学位論文要旨



No 117091
著者(漢字) 小林,浩之
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ヒロユキ
標題(和) プラズマ中の炭化水素ラジカルの回転励起・緩和過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 117091
報告番号 甲17091
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5232号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 小川,雄一
 東京大学 助教授 比村,治彦
 東京大学 助教授 門,信一郎
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 核融合炉ダイバーターは高粒子フラックスにさらされ、ダイバーターの損耗によって発生する不純物は中心プラズマの閉じこめ性能を劣化させる。そのためダイバータから発生する不純物の計測は重要な研究課題である。ダイバーター材料には低Z材である炭素材料と高Z材であるタングステン、モリブデン材料が有力視されている。炭素材料は不純物としてプラズマに混入した場合、高Z材料と比べて輻射損失が小さい等の利点があるが、入射水素イオンによる炭素材料特有の化学スパッタリング現象が生じるため、損耗による不純物発生量が大きいという欠点がある。化学スパッタリングとは、入射水素イオンが壁材の炭素と化学的に結合し、メタン、エタン等の炭化水素不純物が炭素材料から放出される現象である。

 プラズマ中に放出された炭化水素不純物は解離やイオン化され、様々な種類の炭化水素ラジカルを生成する。分光によって炭化水素不純物を計測する場合、可視領域ではCHラジカルが主な炭化水素不純物として捕らえられる。CHラジカルはすべての炭化水素からの解離するため、その発光強度から化学スパッタリングの簡易評価が行われている。

 炭化水素のCHラジカルへの解離過程はこれまで電子衝突解離を考えてきた。しかし近年、境界プラズマではバルクのイオンとの荷電交換反応でイオン化された炭化水素イオンの解離性再結合による炭化水素の体積再結合の反応速度係数が大きいことが指摘された。これはCHラジカルの生成に支配的な過程である可能性が高いことを示している。

 CHラジカルの発光スペクトルは、振動・回転励起状態を反映したバンド状のスペクトルとして計測される。Furuyaらは、メタン、エタン、エチレンガスに14-100eVの電子ビームを照射し、解離励起によって生成したCHラジカルの発光スペクトルから回転温度をボルツマンプロット法によって評価した。その結果、CHラジカルの回転温度は炭化水素ガス種及び解離過程によって異なることが示された[1]。Hummernbrumらはレーザー励起蛍光法を用い、アルゴンとメタンの混合ガスのマイクロ波放電プラズマにおいて電子基底状態のCHラジカルの回転励起分布を計測し、2温度分布になることが示された[2]。

 一般に電子基底状態の回転励起分布は原子、分子との衝突によって容易に緩和されるため、回転励起と衝突緩和を考慮しなければならない。

 本研究では、CHラジカルの回転励起分布を計測し、回転励起分布と発光強度のプラズマパラメータ依存性から炭化水素のCHラジカルへの解離過程を明らかにすることを目的とする。

 実験では直線型定常境界プラズマシミュレーターMAP-IIを用い、ヘリウムプラズマに炭化水素ガスを導入し、ヘリウムガス圧を変化させることによって電子温度、電子密度、CHとヘリウムの衝突周波数を変化させ、回転励起分布と発光強度を計測した。

 第2章では回転励起分布の計算方法について述べる。第3章では実験装置及び分光計測系について述べる。第4章では計測した回転励起分布と発光強度から解離過程を特定する。第5章で本研究の結論を述べる。

2.回転励起分布の計算

 本研究のプラズマパラメータではCHラジカルの発光には、電子衝突によって電子基底状態から電子励起状態へ励起され発光する過程と、解離において電子励起されたCHラジカルが生成され発光する過程がある。本研究では電子励起状態であるA2Δ準位から電子基底状態X2II準位への自然放射スペクトルを計測した。A-X遷移の概要を図1に示す。

