学位論文要旨



No 117067
著者(漢字) 小野瀬,佳文
著者(英字)
著者(カナ) オノセ,ヨシノリ
標題(和) 電子ドープ型高温超伝導体における電荷ダイナミクス
標題(洋)
報告番号 117067
報告番号 甲17067
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5208号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 助教授 初貝,安弘
 東京大学 講師 木村,剛
内容要旨 要旨を表示する

 本研究が対象とする物質は、電子ドープ型高温超伝導体であるNd2-xCexCuO4である[1]。この物質の存在は、高温超伝導体における電子−ホール対称性を示し、超伝導の発現機構に強い制約を与えた[2]。ごく最近では、電子ドープ系における超伝導の対称性がホールドープ系と同じくd波的であることも確かめられた[3]。一方、ホールドープ系においては、超伝導最適組成(ホール濃度p〜0.15)以下のアンダードープ領域における物性が特に異常であり、その異常性の多くは擬ギャップと呼ばれる現象に帰着できることが明らかになった[4]。しかし、系統的な実験結果が数多く報告されている現在においても、その起源については統一的な見解が得られておらず、そのことが高温超伝導体の物理を理解する上で大きな妨げとなっている。このような状況下においては、電子ドープ型高温超伝導体におけるアンダードープ領域から最適組成までの系統的な研究は重要な情報をもたらし得ると考えられるが、良質な大型単結晶育成が困難であることや、適当な還元が必要であることなどの理由により、電子ドープ系の研究は比較的進んでいなかった。本研究では、Nd2-xCexCuO4(0≦x≦0.15)の良質な単結晶をTSFZ法により作成し、輸送係数、光学測定を系統的に調べた。その結果、電子ドープ系のアンダードープ領域においても擬ギャップ的振舞いが観測され、輸送係数にもその影響が強く現れることが明らかになった。

 図1に面内抵抗率の温度依存性を示す。母物質(x=0)の抵抗率は絶縁体的であるが、電子をドープすると抵抗率は徐々に下がってく。母物質と同様に、0.025≦x≦0.125の試料は低温で反強磁性秩序を示すが、それにもかかわらず比較的低い抵抗率を示している。しかし、これらの試料の抵抗率は、いずれも低温でアップターンが現れる。それに対してx=0.15の試料の抵抗率にはそのようなアップターンは存在せず、T=25K付近で超伝導転移が観測される。

 図2に光学伝導度の温度依存性(0-1 eV)を示す。このエネルギー領域では、超伝導を示すx=0.15の光学スペクトルにはあまり大きな温度変化は観測されない。それに対してアンダードープ領域(0.05≦x≦0.125)の試料は低温になるに従い0.2eV付近のスペクトラルウェイトが徐々に減少し、低温でギャップ的な構造を示すようになる。ただし、最低温でも完全にギャップが開くことはない。この擬ギャップの大きさを等吸収点で定義すると、x=0.05では0.43eV程度でありドーピングが進むに従い小さくなっていく。擬ギャップ形成によって失われたスペクトラルウェイトは、一部は高エネルギー領域に移っているが残りは低エネルギー部にも移っている。

 低エネルギー領域の議論をするために、エネルギーを対数で表示したNd2-xCexCuO4 x=0.075の光学伝導度を図3に示す。高温(T≧340 K)のスペクトルは、フラットな(インコヒーレントな)形状を示しているが、温度を下げていくと0.1-0.3 eV付近のスペクトラルウェイトは徐々に減少し擬ギャップが形成される。それと同時に、0.05 eV以下のスペクトラルウェイトが徐々に増大し、低温でドルーデ応答が現れる。このようなドルーデ応答と擬ギャップの同時成長は極めて異常ではあるが、すべてのアンダードープ領域で観測される。

 図4の下段に、等吸収点から測った擬ギャップの大きさ(△PG)と擬ギャップ形成が始まる温度(T*)を、μSRの測定によりLukeらによって求められたNeel温度(TN)とともに示す。△PG、T*ともにドーピング濃度が増加すると減少している。△PGとT*の比は各組成とも一定で、△PG/KBT*は10程度と大きな値を示す。また、図4の上段に示すようにドルーデウェイトを反映している最低温(10K)における0.03 eVまでのNeffは、擬ギャップが観測されるx≦0.125においてドーピング濃度にほぼ比例した振舞いを示し、x=0.15ではその関係よりも大きい値を持つ。

