学位論文要旨



No 117073
著者(漢字) 林,崇
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,タカシ
標題(和) 強磁場によるペロフスカイト型マンガン酸化物の磁性・電子状態の研究
標題(洋)
報告番号 117073
報告番号 甲17073
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5214号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 吉澤,英樹
 東京大学 講師 木村,剛
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 ペロフスカイト型マンガン酸化物は二重交換相互作用(DE)により強磁性が出現する典型例として古くから知られていたが、近年の超巨大磁気抵抗(CMR)効果の発見等により、工業的応用、基礎物性解明の両観点から現在盛んに研究が行われている。近年の精力的研究の結果、マンガン酸化物では従来のDEだけでは説明できない新奇な物性が次々に発見されてきている。これらの現象を理解するのに考慮すべきものとして、軌道自由度、電子間相互作用、電子・格子相互作用、ランダムポテンシャルの影響など、様々な要因が候補に挙がり、多方面から説明が試みられているが、統一的見解には至っていない。

 マンガン酸化物における現在の主要な興味の対象の一つとして、多くのマンガン酸化物で高ドープ領域に現れる、AタイプやCタイプなどの様々な磁気構造が挙げられる。基底状態としてこれらの磁気構造が出現することに関しては軌道の自由度と局在スピン間の反強磁性相互作用の存在が重要な役割を担っているということが一般的認識となっている。このような、軌道の自由度など、他のパラメータとの微妙なバランスで磁気構造が実現する磁性体に対する磁場効果は従来の局在スピン磁性体と異なり、電子状態がスピン配列の影響を受け、その変化を通じてスピン配列の磁場効果も変わってくる可能性がある。したがって外部磁場でスピンを偏極させ、その過程で起こる様々な物理現象を観測することで、その過程からマンガン酸化物の磁性と電子状態の相関を推測することができる。このためには完全スピン偏極に達するまでの磁場を印加し、その環境下で磁性や電子状態に関わる様々な物理量を測定することが必要になる。そこで本研究ではペロフスカイト型マンガン酸化物における磁性や電子状態の理解を深めるための手段として、パルス強磁場を用いて様々な反強磁性マンガン酸化物の磁化、磁気抵抗、磁歪測定、および強磁性相における磁気抵抗測定を行った。

2.試料と実験方法

 測定を行った試料はAタイプ反強磁性体(Nd1-y, Smy)0.45Sr0.55MnO3、Pr0.45Sr0.55MnO3、LaSr2Mn2O7、Cタイプ反強磁性体Nd1-xSrxMnO3(x=0.63, 0.75, 0.80, 0.85)、および強磁性体Nd0.55Sr0.45MnO3であり、いずれもフローティングゾーン法で作製された。Pr0.45Sr0.55MnO3、LaSr2Mn2O7はJRCAT十倉グループで作製され、その他の試料は上智大学桑原研究室で作製された。一連の測定にはパルス幅約40msec、最大磁場約40T(若しくはパルス幅約15msec、最大磁場約50T)のパルス磁場を用いた。磁化測定は瞬間電磁誘導法、磁気抵抗測定は直流四端子法、磁歪測定はストレインゲージ法で行った。

3.Aタイプ反強磁性体の強磁性転移

3-1.Nd0.45Sr0.55MnO3の磁化、磁歪、磁気抵抗効果

 Nd0.45Sr0.55MnO3はNeel温度約220KのAタイプ反強磁性体である。反強磁性転移の際、同時に擬正方晶から斜方晶への構造相転移が起こり、反強磁性相で2次元的伝導性が強くなることなどから、この反強磁性相ではd(x2-y2)型の軌道秩序状態が形成されていると考えられている。このAタイプ反強磁性形成の起源を探るため、パルス強磁場を用いて同物質の磁化、磁歪、磁気抵抗測定を行った。