 電子遷移における回転励起の選択則はJ→J+1、J、J−1であり、それぞれP-branch、Q-branch、R-branchと呼ぶ。ここでJは電子のスピンを考慮した回転量子数であり全角運動量に等しい。Kはスピンを考慮しない回転準位でありJ=K+sの関係が成り立つ。A2Δの最も低い回転準位はK′=2、X2IIはK″=1である。P,Q,Rの3つのbranchの発光強度比は回転遷移確率(Honl-London因子)を用いて記述されるため、1つのbranchのスペクトルからA2Δの回転励起の占有密度を計算できる。従って他のbranchのスペクトルは回転励起の占有密度のクロスチェックに用いることができる。

 観測されるCHバンドスペクトルは様々な振動・回転準位の遷移スペクトルからなる。本研究で扱うプラズマの可視分光では自然幅、シュタルク幅、ドップラー幅は分光器の装置幅に対して十分小さいため無視でき、この場合スペクトルの波長プロファイルS(λ)は次の式(1)によって計算される。

 ここでjはv′,K′,s′→v″,K″,s″を示す。NA(v′,K′,s′)はA2Δのv′,K′,s′準位の密度を示す。Δ−II遷移はΛ型二重項(Λは電子の分子軸方向の角運動量であり、ΔではΛ=2、IIではΛ=1である)によって同一のjにおいて2本のスペクトルが表れるためこれをι(=1,2)とする。Aj,ιh、cはそれぞれアインシュタインの自然放射係数、プランク定数、光速である。ΔΩ、ΔVは分光計測系が望む立体角、体積を示す。Finst(λ、λj,ι、Δλ1/2)は分光器の装置幅を表すガウス関数であり、Δλ1/2は波長λj,ιにおけるスペクトルの半値幅を示している。各量子数の寄与が分離できればA2Δ準位を直接求めたことになるが、一般的にはスペクトルの半値幅程度の波長領域には異なる準位のスペクトルが重なっているため、回転励起分布の評価には重なっているすべてのスペクトル成分を考慮しなければならない。但し比較的分離の大きい振動状態、回転状態が異なるスペクトルは重なっておらず、スピンのみが異なるスペクトルが重なっている場合には回転励起分布をスピンを考慮しないNA(v′,K′)を用いて評価することが可能であり、回転準位K′≧5ではNA(v′,K′)を計測した。

3 実験装置

 本研究で用いた直線型定常境界プラズマシミュレーターMAP-II装置の概略を図2に示す。プラズマはLaB6カソードとアノード管との直流アーク放電によって生成される。プラズマは約0.02-0.03 Tの従磁場によって径方向に閉じこめられターゲット方向に輸送される。MAP-II装置はソースチャンバーとターゲットチャンバーからなり、差動排気を行うことによって導入したガスが相互のチャンバーに与える影響を抑えている。ソースヘリウムガスは放電領域に導入する。メタンガスはターゲットチャンバーに導入し、またターゲットチャンバー内のバックグラウンドヘリウムガス圧を制御するためターゲットチャンバーにもヘリウムガスを導入した。電子温度、電子密度はターゲットチャンバーに設置されたラングミュラープローブによって計測した。

 分光計測では直径40mm、焦点距離250mmの対物レンズによって直径約2mmの線積分領域からの発光を集光し、ファイバーによって分光器へ伝送される。分光器は1mのツェルニーターナー型、回折格子刻線数1200L/mmを用いた。波長分解能は430 nm付近の単スペクトルを計測したときスリット幅約50μmでスペクトルの半値幅は0.042nmとなる。波長プロファイルは回折格子を回転させ光電子増倍管で測定した。光電子増倍管からの光電流は100 kΩの抵抗で電圧に変換してデジタルボルトメーターで測定し、GP-IB接続されたPCで記録した。

4 回転励起分布、発光強度の計測と解離過程の特定

 図3にメタンから解離したCHラジカルの回転励起分布の計測結果の例を示す。横軸は回転エネルギー、縦軸は各回転準位の相対密度を縮重度で除した値をlogプロットしてある。この図ではMaxwell分布は直線で示され、直線の傾きは回転温度を示している。計測した回転励起分布は、低温成分と高温成分に分離することができる。

