学位論文要旨



No 117066
著者(漢字) 大塚,雄一
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,ユウイチ
標題(和) 格子上の電子系における乱れ及び相互作用の効果
標題(洋)
報告番号 117066
報告番号 甲17066
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5207号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 初貝,安弘
 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 今田,正俊
内容要旨 要旨を表示する

1 序

 電子間の相互作用が無視できない強相関電子系は磁性、高温超伝導、重い電子系などの多様で豊かな物理を内包しており、固体物理学の一大分野となっている。強相関電子系は本質的な多体問題であるため、理論的な取り扱いは簡単ではない。特に、銅酸化物高温超伝導との関連から興味が持たれる2次元以上の系では、有効な解析的手法は限られている。そのため、解析的手法と相補的に数値的手法が有効な研究方法となっている。本研究では原理的に近似を含まない数値手法である有限温度量子モンテカルロ法を用いて理論模型の研究を行った。

 本研究で用いた有限温度量子モンテカルロ法はBlankenbecler(1981)らによって提唱された手法で、次元や模型の詳細にはあまり依存せず適用範囲が広い。強相関電子系では、相互作用によって電荷の揺らぎが強く抑制されることが本質的であり、有限温度量子モンテカルロ法はこの電荷揺らぎの効果が自然に取り入れられるという利点を持つ。対象としてはハバード模型とその派生物を中心に選び、有限温度の性質、特にモット転移近傍の電荷揺らぎと安定性という観点から研究を行った。

2 相互作用と乱れの競合効果

 電子間相互作用と乱れ(系の不規則性)の効果は固体中の電子を考える上で共に重要な要因である。遷移金属酸化物などでは強い電子間相互作用により系は有限な電荷ギャップをもつ絶縁体に転移することが知られている。また、不純物等による乱れの効果は波動関数の局在を生じさせ、電荷ギャップを持たない絶縁相に転移する起因となる。本研究ではこれら二つの効果を対等に取り入れた理論模型に対し、原理的に近似のない数値的手法で研究を行った。

 対象とした模型は次のハミルトニアンで記述されるランダムポテンシャルを含むハバード模型で次元は1次元から3次元まで調べた。

ここで、〓は電子の生成演算子、tは電子の遷移積分、Uは電子間相互作用の強さである。乱れの効果はωiを[-W,W]の一様分布の中からランダムに選ぶことで取り入れた。電子濃度はハーフフィリングに固定したので、パラメータは相互作用の強さU/t、および乱れの強さW/tの2つである。

 乱れが存在しない場合、電荷圧縮率の温度依存性はモットギャップの存在を反映して熱活性型の温度依存性で、温度の低下にともない0に向かって減少する。この振舞いは乱れが弱ければ同様であり、電荷ギャップは減少はするものの、有限の値を持つことがわかる。一方、乱れが強い領域では温度の低下にともなう圧縮率の減少傾向はなく、電荷ギャップが存在しないように見える。このことは、乱れによる非圧縮性相から圧縮性相への転移を示しており、その転移は有限の乱れの強さで起こることがわかった。さらに、磁気的性質をみるためにスピン構造因子を計算した。モット絶縁体に特徴的な強い反強磁性相関は乱れによって減少するが、その効果は一様ではない。乱れが弱い場合は反強磁性相関に与える影響は非常に小さく、これは電荷圧縮率の場合と同様である。また、乱れが強い領域では反強磁性相関はほとんど壊される。

3 特異な状態密度を持つ系でのモット転移

 近年、強相関電子系の可能な秩序相としてリンク上に秩序変数をもつ状態が注目されている。特に秩序変数が位相因子を持つ場合は、有効的には系に磁場が生じることとなる。このような状態はフラックス(磁束)状態と呼ばれ、ハバード模型やt-J模型の平均場として議論されてきた。また、フラックス相はLaughlinらによる隠れた秩序相の指摘や1次元拡張ハバード模型におけるボンドオーダー相の発見などの関連からも興味深い。本研究ではフラックス状態における電子間相互作用の効果を調べることを目的とした。フラックス状態は特異な状態密度を持つため、弱結合のモット転移におけるネスティングの議論が破綻する可能性がある。このような観点から、フラックス状態におけるモット転移の可能性、またモット転移が生じる場合にそれが通常のモット転移とどのような違いがあるかという点に注目した。

