学位論文要旨



No 117118
著者(漢字) 田村,泰彦
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,ヤスヒコ
標題(和) 不具合に関する設計知識の運用法の構築 : 知識構造に基づく本質知の獲得と活用
標題(洋)
報告番号 117118
報告番号 甲17118
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5259号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,悦功
 東京大学 教授 小宮山,宏
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 教授 中尾,政之
 東京大学 助教授 平尾,雅彦
内容要旨 要旨を表示する

 近年,多種多様化した製品機能や高信頼性の作り込み,新製品開発期間の短縮などの相反する要求の実現のため,製品設計の重要性がますます高まっている.その一方で,製品やプロセスの設計不具合が,市場や量産工程,また製品開発時の試作・量産準備段階において後を絶たない.これらの不具合は,全生産品の回収や改修などに伴う費用の増大,また製品開発期間の延長や開発費用の増大など深刻な問題を引き起こしている.

 設計不具合に特筆すべき特徴は,当該設計技術分野において既知で簡単な自然科学メカニズムに基づいており,また同じ発生メカニズムの不具合が多くの部品,ユニットに横断的に発生していることである.このような特徴をもつ不具合は,組織が設計の失敗経験および設計に関わる一般的自然科学メカニズムをもとに不具合に関する設計知識を再利用可能な形式で獲得・保有し,設計に対する要求から導出した設計案に対して,その妥当性の検討・評価(例えば,FMEA,デザインレビュー,検図,設計時のセルフチェックなど)に効果的に活用し,設計対象に起こり得る不具合の因果連鎖を予測できていれば未然に防げたはずのものばかりである.しかし不具合に関する設計知識は,設計不具合事例,故障解析シート,信頼性試験報告書など様々な文書の中に存在しているにも関わらず,実際の設計に広く活用できていないのが現状である.本研究では,不具合に関する知識が設計に広く活用できていない具体的な問題点を明確にし,組織が経験する設計不具合から将来の設計に十分に再利用できるようにその本質を知識化し,設計に活用することを実現する不具合に関する設計知識の運用法を構築することを目的とする.

 不具合に関する設計知識は図1に示すような知識運用モデルにしたがって獲得,活用されることによって,抽象化,具体化を繰り返す.

 不具合が生じると不具合発生メカニズムの同定を通じて不具合対象に起きた不具合に対する認識を一時的な知識として獲得する.そしてその認識から,将来の設計対象に広く再利用できるように不具合発生メカニズムに必要な本質的な概念とそれらの関係を明確にし,不具合に対する認識を一般化,抽象化して,不具合に関する一般的知識を獲得する.一般的知識は様々な組織に転移され,既存の保有知識と整合性を保つように融合し,知識が増殖,精緻化される.(知識獲得過程)

 設計者は導出した設計案に対し,それが具備し,製品ライフサイクルを通して与えられ得る不具合に関する一般的,抽象的な特性・属性群を抽出し,それらによって生じ得る不具合に関する知識を組織共有知識への検索を通じて抽出する.そして知識を設計対象に具体化し,果たして起こり得るかどうか定性的,定量的に判断し,結果として未然防止すべきものに対して設計案の修正を実施し,新たな設計案を形成する.この活動を繰り返し,最適案を導出する.(知識活用過程)

 本研究では知識運用上の問題点を明らかにした.

