学位論文要旨



No 117068
著者(漢字) 河口,研一
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,ケンイチ
標題(和) 歪Si/Ge系量子構造の形成と光学デバイスへの応用
標題(洋)
報告番号 117068
報告番号 甲17068
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5209号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 市川,昌和
 東京大学 助教授 岡本,博
内容要旨 要旨を表示する

 Siを基盤とした光学デバイスは,現在の高度に発達したSi電子デバイス技術との融合により,光・電子集積回路を実現する上で必要不可欠なデバイスである.これを実現するために期待されているのが,Siと同じIV族半導体であるGeとの混晶を用いたSi/SiGe量子構造である.

 しかし,Si/Ge系半導体の発光材料としての研究は,光励起による発光(フォトルミネッセンス:PL)特性評価が主であり,電流注入発光特性に関する研究は非常に少なかった.そこで本研究では,井戸幅を系統的に変化させたSi/SiGeタイプII量子井戸構造を有するSi p-i-nダイオード構造の電流注入発光(エレクトロルミネッセンス:EL)特性の評価を,PL特性と比較をしながら行った.

 結晶成長は,ガスソース分子線エピタキシー法により行い,原料ガスはSi2H6,GeH4,B2H6を用いた.試料構造は,n+-Si(001)基板上に,Siバッファー層を30nm,その後,3周期のSi0.4Ge0.6/Si量子井戸を作製し,さらに,ドーピング用チャンバーに真空搬送して,p+-Si層を30nm成長した.量子井戸の膜厚はLz=0.77nm〜2.2nmのものを作製し,Siスペーサー層は38nmとした.n+,p+-Si層の不純物濃度は,それぞれ1×1018cm-3,5×1018cm-3である.

 図1に30KにおけるPL,ELスペクトルを示す.PLスペクトルには,Si基板のTOフォノンレプリカが見られるのに対して,ELスペクトルにおいては,量子構造からの発光のみが観測される.これは,電流注入発光の場合,電子がn側,ホールがp側から注入されることによって,発光再結合が量子井戸においてのみ起こることによるものと考えられる.また,井戸層厚の増加に伴い,Lz=1.2nmまでは量子準位の低下によるレッドシフトが見られるが,Lz=1.2nm付近を境に,2次元量子井戸層からの発光に特有のNP,TO発光から3次元島特有のブロードなピークへの移行も観測された.

 EL積分強度は,いずれの試料も,温度を上昇するに従って,一度増大し,その後減少するという傾向を示した(図2).この現象は,PLにおいても観測されたが,ドーピングを行っていない試料のPLでは見られず,p-i-n構造特有の現象である.これは,低温においては,励起がなくてもSiGe量子井戸にp+-Si層から供給された多くのホールが蓄積されているために,電子とホールの再結合エネルギーが別のホールの励起に使われるオージェ過程によって,発光再結合が抑えられるためと考えられる.井戸幅を厚くすると,キャリアの活性化エネルギーが大きくなるため,オージェ過程の影響がより高温まで効いてくるが,同時に,発光結合に寄与するホールも高温まで量子井戸に存在するので,井戸幅が厚いほど高温まで発光する.特に,Lz=2.2nmの試料においては,室温300Kにおいても量子構造からの発光が確認され,SiGe量子ドットを用いることにより室温発光するSi p-i-nダイオード実現の可能性が示された.

 一方,量子効果や歪みによるポテンシャルの変調を積極的に使った,より良好な光学特性を有するSi/Ge系量子構造の探索も必要である.そこで本研究では,より良好な結晶性を有するSi/Ge系多層量子構造実現のひとつの手法として,Si/SiGe多重量子井戸構造を緩和SiGe仮想基板上に形成することで,Si基板上に直接成膜する際に臨界膜厚の制限により生じる周期数の制限を克服することを試み,その構造,光学特性を評価した.尚,歪み補償条件は,量子井戸1周期分の弾性歪みエネルギーが仮想基板に及ぼす応力を0にするような条件とした.試料構造は,Si(001)基板上にグレーディッドバッファー法を用いて,約1μmのSi1-yGey緩和層を725℃で成長した後,40周期のSi(17nm)/Si0.68Ge0.32(8nm)量子井戸を600℃で成長し,さらに50nmのSi1-yGeyキャップ層を550℃で成長した.残留応力の効果を調べるため,仮想基板のGe組成は,歪み応力を補償する条件(y=0.09)の近傍のもの(y=0.07〜0.12)も作製した.この量子井戸構造は,Si基板上における臨界膜厚を大きく超えているにもかかわらず,X線回折スペクトルにおいて量子井戸の周期性に起因する高次のサテライトピークが見られ,良好な結晶性,均一な井戸層厚を有する試料が実現されていることがわかる(図3).これは,歪み補償構造の有用性を示すものである.

