学位論文要旨



No 117113
著者(漢字) 坂井,伸行
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ノブユキ
標題(和) 酸化チタン表面の超親水化現象の発現機構に関する研究
標題(洋) Mechanism for the Generation of Super-Hydrophilic TiO2 Surfaces
報告番号 117113
報告番号 甲17113
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5254号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 助教授 金,幸夫
 東京大学 助教授 瀬川,浩司
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 酸化チタン(TiO2)は半導体光触媒として良く知られており、そのバンドギャップ以上のエネルギーを持つ光を吸収すると価電子帯に正孔、伝導帯に電子が生じる。TiO2の価電子帯は深いエネルギー位置(+3V vs. NHE, pH 0)にあるため、生じた正孔は強い酸化力を持つ。このような強い酸化力を持つTiO2粉末は、水処理や空気浄化を目的とした環境浄化材料として盛んに研究されてきた。1990年代になり、材料自体に抗菌やセルフクリーニング機能を持たせるため、様々な材料に薄膜として担持させた光触媒の研究が行われるようになった。このような状況において、TiO2表面が紫外光照射によって非常に高い親水性(超親水性)を示すことが発見された。

 親水性は一般に水に対する接触角により評価される。接触角はYoungの式により表面自由エネルギーの関数になっており、固体の表面自由エネルギーの増大により親水性は向上する。TiO2表面はもともとあまり親水性が高くないが、紫外光照射により接触角ゼロ度という超親水性になる。光照射をやめると徐々に接触角は増大し元の状態に戻るが、光照射を行うと再び超親水性が得られるため、断続的な光照射により超親水性を維持することができる。超親水性の発見は、防曇性や雨水によるセルフクリーニング効果といった新しい機能をTiO2コーティング材料に付与した。しかし、現在実用化されている親水化材料は太陽光に含まれる紫外線(〜1mW/cm2)を利用できる屋外用途に限られている。蛍光灯に含まれる微弱な紫外線(〜1μW/cm2)に応答する親水化材料が得られれば屋内用途へ展開できるため、親水化材料の高感度化が図られている。

 一方、TiO2表面の超親水性が紫外光照射によってどのように発現するのかはたいへん興味深く、これを明らかにすることで高感度材料の設計指針が得られると考えられる。TiO2の光触媒作用による吸着有機物の分解除去といった超親水性発現モデルが容易に推測されるが、TiO2と同等な酸化力を持つSrTiO3表面では超親水性が得られないことやアルカリ処理により表面有機物を除去しても超親水性にならないことなどから、吸着有機物の除去は超親水性発現の本質ではないと結論される。一方、光照射によって無数の親水性ドメインがTiO2単結晶表面上に形成されることが原子間力顕微鏡により観察されることから、超親水性の発現はTiO2表面の光誘起構造変化に起因するものと考えられる。本研究では、高感度材料の設計指針を得るためにさまざまな手法によりTiO2表面の超親水化現象を観察し、その発現機構を明らかにすることを目的とした。

2.紫外光照射による表面構造変化の検討

 アナターゼ多結晶薄膜を用いてその表面をX線光電子分光(XPS)により検討したところ、Ti 2pのXPSスペクトルは光照射前後で変化しなかったが、O 1sのXPSスペクトルは主ピークよりも高エネルギー側の肩が光照射により増大した。この肩は表面水酸基に帰属され、その増加量と接触角の逆数との間には強い正の相関が見られた(Fig.1)。この光生成した水酸基は暗所において徐々に脱離することから、熱力学的に準安定な状態にあると考えられる。実際に純水中での超音波処理により接触角の増大と表面水酸基の減少が見られる。超親水性状態のTiO2表面に純水中で超音波処理を行うと接触角は0°から11°に増加し、これに紫外光照射を行うと再び接触角0°の高い親水性が得られた。このとき表面水酸基が超音波処理により減少し、光照射に伴って再び増加することがXPSにより確認された。したがって、TiO2表面の超親水化現象は表面水酸基の増加を伴っていると考えられる。

