学位論文要旨



No 117122
著者(漢字) 明石,英雄
著者(英字)
著者(カナ) アカシ,ヒデオ
標題(和) モデル植物タバコBY−2培養細胞を用いた遺伝子発現制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 117122
報告番号 甲17122
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5263号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 関,実
 東京大学 助教授 岩井,成憲
内容要旨 要旨を表示する

 タバコBY-2培養細胞は,非常に均一な細胞集団を形成することが知られている。また,植物培養細胞の中では比類の見ないほど増殖が速く,1週間で100倍程度に増殖する。さらに一過的,安定的な形質転換方法の両方が確立され,植物のバイオテクノロジーにおいても重要な存在となっており,古くからモデル植物として用いられてきた。植物において遺伝子発現を制御することは,二次代謝系の研究,遺伝子組換え作物の創出など,様々な局面で重要である。本研究では,主にタバコBY-2培養細胞を用いて,植物の遺伝子発現の安定・増幅制御,抑制制御に関して,応用性のあるツールとして用いることができる手法の開発を試みた。

 遺伝子発現増幅における大きな未解決の問題の一つに,導入遺伝子を安定的に保持する手法が開発されていないことが挙げられる。植物培養細胞を用いて,抗体やワクチン,酵素などの有用タンパク質や,植物特有の二次代謝物の生産することが期待されており,既にいくつかは実用化されている。しかし,その数は動物細胞や微生物を用いたものに比べて非常に少ない。培養細胞における外来遺伝子の不安定性は,植物培養細胞の育種において,形質転換植物を開発する上での大きな問題点となっている。

 多くの場合,遺伝学的に均一な細胞,つまりクローン細胞をとってきても,ほとんどの場合数ヶ月から半年程度の培養のうちに外来遺伝子の発現は失われてしまい,これが培養細胞における有用物質生産を困難にしている。そこで,レポーター遺伝子であり,また商業的にも有用なβ−グルクロニダーゼ(uidA, GUS)遺伝子をBY-2細胞に導入し,その高発現細胞を長期の培養に渡り,維持あるいは増加させる方法を検討した。

 外来遺伝子を安定的に保つために,通常は同時に導入した抗生物質耐性遺伝子による選抜が行なわれるが,抗生物質耐性遺伝子と目的遺伝子の発現がリンクしていないため,目的遺伝子の選抜が行なわれなくなると考えられる。植物培養細胞では頻繁に相同組換えが起こるため,二つの遺伝子をリンクさせることが非常に困難であることが知られている。そこで我々は,転写制御による影響を同じにするために,プロモーター,ターミネーターを全く同じものとした。また,組みこまれた染色体内での位置特異的な影響をほぼ同じにするために,それぞれのプロモーターを逆向きに近傍に位置するよう設計した。二つの遺伝子発現におけるリンクの状態を定量的に調べるために,GUS遺伝子とGFP遺伝子がリンクした上記の構造を持つプラスミドを,BY-2細胞にアグロバクテリウムを用いて導入したところ,GUS活性とGFP量間の相関係数r値は0.87であり,既往の文献と比較しても,非常に良好な相関関係が見られた。

 そこで,GUS遺伝子とHm耐性遺伝子(hph)をリンクさせたプラスミドを設計構築し,様々な濃度のHmで選抜することにより,そのGUS活性を1年半にわたり,図1にプロットした。選択圧が強い場合は表現形が分離しにくいことが明らかになった(図1,Hm500)。500 μg/mlの高レベルのHmによる選択圧下で培養されているHm500のラインは,細胞で発現しうる限度に近いレベルの耐性遺伝子を発現している細胞であると考えられる。そのため,何らかの遺伝子組換えが発現遺伝子やその周辺に起これば,耐性能力が上がるというよりは下がる確率が高く,そのような細胞は増殖速度が落ち,あるいは死滅し,集団の中で占める割合が下がっていく。その結果,初期において二つの遺伝子のリンクを保った高発現株だけが淘汰されずに生き残っていくのではないかと考えられる。

 本研究から,表現形の分離を防ぐためには,目的遺伝子と薬剤耐性遺伝子がリンクを保ち続けること,そのためには常に強い抗生物質による選択圧をかけることが必要であることが示唆され,形質転換植物の遺伝子安定制御に関して重要な知見が加えられた。