 図4にPLスペクトルの温度依存性を示す.仮想基板からの発光は90K付近で減衰したのに対して,量子井戸からの発光は,励起子の非局在化によるブルーシフトを伴いながら200K程度まで発光した.また,仮想基板のGe組成が歪み補償条件からずれた場合,量子井戸からの発光は,Geの組成の増加とともにブルーシフトしたが,このシフトは,最も低い準位間の遷移,すなわち,Si層のΔ(2)バンドとSiGe層の重いホールのバンド間遷移の歪みと変形ポテンシャルから予想されるシフト方向とは逆でそのシフト量もはるかに大きく,Si層のΔ(2)バンドに溜まった電子がSiGe層のΔ(4)バンドに散乱され,SiGe層のΔ(4)バンドの電子も発光再結合に寄与していることを示唆している.

 歪み補償量子井戸において,励起強度を増加するのに伴い,量子井戸からの発光は,顕著なブルーシフトを示した.これは量子井戸がタイプIIであることによるバンド曲がり効果が存在していると考えられるため,Si層のΔ(2)バンドに存在する電子は,SiGe層のホールとのクーロンカによってSiGe層の価電子帯を曲げていると考えられる.このように,歪み補償Si/SiGe量子井戸構造が良好な光学特性を示したことから,厚い活性層を必要とする太陽電池や発光,受光素子に応用可能であると考えられる.

 また,発光の取出効率や指向性を向上することが可能な微小共振器構造をSi/Ge系で実現するために,歪み補償法を用いて高反射率の分布ブラッグ反射鏡(DBR)の作製を試みた.試料は,Si(001)基板上にグレーディッドバッファー法により,約2μmのSi0.89Ge0.11緩和層を680℃で成長し,800℃のアニールを施した後,1層の膜厚が1/4波長のSi0.73Ge0.27/Si DBRを660℃で成長した.Si0.73Ge0.27とSiの屈折率差は約0.13である.ラマンスペクトルにおいて,DBR部のSi層,Si0.73Ge0.27層のSi-Siモードのラマンシフトは,バルクに比べ,それぞれ-4cm-1,6cm-1異なり,Si層が引っ張り歪みを,Si0.73Ge0.27層が圧縮歪みを受けて,7μm以上にわたって歪み補償構造が実現できていることを示している.

 図5に38.5周期Si0.73Ge0.27/Si DBRの反射スペクトルを示す.1.33μmにおいて約90%の記録的な反射率が得られた.この反射率は,微小共振器発光ダイオードや微小共振器光検出器を作製することが十分可能な値である.そこで,この歪み補償SiGe/Si DBR用いてSiGe微小共振器構造を作製した.試料構造は,歪み補償SiGe/Si DBR中に,一波長Si0.73Ge0.27層を共振器層として挿入した.発光層には,膜厚がそれぞれ1.2,0.6nmのSiとGeの量子井戸を組み合わせたものを用いた.

 図6にPLスペクトルの励起強度依存性を示す.励起強度の増加に伴い,1300nm付近の発光が際立ってくる.これは,微小共振器により量子井戸の発光に変調がかかったためであると考えられ,本研究で初めてSiGe微小共振器により変調された発光を観測した.上部ミラーの反射率,バンド幅を大きくするために,上部ミラーをより屈折率差の大きなSi/CaF2多層膜で形成した構造も作製した.図7にPLスペクトルを示す.

共振器構造にしていない量子井戸の発光スペクトルと比較すると,顕著な発光ピーク半値幅の減少が見られた.さらに,PL強度の角度依存性を測定した結果,共振器構造になっていない量子井戸の発光と比較して,指向性の向上が確認された.

図1 p-i-n構造のEL,PLスペクトル

図2 EL積分強度の温度依存性

図3 歪み補償量子井戸のX線回折スペクトル

図4 PLスペクトルの温度依存性

図5 38.5周期DBRの反射スペクトル

図6 SiGe微小共振器のPLスペクトル

図7 Si/CaF2 DBRを有するSiGe微小共振器のPLスペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 Siを基盤とした光学デバイスは,高度に発達したSi電子デバイス技術との融合によって光・電子集積回路を実現し、集積回路の性能を飛躍的に向上させるとともに、新機能を付加できる可能性がある。これを実現できる有力な候補として期待されているのが,Siと同じIV族半導体であるGeとの混晶を用いたSi/SiGe量子構造である。本論文では,光デバイスの基礎として電流注入発光現象を調べるため、Si/Ge量子構造を有するSi p-i-n構造を作製し、そのエレクトロルミネッセンス(EL)特性を詳細に調べるとともに,発光特性の向上と新しい光デバイス応用を目指して、歪み補償多層量子構造やSiGe微小共振器構造を開発するとともに、その光学特性に関する知見を得ることを目的としている。

