学位論文要旨



No 117081
著者(漢字) 鄭,秋宝
著者(英字)
著者(カナ) テイ,シュウホウ
標題(和) ジャスト・イン・タイムアプローチによる非線形モデリングと制御
標題(洋) Just-In-Time Approach to Nonlinear Modeling and Control
報告番号 117081
報告番号 甲17081
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5222号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 嵯峨山,茂樹
 東京大学 助教授 新,誠一
 東京大学 助教授 津村,幸治
 東京大学 講師 大石,泰章
内容要旨 要旨を表示する

 システム同定とは,対象とするダイナミックなシステムの入出力データの測定値から、事前に指定された評価関数のもとで,対象の特性を表現する最適な数学的な表現(モデルと呼ぶ)を求めることである.一方,システム制御とは,ある目的に適合するように制御対象(プラント)に必要な動作を加え望ましい挙動を得ることである.本論文では,特に大量の観測データが存在する場合に注目し,非線形システムの同定と制御問題を取扱う.

 非線形システムのモデリングにおいて,従来の大域的な方法では同定の対象を支配する物理法則に基づいて,対象の厳密に数学的な形式,いわゆる「物理モデル」を求める.あるいは物理モデルの近似である「準物理モデル」を仮定し,入出力データに基づき未知パラメータを同定する.この方法は対象の大域的な特性を1つのモデルで表現するため,モデルの表現力は高く,実装にも簡単である.しかしながら,大域モデルを得るためには,対象に関する多くの事前情報や,システムの大域的な特性を含む同定用のデータが必要となる.さらに,モデルの同定精度を向上させるのが難しく,計算のコストも高いという問題がある.これらの問題に対して,もし対象に関するデータが十分得られ,たくさんの局所モデルを作ることができれば,システムの大域的に複雑な特性が簡単な局所モデルで正確に表現できるだろうという発想が生まれた.近年のコンピュータ技術の発展が大量のデータの記憶と高速な検索,読み出しを可能としたことが,この発想の実現を促し「Just-In-Time(JIT)モデリング」という新たな同定方法が提案された.

 一般に,対象に関する新しいデータが得られるたびにモデルを更新する同定方法を「Eager Learning」と呼ぶ.これに対して,JITモデリングでは,新しいデータが得られたときにはそれをデータベースに保存し,同定の必要性が生じた場合のみ,過去のデータから与えられた動作点(「要求点(Query)」と呼ぶ)に関連するものを近傍として取り出して局所モデルを作る.このため,JITモデリングは「Lazy Learning」と呼ばれている.JITモデリングの特徴は以前に使われていた局所モデルを捨てて,関連するデータから全く新しい局所モデルを作るということである.

 従来のJITモデリングの多くは「k-NN(k Nearest Neighbors)」という手法に基づいているが,要求点の近傍の選択は観測データの分布を考慮してないため,局所的な非線形性や突出した観測データ(孤立点と呼ぶ)に弱いという問題点がある.これらの問題に対処するため,本論文は一連の新しいJIT手法を提案し,幾つかの圧延に関する実測データに基づいてモデリングと予測を行った.さらに,これらの手法を用いてJIT制御という全く新しい制御系設計手法を提案し,その有効性を検証した.

 まず,要求点の近傍に含まれる情報量を増やし同定精度を向上させるため,「k-BN (k Bipartite Neighbors)」という新たなJIT手法を提案した.「k-BN法」とは,要求点の両側からもっとも近いデータをそれぞれ片側の近傍に格納し,構成された2つの片側の近傍に基づき2つの局所モデルを求め,さらにこれらを補間し対象の出力を予測するという手法である.ここで,局所モデルを補間する方法は局所モデルの空間関係により決定される.この手法では,同定問題においてしばしば現れる「Bias/Variance Tradeoff」問題をある程度軽減することが可能である.

