学位論文要旨



No 117121
著者(漢字) 浦,誠司
著者(英字)
著者(カナ) ウラ,セイジ
標題(和) MST1の核内移行とアポトーシスシグナル伝達経路の解析
標題(洋)
報告番号 117121
報告番号 甲17121
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5262号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 助教授 関,実
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 細胞の自殺プログラムであるアポトーシスは、生物の発生においては形態形成時の不要な細胞の除去など、また恒常性の維持においてはウイルスに感染した細胞の処理などにおいて利用されている、生物にとって必要不可欠なメカニズムである。アポトーシスは、様々な外部からの刺激によって、あるいは内在性の遺伝子の発現等によっても誘導されるが、その実行には内在性の因子だけで十分である自律的なメカニズムである。アポトーシスによって実行される細胞死は細胞の内容物をそのまま封じ込めた形で実行され、その後、速やかに貪食によって処理されるため、炎症反応を伴わなず、死すべき細胞が周囲の生き残るべき細胞に与えるダメージが少なくて済む。その為、アポトーシスは生物にとって都合のいい細胞死誘導メカニズムであり、多用されている。実際にその重要性を示す一例として、ウイルス由来のアポトーシス抑制因子や内在性の遺伝子の変異などによってアポトーシスを強く抑制された細胞は癌化することが知られている。また、癌に対する治療の有用な手段である抗癌剤の多くは癌細胞にアポトーシスを誘導することをその主眼としている。これらのことから、応用的な観点から見ても、アポトーシスに対する理解は非常に重要な課題であるといえる。

 これまでにアポトーシスのメカニズムの中心となる分子として、Caspaseファミリーと呼ばれる一群のシステインプロテアーゼの働きが重要であることが多く報告されてきた。Caspaseファミリーは通常は不活性な形で細胞に発現しており、様々なアポトーシスを誘導する刺激によって切断されることによって連鎖的に活性化し、Caspase自身を含む様々な基質を切断することが知られている。また、Caspaseのプロテアーゼ活性を阻害する薬剤により、このCaspaseファミリーがアポトーシスにおいて必須のマシナリーであることが様々な系で示されてきたことから、これまでこのCaspaseファミリーがいかにして活性化されるかに特に注目されて研究がすすめられてきた。一方、Caspaseから実際の死に至るマシナリーについては、様々な基質がCaspaseによって実際に切断されることが報告されている。しかし、それぞれの分子の細胞死における具体的な役割についてはその知見は十分ではなく、一部の例外を除いては、形態的特徴にもとづいた観察以上の理解が進んでいるとは言い難い。しかし、応用的な側面から見た場合、薬剤開発のターゲットとしては、細胞の系によって非常にバラエティに富んでいるCaspaseより上流のマシナリーだけではなく、多くの細胞系に普遍的に存在すると考えられる下流の細胞死実行マシナリーも有望であると考えられる。そこで、本研究では、Caspaseによって切断される基質とその細胞死実行マシナリーとの関係について解析を行った。

2.MST1のシグナル伝達

 MST1は酵母MAPキナーゼカスケードのMAPKKKKであるSTE20のホモローグとして同定されたキナーゼである。MST1はN末端領域にキナーゼ領域を持ち、C末端領域がこのキナーゼ活性に対して抑制的に働いており、この領域を欠失させると恒常的活性型になることが知られている。このN末端領域とC末端領域の間にはCaspaseによって切断を受ける配列が存在し、実際にFas等の様々なアポトーシスを誘導する刺激において、切断され、活性化されることがわかっている(図1)。MST1はその下流でJNK/p38のストレス応答MAPKスーパーファミリーを活性化するが、その役割は明らかではなかった。本研究ではMST1の下流のシグナル伝達経路のアポトーシスにおける役割を明らかにすることを目的とした。