 本論文は7章で構成されている。

 第1章の序論では,本研究の背景を述べ,光学デバイス応用を目指したSi/Ge系量子構造の光学特性に関する研究の必要性が示されている。

 第2章では,本研究で扱うSi/Ge系へテロ構造のバンド構造,Si/Ge系量子構造の中で最も基本的なSi/SiGe量子井戸構造の発光特性について述べ,さらに,組成傾斜バッファーを用いるSiGe緩和仮想基板の形成方法について述べている。

 第3章では,本研究で用いた実験方法について説明している。結晶成長法であるガスソース分子線エピタキシー法,構造評価法,光学特性評価法について述べている。

 第4章では,Si/Si0.4Ge0.6タイプII量子構造を有するSi p-i-n構造の形成とEL特性について述べている。Si0.4Ge0.6層厚の増加に伴い,2次元井戸層を反映したNP,TO発光から3次元島を反映したブロードな発光への変化を観測している.また,低温においてh-h-eオージェ過程が発光特性を支配していることを示唆する特異な温度依存性を見出し、その定量的な解析を行っている。

 また、井戸幅が厚くなるほど、発光の活性化エネルギーは大きくなり、高温まで発光が持続し,井戸層にSiGe量子ドットを有する試料においては,室温においてもELが観測されることを見出し、SiGe量子ドットを用いることにより室温発光するSi p-i-nダイオード実現の可能性を示している。

 なお、当初予想していた発光層にタイプII量子井戸を用いたことによる発光特性の顕著な変化は観測されなかったが,これは,伝導帯のオフセット量が小さく,井戸層が薄いためタイプIIの特性が顕在化しないためと考察している.

 第5章では,歪み補償Si/SiGe量子井戸構造の作製と光学特性に述べている。本研究で用いた歪み補償条件は,弾性歪みエネルギーによって多層構造が基板にかける応力を補償するという発想に基づいており,多層構造の平均の格子定数を補償条件とする一般に行われている設計法とは異なっている.

 Si基板上に直接形成した場合の臨界膜厚を大きく越える40周期数の多重量子井戸(MQW)構造においても,歪み補償構造にすることにより,結晶性が良く平坦で均一な井戸幅のMQWが作製されることが,X線回折,断面TEM観察より確認されている。また,量子井戸からの明瞭なNP,TO発光を観測しており、歪み補償構造がSi/Ge系に有効であることを実証し、厚い活性層を必要とする太陽電池や発光・受光素子への応用が可能である事を示している。

 また,温度上昇に伴い,励起子の非局在化による発光ピークのブルーシフトを観測するとともに、励起強度の増加に伴って,タイプII量子井戸を反映したバンド曲がり効果による顕著なブルーシフトを観測している。

 発光特性の仮想基板のGe組成依存性を調べた結果、Ge組成が増加するに従って,Si/Si0.68Ge0.32MQWからのPLピークは,単調にブルーシフトした.このシフトは,最も低い準位間の遷移であるΔ(2)Si-HHSiGeタイプII遷移では説明がつかず、観測される発光はΔ(4)SiGe-HHSiGeタイプI遷移によると結論している。その理由として、SiGe井戸幅が8nmと厚いため,Δ(2)Siの電子とHHSiGeのホールの波動関数の重なりが非常に少なく,タイプII遷移の確率はタイプI遷移の確率に比べて非常に低いことによると推測している。

 第6章では,歪み補償SiGe/Si分布ブラッグ反射鏡の作製と微小共振器構造への応用について述べている。1層の膜厚が90nm以上もあるDBRにおいても歪み補償構造が実現できることが示され,38.5周期のSi0.73Ge0.27/SiDBRにおいて,波長1.33μmで90%の記録的な反射率をうることに成功している。この歪み補償SiGe/Si DBRをSiGe微小共振器構造の作製に応用し,SiGe微小共振器による変調された発光を世界で初めて観測するとともに,発光の指向性もPL強度の角度依存性より確認している.また,屈折率差の大きいSi/CaF2ミラーを上部ミラーに有するSiGe微小共振器構造も作製し、発光ピークの半値幅の減少と発光の指向性がさらに顕著となることを示している。発光ピーク波長が共振器によって制御されていることも励起強度依存性より確認するとともに,自然放出寿命が短くなることも見出している。

 第7章では,本研究で得られた成果について総括している。

 以上,本研究によってSi/Ge量子構造を有するSi発光素子の電流注入発光特性を明らかにし,SiGe量子ドットが室温動作可能な発光デバイスを実現しうることを示した,また,歪み補償Si/SiGe量子井戸構造およびSiGe微小共振器構造を開発し、その光学特性を明らかにすることにより、歪み補償構造をSi/Ge系へ応用することの有用性と、Si/Ge系においても微小共振器構造による光学特性の向上が可能であることを示した。

 これらの成果は,Si基板上Si/Ge系発光デバイスの実現,さらにはSi系半導体材料による光集積回路へ発展していくものと考えられ、物理工学に大きく貢献するものである。以上の理由より,本論文は,博士(工学)の学位を授与するのに十分値する。

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