 図4にヘリウムガス圧を変化させて計測した電子温度、電子密度、CHラジカルの回転温度、発光強度のヘリウムガス圧依存性を示す。解離過程を特定するため、次の

(A)水素が1つずつ電子衝突解離しCH(X)が生成

(B)メタンの電子衝突解離でCH(A)が生成

(C)1回の荷電交換と解離性再結合でCH(X)が生成

(D)1回の荷電交換と解離性再結合でCH(A)が生成

(E)2回の荷電交換と解離性再結合でCH(X)が生成

(F)2回の荷電交換と解離性再結合でCH(A)が生成

の解離過程について、電子温度、電子密度を考慮し、レート方程式を用いて計算した発光強度と計測した発光強度を比較した。結果を図5に示す。実験結果を反映したモデルは直線で示され、過程(D)が実験結果と最も一致する。

 過程(C)の寄与については回転励起分布の衝突周波数依存性から知ることができる。CHラジカルの密度に対してヘリウムの密度が十分大きいとき、回転の緩和は次の式で与えられる。

ここでTrot0は衝突緩和前の回転温度、Ttraはヘリウムの温度である。νは衝突周波数、τはCHラジカルのプラズマ中での滞在時間であり、ντはCHのプラズマ中での衝突回数となる。ZRは回転の緩和に必要な衝突回数を示し、Widomが分子と原子の衝突緩和を古典論に基づき導いたZRcalは約6である[3]。Widomの表現はZRオーダーの評価には用いることができる。図6に示したTrot-Ttraの衝突周波数依存性から求めた高温成分と低温成分のZRexpはそれぞれ4.8と1.9となり、衝突緩和を示している。

 CHラジカルとヘリウムの衝突時間1/νは、ヘリウムガス圧0.24Pa、1.2Paではそれぞれ71μs、14μsとなる。CH(A)の寿命はτ〜530nsでありA2Δ準位では回転緩和は起こらないため、電子基底準位での回転緩和を反映している。従って電子衝突励起によって発光する過程(C)の寄与が無視できないことが分かる。

 同様な実験をエタンについても行い、計測した発光強度とレート方程式から計算した発光強度と比較した。その結果、エタンから解離したCHラジカルは電子温度数eV以下では回転励起分布は2温度分布になった。発光強度への寄与の大きい高温成分については解離過程を特定でき、荷電交換と解離性再結合1で回生成されたCH(A)が発光に支配的である。

5 結論

 低エネルギープラズマ中で炭化水素から解離したCHラジカルについて、バックグラウンドヘリウムガス圧によってプラズマパラメータを変化させて回転励起分布を計測し、回転励起分布と発光強度のプラズマパラメータ依存性からCHラジカルの生成、励起過程について検討した。その結果、

・メタンから解離したCHラジカルは高回転温度成分と低回転温度成分に分離され、両者とも荷電交換と解離性再結合1回で生成されたCH(A)とCH(X)からの発光が支配的である。

・エタンから解離し、発光に寄与しているCHラジカルの生成過程は1回の荷電交換と解離性再結合でCH(A)が生成する過程が支配的である。

参考文献

[1] K. Furuya, T. Ueda, M. Tokeshi, T. Ogawa:Chem. Phys. 221 (1997) 303-309.

[2] F. Hummernbrum, H. Kempkens, A. Ruzicka, H-D. Sauren. C. Schiffer, J. Uhlenbusch and J. Winter:Plasma Sources Sci. Technol. 1(1992)221-231.

[3] W. W. B. Pearse:The Identification Of Molecular Spectra (Chapman And Hall, London, 1976)p.90.

図1.CHラジカルのA2Δ-X2п遷移過程

図2.直線型定常境界プラズマシミュレーターMAP-II装置の概略

図3.メタンから解離したCHラジカルの回転励起分布の典型的な計測値

図4.電子温度、電子密度、メタンから解離したCHラジカルの回転温度、発光強度のヘリウムガス圧依存性

図5.発光強度の計測値と計算値の比較。(a)高温成分、(b)低温成分。

図6.回転励起温度の衝突周波数依存性

審査要旨 要旨を表示する

 核融合炉ダイバーターは高粒子フラックスにさらされ、ダイバーターの損耗によって発生する不純物は中心プラズマの閉じこめ性能を劣化させる。ダイバーター材料の候補の一つである炭素材料は入射水素イオンによる化学スパッタリングによる損耗に起因する炭化水素不純物発生量が大きいという欠点がある。従って、プラズマ中の炭化水素の種類と量を計測することが重要となっている。本論文は、炭化水素解離過程で生じるCHラジカルの回転励起分布を計測し、回転励起分布と発光強度のプラズマパラメータ依存性から明らかになった、特に低電子温度領域での炭化水素の解離・発光過程についてのものである。本文の構成は次のとおりである。