 次に,従来のJIT手法は孤立点が存在する場合,或いは,観測データの密度の稀である場合にあまり役に立たないという問題を解決するため,「k-BN2」という新しい手法を提案した.「k-BN2法」とは,既存の同定手法の中で,2つの極端な同定手法である大域モデリングとJIT手法を組み合わせるハイブリッドな手法である.つまり,k-BNなどのJITモデリング法がうまく対処できないような場合,たとえば近傍のデータが少ない場合に大域モデリングが利用され,要求点の近くにデータの数が十分にある場合にはJITモデリングが用いられる.この手法では大域モデリングとJIT手法どちらか一方のモデリングだけを用いる場合より,良い同定結果が得られる.

 JIT手法にとってもっとも重要な課題は,与えられた要求点に相似したデータの選択方法の改善である.従来のJIT手法の距離のみによる近傍の選び方ではなく,距離に加えデータの出力情報も利用することにより,できるだけ「類似した」データを要求点の近傍として選ぶ新しい方法を提案した.この手法は「k-SBN (k Similar Bipartite Neighbors)」と呼ばれている.更に,k-SBNに基いて各データの要求点との類似度が最適化された「k-OS(k-BN with Outlier-Sensitive re-learning)」という手法も提案した.

 その他,従来のJIT手法は局所的な非線形性に弱いという問題点に対して,「k-QBN(k-BN with a quasi-nonlinear local model)」という新たなJIT手法を提案した.k-QBN法では,まず,システムの局所的な非線形性を軽減させるため,観測データの各要素に対して一連の非線形基底関数(Sub-Function/Base Functions)を求める.そして,求められた基底関数を対応する要素に変形させる.さらに,変形されたデータに基づいてJITモデリングを行う.この手法が局所的な非線形性を含む同定問題によく現れる「Bias/Variance Tradeoff」問題の解決に役に立つ.

 さらに,これらの新しいJITモデリング手法を非線形システムに対する制御器の設計法へと拡張した.JITモデリングでは非線形システムの逆モデルが簡単に得られるという特徴を利用し,従来のFeedback/Feedforwardの2自由度制御構造を用いて,「直接型JIT制御」と呼ばれる設計方法を提案した.実際に,JIT手法を通じて,従来の線形制御理論とその手法が非線形システムに対しても容易に適用できることを示した.

 最後に,圧延製品の幅とローラの平均変形と圧延製品の材質に関する幾つかの実測データや,非線形制御Benchmark問題に対するシミュレーション結果により,本論文で提案された新しいJIT手法の有効性を検証し,良好な結果を得た.従って,もし観測データが十分に蓄積されれば,JIT手法は従来の大域的な手法の1つの有力な代替手法となり得る。

審査要旨 要旨を表示する

 非線形システムのモデリングにおいて,大域的な解析モデルが得られる場合は対象の大域的な特性が1つのモデルで表現できるためモデルの表現力は高く,実装も簡単である.しかしながら,大域モデルを得るためには対象に関する多くの事前情報や,システムの大域的な特性を表現する豊富な同定用のデータが必要となる.またモデルの同定精度を向上させるのが難しく,計算のコストも高いという難点もある.これらの問題点に対して、対象に関するデータが十分得られ,数多くの局所モデルを作ることが出来る場合は,システムの大域的に複雑な特性が簡単な局所モデルで正確に表現できるだろうという発想が生まれた.近年のコンピュータ技術の発展によって大量のデータの記憶と高速な検索,読み出しが可能となったことがこの発想の実現を促し、「Just-In-Time(JIT)モデリング」という新たな同定方法が提案され活発に研究されるようになった。

従来のJITモデリングの多くは「k-NN(k Nearest Neighbors)」という手法に基づいているが,要求点の近傍の選択は観測データの分布を考慮してないため,局所的な非線形性や突出した観測データ(孤立点と呼ぶ)に弱いという問題点がある.これらの問題に対処するため,本論文は一連の新しいJIT手法を提案し、それを実データに適用してその有効性を確認した。論文の構成は下の通りである.

 第1章では,本論文の背景と研究動機を説明し,非線形システムのモデリング手法の中にJust-In-Time(JIT)モデリングを位置付けた.相関研究の簡単な概観を述べ本論文の成果をまとめた.