 Nd0.45Sr0.55MnO3の磁化過程を図1に示す。TN以上では通常の常磁性的な磁化過程を示すが、TN直下から最低温までメタ磁性転移が出現する。輸送特性については、転移磁場以下では抵抗率の温度依存性に定性的な違いはみられなかったが、強磁性相では各磁場についてほぼT2で変化する、通常の3次元遍歴強磁性体と同様の性質を持つことが確かめられた。さらにこの強磁性転移では図2のように、大きな格子歪みを伴っていることが明らかとなった。Pr0.45Sr0.55MnO3でも同様の現象が観測された。

 これら一連の振舞いは、Okamoto等の提唱した、強相関極限でスピン・軌道の振舞いを扱った理論模型[1]で生じる磁場効果と定性的に良い一致を示す。彼等の理論ではスピン・軌道の協力現象として生じたAタイプ反強磁性相における磁場効果として、各温度におけるしきい磁場でスピンの反強磁性秩序と軌道秩序が1次相転移として同時に崩壊し、転移磁場は低温で強磁場側にシフトしていくことが示されているが、この振舞いは本測定における磁化・磁歪の振舞いと定性的に一致している。また、強磁性相における3次元金属的伝導は軌道液体状態を考えれば無矛盾に説明できる。以上の結果から、Aタイプ反強磁性相は強い電子間相互作用の下で遍歴電子の運動エネルギーと局在スピン間の磁気エネルギーをあわせて最適化するように軌道状態が秩序化することでその協力現象として発生し、外部磁場の印加によって協力的に整列していたスピン・軌道量秩序が同時に崩壊する、と考えられる結果を得た。

3-2.Aタイプ反強磁性相のAサイト置換効果

 マンガン酸化物ではキャリア数xの他、Aサイトイオン半径の違いによっても物性は劇的に変化する。Nd1-xSrxMnO3のAタイプ反強磁性相においてはLa置換で抵抗が減少していき、Sm置換で局在傾向が強まっていくことが観測されている。このようなAサイト置換を行ったことによる磁性、磁気輸送特性の変化を調べるため、(Nd1-ySmy)0.45Sr0.55MnO3について磁化測定、磁気抵抗測定を行った。

 その結果、Sm置換した全試料で強磁性に1次転移し、強磁性相における残留抵抗は全て10-4Ωcmのオーダーにおさまった(図3)。磁化過程からは基底状態はAタイプであったことを強く支持しており、このような磁気構造は運動エネルギーの最適化するように軌道整列することによって生じると考えられているので、Smドープ側の絶縁体的振舞いはSm置換によるトランスファーの減少に加えて反強磁性構造によってさらにバンド幅を制限されたことによる、アンダーソン局在によるものと考えられる。また、反強磁性相における磁気抵抗は磁場の自乗に対して指数的に減衰する。この現象は反強磁性相における磁化過程で面間方向のトランスファーが連続的に増大することによってバンド幅が増大し、それによってフェルミエネルギーと移動度端のエネルギー差が減少したことによると解釈できる。

4.Nd1-xSrxMnO3のCタイプ反強磁性相における磁場効果

 Nd1-xSrxMnO3(x=0.55)や同一フィリングの関連物質ではスピン・軌道・格子の自由度が複雑に関わりあった磁場効果がみられた。これらの関係について更なる知見を得るため、Nd1-xSrxMnO3について、さらに高ドープ側のCタイプ反強磁性相が現れるx≧0.63の強磁場効果を調べた。