 第1章は序論であり、本研究の背景及び既存の研究について概説し、目的と意義を述べてある。従来の化学スパッタリングにおける炭化水素発生量の評価方法では、発生する炭化水素種の判別ができない、炭化水素ラジカルからの発光から発生量を評価するための係数(loss event / photon値)を求めるための解離・発光に関する素過程が特にダイバータの非接触状態が起きる低電子温度領域において完全には解明されていない、という欠点がある。そこで本研究では炭化水素ラジカルの発光のパラメータ依存性から解離・発光に支配的な素過程を、回転励起分布から炭化水素種を判別する手法を提案し、実験結果を元に適用可能性を検討することを目的としている。

 第2章ではCHラジカルの回転バンドスペクトルの分光計測から炭化水素の発光量、回転励起分布を求める(4章)際に必要な計測原理について述べてある。

 第3章では本研究に用いた実験装置であるMAP-IIについて、及び計測システムの概要について述べている。MAP-II装置はLab6熱陰極のアーク放電下流のプラズマを直線型の磁場配位で閉じ込め、ダイバータ領域の開いた磁力線のプラズマを模擬することを目的としたものである。プラズマパラメータの測定には静電プローブを、炭化水素ラジカルのスペクトル計測には可視分光器を用いている。これらのシステムの詳細と較正等について述べてある。

 第4章では計測した回転励起分布と発光強度からメタン・エタン・エチレン・アセチレンの支配的な解離・発光過程を特定するに至った過程、および結果について述べてある。単一種類の炭化水素からの解離・発光を調べることを目的としているため、化学スパッタリングによる複数種類の炭化水素の発生はむしろ議論の障害となる。従って、化学スパッタリングを起こさないヘリウムプラズマを生成し、少量の炭化水素ガス1種類を導入することによってCHラジカルの発光強度及び回転構造を計測している。回転励起分布と発光強度のプラズマパラメータ依存性、及びヘリウム原子との衝突による回転緩和からCHラジカルの生成、励起過程について検討した結果、メタンから解離したCHラジカルは高回転温度成分と低回転温度成分に分離され、両者とも1回の荷電交換と解離性再結合で生成されたCH(A)とCH(X)からの発光が支配的であることが確認されたことについて述べてある。次にエタンから解離し、発光に寄与しているCHラジカルの生成・発光過程も1回の荷電交換と解離性再結合でCH(A)が生成する過程が支配的であることについて述べてある。エチレン・アセチレンについてはプラズマの電子温度をメタン・エタンの実験時ほど低く維持することが困難であったため、荷電交換過程の実験的証明には至らず、エチレンの場合は支配的な過程が特定できないこと、アセチレンの場合は電子衝突過程がまだ支配的な電子温度領域を観測していると言えることが述べられている。さらに、これら炭化水素種によって回転励起分布が異なることを利用し、複数の炭化水素種が混在する場合の判別方法について検討した結果について述べられている。

 第5章では本研究の結論が述べられている。

 以上を要するに、本論文は化学スパッタリングによる炭化水素不純物の発生量を分光的に測定する際に低電子温度領域でこれまで考慮されていなかった炭化水素と主プラズマイオンとの荷電交換反応に始まる解離性再結合を一度経ることでがCHラジカルが生成・発光する過程が重要であることを実験的に示した点、及び炭化水素種の同定にCHラジカルの回転励起分布の利用を試みた点でプラズマ理工学、特にプラズマ中の原子・分子過程、分光研究の発展に寄与することが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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