 対象とした模型はフラックスを加えた2次元ハバード模型である。フラックスの効果は遷移積分tjκに位相因子θjκをtjκ/|tjκ|=eiθjκと加えることで取り入れた。系のフィリングはハーフフィルドとし、この場合Liebの定理によりπフラックス状態(φ≡plaquetteθjκ=π)が最もエネルギー的に安定であることが知られているので、フラックスはこのように選んだ。なお、この模型では電子正孔対称性により量子モンテカルロ法で問題となる負符号は生じない。

 相互作用の弱い領域ではフラックスのある場合とない場合で電荷圧縮率に大きな違いが見られる。このことはフラックス状態の特異なエネルギー構造が弱い相互作用に対して安定であることを示唆している。また、相互作用が強い領域ではフラックス状態の電荷圧縮率は通常のハバード模型と近く、ほぼモット絶縁体となっていることが分かる。また、磁気的性質についてはスピン構造因子の有限サイズスケーリングから弱結合領域では基底状態で反強磁性長距離秩序が存在しないことがわかった。一方、強結合領域では基底状態が反強磁性長距離秩序が存在し、これはフラックス状態では有限の相互作用の強さでモット転移が起こることを示唆している。このことは通常のハバード模型では無限小の相互作用の強さでモット転移が起こることと対照的である。

4 相関効果によるフェルミ面の異方性

 近年、強相関電子系に見られる特異な現象としてフェルミ面の異方的な性質が指摘されている。特に波数空間の(π/2,π/2)と(π,0)で電子が異なる振る舞いを示すかどうかは、実験的にはARPESで観測される分散関係の特異な波数依存性やホールポケットの可能性という観点からも興味深い問題である。

 本研究では二次元ハバード模型におけるフェルミ面近傍の電荷揺らぎを調べた。注目した物理量は波数分解能を持った電荷圧縮率、κ(κ)=d〈n(κ)〉/dμである。ここで、〈n(κ)〉は運動量分布関数、μは化学ポテンシャルを示している。有限温度では化学ポテンシャルの変化は電子数の変化すなわちドーピングをもたらす。従って、この量はハーフフィルドからわずかにドーピングを行った場合にキャリアが波数空間のどこに注入されるかを示す量である。

 ハーフフィルドの場合を考えると相互作用U/tが存在しなければフェルミ面は|κx|+|κy|=πで与えられる四角形となり、このライン上は縮退している。従ってU/t=0におけるκ(κ)はこのライン上で鋭いピークを持ち、なおかつその値は一定となる。この状態に相互作用を加えていくとこの縮退はほどけ、(±π/2,±π/2)でピークを示すことがわかった。これは直接的には、この点での電荷揺らぎがが(π,0)に比べて大きいことを示している。さらに、化学ポテンシャルの変化に対して電子の占有率が(±π/2,±π/2)で大きく変化することから、ホールポケットの存在と矛盾しない結果と言える。また、このピーク構造は温度の上昇にともない小さくなっていき、温度が相互作用の強さと同程度になったところで消失することがわかった。同じ量をいくつかの平均場を用いて計算したところ、d波ペアリングやスタッガードフラックス状態では同様なピーク構造が再現された。一方で、ネール状態を仮定した計算はフェルミ面上で一定のκ(κ)を与え、量子モンテカルロの結果とは一致しなかった。これは従来ハーフフィルドではネール状態が良い平均場であるとされていたことと対照的である。また、ハーフフィルドから十分に離れたオーバードープ領域では相互作用に関らず、明瞭なピーク構造は見られなかった。このことから、κ(κ)に現れるピーク構造は相互作用が顕著になるモット転移近傍に特徴的な性格であると考えられる。

図1:ランダムハバード模型の電荷圧縮率(a)と反強磁性スピン構造因子(b)

図2:フラックス模型の電荷圧縮率(a)と反強磁性スピン構造因子(b,c)