 一方,遺伝子発現の抑制制御に関して,ノックアウト植物をつくる簡便な方法は,現在においてもまだ確立しているとは言えない。これまで,アグロバクテリウムのT-DNAを植物のゲノムに挿入することにより,ランダムにゲノムの遺伝子を破壊し,そこから表現形を示す植物体をスクリーニングすることによって,多くの遺伝子機能が同定されてきた。しかし,この方法ではマルチコピーの遺伝子や,機能を相互に補完しあうような遺伝子の解析はほとんど不可能である。マルチコピーの遺伝子や,似た機能を持つものは,相同なmRNAの配列を持つと考えられ,その配列を標的としてmRNAレベルで遺伝子発現を制御することは非常に有用であり,簡便で信頼性のある遺伝子発現抑制システムの開発が望まれる。mRNAレベルでの遺伝子発現抑制の手法として,RNA干渉(RNAi)法,リボザイム法があげられる。

 RNAiは,二重鎖RNA (dsRNA)によってその配列特異的にmRNAが分解され,その結果,遺伝子の発現が抑制される現象である。1998年,最初に線虫で報告された後,RNAiは,ゼブラフィッシュ,ショジョウバエ,プラナリア,ヒドラ,トリパノソーマ,菌類,植物などの様々な種間で保存されている現象であることが分かってきた。RNAiの生物学的な役割は,核酸レベルの防御システムであることが示唆されており,またその詳細な機構もここ1,2年で次第に明らかになりつつある。

 RNAiを利用した遺伝子発現の抑制は,簡便であり,しかも非常に高い効果が期待できることがわかってきた。RNAiの発見により,基礎から応用まで,様々な有用な副産物が生み出されてきている。その波及効果は,新たな遺伝子発現制御機構の解明,医療分野への応用,ウィルス耐性作物にむけた品種改良,ポストゲノム時代における遺伝子機能解析などに及び,あらゆる局面で無視できないものとなってきている。

 RNAi法は,ごく最近開発された手法であり,実際の効果についての十分な知見が蓄積されていない。そこで,RNAi法が,植物において遺伝子発現抑制法として従来,また現在でも最もよく用いられているセンス,アンチセンス法に比べてどの程度の効果があるのかを,一過的発現の系で調べた。

 RNAi効果の定量には,mRNA量の多少を鋭敏に検出する系が必要である。そこで,それぞれホタルルシフェラーゼ(luc),ウミシイタケルシフェラーゼ(Rluc)遺伝子を発現するプラスミドを構築し,エレクトロポーレーションにより,BY-2細胞に両方のプラスミドを一過的に導入した。Rlucを形質転換効率のコントロールとして,lucの活性を測定すると,luc発現プラスミドの量を鋭敏に反映するluc活性が検出できた。

 そこでこの系を用い,luc遺伝子に対するdsRNA,センスRNA,アンチセンスRNAを発現するプラスミドを計5種類構築し,それぞれ,luc,Rluc発現プラスミドと共にエレクトロポーレーションでBY-2細胞に導入した。センスRNA,アンチセンスRNA発現プラスミドは,わずかに抑制効果が見られ,コントロールと比較してluc活性を20-40%程度抑制したのに対し,dsRNA発現プラスミドを共発現させた場合,ほぼ90%程度の割合でluc活性を抑制した(図2)。dsRNA領域は,300 bpでも十分な効果が見られ,500 bpのものとあまり効果に差はなかった。おそらく,この系におけるRNAi効果は300 bpで飽和していると考えられる。また,その抑制効果はluc特異的であり,Rlucの活性にはほぼ影響が見られなかった。この効果は常に再現性があり,我々の知る限り,RNAi効果を最初に定量的に測定したものである。植物培養細胞の一過的発現系において,dsRNA発現プラスミドによるRNAiは,非常に強力なツールであることが示された。

 しかし,RNAiは,植物の防御機構に関連する様々な遺伝子をも誘導するので,ある特定の遺伝子の発現のみを抑制できない可能性がある。もう一つのmRNAレベルの遺伝子発現抑制法として用いられているリボザイムは,mRNAと相補的に相互作用するアームを持ち,mRNAに結合・切断する。動物細胞においては詳細に検討されており,その設計の簡便さおよびポストゲノム時代におけるGene Discoveryにも用いることができるため,大きな成功を収めてきている。しかし,その応用性の広さにも関わらず,植物においてはリボザイムが発現していても,その効果がしばしば見られてこなかった。そこで,植物内在のタンパク質を利用して,リボザイム効果を向上させることが考えられる。

 RNAiに必須な構成要素として,RNAへリカーゼが知られている。RNAへリカーゼは,核酸鎖を交換することにより,mRNAの高次構造を解く酵素である。RNAiにおいてRNAへリカーゼの変異株は遺伝子発現の抑制効果を持たない。また,当研究室において,mRNAを解く酵素であるRNAへリカーゼと相互作用するモチーフをつけたリボザイムは,ステムを組み,通常のリボザイムでは切れないような構造を持つmRNAでもin vivoで切断することが明らかにされた。つまり,RNAレベルで遺伝子発現を抑制するためには,おそらくmRNAの高次構造を解くことが必須であると考えられる。