 まず、一連の試料について液体He温度における50Tまでの磁化測定を行ったが、メタ磁性転移の兆候は全くみられなかった。その中では磁化率が最も大きかったx=0.63の試料についてTN以上からの磁化測定を行った(図4)。この試料のTNは約230Kであるが、TN直下においてもメタ磁性転移の兆候はみられず、強磁場側では通常の反強磁性体の飽和磁化付近と同様に熱揺らぎによる磁化の抑制がみられる。従ってこの組成では外部磁場を印加してもメタ磁性転移をおこさないと考えられる。この現象はx≧0.63ではTNにおいて構造相転移が起こらないことと密接な関係があると考えられる。軌道秩序形成に反強磁性磁気秩序を必要としたx=0.55では外部磁場により反強磁性状態を不安定化させたことによって軌道秩序・磁気秩序の同時崩壊が起こった。それに対してx=0.63ではTN以上から擬正方晶構造をとっており、TN前後の構造変化は比較的小さい。このことはこの物質が反強磁性磁気秩序なしに大きな軌道偏極が起こっていることを意味しており、この場合には外部磁場によってスピンを分極させてもこの軌道秩序は維持されていたためにメタ磁性転移が起こらなかったと推測される。なお、メタ磁性転移の起こらないAタイプ反強磁性体LaSr2Mn2O7でも、強制強磁性相で軌道偏極が保たれていると考えられる大きさの磁歪が観測された。

5.強磁性金属相における磁気抵抗効果

 マンガン酸化物の強磁性金属相ではCurie温度以下の広い温度領域にわたってT2に比例した抵抗率が観測されているが、その起源についてはベイバー散乱、1マグノン散乱、スモールポーラロン伝導などの説があり、決着がついていない。1マグノン散乱は外部磁場の印加によって抑制されるはずであるのに対し、ベイバー散乱やスモールポーラロン伝導では散乱は抑制されないはずである。そこで強磁性金属相における伝導現象を調べるため、強磁性金属のNd0.55Sr0.45MnO3の強磁場磁気抵抗測定を行った。

 Curie温度から50Kあたりまでは小さいながらも負の磁気抵抗を示し、30K以下では正の磁気抵抗効果も現れた。これは軌道効果に関連した通常の横磁気抵抗効果と考えられ、この低温領域では磁気抵抗は正と負の磁気抵抗の重ね合わせになっていると考えられる。そこで30K以下を除外して、40Kから200Kまでの抵抗率を各磁場に対してプロットし、ρ=ρ0+A(H)T2+B(H)T4.5でフィッティングを行った。各項はそれぞれ残留抵抗、ベイバー散乱+1マグノン散乱、2マグノン散乱を想定して導入した。その結果が図5であり、BのみならずAにも負の磁場依存性がみられた。これは強磁性金属相における散乱に関して少なからず1マグノン散乱が寄与していることを表している。

参考文献

[1]S. Okamoto, S. Ishihara, and S. Maekawa, Phys. Rev. B 61, 14647 (2000).

図1.Nd0.45Sr0.55MnO3の磁化

図2.Nd0.45Sr0.55MnO3の磁歪

図3.(Nd1-ySmy)0.45Sr0.55MnO3の磁場中における抵抗率の温度依存性

図4.Nd0.37Sr0.63MnO3の磁化過程

図5.Nd0.55Sr0.45MnO3における抵抗率のρ=ρ0+AT2+BT4.5によるフィッティングと係数A、Bの磁場依存性

審査要旨 要旨を表示する

酸化物高温超伝導体の発見を契機に、遷移金属酸化物に関する研究は現代の物性物理学におけるもっとも主要なテーマの一つとなっている。ペロフスカイト型マンガン酸化物では、キャリアをドープすることにより強磁性金属相が発現することが古くから知られていたが、近年の巨大磁気抵抗効果(CMR)の発見とともにその物性が基礎物性、応用の両面から急速に注目されるようになった。この系では、マンガンイオン間の二重交換相互作用が磁性と伝導に支配的な寄与をしていると考えられてきたが、最近それだけでは説明のつかない新奇な物性が次々と見出され、電子の電荷、スピン、軌道の自由度が複雑に結合した強相関系として多くの研究が行われている。しかしながら考慮すべき自由度が多いこともあって、未知の問題が数多く残されている。申請者は、強磁場を用い、スピン系に大きな変化を与える過程で、スピン、電荷、軌道の自由度に対応する磁化、電気伝導度、磁歪という3種類の物理量を同一試料について測定することによって、温度、磁場によって引き起こされる多様な現象を多角的に研究してきた。本論文は、「強磁場によるペロフスカイト型マンガン酸化物の磁性・電子状態の研究」と題し、その研究結果をまとめたものである。

