぎが系の安定性を支配しており、これまで、平衡状態における系の性質はこの考え方によりうまく説明されてきた。しかしながら、構造が非常に弱い相互作用によって形成されることに起因した外場に対する非線形応答、外場誘起の相転移ダイナミクス等についてはこれまで詳細な研究はされておらず未解明な部分が多い。本研究は、二分子膜による構造を形成する相互作用の弱さを反映した特徴的な現象に着目し、実験的側面から構造の安定性について明らかにすることを目的として行われたものである。

 第2章において本研究で用いた実験手法、測定試料について説明した後、第3章では、C10E3/H2O系で形成される二分子膜系に対する流れ場の効果について述べている。定常流による粘性測定から、スポンジ相がshear thinningすることを見出したが、これは強い剪断速度の下ではスポンジ相を特徴付ける双連結構造が流れに対して不安定となり、系が徐々に連結構造を消失していくことを示している。最終的には系の実効的粘性率は、層状構造のラメラ相とほぼ同じ値となる。以上の結果は、流動誘起によるスポンジーラメラ相転移が起こっていることを示しているが、このように粘性測定によって流動誘起相転移を観察した例は初めてである。この測定から定常流動場下における動的相図の作成に成功した。また、光散乱測定より得た内部構造のダイナミクスと関連付けることにより、膜のトポロジー変換に要する活性化エネルギーを見積もることに成功した。

 第4章では、スポンジーラメラ共存相において形成されるMulti-lamellar vesicle(MLV)に関する研究について述べている。MLVは膜が同心球状に配列した構造体で、通常は流動場下において形成されることが多くの系で示されており精力的に研究されているが、自発的形成に関する報告は極めて少ない。顕微鏡観察から、C10E3/H2O系において、スポンジ相からスポンジーラメラ共存相へ浅くクエンチしたときはMLVが形成されるがクエンチが深いと形成されず、全く異なるパターンが現れたことから、核生成的に転移が起こる場合にMLVが形成され得ることが分かった。MLVの成長のダイナミクスに着目し、クエンチ後のMLVの半径Rの時間発展を調べたところ、時間に対してR〜t1/2で成長していくことを見出したが、これは拡散による周囲からの物質供給が成長を律速していることを示しており、更にこの成長様式を理論的な考察によって定量的に実証した。また、MLVが時間とともにガラス壁へ吸収されていく現象を見出したが、これは曲率を有する界面と平面界面との界面濃度差により起こるGibbs-Thomson効果を反映した蒸発・凝集現象として理解できることが示された。

 第5章では、二分子膜系に混合したサブミクロン程度の大きさの粒子が自発的に分配される現象について述べている。スポンジ相よりさらに温度を上げると、系は濃いスポンジ相とL1相と呼ばれるほとんど水より成る希薄な相に相分離するが、C12E5/H2O系に直径数100nmの微粒子を混入しスポンジ+L1相分離領域を観察したところ、スポンジ相より現れたL1相ドメインに粒子が交互に分配される現象が見出された。この現象が起こるための条件を、スポンジ相の平均膜間距離と粒子の大きさという2つの量の幾何学的関係に着目し顕微鏡観察を行ったところ、分配パターンが発生するには、粒子の大きさが相分離前のスポンジ相の膜間距離よりも小さく、かつ相分離後のスポンジ相の膜間距離よりも大きいという条件が必要であることが明らかとなった。これはスポンジ相の膜間に閉じ込められていた粒子が、膜間距離の減少により吐き出される過程で、膜に仕切られた2つの空間に対称性の破れが生じるということを表している。

 上記の研究成果は、揺らぎに起因した膜のトポロジー転移現象を基礎的に理解していく上で非常に有用であるばかりでなく、外場による膜構造および機能の制御、膜のトポロジー変換による粒子分別などへの応用が期待される成果も含む。

 以上本研究で得られた成果は、物理工学上非常に重要なものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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