 MST1を細胞に発現させると、キナーゼ活性依存的にCaspaseの活性化、DNAの断片化、および、細胞の収縮、核の凝集といたアポトーシスに特徴的な変化が観察された。また、これらの変化は優性抑制型のJNKで阻害されたが、優性抑制型のp38やp38の阻害剤であるSB203580によっては抑制されなかった。このことから、MST1はJNKを介してアポトーシスを誘導することが明らかになった。また、MST1がJNKを介してCaspaseを活性化することと、これまでに明らかであったCaspaseがMST1を活性化させるという知見から、MST1-JNK経路とCaspase経路の間に正のフィードバックループが存在することが示唆された。

 MST1がCaspaseを下流で活性化させることからMST1によって誘導されるアポトーシスがCaspaseに依存するかどうかをCaspaseの阻害剤を用いて検討したところ、DNAの断片化はCaspaseの阻害剤で完全に抑制された。ICADの発現によってもMST1によるDNAの断片化が抑制されることから、DNAの断片化はこれまでによく知られているCaspase-ICAD-CAD経路を介していることが明らかになった。一方で、細胞の収縮や核の凝集に対するCaspase阻害剤の効果を検討したところ、どちらも全くCaspase阻害剤の影響を受けないことが明らかになった。このことは、MST1-JNK経路の下流でCaspaseを介さない細胞死実行マシナリーが存在することを示唆している。

 本研究で明らかになったMST1の下流のシグナル伝達経路を図2に示した。

3.MST1の核内移行

 アポトーシスにおいては、細胞の収縮や細胞膜のブレビング、核の凝集やDNAの断片化といった様々な特徴的な変化が引き起こされる。これらの変化は大別すると細胞質で起きる変化と核で起きる変化とに分類できる。例えばデスレセプターによって誘導されるアポトーシスにおいては、まず細胞膜上のレセプターにアダプター分子を介して結合したCaspaseが活性化することから始まる。すなわち、アポトーシスの初期段階においては細胞質においてCaspaseが活性化する。一方、核の凝集などが起きる時点では核はその形態を保っていることが知られている。核は核膜孔を通じて核−細胞質間のタンパク輸送を制限しており、このことから、細胞質で活性化したCaspaseによって伝えられるアポトーシスシグナルを核内へと伝える何らかのメッセンジャーが存在すると考えられてきた。

 本研究ではMST1がC末端領域に核外移行シグナル(NES)様の配列を持つことを見出した(図3)。MST1はC末端領域の働きによって細胞質に局在し、C末端領域を欠失させると細胞全体に局在した。またNES依存的な核外輸送の阻害剤であるLeptomycinBによる処理や、NES配列中のロイシンをアラニンヘ置換することによってこの細胞質への局在が失われたことから、MST1の持つNESが実際に機能していることを明らかにした。さらに、アポトーシスを誘導する薬剤であるStaurosporineで細胞を刺激することにより、MST1が切断され、核に移行することを明らかにした。

 MST1の核内での働きを明らかにするために、様々なMST1の変異体を発現させ、MST1によって誘導される核の凝集について検討したところ、変異体の核への局在と相関する核凝集の誘導能が見られた。これらのことから、MST1がアポトーシスシグナルを核に伝えるメッセンジャーの一つとして働き、核の凝集を誘導することが示唆された(図4)。

4.結言

 本研究の結果より、MST1-JNK経路がCaspase経路とフィードバックループを形成していること、MST1-JNK経路の下流にCaspaseを介さない細胞死実行マシナリーが存在すること、また、MST1がアポトーシスシグナルを核へと伝えるメッセンジャーの一つとして働くことが示唆された。

 近年、アポトーシスとは異なるプログラム細胞死が存在することが徐々に明らかになってきており、それらの細胞死ではCaspaseが必ずしも必須ではないことが示されてきた。今後の細胞死研究において、Caspaseを介さない細胞死実行マシナリーが重要性をおびてくる可能性は高く、本研究で明らかになったMST1-JNK経路で働くCaspaseを介さない細胞死実行経路が他のプログラム細胞死のメカニズムを明らかにする手がかりになると共に、細胞死を標的とした薬剤開発の新たなターゲットとしての応用が期待される。