 第1章「序」では、本研究の意義、論文の概要などが述べられている。

 第2章「背景と研究目的」では、これまでになされてきたペロフスカイト型マンガン酸化物の研究や、それらから明らかにされてきたこの系の基礎物性や特徴など、本研究の背景にある基本的問題の要約と研究目的が述べられている。

 第3章「試料と実験方法」では、長時間パルス磁場下での磁化測定、電気伝導測定、磁歪測定など、本研究で使用した実験法が述べられている。特にパルス磁場中でストレインゲージを利用して磁歪を精度よく測定する方法は本研究の過程で申請者が開発を進めた新しい実験技術である。

 第4章、第5章、第6章は本論文の中心をなすもので、本研究で得られた実験結果とその考察が議論されている。

 第4章「Aタイプ反強磁性体の強磁性転移」では、Aタイプ反強磁性体であるNd0.45Sr0.55MnO3、Pr0.45Sr0.55MnO3、(Nd1-ySmy)0.45Sr0.55MnO3、LaSr2Mn2O7についての研究結果がまとめられている。Nd0.45Sr0.55MnO3は強磁場下で1次の反強磁性−強磁性転移を示し、磁化、電気抵抗、磁歪に大きな変化が観測された。この相転移の振る舞いは電荷秩序−不秩序転移に見られるものと大きく異なっており、上記の3つの性質が相転移で示す振る舞いはスピンと軌道状態が協力的に結合して形成されている秩序状態が磁場によって同時に崩壊するという理論によって説明できることを示した。また弱磁場における相転移も含めこの物質の相図を決定した。さらに同様な基底状態をもつと思われるPr0.45Sr0.55MnO3においても同様な現象を見出し、単結晶における伝導度の測定から、強磁性相では異方性がより等方的になることを見出した。またAサイトのNdをイオン半径の小さいSmで置換していくと転移磁場が減少することを見出し、この点も電荷秩序−不秩序転移とは異なることから相転移の起源の違いを指摘している。層状結晶をとるLaSr2Mn2O7については磁歪の測定から、格子定数の変化が軌道状態の変化から予想されるよりも小さいことを見出し、結晶構造に由来した異方性がd(x2-y2)軌道を安定化させ、これがこの物質で強磁場を印加してもメタ磁性転移が起こらずに連続的に強制強磁性状態に転移する原因であることを推論した。

 第5章「Nd1-xSrxMnO3のCタイプ反強磁性相」では、Nd1-xSrxMnO3のうちでCタイプ反強磁性体となるドープ量xが大きい領域の試料(x=0.63−0.85)についての結果がまとめられている。磁化、伝導度、磁歪の測定から、磁場によってスピン偏極をもたらしても軌道状態には大きな変化を与えず、このことがこの物質でもメタ磁性転移が起こらない原因であることを明らかにした。

 第6章「強磁性金属相における磁気抵抗効果」では、Curie温度が室温付近にある強磁性金属であるNd0.55Sr0.45MnO3について、磁気抵抗測定の温度依存性から、強磁性金属相では電子−電子散乱の他に1マグノン散乱が無視できないことを見出した。

 第7章は総括である。

 以上を要するに、本研究は50Tに及ぶ長時間パルス強磁場における磁化測定、伝導度測定、磁歪測定を手段として、ペロフスカイト型マンガン酸化物について系統的な研究を行い、スピンと軌道の自由度の結合が主要な役割を演ずる相転移を見出すなど、この分野で多くの新しい知見を見出したものであり、物性物理学、物理工学の発展に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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