学位論文要旨



No 117112
著者(漢字) 内田,さやか
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,サヤカ
標題(和) ポリオキソメタレート化合物の吸収特性とその制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 117112
報告番号 甲17112
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5253号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 大久保,達也
 東京大学 講師 引地,史郎
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 新規な物性や機能の発現を期待して、分子レベルで組織化されたミクロ構造体の合成が盛んである。ミクロ構造体の中でも、構造内に分子レベルの微空間を有するゼオライトや層状化合物は、石油化学や環境化学等の分野で分離剤や触媒として長年利用されてきた。しかしながら、これらの組成は限られており、物性の制御の為に、骨格構造に遷移金属を導入するのは困難である。

 分子性酸化物クラスターであるポリオキソメタレートは、酸塩基能や酸化還元能を示し、触媒材料として広く研究されている。従来の酸化物触媒とは異なり、分子・原子レベルで組成や構造を制御でき、精密な材料設計が可能である。ポリオキソメタレートは、対カチオンや結晶溶媒の種類や量により様々な三次元配列をとり、触媒能と密接に関連する。例えば対カチオンをプロトンとした場合(例:H3PW12O40)、極性分子を固体内に吸収する擬液相を形成し、酸反応が進行する。しかしながら、擬液相への吸収は、無機ゼオライトの細孔径に応じた形状選択的な吸着とは異なり、分子サイズに依らない。

 本研究では、(1)H3PW12O40擬液相の吸収分子の状態を解明すること、さらに形状選択的吸着・吸収能の発現や触媒反応系へ展開する為に、(2)ポリオキソメタレートをモチーフとしたミクロ構造体を構築し、有機分子の吸収能を制御することの二点を目的とした。

1.H3PW12O40擬液相の吸収分子の状態

 メタノールをプローブ分子として、固体NMRを用いて検討した。Cs3PW12O40の表面吸着メタノール種の13C-NMRシグナル(図1a)は、溶液メタノールとほぼ同じ位置に現れた。一方、H3PW12O40擬液相では(図1b)シグナルが低磁場シフトし、超強酸溶液中のプロトン化メタノール種に近い位置に観測された。従って、擬液相中に吸収されたメタノールは、プロトンと強く相互作用していることが示唆される。メタノール吸収量が増加しても、このようなシグナルの低磁場シフトは観測された。エタノールやジエチルエーテル等のより大きな有機分子の場合にも観測された。従って、擬液相内の吸収分子は、その量やサイズによらず、プロトンと強く相互作用すると結論した。

2.ポリオキソメタレートをモチーフとしたミクロ構造体の構築と吸収特性制御

2.1 マクロカチオンの利用

 微空間を有するミクロ構造体の合成には、ポリオキソメタレートの対カチオンの選択が重要である。プロトンのように分極率が大きいカチオンの場合、カチオンが有機分子と強く相互作用することが駆動力となって有機分子を取りこむと考えられ、吸収能が分子サイズに依らない(擬液相)。また、Cs+等のアルカリ金属カチオンの場合、強くて等方的なクーロン相互作用により、図2aに示すような密な結晶構造を形成する。分子性のカチオン種(マクロカチオン)を用いたなら、図2b、cに示すように、分子の対称性に応じたイオン種の充填により方向性が現れ、微空間が形成される可能性がある。

 そこで図3に示すように、分子内に三回回転軸を有する、クロム蟻酸錯体:[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]+をマクロカチオンとして用い、Keggin型ポリオキソメタレート:[SiW12O40]4-との複合化を試みた。その結果、K3[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]SiW12O40・12H2O(1:monoclinic C2/m with a=27.258(4), b=15.764(6), c=15.285(4), andβ=102.73(2))を得た。得られたミクロ構造体は、マクロカチオンの対称性を反映してイオン種がヘキサゴナルに充填し、細孔径が約0.5×0.8nmの水分子を含む直線チャンネルが[001]方向に沿って形成される。