1) 原因→結果の因果連鎖の一連の流れにおいて,論理の一部が抜け落ちたり,将来の予測的解析に必要な概念が不十分なために,因果連鎖の知識自体が不完全である. →【一般化】

2) 因果連鎖の知識が不具合が発生した実体のモデルに限定されて知識化されており,不具合の本質的なメカニズムを抽象化,一般化して,広い対象領域に適用できる本質的属性群を抽出,体系化できていない. →【一般化】

3) 獲得された一般的知識と既に整理・蓄積されている知識と関係が明確でないため,獲得した知識を転移し,体系的な組織共有知識を生成,最適化することができない. →【転移】

4) 設計対象から,整理,蓄積されている一般的知識に辿り着けるように,不具合に関する概念を網羅的に抽出することができない. →【概念抽出】

5) 検索を実施した結果,設計対象に対して必要かつ十分な知識を収集することができない. →【検索】

 不具合発生メカニズムの【同定】に関しては本研究では検討しない.本研究では1)〜3)の問題点の克服を通じて知識獲得方法を,4),5)の問題点の克服を通じて知識活用方法を提案し,不具合の知識運用法を構築する.

 問題点1)〜3)を克服するために,不具合に関する設計知識は,問題点それぞれに対応して網羅性,一般性,分節性という3要件を満たさなければならない.本論文では要件を満たすために,図2に示すような不具合の因果連鎖の知識構造を提案する.不具合は多くの原因→結果から構成される複雑な因果連鎖の結果として表れる.提案する知識構造は,設計技術的に考慮すべき望ましくない現象や状態の発生メカニズムをストレスーストレングスモデルによる分節で捉え,その分節ごとの論理的なつながりによって因果連鎖を体系的に獲得する.ストレスーストレングスモデルでは,各分節において設計への再利用に必要な重要概念を網羅的に含むために以下の5つの基本概念により構成される.

不具合モード:一連の因果連鎖のなかで決定した解析対象において生じる機能喪失,低下に関わる一般,抽象的な現象,状態,特性

定義属性:不具合モードの発生メカニズムが適用できる一般的な対象領域を決定する属性,特性

ストレングス:不具合モード発生を防止するために定義属性を具備する対象に対して設計で意図的に作り込むべき機能性,不具合モードの耐性を示す総合的特性

制御属性:ストレングスの大きさの決定に関わる設計対象が具備する特性,属性

ストレス:定義属性を具備する対象に与えられる不具合モードを引き起こす特性群

 また5つの基本概念間の関係性を正しく知識化するために,不具合モード発生メカニズムの型を提案する.

相対的因果メカニズム:

 定義属性をもつ対象において,制御属性によって構成されるストレングスに対して,相対的により大きなストレスが与えられることによって,不具合モードが発生する.

絶対的因果メカニズム:

 定義属性をもつ対象において,制御属性によって構成されるストレングスが喪失するか,特性として対象が具備していないことによって,絶対的に不具合モードが発生する.

 絶対的因果メカニズムは,ストレングスが喪失していることによってストレスの存在がなくとも必然的に不具合モードが発生する場合と,ストレングスを具備していないことによって何らのストレスが与えられると必然的に生じる場合という2つの型がある.

 不具合モード発生メカニズムのつながりにおいて,ある不具合モードは次の分節のなかにおいて,A)定義属性の付加,B)御属性の水準変動,C)ストレスの付加/水準変動のいずれかであると捉える.また不具合モードがA),B),C)となる論理的解釈を容易化するために以下の2つの捉え方がある.

形態維持:不具合モードの形態が次の不具合発生における原因を直接的に表しているため,その不具合モードの形態を変えることなく次の分節の構成要素に接続すること

形態置換:不具合モードの形態を次の因果関係が論理的に理解可能になるように異なる視点から別の現象や状態に解釈し直し,次の因果メカニズム単位に接続すること

 定義属性が適切に一般化され,広い設計対象に再利用できる概念を形成するために以下の12個の観点を用意する.

 機能,動作原理,構造,位置/空間,形状,材質,加工方法,組立方法,形状,寸法,構成品目,付加的現象,複合概念

 これらの観点を多角的,複合的に適用することによって設計に再利用可能な本質的,一般的属性を形成する.

 5つの基本概念及びメカニズムの型と不具合モードの接続法によって,獲得される不具合モード発生メカニズムの知識の網羅性を実現する.また基本概念と定義属性の12個の観点によって知識の一般性を実現する.また分節表現および不具合モードの接続法によって知識の分節性を実現する.整理した知識の具体例を表1に示す.

