学位論文要旨



No 117089
著者(漢字) 柿内,宏憲
著者(英字)
著者(カナ) カキウチ,ヒロノリ
標題(和) 高エネルギー粒子プロセシングによる炭素系機能性薄膜の合成と特性改質
標題(洋)
報告番号 117089
報告番号 甲17089
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5230号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 助教授 浅井,圭介
内容要旨 要旨を表示する

 情報・通信、エネルギー、環境など今日の中心的産業分野に関し、種々の機能を持つ薄膜、すなわち機能性薄膜の果たす役割は非常に大きいものがある。物理学・工学の進歩と工業の発展を背景に、薄膜の特徴である自然界には存在し得ないような組成・構造・物性を持つ材料を任意の形で形成することが可能であるという利点を生かすことにより、種々の機能性薄膜が実現し、様々な分野への応用、実用化が可能となった。さらに近年研究が進んでいるナノテクノロジーによる、ナノ構造のより精密な構造制御による高機能性薄膜の合成が可能となれば、この分野の重要性はますます高まると考えられる。

 このように様々な構造・特性をもつ機能性薄膜を合成する手法として、現在プラズマスパッタリングやプラズマCVDなどのプラズマプロセシングや、イオンビーム蒸着・イオンビームスパッタなどのイオンビームを用いた手法などが広く用いられている。また、機能性材料の特性改質手法として、keV〜MeVに加速したイオンを、固体や薄膜の表層に打ち込み、その特性を制御する手法であるイオン注入法もよく用いられる。これらの上記の手法に共通する点としては、高いエネルギーを持つイオンや原子などの粒子を用いて非平衡状態をプロセス中に導入することにより、平衡状態下では合成が非常に困難な構造や特性を持つ材料を、比較的容易に合成することが可能であるということが挙げられる。

 本研究では、薄膜に対しさらなる機能を付加するための手段として、プロセスの際粒子が持つエネルギーの異なるプラズマプロセシング(0.1〜10eV)とイオン注入法(10〜数100keV)の二つの手法を同一の機能性材料の特性改質に導入することを試みると共に、その手法を「高エネルギー粒子プロセシング」と命名した。

 高エネルギー粒子プロセシングによる機能性薄膜合成の対象として、本研究では炭素系薄膜に注目した。ミクロ構造に応じて幅広い特性を持ちうると共に高い安定性を持つ炭素系の機能性薄膜は、高エネルギー粒子プロセシングによる機能性薄膜合成及び特性改質の対象として適している。

 本研究は、高エネルギー粒子プロセシングにより合成したダイヤモンドライクカーボン薄膜及び非晶質窒化炭素薄膜という二種類の新しい炭素系機能性薄膜の合成と特性改質を試みると共に、特性改質のために必要である薄膜のミクロ構造とマクロな特性の関連についての知見を得ることを目的とした基礎研究である。以下に各章の内容をまとめる。

 第一章においては、機能性薄膜の特徴とその応用例について紹介すると共に、本研究で用いる高エネルギー粒子プロセシングの手法として、スパッタリング法、プラズマCVD法及びイオン注入法の概要とその特徴について説明を行った。また炭素材料の特徴について紹介し、炭素材料のミクロ構造により大きく変化するという特徴が、「高エネルギー粒子プロセシング」の対象として適していることについて説明を行った。

 第二章においては、「プラズマプロセシングによるDLC薄膜の合成とその特性評価」というサブテーマで、RFマグネトロンスパッタリング装置及びRFプラズマCVD装置という二種類のプラズマプロセシング装置を用いてダイヤモンドライクカーボン薄膜の合成を行った。両手法により合成されたDLC薄膜のミクロ構造の違いから、水素原子と膜中の炭素原子結合様式の関連について考察を行った。また本研究で合成したDLC薄膜の電気的特性としては、電気伝導がsp2-Cに起因していること、伝導形式はp型であることがわかった。また光学遷移は間接遷移であり、バンドギャップエネルギーは約0.9eVであると評価できた(Fig.1参照)。

 第三章においては、「イオン注入法によるDLC薄膜の特性改質とその評価」というサブテーマで、RFマグネトロンスパッタリング装置にて成膜したダイヤモンドライクカーボン薄膜に対し各種イオン注入を行うことにより、Fig.2に示すとおり、その電気伝導率を最大約10桁変化させることができた。この電気伝導率の変化については各種ミクロ構造特性の測定結果から、注入イオンからのエネルギー付与によってsp3-Cからより安定なsp2-Cへの遷移が起こると共に、水素原子濃度減少によるDLC構造の乱れが促進され、その結果パーコレーション現象により伝導パスの形成され、シート抵抗の急激な減少が起こっていると推測した。