 表面水酸基についてさらに詳しく検討するために昇温脱離ガス分析(TDS)を行った。TiO2表面からの水の脱離を調べたところ、100℃近傍と230℃近傍での脱離が観察された。超高真空中での光照射後、水蒸気に曝露した試料では高温側での脱離が増大したが、大気中での光照射では逆に減少した。また、大気中で光照射を行った後、暗所で保存した試料では高温側での脱離が増大した(Fig.2)。超高真空中での光照射によって酸素欠陥が生成し、その後の水蒸気曝露により水酸基が形成されることがXPSにより確かめられている。超高真空中での光照射により増大した高温側での脱離は酸素欠陥に配位した水酸基に帰属されると考えられる。したがって、大気中での光照射により酸素欠陥に配位した水酸基が減少すると考えられる。また、その水酸基量と接触角の逆数には強い相関が見られた。

 酸素欠陥に配位した水酸基は他の水酸基から孤立しているため、そのOH伸縮振動バンドは高波数側に現れる。実際に、赤外吸収分光(IR)によって酸素欠陥に配位した水酸基に相当する3694cm-1のvOHが光照射により減少し、暗所において回復することが報告されており、TDSの結果と一致する。一方、光照射により3270cm-1のvOHが増加することが別の研究グループにより報告されている。このバンドは水酸基が互いに水素結合を形成するときに現れる。以上の結果を合わせると、光照射により表面水酸基の再配列が起きていると考えられる。すなわち、Ti原子に2配位の水酸基からTi原子に1配位の二つの水酸基への置換が光照射により誘起される(Fig.3)。また、この水酸基の再配列が起きるサイト数は接触角の逆数と強い相関があることが示された。

3.表面水酸基の再配列過程の検討

 光照射による表面水酸基の再配列過程を接触角測定により検討した。TiO2薄膜の光照射下での接触角変化を調べたところ、接触角の逆数を時間に対してプロットすると直線が得られ(Fig.4)、表面水酸基の再配列が光照射に対して線形的に進行することが示された。この直線の傾きを親水化速度(Kf)と捉えることができ、これを用いて光強度依存性について詳しく検討したところ、光強度(I)の低い領域では光量律速(kf∝I)に、高い領域では再結合支配的(kf∝I0.5)になっていることが示された(Fig.5)。したがって、光生成した電子・正孔対が表面水酸基の再配列過程に関与していると考えられる。

 次に、TiO2薄膜電極を用いて電位により空間電荷層におけるバンドの曲がりを制御し、光誘起親水化に及ぼす光生成キャリヤーについて検討を行った。-0.8V(vs. Ag/AgCl, pH 6.86)より負の電位では全く親水化しなかったが、これより正の電位では光誘起親水化が進行し、分極の増大に伴って親水化速度の増大が見られた(Fig.6)。光誘起親水化のための閾値は、TiO2電極のフラットバンド電位とほぼ一致した。つまり、アノード分極下においてのみ光誘起親水化が進行すると考えられる。

 光誘起親水化はTiO2電極のバンドの曲がりと密接な関係を持っていると考えられる。フラットバンド電位では励起電子・正孔対はほとんど再結合するが、アノード分極下ではTiO2電極の空間電荷層における電位勾配により光電荷分離が生じ、光生成した電子、正孔はそれぞれ対極およびTiO2電極表面に移動する。分極の増大により電位勾配が急峻になると光電荷分離効率が増大し、電極表面での正孔濃度が増加する。その結果、光誘起親水化が促進されると考えられる。正孔捕捉剤(Na2SO3)を電解液に添加してアノード分極下(+0.5V)で光照射を行ったところ、その濃度の増加に伴って光誘起親水化が抑制された(Fig.7)。したがって、表面水酸基の再配列には光生成した正孔が関与していると考えられる。

4.超親水性の発現機構

 表面水酸基が光照射によって増加し、超音波処理による接触角の上昇に伴って減少することがXPSにより示される一方、酸素欠陥に配位した水酸基が光照射により減少し、暗所保存により回復することがTDSにより観察された。また、酸素欠陥に配位した水酸基に帰属されるOH伸縮振動バンドが光照射により減少し、3270cm-1のOH伸縮振動バンドが増加することがIRによって報告されている。これらの結果から表面水酸基の再配列を含む表面構造変化が光照射により誘起されると考えられる。