 第2章では,JITモデリングに関連する従来のモデリング手法とその理論的基礎を整理し,特にパラメトリック回帰法とノンパラメトリック回帰法について説明した.

 第3章では,JITモデリングの基本的な概念と一般的な構造を紹介し,4つの主な課題を中心に実装方法と従来のJIT手法の問題点を述べた.これらの問題に対処するため,第4章から第7章まで,一連の新しいJITモデリング手法を提案した.詳しい説明は下の通りである.

 第4章では,要求点の近傍に含まれる情報量を増やし同定精度を向上させるため,「k-BN(k Bipartite Neighbors)」という新しいJIT手法を提案した.「k-BN法」とは,要求点の両側からもっとも近いデータをそれぞれ片側の近傍に格納し,構成された2つの片側の近傍に基づき2つの局所モデルを求め,さらにこれらを補間し対象の出力を予測するという手法である.ここで,局所モデルを補間する方法は局所モデルの空間関係により決定される.この手法では,同定問題においてしばしば現れる「Bias/Variance Tradeoff」問題をある程度軽減することができる.

 第5章では,従来のJIT手法は孤立点が存在する場合,或いは,観測データの密度が粗い場合、あまり有効ではないという問題を解決するため,「k-BN2」という新しい手法を提案した.「k-BN2法」とは,既存の同定手法の中で,2つの極端な同定手法である大域モデリングとJIT手法を組み合わせるハイブリッドな手法である.つまり,k-BNなどのJITモデリング法がうまく対処できないような場合(たとえば近傍のデータが少ない場合など)、大域モデリングが利用され,要求点の近くにデータの数が十分にある場合にはJITモデリングが用いられる.この手法では大域モデリングとJIT手法どちらか一方のモデリングだけを用いる場合より,良い同定結果が得られることを実データを用いて示した。

 第6章では,JIT手法にとってもっとも重要な課題,つまり近傍の選択問題に関して,「k-SBN(k Similar Bipartite Neighbors)」と呼ばれている新しい手法を提案した.この手法は,従来のJIT手法の距離のみによる近傍の選び方ではなく,距離に加えデータの出力情報も利用することにより,できるだけ「類似した」データを要求点の近傍として選ぶ手法である.さらに,k-SBNに基づいて各データの要求点との類似度が最適化された「k-OS (k-BN with Outlier-Sensitive re-learning)」という手法も提案した.この方法の有効性を実データに対して示した。

 第7章では,従来のJIT手法は局所的な非線形性に弱いという問題点に対して,「k-QBN (k-BN with a quasi-nonlinear local model)」という新たなJIT手法を提案した.k-QBN法では,まずシステムの局所的な非線形性を軽減させるため,観測データの各要素に対して一連の非線形基底関数(Sub-Function/Base Functions)を求める.そして,求められた基底関数を対応する要素に変形させる.さらに,変形されたデータに基づいてJITモデリングを行う.この手法が局所的な非線形性を含む同定問題によく現れる「Bias/Variance Tradeoff」問題の解決に役に立つ.

 第8章では,これらの新しいJITモデリング手法を非線形システムに対する制御器の設計法へと拡張した.JITモデリングでは非線形システムの逆モデルが簡単に得られるという特徴を利用し,従来のFeedback/Feedforwardの2自由度制御構造を用いて,「直接型JIT制御」と呼ばれる設計方法を提案した.実際に,JIT手法を通じて,従来の線形制御理論とその手法が非線形システムに対しても容易に適用できることを示した.

 最後に,第9章において、本論文の内容をまとめ、未来の課題についても述べました.結論として,圧延製品の幅とローラの平均変形と圧延製品の材質に関する6つの実測データや,非線形制御Benchmark問題に対するシミュレーション結果により,本論文で提案された新しいJIT手法の有効性を検証し,良好な結果を得た.従って,もし観測データが十分に蓄積されれば,JIT手法は従来の大域的な手法の1つの有力な代替手法となり得る。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文のとして有効と認められる。

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