学位論文要旨



No 117103
著者(漢字) 宮川,勇人
著者(英字)
著者(カナ) ミヤガワ,ハヤト
標題(和) X線磁気散乱による希土類 : 遷移金属合金の磁性に関する研究
標題(洋)
報告番号 117103
報告番号 甲17103
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5244号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 助教授 井上,博之
 東京大学 助教授 渡邉,聡
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 希土類(RE)−遷移金属(TM)磁性体は、その磁気的機能性が多岐にわたって高く磁性材料として広い分野で実用に供せられてきた。現在更に高性能・高機能な材料の開発を目的とし、機能発現のメカニズムを解明、物性を予測・制御しようという研究が幅広く行われている。RE-TM磁性体の中でも、Sm, Dyといった中性子吸収原子を含む化合物は中性子磁気回折による解析が困難なため、その磁気構造には不明な点が多く残されている。SmFe2, DyCo5はともに大きな磁気異方性を持つが、その起源である4f電子の軌道磁気モーメントのみを直接的に観測した報告は未だない。

 X線磁気ブラッグ散乱は磁性電子の空間分布を反映しており、磁気構造に関する知見が得られるほか、スピン磁気形状因子S(k)と軌道磁気形状因子L(k)を互いに独立に評価することが可能である(SL分離)。SL分離は中性子磁気回折などの従来の磁気構造解析では原理的に困難であり、大変魅力的である。

 X線磁気コンプトン散乱は磁性電子の運動量空間における分布を反映しており、各軌道上の磁性電子の個数を見積もることができるのに加え、フェルミ面の形状や伝導電子のスピン偏極といった情報を抽出することも可能である。

 軟X線領域における磁気円二色性を利用した磁気吸収は3d軌道に対する磁気光学総和則が適用可能であるため、スペクトルの積分値から簡単にスピンおよび軌道磁気モーメントを見積もることができ、現在注目を浴びている。

 これら2つのX線磁気散乱実験および軟X線磁気吸収実験のそれぞれからは相補的な情報が得られ、磁性電子に関する総合的な理解が可能となる。しかし、実験例は少なく、実験結果の蓄積、実験手法・解析方法の確立が必要である。

 本研究の目的は次の3つである。

(1)SmFe2, DyCo5に対し、2つのX線磁気散乱ならびに軟X線磁気吸収を適用し実験を行う。(2)SL分離を行い磁気構造の詳細を決定する。(3)X線磁気散乱および軟X線磁気吸収に対しその実験手法・解析方法を確立する。

2.実験方法

2.1 X線磁気ブラッグ散乱実験方法

 X線磁気ブラッグ散乱から得られる非対称度Rは散乱角が2θ=90°の場合、次式で与えられる。

ここでg(=E/mc2)はエネルギーの因子、fpは偏光因子であり、n(k),S(k),L(k)は原子散乱因子、スピン磁気形状因子、軌道磁気形状因子である。αはX線の入射方向と試料の磁化方向とのなす角度でありαの異なる2つ配置での実験から、S(k)/n(k),L(k)/n(k)を独立に求めることが可能である。

 図1にX線磁気ブラッグ散乱の実験レイアウトを示す。実験は物質構造科学研究所(KEK-PF)の放射光施設BL-3C3にて行う。SL分離を目的とし、α=0°,90°の2配置にて実験を行う。楕円偏光白色X線を磁場中試料に入射させる。散乱角は2θ=90°固定とし電磁石による磁場約1Tを10秒ごとに反転させて得られる散乱強度の差分I+−I-を半導体検出器(SSD)にてエネルギー分散法にて計測する。

2.2 X線磁気コンプトン散乱実験方法

 磁気コンプトン・プロファイル(MCP)は運動量空間における磁性電子の密度分布を散乱ベクトル(z軸)上への射影したものであり、理論的には、

で表される。ここで、n↑(pz),n↓(pz)は運動量空間におけるスピン上向き、下向きの電荷密度をそれぞれ示している。

 磁場を反転させることにより得られる散乱強度の差分I+−I-からJmag(pz)を測定することが可能である。MCPの積分値はスピンの個数に相当し、MCPからは各電子軌道が担うスピン磁気モーメントの個数を評価することが可能である。