 このような擬ギャップの影響は、輸送特性にも強く現れている。c軸方向の抵抗率の温度依存性を図5(a)に示す。アンダードープの試料は、温度を下げていくと矢印で示した光学伝導度から求めたT*以下で抵抗率が大きく減少する。光学スペクトルからみた擬ギャップとc軸方向の抵抗率の相関は、抵抗率の微分をみるとより明確に分かる。図5(b)-(f)にc軸方向の抵抗率の温度微分を示す。dρ〓dTは、抵抗率の減少に対応して矢印で示した温度(Tρ)以下で急速に上昇している。図4(下段)に示すように、このTρは光学伝導度から求めたT*とほぼ一致している。ホールドープ系においては、擬ギャップの形成に伴ってc軸の抵抗率が大きく上昇する振舞いが報告されており、今まで見てきた電子ドープ系の振舞いとは対照的である。ホールドープ系における面間の抵抗率の振舞いを説明する有力なシナリオの一つは、キャリアの面間方向の運動は(π,0)付近の電子状態によって担われており[5]、(π,0)付近に擬ギャップが開くことに対応してc軸の抵抗率が大きく上昇するというものである。同様な議論が電子ドープ系においても成り立つとするならば、面間の抵抗率がT*(Tρ)以下で顕著に減少することは、ホールドープ系とは波数空間の対応が逆の、(π/2,π/2)付近にギャップが生じ(π,0)付近にコヒーレントな状態が形成されることを表しているのかもしれない。実際、ごく最近の角度分解光電子分光によれば、この系のアンダードープ領域では(π/2,π/2)付近にギャップが開き、(π,0)付近に小さなフェルミ面が観測されることが確かめられている[6]。

 また、このような小さなフェルミ面をもつ電子状態へのクロスオーバーはホール係数にも表れている。図6のインセットにホール係数の温度依存性を示す。アンダードープの試料(x=0.05−0.125)のホール係数は400K程度の高温では比較的小さな値を示しているが、温度を下げていくとその絶対値が大きく上昇して低温では-1/ex程度の値を持つ。このような振舞いが、ホールドープ系のホール係数とほぼ同様な振舞いであることは既に過去に確かめられている[7]。ホールドープ系の代表例であるLa2-xSrxCuO4系においては、このようなホール係数のクロスオーバーを特徴的な温度TOを用いて、RH(T,x)=RH∞(x)+RHO f(T/TO)のような関数でスケールされることが分かっている[8]。そこで、我々はNd2-xCexCuO4のアンダードープの試料に対してこのようなスケーリング則の適用を試みた。スケーリングは、より任意性を少なくするためにパラメーターをTOのみにした式、RH(T,x)=RH(2/3 TO) f(T/TO)で行った。結果は図6に示す通りほぼスケールできており、スケーリングから求めたTOは光学伝導度から求めたT*とほぼ一致している(図4下段)。また、低温(10K)におけるホール係数から求めたキャリア数は、擬ギャップが観測される0.05≦x≦0.125の領域においてはドーピング濃度xに比例した振舞いを示し、x=0.15のホール係数はそれよりもかなり大きい値を示している(図4上段)。

 最後に、今まで見てきた光学伝導度における擬ギャップ形成およびそれに伴う輸送特性における異常の起源について考えてみたい。擬ギャップが形成され得るシナリオについて考えてみると(a)電荷整列、(b)Cooper pairもしくはspinonのシングレット対の形成、(c)反強磁性相関などが考えられる。(a)のシナリオの場合、特にホールドープ系において観測される(金属的な)ストライプオーダーがまず挙げられるが、この系では中性子散乱実験により(π,π)の位置に磁気的なブラックスポットが観測されており、これはストライプオーダーの存在を否定する。金属的なストライプオーダーが存在しないとするならば、電荷整列は通常金属的な伝導を抑制するため、ドルーデ応答が擬ギャップと同時に成長する実験事実は(a)のシナリオを否定する。また(b)のシナリオでは擬ギャップのエネルギースケールは超伝導ギャップと同じくらいの大きさと考えられるため、本研究で観測された大きなエネルギースケールの擬ギャップの起源としては考えにくい。従って、反強磁性相関によって擬ギャップが形成するというシナリオが最も有力である。実際、Tohyamaらの最近の理論的計算[9]では、電子ドープ系においては、強い反強磁性相関の発達に伴って光学伝導度に大きなエネルギースケールの擬ギャップが形成されること、および擬ギャップの発達と同時にドルーデ応答が成長することが確かめられている。さらに、擬ギャップ形成された状態では(π,0)付近に小さなフェルミ面が現れることも再現されている。

参考文献

[1] Y.Tokura, H.Takagi, and S.Uchida, Nature 337, 345(1989).

[2] P.W.Anderson, Science 256, 1526 (1992).

[3] C.C.Tsuei and J.R.Kirtley, Phys. Rev. Lett. 85, 182 (2000).

[4] T.Timusk and B.Statt, Rep. Prog. Phys. 62, 61 (1999).

[5] O.K.Andersen et al., J.Phys.Chem. Solids 12, 1573 (1995).

[6] N.P.Armitage et al., unpublished.

[7] J.Takeda Physica C 231, 293 (1994).

[8] H.Y.Hwang et al., Phys. Rev. Lett. 72, 2636 (1994).

[9] T.Tohyama and S.Maekawa, Phys. Rev. B 64, 212505 (2001).