 そこで,この効果を詳細に検討するために,in vitroでリボザイムによる切断効果を解析した。ビオチンタグをつけたへリカーゼ結合モチーフを付加したリボザイムを細胞抽出液と混ぜ,ストレプトアビジンで吸着させた。このRNAへリカーゼ・リボザイム複合体は,通常のリボザイムでは切断できない,堅いステムを持った基質を切断することを示した。このアッセイ系は,様々なモチーフをつけたリボザイムと相互作用するタンパク質の,切断効果を検出するのに応用できるだろう。

 近年,カチオン性ポリマーに親水性の側鎖をグラフト共重合させることによって開発された櫛型カチオン性ポリマーが,RNAへリカーゼと同様に核酸同士の鎖交換を行なう活性を有していることが分かってきた。ポリマーを用いることにより,通常のリボザイムでは効果が見られにくい基質に対して,切断効果が促進されたことを示した(図3)。このポリマーの応用面としては,一つはリボザイムとポリマーを融合させ,そのリボザイム効果を向上させることが考えられる。

 動物細胞においても,最初は細胞内でリボザイムの効果が見られず,発現系の構築,細胞質輸送の最適化など様々な工夫を重ねて今の成功がある。リボザイムを植物細胞で用いるために,いっそうの試行錯誤が必要となるだろう。

 終わりに,本研究において,遺伝子の発現制御に応用できるツールの開発を,主にBY-2培養細胞を用いて行ってきた。BY-2培養細胞は,冒頭に述べた様に,ゲノム配列がわかっていないこと以外は,モデル植物としての機能を十分備えている。またBY-2培養細胞は,植物培養細胞の中で唯一,高度に同調培養できる細胞であり,細胞周期の研究において欠かせないものとなっている。BY-2細胞そのもののツールとしての重要性もここに強調しておきたい。

Figure 1. Time courses of the GUS specific activity during a longterm culture.

The BY-2 cell suspensions transformed with pBI121hph were cultured with various amounts of hygromycin concentration. Each cell line was initiated from the same culture and adapted to stepwisely increased hygromycin over the first six subcultures. After the sixth batch culture, the concentration of Hm0, Hm100, and Hm500 was maintained at 0, 100, and 500 mg/ml, respectively. Triplicate GUS assay experiments were carried out for each data point and the average of the GUS activity was plotted.

Figure 2. Comparison of the RNAi effect of dsRNA on firefly luciferase activity with the effects on this activity of sense and antisense sequences in BY-2 cells.

(a) Tobacco BY-2 cells were converted to protoplasts and cotransformed by electroporation with three plasmids, namely, 0.3μg of p35Sluc, 0.3μg of p35SRluc and 3μg of a sense, antisense or dsRNA expression plasmid or 3μg of a control plasmid (p35SDsRed). The amount of each expression plasmid used for electroporation was ten times that of the reporter genes. The firefly luciferase activity was normalized by reference to the activity of Renilla luciferase. (b) The activities of firefly and Renilla luciferases used to calculate the results in Fig. 2a. Triplicate electroporation experiments were performed in every case. Columns and bars show mean results and standard deviations, respectively.

Figure 3. Dependence of the cleavage activity of ribozymes targeted for the RNA duplex on the amount of the αPLL-g-Dex #2.

After the substrate of the RNA duplex was incubated with 200 nM ribozyme in the presence of the αPLL-g-Dex #2 with indicated P/R ratio for 30 min, 4 μl of the reaction mixture was sampled and was mixed with equal volume of the stop solution I. Samples were heat-denatured and loaded onto the 20% polyacrylamide gel containing 7 M urea. (a) Enhancement on the cleavage activity of ribozymes in the presence of the αPLL-g-Dex #2. (b) Inhibitory effects on the cleavage activity of ribozymes in the presence of αPLL-g-Dex #2 with a high P/R ratio.