 このような表面水酸基の再配列には光生成した正孔が関与していることが光強度依存性や電極電位依存性の結果から考えられる。通常の光触媒反応において、光生成した正孔は表面に拡散して格子酸素にトラップされOHラジカルを生成するか、直接吸着物を酸化すると考えられている。正孔が格子酸素にトラップされたときTi−O間の結合距離は長くなり、酸素欠陥に配位した水酸基とTiO2との相互作用が光照射によって弱まると考えられる。その際に吸着水がTiに配位して新たな表面水酸基が形成され、その結果、TiO2表面の水酸基密度は増加すると考えられる。

 酸素欠陥に配位した水酸基は脱離温度が高いことから光照射前のTiO2表面は安定化しており、その表面自由エネルギーは比較的低いと考えられる。一方、光照射により形成された表面水酸基は脱離温度が比較的低く、光照射後のTiO2表面は準安定化しており、その表面自由エネルギーは光照射前のそれに比べて高いと考えられる。このような表面水酸基が核となって、単結晶表面で見られた数十nmサイズの親水性ドメインが形成されると推測される。表面自由エネルギーの異なるドメインの存在により表面方向への毛管力が働く。親水性ドメインの密度が増加するに従って表面方向への毛管力が強まり、その結果、水滴が表面に広がりやすくなり、すなわち超親水性が発現すると考えられる。

5.結論

 本研究では、TiO2表面が紫外光照射により超親水性を発現する機構について実験的に検討した。その結果、ミクロな領域での表面水酸基の光誘起再配列によりもとの表面とは異なる表面自由エネルギーを持つドメインが形成され、マクロな表面物性に顕著な影響を与えることが示された。

 表面水酸基の再配列は、光生成した正孔が酸素欠陥に配位した水酸基のサイトでトラップされて進行すると考えられる。本研究結果を基にすると、超親水性材料の高感度化の手法として、(1)光生成した正孔の効率的な利用、(2)酸素欠陥の多い最表面の選択的露出が考えられる。

【発表論文】

[1] T. N. Rao, Y. Komoda, N. Sakai, and A. Fujishima, Chem. Lett., 1997, 307.

[2] N. Sakai, Y. Komoda, T. N. Rao, D. A. Tryk, and A. Fujishima, J. Electroanal. Chem., 445, 1 (1998).

[3] Y. Komoda, N. Sakai, T. N. Rao, D. A. Tryk, and A. Fujishima, Langmuir, 14, 1081 (1998).

[4] N. Sakai, R. Wang, A. Fujishima, T. Watanabe, and K. Hashimoto, Langmuir, 14, 5918 (1998).

[5] R. Wang, N. Sakai, A. Fujishima, T. Watanabe, and K. Hashimoto, J. Phys. Chem. B, 103, 2188 (1999).

[6] N. Sakai, A. Fujishima, T. Watanabe, and K. Hashimoto, J. Phys. Chem. B, 105, 3023 (2001).

[7] N. Sakai, A. Fujishima, T. Watanabe, and K. Hashimoto, J. Electrochem. Soc., 148, E395 (2001).

[8] N. Sakai, A. Fujishima, T. Watanabe, and K. Hashimoto, in preparation.

Fig.1 XPSから見積もった表面水酸基量と接触角の逆数の関係

Fig.2 TiO2表面の昇温脱離スペクトル(M/z=18)。

UV照射時間:(a) 0分、(b) 10分、(c) 30分、(d) 120分。(e) (c)後、暗所保存16時間。

Fig.3 光照射によるTiO2表面水酸基の再配列モデル

Fig.4 光照射による接触角の逆数の変化(a) 0.2、(b) 0.7、(c) 1.0 mW cm-2。

Fig.5 親水化速度の光強度依存性

Fig.6 各電極電位における接触角変化。

(a) -0.8、(b) -0.5、(c) -0.2、(d) +0.2、(e) +0.5、(f) +0.8V。

Fig.7 正孔捕捉剤による親水化の抑制

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、光触媒として広く研究されている酸化チタン表面が紫外光照射によって非常に高い親水性−超親水性−となる現象について、その発現機構の解明に関する検討結果を主内容とするもので、全八章より構成される。第一章では本研究の背景と目的について述べ、つづく四つの章で光誘起超親水化現象を実験的に検討し、第六章でその発現機構を述べている。第七章では光励起過程を含まない超親水性の発現について述べられ、最後の章では全体の総括と本研究に関する将来展望が述べられている。

