学位論文要旨



No 117077
著者(漢字) 山崎,敦嗣
著者(英字)
著者(カナ) ヤマサキ,アツシ
標題(和) 強相関電子系に対するGW近似による第一原理電子構造計算と遷移金属酸化物への応用
標題(洋)
報告番号 117077
報告番号 甲17077
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5218号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 助教授 初貝,安弘
内容要旨 要旨を表示する

1 序論

 密度汎関数理論(DFT)における局所密度近似(LDA)は第一原理電子構造計算において最も広く用いられ,数多くの成功を収めてきた.また,それと同時にDFT-LDAの原理的な問題も知られるようになった.とくに酸化物高温超伝導体の発見により電子相関の重要性が再認識され,LDAを越える手法の発展が促された.DFTとは,電荷密度の汎関数に対する変分原理により基底状態を求める理論であり,基底状態の性質は実験をほぼ説明できる結果を得ることができる.だが,原理的に励起状態については記述していないので,半導体や絶縁体のバンドギャップなどを正しく評価することができない.また,遷移金属化合物などの強相関電子系について,基底状態を正しく記述できないことも知られている.

 本論文では多電子系の摂動論に基づくGW近似を用いて,動的遮蔽効果を最低次取り入れた第一原理計算を行う.本論文の目的は

I.GW近似の計算手法の改良とその進むべき方向を明かにすること

II.遷移金属化合物に対してGW近似を適用し,その電子構造の理解における困難を取り除くこと

である.本論文の構成は次のようになっている.第1章は序論である.第2章は第一原理電子構造計算におけるDFTの成功と問題点,またそれを越える手法などについてGW近似を含め述べている.第3章は強相関電子系に対するGW近似を実現するための基底関数の選択,数値計算の上での工夫について述べている.第4章はGW近似を半導体・絶縁体・遷移金属に対して適用し,電子構造を議論している.第5章はGW近似を遷移金属酸化物に対して適用し,電子構造を議論している.第6章は本論文のまとめとこれからの課題,展望について述べている.

2 第一原理電子構造計算−GW近似−

 GW近似は多電子系の摂動論により,体系的に定式化される.自己エネルギーは,以下のように動的に遮蔽された相互作用Wによって展開された最低次のものをとる.

Gは一粒子グリーン関数,εは誘電関数,νはクーロン相互作用,χ0は分極伝搬関数,(1)=(r1,σ1,t1)である.このように動的に遮蔽された相互作用WはRPA(random-phase approximation)により取り扱われる.ここでは,無摂動のハミルトニアンとしてLDAのものを用いる.

これにより,準粒子のエネルギーは以下のようになる.

ここで,Σxはハートリー・フォック近似における交換項,Σcは動的相互作用の項,〓は,LDAの交換・相関ポテンシャルの項,Zknは準粒子の繰り込み因子である.

3 強相関電子系に対するGW近似−基底関数と計算の高速化−

3.1 基底関数の選択

 強相関電子系は3d軌道などの局在した軌道を含む物質が多く,平面波基底で波動関数を展開すると基底の数が多くなり過ぎて計算が破綻する.そこで,局在した軌道を記述するのに適している線形化マフィンティン軌道(linear muffin-tin orbital; LMTO)法を,複数の散乱チャンネルに対応させた以下のようなmultiple-LMTO法を用いる.

ここで,φはMT球内での波動関数,φはそのエネルギー微分,Lは角運動量,νは主量子数に対応する散乱チャンネルである.多チャンネル化により,GW近似に必要な広いエネルギー範囲をカバーできる.

 自己エネルギーは以下のように波動関数の積で書ける.

今はLMTOで展開しているので,以下のようにk点に依存しないMT球内の波動関数の積で自己エネルギーの空間を張ることができる.(product-basis method)

係数hは小さいので,ここでは無視することにすると,結局,以下のような基底で自己エネルギーを再構成することができる.

k点の依存性は基底の係数にすべて取り込まれる.また,この基底から正規直交基底を構成することはたやすい.合成された角運動量l″,m″を制限することにより基底の数を減らし,計算時間を短縮することができる.このとき誤差を系統的にコントロールでき,容易に基底の数の最適化できる.これにより,計算する行列の次元が劇的に少なくなり,現実的な時間での計算が可能になる.

3.2 MPIによる並列化

 この計算において,各k点での計算は独立に行うことができ,並列化の効率も非常に高い.MPI(message passing interface)を用いることにより各k点での計算を並列化し,計算を高速化した.

4 GW近似による電子構造−半導体,遷移金属,酸化物絶縁体−

4.1 半導体Si,遷移金属Cu,Ni,Fe

 典型的な半導体であるSiへ適用した.LDAの問題点はバンドギャップを過小評価することであり,またハートリー・フォック近似では過大評価してしまう.バンドギャップ,占有軌道のバンド幅などGW近似により実験値とほぼ同じ結果を得た.