審査要旨 要旨を表示する

 タバコBY-2培養細胞は,非常に均一な細胞集団を形成することが知られている。また,植物培養細胞の中では比類の見ないほど増殖が速く,1週間で100倍程度に増殖する。さらに一過的,安定的な形質転換方法の両方が確立され,植物のバイオテクノロジーにおいても重要な存在となっており,古くからモデル植物として用いられてきた。植物において遺伝子発現を制御することは,二次代謝系の研究,遺伝子組換え作物の創出など,様々な局面で重要である。BY-2培養細胞は,非常によく用いられているとはいえ,完全にその遺伝子制御方法についてのツールが揃っているというわけではない。タバコBY-2培養細胞を普遍的な植物研究のためのモデルとして用いるためには,一通りの遺伝子制御法が揃っている必要がある。本論文では,以上のような背景のもと,主にタバコBY-2培養細胞を用いて,植物の遺伝子発現の安定・増幅制御,抑制制御に関して,応用性のあるツールとして用いることができる手法の開発を試みたものであり,全5章より構成されている。

 第1章では序論として,植物における遺伝子工学・遺伝子解析,植物培養細胞,またタバコBY-2培養細胞を用いて研究することの工学的・理学的意義を概観し,本研究の背景と目的を述べている。

 第2章で,BY-2培養細胞において,遺伝子工学的な操作をする上で最も根本的な問題の一つである,外来遺伝子を安定的に保持する系の構築について述べている。まず,二つのプロモーターを近傍に逆向きに配置させたプラスミドにより,遺伝子発現がリンクすることを明らかにした。次に,同様にして抗生物質ハイグロマイシンB(Hm)耐性遺伝子とレポーター遺伝子GUSをリンクさせたプラスミドを構築した。そして,このプラスミドを持つ,遺伝学的に不均一なBY-2培養細胞集団に高レベルのHmの選択圧をかけると,GUS活性の高い細胞集団が選択的に形成されることを示した。また,高レベルの選択圧だけでは活性の高い細胞集団を選抜できず,二つの遺伝子の発現がリンクしている状態で選択圧をかける必要があることが示唆された。これまで高発現細胞を得るために,選抜できる遺伝子と選抜できない遺伝子の発現におけるリンク,およびそれらの遺伝子発現の定量的関係という観点から行なわれた研究は,類例がなく,さらには,1年半という長期培養において発現を詳細に追ったものもない。植物培養細胞において外来遺伝子を安定的に保つことは非常に難しく,本研究は培養細胞の育種について重要な知見を与える。また,本章で構築したシステムは,第3章および第4章で述べる遺伝子のノックダウン法に応用することにより,安定なノックダウン形質転換体を得られる可能性を示した。

 第3章でRNAiによる,目的遺伝子発現の一過的発現系における特異的ノックダウンの研究について述べている。BY-2培養細胞において,BY-2培養細胞の一過的発現系において,二種類のルシフェラーゼ遺伝子を用い,mRNAの量を鋭敏に反映する系を構築した。ルシフェラーゼアッセイ系を用い,従来法であるセンスRNA,アンチセンスRNAによる抑制方法と比較して,二重鎖RNAを用いる方法が極めて有効であることを定量的に示した。また,その抑制効果は,300 bpの二重鎖RNAで十分であることを明らかにした。本章のシステムは,植物培養細胞のより理学的な解析を可能にするものであり,特にBY-2培養細胞の特性を生かした,細胞周期,あるいは細胞骨格などの研究に対する応用の可能性を示したものとして価値の高いものであると言える。

 第4章では,リボザイムの切断効果の向上を目的として,櫛型カチオン性ポリマーαPLL-g-DexまたRNAへリカーゼの,リボザイムの切断活性に対する効果を検討した。αPLL-g-Dexを用いることにより,通常のリボザイムでは効果が見られにくい二重鎖RNA基質に対して,切断効果が促進されたことを示した。この促進効果は単鎖RNA基質に対しても見られ,ポリマーによってリボザイム−基質RNA間の会合速度が速くなっていることが示唆された。また,RNAへリカーゼと複合体を組んだリボザイムについては,二重鎖RNA基質の高次構造を解き,その結果切断活性を向上させていることを明らかにした。植物における同様な方法での,細胞内カチオン性化合物あるいはへリカーゼを誘導することによってリボザイム活性を向上させるモチーフの探索,切断効果の高いリボザイムの開発に用いることができると考えられる。これらの試みは,リボザイムの効果が見られにくいと言われている植物におけるリボザイムの開発に,非常に有用なアプローチを示したものである。

 第5章では,第2章から第4章までの研究について総括し,今後の研究の展望を述べている。植物におけるリボザイム開発の可能性,および本論文の成果を応用した,植物の総合的な遺伝子解析方法の提案を行っている。

 以上のように,本論文では,植物培養細胞において,遺伝子の発現制御に応用できる系の構築を行った。特定の遺伝子を安定的に保つ系,また約90%抑制する系を構築した。また,植物において効果的なリボザイムを開発するための方法論を論じた。これらの成果は,BY-2培養細胞を用いた遺伝子工学・遺伝子解析を行う上で必要不可欠であり,今後の植物研究において極めて有用な知見である。

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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