 実験は高輝度光科学研究センターの放射光施設(SPring-8)のビームラインBL-08Wにて行う。図2に実験のレイアウトを示す。単色化した円偏光X線を磁場中試料に入射する。散乱角は2θ=175°固定とし、磁場約2Tを2分ごとに反転させ得られる散乱強度I+とI-をSSDにてエネルギー分散法で計測する。冷却ユニットが付置されており、約10〜300Kまでの任意の温度にて計測が可能である。

3.SmFe2の磁気構造解析

 磁性体SmFe2は立方晶・MgCu2型ラーベス相の結晶構造を持つ金属間化合物であり、キュリー点は676Kと高い。大きな方向性を持つSmの4f軌道に起因する興味ある磁気特性を有するが、その磁気構造の詳細は不明である。室温におけるSmFe2の伝導電子のスピン偏極を含めた磁気構造をSL分離した形で決定するために磁気ブラッグ散乱実験ならびに磁気コンプトン散乱の両実験を行った。

3.1 X線磁気ブラッグ散乱の実験結果

 図3(a),(b)にα=0°配置での実験から得られる(hh0)面についての回折プロファイルを載せる。(a)は電荷散乱(b)は磁気散乱にそれぞれ対応する。各ピークの積分強度に理論式をあてはめSL分離を行った。得られた磁気形状因子2S(k), L(k), L(k)+2S(k)を図4に示す。図中には、Sm,Feそれぞれのスピンおよび軌道磁気モーメントSFe,LFe,SSm,LSmをパラメータとしてフィッティングを行った結果もあわせて示している。また導出された磁気モーメントを表1に示す。2SSmとLSmは反平行に結合する結果トータルとしては小さくなること、FeイオンがSmFe2の磁化の大部分を担っていることがわかる。

3.2 X線磁気コンプトン散乱の実験結果

 得られた磁気コンプトンプロファイル(MCP)を図5に示す。中央の鋭い落ち込みは、空間的に広がっている伝導電子の寄与が負の方向に働いていることを示している。得られたMCPに対し理論値を用いてフィッティングを行った。結果を図6に示す。各軌道上のスピン密度比を導出した結果、表2のようになった。Sm(4f):Fe(3d)の比は磁気ブラッグ散乱実験のからの結果とよく符合している。本実験によりFeの3d軌道上のスピンが伝導電子およびSmの5d電子を介し4f軌道上のスピンと逆結合していることが立証された。

4.DyCo5の磁気構造の温度変化

 DyCo5はCaCu5型結晶構造をもつフェリ磁性体である。CoとDyの磁気異方性が競合する結果磁気構造が大きく温度依存する系として知られる。本研究ではDyCo5に対し2つのX線磁気散乱実験を10〜300 Kの幾つかの温度にて行いスピンおよび軌道磁気モーメントの温度変化を導出した。

4.1 DyCo5の室温における磁気構造

 室温(300 K)におけるDyCo5の磁気構造をSL分離した形で決定することを目的としX線磁気ブラッグ散乱実験を行った。図7に実験から得られた磁気形状因子と対応するフィッテイングの結果を示す。得られた各原子の磁気モーメントを表3に示す。ただしフィッティングではCoの軌道磁気モーメントを0μBと仮定した。結果の全磁気モーメント3.4μB/f.u.はVSMによる測定値に比べ大きいがその差は伝導電子の寄与と考えた。

4.3 DyCo5のスピンおよび軌道磁気モーメントの温度変化

 伝導電子および各軌道が担うの2S, Lの温度依存性を決定することを目的とし、X線磁気コンプトン散乱実験を10K〜300Kにて行った。10Kおよび100KにおけるMCPを図8に示す。各温度におけるMCPに対し理論曲線を用いたフィッティングを行い、各軌道上のスピン分布の温度変化を見積もった。さらに磁気ブラッグ散乱実験の結果および磁化測定の結果を照合し伝導電子を含むDyCo5内のスピンならびに軌道磁気モーメントの温度変化を導出した。結果を図9に示す