 第四章においては、「プラズマプロセシングによるa-C : N薄膜の合成とその特性評価」というサブテーマで、RFマグネトロンスパッタリング装置を用いて非晶質窒化炭素薄膜の合成を行い、ミクロ構造やマクロな特性についての評価を行った。薄膜中の構成元素に関してXPS及びERDAにより評価を行ったところ、Fig.3に示すように不純物に起因する水素原子が検出されが、sp3-Cとの相関性からDLCと同様非晶質膜中でのsp3-Cの安定化に寄与しているものと考えられる。また膜中の窒素原子の割合が増加するに従い、炭素原子の結合様式はsp3-Cが優勢になることがわかった。この傾向は、sp3-Cと窒素原子のみで構成されるβ-C3N4理論予測と一致する。

 原子の結合状態に関しては、FT-IR(Fig.4参照)及びラマンスペクトルから、三重結合に起因するピークが観測されたが、この範囲のピークはこれまで考えられてきたC≡N結合のみならず、C≡Cに起因するピークも存在することがわかった。

 本研究で合成したa-C : N薄膜の電気的特性としては、電気伝導率が1.5〜150(S/m)、光学遷移はDLCと同様間接遷移であり、光学バンドギャップエネルギーが0.43〜0.60(eV)であることと、これらの電気的特性は膜中の構成元素に大きく依存することがわかった。また一部試料では電界電子放出現象が観測された。

 第五章においては、「イオン注入法によるa-C : N薄膜の特性改質とその評価」というサブテーマで、RFマグネトロンスパッタリング装置にて成膜した非晶質窒化炭素薄膜に対し各種イオン注入を行い、その特性変化について次のような考察を行った。

 薄膜中の構成元素の変化に関しては、XPS及びRBS測定からイオン注入により表層約100nmまでの領域で窒素原子が優先的にはじき飛ばされる選択スパッタリング現象が起こっていることがわかった(Fig.5参照)。イオン注入試料のN/C比変化の測定結果に対し、Sigmundのスパッタリング理論を適用して炭素原子及び窒素原子の表面結合エネルギーを計算したところ、炭素原子が2eV、窒素原子が0.4eVとかなり低い値になることがわかった。特に窒素原子の値は著しく低いが、この炭素原子との結合エネルギーの違いが理論予測されているβ-C3N4の合成を困難にしている一因であると推測した。

 膜中の原子結合状態の変化に関してFT-IR及びラマンスペクトルより評価を行ったところ、C≡Nピークの増加が観測された。この現象はC≡N結合の誘起というよりむしろ、他の結合が注入イオンにより切断される中、最も結合エネルギーの高いC≡Nが安定して残るため、相対的に強度が大きくなったものと推測した。

 イオン注入によるa-C : N薄膜の光学バンドギャップの変化に関しては、注入初期段階では減少したバンドギャップエネルギーがある程度注入した後には増加に転じ、高注入量では未注入時より大きくなることがわかった。この現象に関しては、注入初期段階では注入イオンのエネルギー付与によるsp2-Cへの遷移が優勢であるのに対し、後期段階ではグラファイト基底面や三次元的面間接合が注入イオンにより切断されるため、バンドギャップエネルギーが増加するためと推測した。

 イオン注入によるa-C : N薄膜の光学的特性の変化に関しては、未注入時に約2.1である屈折率(n)を約1.8〜2.3まで制御が可能であること、約0.32である消衰係数(k)を最小0.1まで改善することが可能となることがわかった。またこの測定結果に基づき、a-C : Nイオン注入試料の反射防止膜への適用を提案した。

 このように高エネルギー粒子プロセシングにより合成した炭素系機能性薄膜のミクロ構造特性とマクロな特性についての関連についてのさまざまな知見を得ることができたと共に、プラズマプロセシングにより合成した炭素系機能性薄膜に対しイオン注入を行うことにより、より広範囲のミクロ構造やマクロな特性を持つ薄膜を合成することが可能であることがわかり、「高エネルギー粒子プロセシング」が機能性薄膜の特性改質に有効な手段であると結論できる。

Fig.1 DLC薄膜のの光吸収の入射光エネルギー依存性

Fig.2 DLC薄膜のシート抵抗におけるイオン注入量依存性

Fig.3 a-C : N薄膜中の構成元素と成膜時の窒素ガス割合の関係

Fig.4 a-C : N薄膜のFT-IRスペクトル

Fig.5 イオン注入によるa-C : N薄膜のN/C比変化

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、新しい構造・特性を持つ炭素系機能性薄膜を合成する手法として新たに「高エネルギー粒子プロセシング」という概念を導入し、本手法によりダイヤモンドライクカーボン薄膜及び非晶質窒化炭素薄膜という二種類の新しい炭素系薄膜の合成と特性改質を試みると共に、特性改質のために必要である薄膜のミクロ構造とマクロな特性の関連についての知見を得ることを目的とした基礎研究の成果をまとめたものであり、全体は6章から構成されている。