 遷移金属Cu,及び強磁性遷移金属Ni,Feについて適用した.これらの物質は,占有3dバンドの幅の過大評価,exchange splittingの過大評価,光電子分光でのサテライト・ピークが再現されないなどがLDAでの主な問題点である.GW近似においては,バンド幅については改善が見られた.その他exchange splitting,サテライト・ピークの問題は解決しなかったが,これらはGW近似で用いるダイアグラムでは記述できない現象である.高次のダイアグラムまで含める必要があるが,これは非常に計算量が必要であり第一原理的な計算は非常に困難である.

4.2 酸化物絶縁体MgO,CaO

 典型的な酸化物絶縁体MgO,CaOについて適用した.これらの物質でのLDAの問題点は,バンドギャップの過小評価である.GW近似により実験値とほぼ同じバンドギャップを得た.また,LDAでは一般的に深いレベルをその自己相互作用のために浅く見積もる問題点がある.ここでは,酸素の2sレベルが実験と比較して浅く見積もられているが,GW近似により実験値に近いレベルへと押し下げられた.

5 GW近似による電子構造−遷移金属酸化物−

5.1 常磁性金属TiO,VO

 遷移金属酸化物TiO,VOについて適用した.これらの物質は,常磁性の金属であり,LDAで比較的良く記述される.しかし,Ti,Vは3d軌道のオンサイトクーロンにより強相関電子系では重要な物質であり,帯磁率の温度依存性などをみるとTiOやVOにおいても電子相関が重要になってくると思われる系である.しかし,自己相互作用を補正したSIC-LDAやオンサイトクーロンの効果をハートリー・フォックタイプの形式で導入したLDA+Uなどの計算では基底状態が反強磁性絶縁体となり,実験と合わない.GW近似においては,3dバンド幅の減少,egとt2gそれぞれのレベルがわずかにひらくことなどが見られた.そこで,クラスター計算から提案されているオンサイトクーロンの値を用い,また非磁性の制限を課したLDA+Uの計算を行ない,GW近似と比較した.その結果,制限されたLDA+Uの計算ではLDAに比べてあまりバンド幅の減少はなかったが,egとt2gのレベル間にオンサイトクーロンによるわずかな開きが確認され,GW近似と似た結果となった.また,系は金属のままであった.LDA,LDA+U,GW近似それぞれの電子構造,状態密度を図1に示す.これより,GW近似は適当なオンサイトクーロンが考慮された計算になっていると考えられる.

5.2 反強磁性絶縁体MnO,NiO

 遷移金属酸化物MnO,NiOについて適用した.これらの物質は,反強磁性の絶縁体である.バンドギャップは実験値MnO3.6eV, NiO4.0eVに対しLDAではMnO約1eV, NiO約0.2eVと過小評価する.磁気モーメントはMnOは実験値約4.6μBに対してLDA4.5μBであるが,NiOは実験値約1.7μBに対してLDA1.0μBとNiOの磁気モーメントを過小評価する.また,実験的にはNiOは酸素2pバンドの下にNi3d準位がくる電荷移動型絶縁体であり,MnOでは酸素2pバンドとMn3d準位がほぼ同じエネルギー領域に現れる.しかし,LDAではどちらの物質も酸素2pバンドの上にNi3d準位がくるモット型絶縁体となってしまう.

 GW近似を適用した結果,どちらの物質も約1eVほどギャップが開いた.また,酸素2pバンドが上に押し上げられ,フェルミ準位のすぐ下の遷移金属3d準位のウエイトが減少した.しかし,依然モット型絶縁体のままであった.

 これらは,LDAの波動関数がよくないことに起因している.しかし,一回の摂動計算では十分ではないが,GW近似はLDAの結果を実験に合う方向に補正することがいえる.

6 まとめと今後の展望

 強相関電子系に対するGW近似を,multiple-LMTO法とproduct-basisを用いることにより,またMPIによる並列化も用い,現実的な計算時間内で実現した.半導体,遷移金属,遷移金属酸化物など広範囲にわたり適用し,LDAと比較して実験値に近い結果を得た.広範囲にわたる物質への適用に成功を収めたことは,この手法の汎用性の高さを示している.GW近似はオンサイトクーロンの値を適切に取り込んだ形になっていることを遷移金属酸化物TiO,VOで確認した.

 今後の課題として,一回の摂動計算では十分ではない場合,波動関数の更新をどのように取り扱うかということがあげられる.基底状態が良くないLDAの波動関数から出発するのではなくLDA+Uなどの波動関数などから出発することも考えられる.また,さらに大規模な系への適用が考えられる.それらのためには,対称性を有効に使うなど計算アルゴリズムを改善し,さらに計算を高速化する必要がある.

図1:左からTiOの電子構造,VOの電子構造,TiOの状態密度,VOの状態密度.

電子構造はそれぞれ実線:LDA,点線:LDA+U,黒丸:GW近似.またL=(1/2,1/2,1/2), Γ=(0,0,0), X=(1,0,0), W=(1,1/2,0), K=(3/4,3/4,0).状態密度はそれぞれ上段:GW近似,中段:LDA+U,下段:LDA.また,それぞれ実線:全状態密度,破線:t2g軌道の部分状態密度,点線:eg軌道の部分状態密度.