2.2 マクロカチオン−ポリオキソメタレートミクロ構造体の吸収特性

 1のチャンネル中の水分子は室温排気により脱離し、それに伴い粉末XRDパターンはブロードになる。さらにこの試料を室温で水蒸気と接触させると粉末XRDパターンは回復する。従って、1は水分子を可逆的に吸収・脱離することが明らかとなった。チャンネル内の水分子を有機分子と交換できたならば、反応場として利用できる可能性がある。以下、1の有機分子の吸収能を検討した。

 図4のアルコールの吸収等温線に示すように、脱水した1はメタノールとエタノールは吸収するが、より大きなアルコールは吸収しなかった。また、図5に示すようにC1-C3アルコールの混合物から希薄条件下でメタノールのみを吸収した。Ca-A型ゼオライトやバナジウム系の層状化合物はC4アルコールの異性体を分離できるが、C3以下のアルコール分子の分離はこれまでに報告されておらず、C3以下のアルコールの分離は本研究が初めての例である。

 次に、ニトリルの吸収について検討した結果、アセトニトリルはエタノールに似た等温線を示したが、より大きなニトリルは吸収せず、アルコールの場合と同様な選択性が観測された。有機分子を繰り返し吸収・脱離させても吸収能は低下せず、また、ポリオキソメタレートとマクロカチオンの構造は保持されることをIRスペクトルより確認した。また、これらのアルコールやニトリル類と同等の分子径を有するクロロホルムや1,2-ジクロロエタン、無極性分子であるメタンや窒素、一酸化窒素は吸収されなかった。従って、分子を大きさのみならず極性でも区別するという、無機ゼオライトの細孔径に応じた吸着能とは異なる吸収特性を1が示すことが明らかとなった。

2.3 マクロカチオン−ポリオキソメタレートミクロ構造体の吸収特性制御

 1はイオン結晶であるので、イオンの電荷を変えれば、結晶構造や有機分子の吸収能は変化すると考えられる。ポリオキソメタレートとして、形状は同じくKeggin型で、中心原子の置換により異なるアニオン電荷を有する、[PW12O40]3-, [BW12O40]5-, [CoW12O40]6-を用いて、ミクロ構造体の合成を行った。その結果、Na2[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]PW12O40・nH2O 2, Rb4[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]BW12O40・nH2O 3, Cs5[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]CoW12O40・nH2O 4,の組成を有する結晶性ミクロ構造体が得られ、単結晶X線構造解析を行った。その結果、アニオン電荷の小さな2は、1と同様、イオン種がヘキサゴナルに充填し、水分子を含むチャンネル構造をとるが、アニオン電荷の大きな3,4では明確なチャンネルはなく、密に充填した構造をとることが明らかとなった。これらについて、アルコールの吸収能を検討した。2はメタノール、エタノールのみならず1-プロパノール、2-プロパノールも吸収した。一方、3はメタノールのみ、4はメタノールも吸収しなかった。以上より、複合体を構成するポリオキソメタレートのアニオン電荷が小さくなるほど大きなアルコール分子を吸収でき、炭素鎖一個分で吸収能を制御できることが明らかとなった。

3.まとめ

 本研究において、(1)非形状選択的に極性分子を吸収するH3PW12O40擬液相の吸収分子の状態を解明すること、さらに形状選択的吸着・吸収能の発現や触媒反応系へ展開する為に、(2)ポリオキソメタレートをモチーフとしたミクロ構造体を構築し、有機分子の吸収能を制御することの二点を目的とし、以下のことを明らかにした。

(1)H3PW12O40擬液相では、吸収分子はサイズや量に依らず、プロトンと強く相互作用する。

(2)マクロカチオンを対カチオンとしてKeggin型ポリオキソメタレート:[SiW12O40]4-と複合化を試みた結果、マクロカチオンの対称性が反映したチャンネル構造を有するミクロ構造体:K3[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]SiW12O40・12H2O1が得られた。

(3)1は、分子サイズと極性により分子を区別して吸収するという、特異な特性を発現した。

(4)ミクロ構造体をつくるポリオキソメタレートのアニオン電荷が小さくなるほど、大きなアルコール分子を吸収でき、炭素鎖一つ分で吸収特性が制御できることが明らかとなった。