結果からは、Coのスピン磁気モーメントが測定温度内でほぼ一定であるのに対し、Dyのスピンおよび軌道磁気モーメントが単調に減少していることが見て取れる。低温において支配的なDyの軌道磁気モーメントが高温では小さくなる結果Coの磁気異方性が優位となり磁気相変態が生じ易くなること、伝導電子のスピン偏極が各温度にてほぼ一定の値を保つことなどが示された。

5.軟X線磁気吸収によるSL分離

5.1 軟X線磁気円二色性と磁気光学総和則

 入射X線の円偏光が右回りか左回りかにより吸収量に差を生じることを磁気円二色性(MCD)と呼ぶ。磁気光学総和則によれば各吸収端のスペクトル積分値とスピン磁気モーメント(mspin)、軌道磁気モーメント(morb.)とは以下の関係式によって結びつけられる。

ここで、IL3,IL2およびμL3,μL2はそれぞれL3,L2吸収端におけるMCD積分強度および共鳴X線吸収量、nhはホール数、<Tz>は磁気双極子演算子の期待値、<Sz>はスピン期待値である。

 SmFe2内のFeが担うスピンおよび軌道磁気モーメントを評価することを目的とし軟X線MCDの実験を行った。

5.2 実験方法

 実験はSPring-8のビームラインBL-25SUで室温にて行った。単色化した円偏光X線を試料に入射させ、この時発生する光電子をカウントすることによりX線吸収量を測定した(光電子全収量法)。2個の永久磁石の配置を図11中の矢印のように移動させることにより試料位置における磁場を反転させMCDを計測した。実験には多結晶を使用した。

5.3 実験結果

 図12にFe L3, L2吸収端における共鳴吸収スペクトル(XAS)とMCDスペクトルを示す。スペクトルから積分強度に磁気光学総和則をあてはめた結果、2SFe.=1.20μB, LFe=0.03μBを得た。X線磁気散乱の結果と比較すると2SFeは良く合っているが、LFeはとても小さい値となった。磁気散乱実験ではフィッティング課程でFeのモーメントが大きなSmのモーメント引きずられ、実際より大きい値が出ている考えた。Feの3d軌道上の電子はほとんど伝導電子的に振舞う結果、LFeが消失していると考えるのが正しいと思われる。

図1.X線磁気ブラッグ散乱実験レイアウト

(a)α=0°配置(b)α=90°配置(αは入射光と磁化方向とのなす角度)

図2.X線磁気コンプトン散乱実験レイアウト

図3.SmFe2(hh0)面のα=0°配置におけるX線ブラッグ散乱プロファイル(a)電荷散乱(I++I-)(b)磁気散乱(I+−I-)

図4.SmFe2の磁気形状因子

(a)L(k) (b)2S(k)(c)L(k)+2S(k)

表1.X線磁気ブラッグ散乱実験から導出したSmFe2の磁気モーメント

図5.SmFe2の室温におけるX線磁気コンプトン・プロフィル

図6.SmFe2ならびに純鉄のMCPと理論曲線によるフィッティングの結果

表2.X線磁気コンプトン散乱実験から導出したSmFe2内のスピン磁気モーメントの比

図7.DyCo5の磁気形状因子と理論値によるフィッティング

表3.X線磁気ブラッグ散乱実験から導出したDyCo5内の磁気モーメント(室温)

図9.DyCo5の10 K,300 Kにおける磁気コンプトン・プロファイル

図10DyCo5内の磁気モーメントの温度変化。

●Coの2S、▲Dyの2S、△DyのL、□伝導電子の2S、〓DyCo5全体のL+2S(SQUIDより)をそれぞれ示している。

図11.軟X線磁気吸収実験におけるサンプル部分レイアウト。

2つの永久磁石を白矢印方向に移動させることにより磁場約1.4Tを反転させる。

図12 SmFe2におけるFe L3,L2吸収端の吸収スペクトル(a)XAS(共鳴吸収量)(b)MCD(磁気円二色性)