図3:ハバード模型の電荷圧縮率の波数分布

審査要旨 要旨を表示する

 電子間のクーロン相互作用に起因する電子相関は磁性、電荷秩序、超伝導等、多様な電子物性に大きな影響を与えうる要因として近年多くの興味を集めている。一方でこの電子相関は多体問題の本質であり、理論的取り扱いは多くの問題を含み解析的手法による研究は限られたものとならざるを得ない。対して数値的手法は解析的手法と相補的側面を持ち扱いうる系の大きさ等いくつかの強い制限はあるものの電子相関の強い系においては極めて有効な研究手法となっている。特に格子上の模型は、数値的に取り扱いやすいため精密な解析が可能であり、有力な研究対象である。本論文は、これらの背景の下、原理的に近似を含まない数値手法である有限温度量子モンテカルロ法を用いて電子相関のある格子上の電子系に対し研究を行ったものである。

 第1章「序」では、本論文の背景、目的、構成について述べられている。

 第2章「ハバード模型」では、本論文における議論において本質的であるハバード模型の関連する部分に対してその基本的性質をまとめている。

 第3章、第4章、第5章が本論文の中心であり、各主題についての動機付けから具体的に行った数値的研究並びに対応する考察が述べられている。

 第3章「相互作用と乱れの競合効果」では、ハバード模型にランダムなポテンシャルの項を加えたアンダーソン・ハバード模型に対してグランドカノニカル分布における有限温度の量子モンテカルロ計算を行った結果を議論している。具体的にはハーフフィリングにおいて1次元から3次元までの乱れと電子相関の共存する系を系統的に取り扱った。特に電荷圧縮率とスピン構造因子に着目し、モットギャップの崩壊について議論し有限の乱れの大きさによって初めてモットギャップが崩壊することを数値的に示した。さらにこのモットギャップの崩壊した相においてはモット絶縁体に特徴的な強い反強磁性秩序が消失していることを数値的に確認した。

第4章「特異な状態密度を持つ系でのモット転移」においてはバンド構造に起因する状態密度の特異性が電子相関並びにモット転移、スピン秩序形成に大きな影響を与え得る可能性に着目し、特に状態密度がフェルミエネルギー近傍で線形に消失する模型としてフラックス相を取り上げ、そこでのモット転移に関して数値的に研究を行った結果を述べている。歴史的にはフラックス相はいくつかの強相関電子系における平均場として提出されたが、他にもグラファイトシート等の物理的に重要な系をここでの議論は包括しうることを留意しておく。このフラックス相においてはその特異な低エネルギー励起構造のため弱結合理論においては磁気秩序の存在は期待されないが、一方で強結合領域は通常のハバード模型と同様に実効的に反強磁性のスピンハミルトニアンにより記述されると考えられ長距離秩序の存在の可能性がある。よって有限の強度におけるモット転移が期待されるが、実際本章の研究による量子モンテカルロ計算によってこの事実が数値的に確認された。本章では、これらの結果を通常のハバード模型では無限小の相互作用の強さでモット転移が起こることと対照しながら議論している。

第5章「相関効果によるフェルミ面の異方性」においては電子間の相互作用が電子系の低エネルギー励起に強い運動量依存性を与えうる可能性に着目した研究について述べている。具体的には近年フェルミ面上の異方的性質の存在の可能性が実験理論の両面から示唆されていることを背景とし、ハバード模型において運動量分解した電荷圧縮率を数値的に検討している。特にその温度依存性に着目し、ハーフフィルドにおいて反強磁性の実効的交換相互作用程度の温度領域においては強い運動量依存性が存在することを見いだした。数値的には微分量に関する表式を解析的に取り扱うことによりすべての計算をいわゆる負符号の問題のないハーフフィルドの条件下で行い、そこから無限小のドーピング依存性とでもいうべき量に関して具体的な情報を取りだした点にその理論的意義がある。さらにより詳細な検討によりこの強い運動量依存性は相互作用強度と同程度の温度領域においては消失することを示した。またこの運動量依存性の相互作用依存性並びにドーピング依存性についても数値的に詳しく検討を加え、この強い運動量依存性はいわゆるオーバードーピング領域においては消失することも示した。

 最後に第6章「研究のまとめ」では、本論文における研究の概要がまとめられている。

 以上を要約するに、本研究は電子相関並びに乱れの効果に起因する興味深い現象に対して数値的手法により詳しい検討を加え、多くの新しい知見を見出しており、物理工学並びに物性物理学の発展に寄与するところが極めて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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