図1.メタノールの13C-NMRスペクトル

(a)Cs3PW12O40,(b)H3PW12O40擬液相

図2.様々なカチオン種を用いたときの結晶構造モデル

(a)Cs+等のアルカリ金属カチオンを用いた場合,(b),(c)マクロカチオンを用いた場合

図3.マクロカチオン−ポリオキソメタレートミクロ構造体の合成と結晶構造

図4.アルコール吸収等温線

(a)メタノール,(b)エタノール,(c)プロパノール,(d)ブタノール

図5.混合物からのアルコール吸収挙動

(a)メタノール,(b)エタノール,(c)1-プロパノール

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「ポリオキソメタレート化合物の吸収特性とその制御に関する研究」と題し、全6章より構成されている。

 第1章は序論である。まず、分子レベルで組織化された物質であるミクロ構造体の吸着・吸収特性の概要、既存のミクロ構造体では小分子(<C3)や極性・官能基に応じた分離が困難であることを記している。次に、分子性酸化物クラスターであるポリオキソメタレートの構造、既存のポリオキソメタレート化合物の吸収・触媒特性、及び新規なミクロ構造体の構成要素としてのポリオキソメタレートの可能性について記している。さらに、本研究の目的が、有機分子の吸収特性が制御されたポリオキソメタレートミクロ構造体の構築であることを記している。

 第2章では、プロトン型ポリオキソメタレート化合物(H3PW12O40)に吸収された有機極性分子の状態について固体多核NMRを用いて検討している。その結果、吸収分子は量や炭素数によらずプロトンと強く相互作用することを明らかにしている。プロトンと有機極性分子との間に働く強いイオン−双極子相互作用を駆動力として、H3PW12O40固体内に分子が吸収されるため、炭素数によらない吸収特性が現れることを明らかにしている。

 第3章では、マクロカチオン−ポリオキソメタレートミクロ構造体の構築を試みている。第2章で得られた知見を生かし、イオン電位が低く(サイズが大きく電荷は小さい)、さらに分子内に対称軸を有するマクロカチオン[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]+を対カチオンとしてミクロ構造体の合成を行い、IR、UV-visスペクトル、TG、ICP、CHN分析、単結晶X線構造解析よりその組成及び結晶構造を決定している。その結果、K3[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]SiW12O40・16H2O(K-Cr-SiW)の組成を有するミクロ構造体が得られ、この構造体がマクロカチオンの対称性に応じてアニオン−カチオンが配列してナノサイズの微空間を有することを明らかにしている。

 第4章では、新規なミクロ構造体であるK-Cr-SiWの吸収特性について検討している。K-Cr-SiWは、吸収分子に応じて固体内のアニオン−カチオン配列が動的に変化し、C2以下の有機極性分子を吸収することを明らかにしている。吸収分子がダイナミックな構造変化を誘起することにより、選択的な吸収特性が実現されると推察されている。K-Cr-SiWは選択的な吸収特性を示すのみならずC1-C3アルコール混合物からC1アルコール(メタノール)を分離・吸収し、分離特性は酸化反応活性にも反映されることを示している。

 第5章では、ポリオキソメタレートのアニオン電荷を変化させたミクロ構造体を構築することにより、吸収特性を系統的に制御する試みについて記している。まず、アニオン電荷に応じて微空間の体積が変化してミクロ構造を制御できること、次に、アニオン電荷の小さいミクロ構造体ほど炭素数の多い有機極性分子を吸収することを示している。このような吸収特性の変化は、ミクロ構造体のアニオン電荷の大小に応じて結晶格子のクーロンエネルギーと構成イオンの溶媒和エネルギーのバランスが変化することによるものと推定している。

 第6章は、全体の総括である。

 本論文では、アニオン電荷を変化させた一連のマクロカチオン−ポリオキソメタレートミクロ構造体を構築し、C3以下の小さな有機極性分子の選択的吸収特性を初めて見出している。これらの結果は、無機化学、触媒化学的に重要な知見である。よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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