 第一章は序論であり、酸化チタン電極を用いた水の光分解(本多−藤嶋効果)に端を発する酸化チタン光触媒の研究歴史とその原理、濡れ性に関する基本的な概念、超親水性の発見とその応用について概観し、研究の目的について述べている。超親水性材料はすでに実用化されているがその発現機構は明らかではなく、また、紫外線強度の低い屋内用途への展開のためには高感度化が必要であることから発現機構の解明の必要性について述べている。

 第二章では、酸化チタン表面の親水性変化を接触角を用いて評価し、表面状態変化をXPSにより検討している。酸化チタン表面に光照射を行うと親水性は向上し、光照射をやめてもしばらく高い親水性が維持されるが、徐々に親水性は低下する。これは光触媒反応による吸着有機物の分解除去モデルによって一見、容易に理解されるが、アルカリ処理などによる吸着有機物の除去では高い親水性が得られず、別の発現機構が存在することを指摘している。紫外光照射により接触角が減少すると表面水酸基が増加する一方、暗所保存や超音波照射により接触角が増大すると表面水酸基が減少することを示している。

 第三章では、酸化チタン表面の水酸基について詳しく検討している。光照射による親水化によって全水酸基量が増加することをX線光電子分光により明らかにする一方で、酸素欠陥に配位した表面水酸基は減少することを昇温脱離分析により明らかにしている。また、酸化チタン電極のフラットバンド電位が光照射による親水化に伴って正にシフトすることを電気化学的な検討により明らかにしている。これらの実験結果は、酸化チタン表面の水酸基が光照射により再配列することを強く支持することを述べている。一方、表面水酸基の増加量と接触角の逆数、酸素欠陥に配位した表面水酸基の減少量と接触角の逆数、フラットバンド電位のシフト幅と接触角の逆数にはそれぞれ強い相関があることを明らかにし、表面水酸基の再配列のサイト数が接触角の逆数により表すことができることを述べている。

 第四章では、接触角を用いて親水性変化の速度論的解析を行っている。光照射による親水化の過程では、接触角の逆数が光照射時間に対して線形的に増加することを見出し、この変化量を親水化速度と捉えることを提案している。これにより親水化における光強度依存性や照射光波長依存性についての定量的な議論を可能にし、励起電子−正孔対が親水化に関与していることを明確に示している。一方、疎水化速度は親水化に伴って増大することを示し、親水化速度とのつり合いにより限界接触角を与えることを明らかにしている。

 第五章では、酸化チタン電極を用いて光誘起親水化における電極電位依存性について検討している。カソード分極下では光誘起親水化が見られないのに対し、アノード分極下では分極の増大に伴って親水化速度が増大することが示されている。また、正孔捕捉剤を用いた実験では親水化反応と正孔捕捉剤の酸化反応が競争的に進行することが示されている。これらの実験結果を基に光誘起親水化には光生成した正孔が直接関与していると結論づけている。

 第六章では、以上の実験結果を基に光誘起超親水性の発現機構について述べ、さらにこの発現機構を基にした高感度化の設計指針モデルについて述べている。酸化チタン表面は水酸化により熱力学的に安定化しているが、光照射により表面水酸基が再配列し、酸化チタン表面が熱力学的に準安定な状態になるために親水性が向上し、超親水性が発現すると結論づけている。また、高感度化の設計指針として(1)光電荷分離効率の向上による正孔の効率的利用、(2)再配列の起きやすい表面の選択的露出を挙げている。

 第七章では、光誘起過程を含まない超親水性の発現とその機構について論じている。酸化チタン電極を電気化学的にカソード分極させると、電極表面の親水性が向上し、分極により伝導帯およびその近傍のトラップサイトに電子が蓄積され、同時にプロトンがインターカレーションすることにより表面水酸基密度を増大させるためと結論づけている。また、電子が蓄積されやすいアモルファス酸化チタン電極を用いることにより超親水性が得られることを示している。

 第八章は全体の総括と本研究に関する将来展望が述べられている。

 以上述べたように、本論文では、大気中での酸化チタン表面の水酸基に関する新たな知見を得ると共に、光誘起超親水性の発現が従来の酸化分解型の光触媒反応とは本質的に異なることを明らかにしている。これらの結果は酸化チタン光触媒に関する研究分野のみならず、表面科学に関する研究分野においても非常に重要な知見であり、基礎・応用いずれの見地からもこれらの分野の今後の発展に寄与するものと認められ、高く評価できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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