審査要旨 要旨を表示する

密度汎関数理論(DFT)に基づいた第一原理電子構造計算は広く用いられ大きな成功を収めてきた.同時にDFTの原理的な問題点も明らかにされてきた.とくに酸化物高温超伝導体の発見以降,電子相関の問題が様々な方向から調べられ,密度汎関数理論を越える手法が発展してきた.DFTにおいては,基底状態のエネルギーが電荷密度の汎関数であることを基本として,変分原理により基底状態が求められる.実際,DFTにより基底状態の様々な性質について実験をほぼ説明できる.しかし一方で,DFTは原理的に励起状態を記述し

ない理論であるため,半導体や絶縁体のバンドギャップなどを正しく評価することができない.さらに遷移金属化合物などの強相関電子系について,基底状態を正しく記述できないことも知られている.

本論文は多電子系の摂動論に基づくGW近似を用いて,動的遮蔽効果を最低次取り入れた第一原理計算を行ったものである.本論文の構成は次のように6章から構成されている.

第1章は序論である.ここで,本論分の本論文の目的は,(I)GW近似の計算手法の改良とその進むべき方向を明かにすること.(II)遷移金属化合物に対してGW近似を適用し,

その電子構造の理解における困難を取り除くこと.であることおよび本論分の位置付けと構成を述べている.

第2章は第一原理電子構造計算におけるDFTの成功を紹介するとともに,その問題点を特に電子相関の立場から整理している.さらに電子相関を取り込むために開発されたいくつかの方法,たとえば自己相互作用補正,LDA+U法,強相関電子系に対するGW近似などの手法を紹介し,とくに相互作用の遮蔽効果と動的相関の立場からの批判を行っている.

第3章は強相関電子系に対してGW近似を実現するための基底関数の選択,離散的k和を行うためのオフセット法および,並列計算について述べている.特に電子相関の強い系で用いるために,基底関数を局在した部分波による展開になっている線形マフィンティン基底(LMTO法)を用い,さらにクーロン積分,交換積分の計算のためProduct Basisを用いることを説明している.Product Basisについては,従来は数値的に基底の数を少なくする試みが行われてきたが,本研究では系統的に基底関数を減らす方法を採用している.また交換積分を離散的にk和を行うための代替平均化法(オフセット法),すなわち交換積分に対する特異性の保存に対する工夫について述べている.これにより,計算する行列の次元が劇的に少なくなり,現実的な時間での計算が可能になる.各k点での計算は独立に行うことができるため,本研究ではMPIによる高効率の並列化を行っている.

第4章はGW近似を半導体,遷移金属,絶縁体化合物に対して適用した結果について述べている.半導体,絶縁体に対するLDAの問題点は,バンドギャップを過小評価することであり,またこれをハートリー・フォック近似では過大評価してしまう.バンドギャップ,占有軌道のバンド幅などについては,半導体Siや遷移金属Fe,Niにおいて,GW近似は実験値とほぼ同じ結果を与えており,十分満足の行く方法であることを示した.さらに計算は非磁性酸化物絶縁体であるMgO,CaOについて行われている.これらの物質におけるLDAによる計算結果の最大の問題は,バンドギャップが過小評価されることである.本研究では,GW近似により実験値とほぼ一致するバンドギャップが得られた.またLDAでは一般的に深いレベルをその自己相互作用のために浅く見積もる傾向もあるが,本研究では,酸素の2$s$レベルについても,GW近似により実験値に近づけることができた.

第5章はを遷移金属酸化物(TiO,VO,MnO,NiO)に対してGW近似を適用し,電子構造を議論している.TiO,VOは,常磁性の金属であり,LDAで比較的良く記述される.GW近似においては,3dバンド幅の減少,e-gとt2gそれぞれのレベルがわずかにひらくことなどが見られた.さらにクラスター計算から提案されているオンサイトクーロンの値を用い,また非磁性の制限を課したLDA+Uの計算を行ない,GW近似と比較している.これより,GW近似は適当なオンサイトクーロンが考慮された計算とよく一致すると述べている.一方,反強磁性遷移金属酸化物MnO,NiOについて適用した結果は,他の結果と比べ,バンドギャップ,磁気モーメントを過小評価している.また,LDAの基底状態

を非摂動状態ととったために,電荷移動型絶縁体とはならず,モット型絶縁体となっている.これらについては,波動関数および自己エネルギーの解析から,LDAの波動関数がよくないことに起因していると結論した.同時にGW近似を自己無撞着に行うことの問題点を議論し,進むべきは無撞着な計算ではなくより良い無摂動状態の選択であることを述べている.

第6章は本論文のまとめとこれからの課題,展望について述べている.

本研究では基底の選択や並列計算など種々の計算手法を駆使し,現実的に実行しうる時間で計算が終了するGW近似のプログラムを作成し,様々な例でその汎用性を示すとともに,今後の進むべき方向性について詳細な議論を行った.

以上を要するに,第一原理電子状態計算手法の発展に寄与し今後の展望を明瞭に指し示したということで,物理工学ならびに物質科学の発展への寄与は大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める.

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