図1 面内抵抗率の温度依存性

図2 Nd2-xCexCuO4における光学伝導度の温度依存性(0-1 eV)

図3 Nd2-xCexCuO4 x=0.075における光学伝導度の温度依存性。

エネルギーを対数スケールでプロットしてある。

図4 上段:10Kにおける0.03 eVまでのNeffから見積もったドルーデ成分の重みとホール係数から見積もったキャリア数。

下段:光学伝導度、c軸の抵抗率、ホール係数から見積もった特徴的温度(T*,Tρ,TO)、および光学伝導度から見積もった擬ギャップの大きさ(△PG)。Lukeらによって測定されたNeel温度(TN)も一緒にプロットしてある。

図5 (a):c軸方向の抵抗率の温度変化。

(b)-(f):c軸方向の抵抗率の温度微分。矢印で示した微分量が増大し始める温度で特徴的な温度Tρが定義される。

図6 ホール係数(RH)のスケーリングプロット。

TOをスケーリングパラメーターとして用いて、RH(2/3 TO)で規格化したRH(T)が、規格化した温度(T/TO)に対してプロットしてある。インセットは、通常のホール係数の温度依存性が示されている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究で取り扱ったNd2-xCexCuO4は、数少ない電子ドープ型高温超伝導体の一つである。この物質の発見以来、高温超伝導体における電子−ホール対称性および非対称性は、高温超伝導の電子論的機構の解明のための本質的な課題として議論され続けてきた。しかし、結晶作成の困難さや超伝導体を得るために適当な還元処理が必要であるといった結晶化学的な問題のために、電子ドープ型高温超伝導体はホールドープ系に比べると実験的な研究例が少なく未解明な部分が多かった。本研究では、溶媒移動浮遊帯域溶融(TSFZ)法によってNd2-xCexCuO4の良質な単結晶を作成し、光学定数や輸送係数の測定を行うことにより、電荷ダイナミクスや電子構造の系統的なドーピング濃度(x)依存性を明らかにしたものである。

 本論文は、5章からなる。

 第1章では、序章として、現在までのホールドープ系と電子ドープ系における研究が紹介されており、これを踏まえて、本論文研究の意義と目的が述べられている。

 第2章では、実験に用いた単結晶試料の作製方法および還元処理の詳しい条件を述べた後に、光学測定、輸送係数の測定の測定方法が述べられている。

 第3章、第4章、第5章は本論文の中心をなすものであり、本研究で得られた実験結果とその考察が述べられている。

 第3章ではNd2-xCexCuO4における光学測定の研究結果がまとめられている。この系のアンダードープ領域(x≦0.125)において大きなエネルギースケール(〜数百meV)の擬ギャップが光学伝導度スペクトルに存在していることが観測された。また、低エネルギー部(<0.05 eV)においては、ドルーデ応答が擬ギャップの成長と同時に成長していくことが観測された。この擬ギャップの大きさと擬ギャップ形成が始まる温度(T*)はドーピングとともに減少していき、超伝導が観測されるx=0.15では擬ギャップが観測されなくなった。さらに、光電子分光スペクトルとの対応、電子−格子相互作用の影響および還元の有無による光学スペクトルの違いなども議論している。

 第4章は、抵抗率とホール係数の研究結果がまとめられている。特に輸送係数における擬ギャップの影響について議論されている。面内の抵抗率は光学スペクトルにおけるドルーデ応答の成長に対応し、擬ギャップが形成され始める温度付近で急峻に減少することが観測された。また、面間の抵抗率もT*以下で急激に減少を示すことが観測された。これは、面間の伝導が波数(π,0)付近の状態に敏感であることから、T*以下の温度で(π,0)近傍にコヒーレントな状態が形成され、ギャップはk空間での別の位置((π/2,π/2)付近)に開いていることを示唆しているものである。アンダードープ領域のホール係数は、T*以下で絶対値が急速に増大することが観測された。最低温ではアンダードープ領域におけるホール係数からもとめたキャリア数はドープ量(x)と一致していることが示された。このことは、小さなフェルミ面の存在を示唆している。

第5章では、以上の結果に基づき、総合的な議論と本論文のまとめが述べられている。

まず本研究で得られた測定結果や中性子散乱の測定結果との比較から擬ギャップの起源が反強磁性スピン相関によるものであると結論されている。また、第二、第三隣接サイト間のホッピング(t',t")の効果を考慮した理論計算の結果と実験結果が一致することも述べられている。さらに本研究で明らかになった擬ギャップはホールドープ系において観測されている大きな擬ギャップと対応している可能性が大きく、両者の違いはt',t"の効果で説明できることを推論している。最後に本論文のまとめが述べられている。

 以上を要するに、本論文では電子ドープ型高温超伝導体におけるNd2-xCexCuO4における良質な単結晶試料を作成し、光学測定および輸送係数の測定を行うことにより、電荷ダイナミクスと電子構造の系統的変化を明かにした。特に、この系のアンダードープ領域における反強磁性スピン相関によって誘起された擬ギャップの存在を見出し、その電荷ダイナミクスとの相関を明らかにした。現在の物性物理学における最重要課題の一つである高温超伝導体の電子物性に関する重要な知見を得たという点で、物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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