審査要旨 要旨を表示する

 X線磁気ブラッグ散乱は全磁気モーメントをスピン成分と軌道成分に分離して計測すること(SL分離)が可能であることを理論的に指摘されながらも、この測定が可能なX線の強度や偏光特性の実現が難しい上に通常のX線ブラッグ散乱における千分の1のオーダーの微少な差を測定する必要があるという事情から、実験的に精度良く計測することが困難であった。特に、2種類以上の磁性元素を含む希土類−遷移金属合金については実験例が少なく信頼性のある結果は得られていない。本論文は、SmFe2とDyCo5のスピン磁気モーメントおよび軌道磁気モーメントを正確に計測評価することを目的として行った磁気ブラッグ散乱を中心としたX線磁気散乱ならびにX線磁気吸収の実験の結果とその解析を内容としている。

 第1章は緒言であり、希土類−遷移金属化合物の材料としての有用性と磁気特性および放射光を用いた磁性研究についての特徴や歴史的背景について紹介するとともに、本研究の目的および本論文の構成について述べている。

 第2章ではX線磁気ブラッグ散乱、X線磁気コンプトン散乱、X線磁気吸収のそれぞれについて起源や概念を簡潔に述べ、SL分離の原理を導出している。章後半においては、その原理に基づいた実験方法をそれぞれについて説明し、測定を行った放射光X線の特性とビームラインの仕様について述べている。

 第3章ではSmFe2のSL分離した形での磁気構造を取得することを目的として行ったX線磁気ブラッグ散乱およびX線磁気コンプトン散乱の実験内容について詳述し、その解析結果をまとめている。それぞれの実験における注意点・問題点について指摘し、精度良い計測値を得るために開発した新しい手法や解析法について詳述している。特に、実験例の少ない磁気ブラッグ散乱実験において、試料の散乱面内の回転により不必要な多重散乱を抑制することや、蛍光と回折とを分離測定するためには分光結晶による高分解能な測定が不可欠であることを示している。解析においては、双極子近似に基づいたフィッティングにより構造因子に含まれる2種類以上の磁性元素の寄与を分離できることを実証している。

 また、磁気ブラッグ散乱と磁気コンプトン散乱の両実験結果を照合することによりSm、Feの各サイト上の電子と伝導電子のそれぞれが担っているスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントを評価するとともに、両実験結果の比較検討がSL分離に大変有効であることとそれぞれから得られる結果がよく符合し信頼性の高いことを示した。

 第4章ではDyCo5について磁気ブラッグ散乱と磁気コンプトン散乱の測定結果を解析するとともに、磁気構造の温度変化に関して詳述している。磁気コンプトン・プロファイルから得られるスピン密度の大きさはスケーリングが難しいが、ノーマル・コンプトン・プロファイルの全積分値で規格化することでこの点を克服し、磁気ブラッグ散乱実験の結果および磁化測定の結果と比較することにより磁化単位μBへの換算を行った点は独創的な新しい試みである。この結果、Dyの4f軌道とCoの3d軌道そして伝導電子それぞれが担うスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントの温度変化を導出することに成功し、DyCo5内で競合し合うDyとCoそれぞれの磁気異方性についての貴重な知見を得ている。

 第5章では、SmFe2に対して行ったFeのL3、L2吸収端における軟X線磁気円二色性の実験内容と実験結果の解析をまとめている。磁気光学総和則に基づき行ったSL分離の結果と第2章でまとめた磁気散乱実験の結果とを比較検討し、通常の磁気散乱実験においては評価が困難であった3d遷移金属元素の小さな軌道磁気モーメントを磁気吸収実験によって正しく見積もることに成功し、磁気吸収実験の有効性を指摘している。

 第6章は総括である。

 以上要するに、本論文においては、希土類−遷移金属合金であるSmFe2とDyCo5に対して行ったX線磁気ブラッグ散乱、X線磁気コンプトン散乱、軟X線磁気円二色性の実験と解析の結果に基づきこの合金の磁気構造を明らかにするとともに、これらの実験法・解析法の確立を行ってそれぞれの手法によるSL分離の精度・有効性を示し、SL分離という新しい分野の開拓に極めて大きな貢献をした。

 本論文は金属学の発展に寄与すること大であり、よって博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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