図1 MST1の構造と活性化メカニズム

図2 MST1のシグナル伝達経路

図3 MST1のNES配列

図4 MST1の核移行とその働き

審査要旨 要旨を表示する

細胞の自殺プログラムであるアポトーシスは、多細胞から構成される生物において、その恒常性の維持、あるいは発生における形態形成という観点から欠くことの出来ないメカニズムである。生物は、損傷を受けた細胞あるいは不要な細胞を積極的にアポトーシスによって除去することによって、個体全体の機能を獲得・維持する。近年、生物がアポトーシスを正常にコントロール出来なくなる事によって進行する疾患が多く存在することが明らかになってきた。特に、DNA損傷を受けた細胞のアポトーシスが抑制されることによって発症にいたる癌、および神経細胞のアポトーシスが亢進することによって発症にいたるアルツハイマー病などの神経変性疾患は、近年最も研究が意欲的になされている分野である。この様な疾患に対する創薬応用を考える上では、アポトーシスを制御するメカニズムについてより深い知見が必要である。アポトーシスの中心的メカニズムとして、これまでカスペースという蛋白質分解酵素の連鎖的活性化によるシグナル伝達経路を中心に研究がなされてきたが、カスペースの基質の働きについては十分には明らかにはなっていない。本研究では、カスペースの基質の一つであるMST1について、そのアポトーシスにおける役割を、特にその下流のストレス応答MAPキナーゼシグナル伝達経路の機能と細胞内局在制御を中心に解析している。

 第二章では、MST1の下流で誘導されるアポトーシスのシグナル伝達経路を詳細に解析している。MST1はカスペースによって切断されて活性化するキナーゼであるが、MST1によって活性化されるJNKおよびp38といったストレス応答MAPキナーゼシグナル伝達経路の役割については明らかではなかった。本章ではこの役割を明らかにするため、MST1を過剰発現させた時に誘導されるアポトーシスのシグナル伝達経路を検討している。まず、優性抑制型のJNKあるいはp38を用いた実験から、MST1がJNKを介してカスペースを活性化し、アポトーシスを誘導することが明らかになり、p38は関与しないことも示した。さらに、MST1-JNK経路によるDNAの断片化にはカスペースの活性化が必要であるが、MST1-JNK経路による染色体の凝集や細胞形態の変化にはカスペースの活性化は不必要であることを示した。以上の結果から、MST1-JNK経路の機能として、カスペースカスケードとの間にポジティブフィードバックループを形成し、アポトーシスシグナルを増幅する役割と、カスペースカスケードの下流で細胞死を誘導する実行因子としての役割という二つの側面があると結論している。

 第三章では、アポトーシスにおけるMST1の細胞内局在制御のメカニズムとその役割について解析している。アポトーシスにおける核内の変化については、細胞質から核内に移行することによってこれを誘導するメッセンジャーの存在が想定されている。本研究では、MST1のC末端領域に核外移行シグナル配列が存在し、MST1の細胞内局在がこの核外移行シグナル配列の働きによって制御されていることを明らかにしている。さらに、アポトーシスを誘導する刺激によって、MST1がカスペースによる切断依存的に核内に移行することを示し、MST1がアポトーシスシグナルを細胞質から核内に伝えるシグナルメッセンジャーの一つとして働く可能性を提言している。また、MST1の核内への集積が染色体の凝集を亢進することや、逆にキナーゼ不能型のMST1が優性抑制的に染色体凝集を抑える事などを示し、MST1の核内移行が染色体凝集を誘導する可能性を示唆している。これらの結果から、MST1は染色体凝集を誘導するシグナルを細胞質から核内へと伝えるメッセンジャーの一つであると結論している。

 以上のように、提出者は、カスペースの基質の一つであるMST1の役割を詳細に検討する事によって、これまでアポトーシス研究の中心であったカスペースカスケードの他に、ストレス応答MAPキナーゼシグナル伝達経路もアポトーシスにおいて重要な役割を果たすことを示した。これらの成果は、アポトーシス全体の分子メカニズムの理解に寄与するだけでなく、疾患治療の新たなターゲットを提案する上でも医学、薬学分野にも大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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