 第1章は序論であり、機能性薄膜の特徴とその応用例について紹介すると共に、本研究で用いる高エネルギー粒子プロセシングの手法として、スパッタリング法、プラズマCVD法及びイオン注入法の概要とその特徴について説明を行っている。また炭素材料の特徴について紹介し、そのミクロ構造により大きく変化するという特徴が「高エネルギー粒子プロセシング」の対象として適していることについて述べている。

 第2章は、「プラズマプロセシングによるDLC薄膜の合成とその特性評価」と題し、RFマグネトロンスパッタリング装置及びRFプラズマCVD装置という二種類のプラズマプロセシング装置を用いてダイヤモンドライクカーボン薄膜の合成を行い、両手法により合成されたDLC薄膜のミクロ構造の違いから、水素原子と膜中の炭素原子の結合様式の関連について考察を行った結果について述べている。また本研究で合成したDLC薄膜の電気的特性としては、電気伝導がsp2-Cに起因していること、伝導形式はp型であること、バンドギャップエネルギーは約0.9eVであることを明らかにしている。

 第3章は、「イオン注入法によるDLC薄膜の特性改質とその評価」と題し、RFマグネトロンスパッタリング装置にて成膜したダイヤモンドライクカーボン薄膜に対し各種イオン注入を行うことにより、その電気伝導率を最大約10桁変化させることができることを述べている。その理由としては、注入イオンからのエネルギー付与によってsp3-Cからより安定なsp2-Cへの遷移が起こると共に、水素原子濃度減少によるDLC構造の乱れが促進され、その結果パーコレーション現象により伝導パスの形成され、シート抵抗の急激な減少が起こっているためであると考察している。

 第4章においては、「プラズマプロセシングによるa-C : N薄膜の合成とその特性評価」という題で、RFマグネトロンスパッタリング装置を用いて非晶質窒化炭素薄膜の合成を行い、ミクロ構造やマクロな特性についての評価を行っている。薄膜中の構成元素に関しては、不純物に起因する水素原子が検出されsp3-Cとの相関性からDLCと同様膜中のsp3-Cの安定化に寄与しているものと推測された。また膜中の窒素原子の割合が増加するに従い、炭素原子の結合様式はsp3-Cが優勢になることがわかった。この傾向は、sp3-Cと窒素原子のみで構成されるβ-C3N4理論予測と一致する。原子の結合状態に関しては、三重結合に起因するピークが観測されたが、この範囲のピークはこれまで考えられてきたCN三重結合のみならず、CC三重結合に起因するピークも同時に存在することがわかった。また、a-C : N薄膜の電気的特性としては、電気伝導率が1.5〜150(S/m)、光学バンドギャップエネルギーが0.43〜0.60(eV)であること、これらの特性は膜中の構成元素に大きく依存することがわかった。さらに一部の試料では電界電子放出が観測された。

 第5章は、「イオン注入法によるa-C : N薄膜の特性改質とその評価」と題し、RFマグネトロンスパッタリング装置によって合成した非晶質窒化炭素薄膜に対し各種イオン注入を行い、その特性変化について考察を行っている。薄膜中の構成元素割合の変化に関しては、イオン注入により表層の窒素原子が優先的にはじき飛ばされる選択スパッタリング現象が起こっていると述べている。膜中の原子結合状態の変化に関しては、CN三重結合ピークの増加が観測された。この現象はCN三重結合の誘起というよりむしろ、他の結合が注入イオンにより切断される中、最も結合エネルギーの高いCN三重結合が安定して残るため、相対的に強度が大きくなったものと考えている。イオン注入によるa-C : N薄膜の光学バンドギャップの変化に関しては、注入初期段階では減少したバンドギャップエネルギーがある程度注入した後には増加に転じ、高注入量では未注入時より大きくなることがわかった。この現象に関しては、注入初期段階では注入イオンのエネルギー付与によるsp2-Cへの遷移が優勢であるのに対し、後期段階ではグラファイト基底面や三次元的面間接合が注入イオンにより切断されるため、バンドギャップエネルギーが増加するためと考察している。イオン注入によるa-C : N薄膜の光学的特性の変化に関しては、未注入時に約2.1である屈折率を約1.8〜2.3まで制御することが可能であること、約0.32である消衰係数を最小0.1まで改善することが可能となることがわかった。またこの測定結果に基づき、a-C : Nイオン注入試料の反射防止膜への適用を提案している。

 第6章は結論であり、本論文で得られた成果を総括している。

 以上を要約すると、本論文は、機能性材料の合成方法として、「高エネルギー粒子プロセシング」という概念を新たに提唱し、本手法の一つであるプラズマプロセシングによって合成した炭素系機能性薄膜のミクロ構造特性とマクロな特性についての関連をさまざまな観点から検討すると共に、その炭素系機能性薄膜に対しイオン注入を行うことにより、さらに幅広いミクロ構造やマクロな特性を持つ薄膜を合成することが可能であることを確認し、「高エネルギー粒子プロセシング」が機能性薄膜の特性改質に有効であると結論したものであり、システム量子工学に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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