 問題点4),5)を克服するために本論文では知識活用システムを構築する.概要をあらかじめ図3に示す.システムにおいて構造化された知識をもとに設計支援辞書システムを構築する.辞書は基本概念ごとに構築する.基本概念ごとに収集された概念のIs-a, Has-partの関係を幾つかの観点のもとに構築し,さらに各辞書間の関係付けを概念の内包性や技術的知見をもとに実施する.また一般的に設計現場で利用されている実体モデルに関する概念(部品名,ユニット名などの製品構成品目)の辞書も同様に構築する.

 設計の妥当性の検討・評価の際,設計者が形成した設計案から,設計対象が具備する不具合に関する本質的な概念を漏れなく抽出できるように,構成品目及び図面への指示内容をもとに各辞書横断的に概念間を敷衍させる.また概念同士の排他的関係や設計対象に与えられない属性,特性も同時に獲得し,知識ベースへの検索の際に適切な検索の制約文を作り,知識の取捨選択を実施する.検索は基本的に概念検索を用いる.結果として抽出した不具合に関する概念と構造化した知識との適合性を解釈して重要だと判断されるものが,無駄な知識が削除されつつ優先的に提供される.

 最後に本論文で提案する知識運用法の概要を図4に示す.設計過程や市場・工程で発生した不具合を把握,記録し,不具合情報を獲得する.それをもとに提案する知識構造に基づいて知識のエッセンス(構造化知識)を得る.さらにそれを関連組織に必要な分節を転移する.各組識は設計支援辞書システムを構築し,設計に活用する.その結果新たな不具合の経験が得られるとさらに知識の獲得を実施する.この知識の循環的プロセスを通して,不具合に関する設計知識の質を高め,必要な量に集約させる.

図1 知識運用過程のモデル

図2 因果連鎖の知識構造の全貌

表1 整理知識の具体例

図3 不具合に関する設計知識の活用方法の概要

図4 不具合に関する知識運用の全体像

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,「不具合に関する設計知識の運用法の構築−知識構造に基づく本質知の獲得と活用−」と題し,全6章から成っており,不具合事例から再利用性の高い設計に関わる本質知を獲得し活用する方法論について論じている.

 第1章は序論であり,本研究の背景と目的について述べている.設計の重要性は論を待たないが,設計不具合は後を絶たない.意外なことに,現実に発生している設計不具合の多くは,当該設計技術分野において既知で簡単な自然科学メカニズムに基づいており,また同じ発生メカニズムの不具合が多くの部品,ユニットで発生している.これらの不具合は,設計の失敗経験および不具合に関する設計知識を再利用可能な形で保有し,適切な段階で設計内容の妥当性を検討・評価すれば未然に防げるものである.本論文は,不具合に関する知識が設計に効果的に活用できていない問題点を明確にし,設計不具合から再利用可能な本質知を獲得し,設計に活用することを可能にする設計知識の運用法を構築することを目的とするものである.

 第2章では,不具合に関する知識運用と問題点について論じている.不具合に関する知識のあり方を考察するために,設計の現場で設計不具合事例がどのように記述され,どのように知識化されているかを調査している.その結果,知識運用上の問題点として,(1)因果連鎖の知識自体が不完全であること,(2)因果連鎖の知識が不具合発生の対象に限定されていること,(3)獲得した知識から組織共有知識を生成・最適化できていないこと,(4)設計対象に潜む不具合に関わる概念を網羅的に抽出できないこと,(5)検索において必要十分な知識を収集できないことなどを明らかにしている.問題点(1)〜(3)の克服の検討を通じて第3章において知識獲得方法を提案し,また問題点(4)〜(5)の克服の検討を通じて第4章において知識活用方法を提案し,これらを基礎として第5章に記述される不具合の知識運用法を構築している.

 第3章では,不具合に関する知識獲得の方法を提案している.第2章で論じた問題点(1)〜(3)を克服するために,不具合に関する設計知識は,網羅性,一般性,分節性という3要件を満たさなければならないとし,これらを満たすために必要な不具合の因果連鎖の知識構造を提案している.提案する知識構造は,設計技術的に考慮すべき望ましくない現象や状態の発生メカニズムを「ストレスーストレングスモデル」による分節でとらえ,その分節ごとの論理的な連結によって因果連鎖を体系的に理解するというものである.ストレスーストレングスモデルでは,各分節において設計での再利用に必要な重要概念を網羅的に含めるために,「不具合モード」「定義属性」「ストレングス」「制御属性」「ストレス」という5つの基本概念により構成されている.また,これらの基本概念間の関係を正しく知識化するために,「相対的因果メカニズム」「絶対的因果メカニズム」という2つの不具合モード発生メカニズムの型を提案している.

 次に,ストレスーストレングスモデルで記述される分節の連結については,ある不具合モードが「定義属性の付加」「制御属性の水準変動」「ストレスの付加/水準変動」のいずれかによって次の分節に連結するものと捉えている.また,ある不具合モードがこれら3種の形態をもって次の分節に連結する際に,「形態維持」と「形態置換」の2つの捉え方があるとしている.

 特定の設計対象に発生しうる不具合モードを効果的に予測できるためには,定義属性が適切に一般化されていなければならない.広い設計対象に再利用できる概念を形成するために,定義属性として,機能,動作原理,構造,位置/空間,材質,形状,寸法,組立方法,加工方法,構成品目,複合概念,付加的現象という12の観点を提示しており,これらの観点を多角的,複合的に適用することによって再利用可能な本質的,一般的属性を形成しうるとしている.

 第4章では,不具合に関する知識活用の方法を提案している.第2章で論じた問題点(4)〜(5)を克服するために,設計対象に潜む不具合に関わる概念の形成の支援,および設計対象に関連する必要十分な知識の検索を支援する「設計支援辞書システム」を構築している.この辞書は,ストレスーストレングスモデルを構成する5つの基本概念のそれぞれについて,"Is-a""Has-part"の関係をいくつかの観点で構築し,さらに概念の内包性や技術的知見をもとに各辞書間の関係付けを行っている.また,設計現場で利用される部品名,ユニット名などの製品構成品目に関する概念の辞書も同様に構築している.この辞書では,設計対象に潜む不具合に関する本質的な概念を漏れなく抽出できるように各辞書横断的に概念間を敷衍させ,また概念同士の排他的関係や設計対象に与えられない属性・特性も考慮して知識の取捨選択を行っている.

 第5章では,第3章,第4章の提案を基礎にした不具合に関する知識の運用法を提案している.このうち重要なのは,不具合情報から知識のエッセンス(構造化知識)を得る過程であるとして,現実に複写機のFuser systemに関わる不具合事例からの本質知の抽出を設計技術者とともに実施し,さらにこれらの知識から設計支援辞書システムを作成し,これを新たに実装した知識検索システムで運用することによって,本論文の提案の有効性を検証している.

 第6章では,本研究を通じて得られた成果をまとめ,今後の課題と発展について述べている.

 以上要するに,本論文は,設計に関わる知識の中で最も体系化しにくい設計不具合事例に内在する本質知を抽出し活用するための基本的概念,方法論,観点・視点を提案し,同時にそれらを実現する設計支援辞書システムの構造を設計し,実装し,現実の設計の現場に適用して有効性を確認するという,難度の高い主題に対する完成度の高い研究の成果をまとめたものであり,高く評価できる.本研究の成果は,本研究が対象とした分野以外にも適用可能であり,広く「設計」と言われる高度に知的な過程の成熟度を高める理論的枠組みと具体的方法論を与えるものとして,工学的に価値の高いものである.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク