学位論文要旨



No 117127
著者(漢字) 杉浦,慎治
著者(英字)
著者(カナ) スギウラ,シンジ
標題(和) マイクロチャネル乳化法の乳化機構とその応用
標題(洋) Mechanism and application of microchannel emulsification
報告番号 117127
報告番号 甲17127
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5268号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 関,実
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 中尾,真一
 東京大学 助教授 上田,宏
 食品総合研究所 室長 中嶋,光敏
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 近年の半導体微細加工技術の進歩は著しく、エレクトロニクス産業の目覚ましい発展に貢献している。フォトリソグラフィを基盤とするこの技術を用いると、現在ではサブマイクロメートルの微細な構造の作製が可能となっている。

 近年、微細加工技術を用いて単分散エマルジョンを調製することのできるマイクロチャネル(MC)乳化法が提案された。エマルジョンは食品、医薬品、化成品など様々な用途に利用されているが、そのサイズの制御が容易でなく利用が限定されている。一般に、エマルジョンの調製には乳化機を用いて機械的に乳化する方法と乳化剤の界面化学的性質を利用する方法があるが、これらの方法では粒径の均一なエマルジョンを調製することは容易でない。MC乳化法は、微細加工技術を用いて作製された均一なMCを介して分散相を連続相中に押し出す事により、粒径の均一なエマルジョンを調製する方法である。この方法を用いると変動係数が数%と従来法に比較して著しく粒径の均一なエマルジョンを調製できることが示されている。単分散エマルジョンは薬物伝達の担体としての利用や、単分散微粒子の調製への応用が期待されている。

 一方、MC乳化法における液滴の生成は非常に短い時間で起こるため観察が難しく、その乳化機構についてはほとんど検討されていない。MC乳化の乳化機構を解析する事はMC乳化法をスケールアップしたり、操作条件を決定したりする上で不可欠であると考えられる。そこで本研究ではMC乳化法の乳化機構を高精度の時間分解能で解析した。また、MC乳化法の単分散性はエマルジョン以外の材料の加工にも有用であると考えられる。そこで本研究ではMC乳化法の微粒子調製への応用を試みた。

2.MC乳化法の乳化機構の解析

2.1.背景と目的

 MC乳化法における液滴の生成は非常に短い時間で起こるため観察が難しく、その乳化機構についてはほとんど検討されていない。本章ではハイスピードカメラを組み込んだ顕微観察システムを用いて、MC乳化法における乳化機構を高精度の時間分解能で解析し、液滴生成のモデルを提案した。

2.2.実験方法

実験系

 分散相としてヒマワリ油(トリオレイン純度90%以上)、連続相には水、界面活性剤にはドデシル硫酸ナトリウム(SDS)を連続相に溶解して使用した。

MC乳化装置

 実験装置とモジュール内でおこる乳化の概略図を図1に示す。使用したMC基板の概略図を図2に示す。実験装置は、分散相を供給する部分と連続相の入ったモジュールからなっている。モジュール内に入った分散相がMCを通過することにより単分散エマルジョンが生成される。一連のMC乳化過程は、ガラス面から顕微鏡を介して、ハイスピードカメラで観察することができる。

2.3.結果および考察

乳化機構の解析

 図3にMC乳化の顕微鏡写真を示す。調製されたエマルジョンの平均液滴径は17.8μm、変動係数は2.8%であった。ハイスピードカメラを組み込んだ顕微観察システムを用いてMCから液滴が生成されていく様子を観察した結果を図4に示す。ポンプからの圧力により分散相が0.1秒間でテラス上に広がっていき、その後テラス上に広がった分散相が0.01秒間という瞬時のうちに離脱し液滴が生成される様子が観察された。これらの事から、MC乳化法の液滴生成機構として、界面張力による自発的な形状変化に基づく機構を提案した。図5にその概略図を示す。曲率を持った界面には以下のYoung-Laplaceの式で表される圧力差が生じる。

 ここで、〓Pは界面の内外の圧力差、γowは界面張力、R1およびR2は界面の主曲率半径である。MC通過した分散相はテラス上に円盤状に広がっていく。分散相がテラスの端まで到達したところで、分散相は球面状に広がっていく。この時、テラス上に円盤状に広がった界面と、Wellに球面上に広がった界面との間に曲率半径の差が生じ、これがLaplace圧の差となり、分散相がWellに流れ込み液滴が生成される。

 また、このモデルの妥当性を検証するために、液滴離脱の前後における界面の自由エネルギー変化を、図4に示された画像から計算したところ、液滴離脱の前後で界面の自由エネルギーは減少しており、界面張力による液滴の離脱は自発的に起こりうる現象であることが示された。

MC乳化系に働く力に関する考察

 ここでMC乳化の際に系に働く力を考える。このような流体には界面張力、重力、粘性力および慣性力の4つの力が働いていると考えられる。液滴生成を引き起こす力である界面張力と他の3つの力の大きさの比はそれぞれ以下のような式で見積もることができる。

 ここで、pは密度(1×103 kg/m3)、Uは流速(1×10-3m/s)、gは重力加速度(9.8m/s2)、dは系の代表長さ(4×10-6m)、μは粘度(5×10-2 Pa・s)、γは界面張力(4.5×10-3N/m)である。系のスケールが小さくなった場合、系の代表長さdおよび流速Uが小さくなり、系に働く界面張力や粘性力の寄与が他の力に比べて大きくなる。この事は界面張力による自発的な形状変化による液滴生成という機構は系のスケールが小さい場合により効果的に働く事を示している。

3.MC乳化に対するMCのサイズおよび形状の影響

3.1.背景と目的

 本章では、形状が相似でサイズの異なるMCおよび形状の異なるMCを用いて乳化を行い、生成される液滴の大きさと乳化特性について検討した。

3.2.実験方法

 実験系および、MC乳化装置は2章と同じ物を用いた。図2に示されるように、MCの形状にはMCの幅、長さ、深さ、しきり壁の有無、およびテラス部の長さ、幅といったパラメーターがある。MCのサイズの影響では、相似な形状を有し、サイズの異なるMC基板を使用して乳化を行った。MCの形状の影響では、上記パラメーターの比が異なる種々のMC基板を使用して乳化を行った。

3.3.結果および考察

MCのサイズの影響

 形状が相似でサイズの異なるMCを用いて乳化挙動を調べた。分散相の流速を変化させた際の生成される液滴の大きさを調べた結果を図6に示す。どのサイズのMCを用いた場合においても、ある臨界流速(2.0 mm/s)までは生成される液滴径は分散相流速に依存せずほぼ一定であり、臨界流速を超えたところで分散相が連続的に流出し、大きな液滴が生成される現象が観察された。これは、臨界流速の前後で流れの状態が大きく変化している事を示している。

 ここで、式(2)-(4)に示された無次元数と実験結果を比較してみる。系の流れの状態は、系の代表長さdに依存せず、流速Uによって決定されている。従って、系の流れの状態は界面張力と粘性力の比を表すCapillary Number (Ca)によって決定されると考えられる。

MCの形状の影響

 形状の異なるMC基板を使用して乳化を行い、生成される液滴の大きさを調べた。その結果、MCの深さおよびテラスの長さは液滴径に大きな影響をおよぼし、しきり壁の有無、テラス部の幅は液滴径にやや影響をおよぼし、MCの幅、長さは液滴径にほとんど影響をおよぼさないことが分かった。図7にテラスの長さとMCの深さの異なる基板を用いた場合に生成された液滴の大きさを示す。これらの結果は、MCを通過した分散相がテラス上に広がる時の体積が液滴径を決定する重要な因子であることを示している。

4.MC乳化法の固体脂質微粒子調製への応用

4.1.背景と目的

 現在、魚油・動物脂などは大部分が廃油として廃棄されており、その高度利用が期待されている。本章では高融点天然油脂を主成分とする新しい固体脂質微粒子材料を調製するために、高温でのMC乳化によりエマルジョンとし、それを冷却することにより単分散固体脂質微粒子を調製した。

4.2.実験方法

 分散相としてトリパルミチン(融点約58℃)、連続相には水、界面活性剤には非イオン系界面活性剤であるソルビタンモノパルミテートを使用した。実験装置は、図1の装置に外部からポンプで水を循環させることにより温度制御を可能とした。

4.3.結果および考察

単分散固体脂質微粒子の調製

 高融点天然油脂を分散相として用い、70℃でMC乳化を行った。調製されたエマルジョンをモジュールから回収し、室温に放置することにより凝固させ、単分散固体脂質微粒子の懸濁液を得た。さらに回収された微粒子を凍結乾燥したところ、白い粉末が得られた。粉末化された微粒子の顕微鏡写真を図8に示す。調製された微粒子の平均粒径は21.7μm、変動係数は3.6%であり、単分散性に優れた固体脂質微粒子が得られた。

5.結言

・ MC乳化法における液滴の生成は、界面張力による界面の自発的な形状変化に基づく分散相の離脱を主要な因子として起こっている事が分かった。

・ 調製されるエマルジョンの液滴径は、臨界流速以下では分散相の流速に依存せず、テラス上に広がった分散相の体積によって決定される事が明らかにされた。

・ MC乳化法を高融点脂質微粒子の調製に応用し、平均粒径は21.7μm、変動係数は3.6%と単分散性に優れた固体脂質微粒子が調製された。

図1 実験装置とモジュール内でおこる乳化の概略図

図2 使用したMC基板の概略図

図3 MC乳化の顕微鏡写真

図4 ハイスピードカメラによって観察された液滴の生成挙動

図5 界面張力による自発的な形状変化に基づく液滴生成機構

図6 分散相の流速と生成される液滴径の関係

図7 生成される液滴径に対するテラスの長さとMCの深さの影響

図8 温度制御MC乳化法により調製された単分散高融点脂質微粒子

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,微細加工技術により作製したマイクロチャネル(MC)を用いて単分散エマルションを調製する事のできるMC乳化法について,その乳化機構と応用に関する研究を纏めたものである。乳化機構については,液滴生成機構の解析,生成する液滴径の予測および最適乳化速度の予測に関する研究が含まれている。応用については単分散脂質微粒子,高分子微粒子調製への応用,油中水滴型エマルションおよび複合型エマルションの調製に関する研究が含まれている。特に,本論文では,MC乳化法が界面張力による自発的な形状変化に基づき液滴を生成するという新しい原理の乳化方法である点を見出すとともに,その液滴生成機構に基づいて生成する液滴径を予測するモデルおよび乳化速度を予測するモデルを提案している点に特徴がある。さらに,微粒子の調製,油中水滴型エマルション,複合エマルションの調製に応用する際に重要な因子に関して,乳化機構に基づいて界面化学的な視点と流体力学的な視点から検討している点に特徴がある。本論文は,全9章から構成されている。

 第1章では,本論文の意義を明確にするために,研究の背景について述べており,微細加工技術の特徴,従来の乳化法の特徴,単分散エマルションの特徴およびその応用の可能性について述べている。

 第2章では,MC乳化法の液滴生成機構を解析している。MC乳化法における液滴生成は非常に短い時間で起こるため観察が難しく,その乳化機構についてはほとんど検討されていなかった。そこでハイスピードカメラを組み込んだ顕微観察システムを構築し,MC乳化法における乳化機構を高精度の時間分解能で解析し,界面張力による自発的な形状変化に起因する液滴生成モデルを提案した。この液滴生成機構は他の乳化法に比べて非常にユニークであり,自発的な形状変化に基づいているため,機械的乳化法に比べて2桁以上少ないエネルギーで乳化できる方法であることを示した。MC乳化法の液滴生成機構は本研究において初めて明らかにされたものである。

 第3章では生成する液滴径を定量的に予測するモデルを,液滴生成機構に基づいて提案している。提案されたモデルは実験値と比べて5%の誤差で液滴径を予測できることを示した。第4章では,MC乳化系における流れの状態を解析している。流れの状態が劇的に変化する臨界流速が存在することを示し,均一な液滴を安定に生産するためには臨界流速以下の速度で操作する必要があること,臨界流速をもとに乳化速度が決定されることを示した。また,無次元数を用いて解析することにより,臨界流速が界面張力と粘性力の比であるキャピラリー数から予測できることも示した。液滴径や臨界流速の予測モデルは本研究において初めて提案されたものであり,MC乳化法をスケールアップする場合や,操作条件を決定する上で,非常に重要であり,実用化に向けた大きな貢献となると考えられる。

 第5章および第6章ではMC乳化法を,単分散脂質微粒子および単分散高分子微粒子の調製に応用し,MC乳化法を用いることにより,シード乳化重合法で得られる微粒子と同程度の単分散性を示す微粒子が得られることを示した。MC乳化法を微粒子の調製に応用したのは本研究が初めてである。第7章ではMC乳化法の油中水滴型エマルションの調製への応用を検討し,第8章では,複合型エマルションの調製への応用を検討した。

 これら第5章から第8章において,様々な系における乳化挙動の解析を通して,乳化の際に影響を及ぼす因子について液滴生成機構に基づき検討している。分散相および連続相の物性,界面活性剤の性質は,界面化学的因子として,MC基板の濡れ性に影響を及ぼすことを示した。また,液滴径の均一なエマルションを安定に生成するためにはMC基板が連続相で濡れやすい条件が必要であることを明らかにした。さらに,界面張力,粘度,分散相の流速,MCのサイズおよび形状は,流体力学的因子として,流れの状態や生成する液滴径を決定する因子であることを明らかにした。油中水滴型エマルションや複合型エマルションを調製する条件について,液滴生成機構に基づいて検討したのは本研究が初めてある。

 第9章においては,本研究を総括し,今後の展望を述べている。

 以上述べてきたように,本論文は,MC乳化法を研究の対象として,これが新しい原理の乳化方法であることを明らかにするとともに,その原理に基づいて操作上の指針を示し,応用の可能性を提示したものである。これらの結果は,エマルションやコロイドに関する基礎的研究を行うための研究ツールとして界面化学の発展に貢献するとともに,MC乳化法を実用化する際に重要な知見となるものである。また,スケールの小さい場合に特徴的な流体力学的現象をとらえており,マイクロ流体力学の発展に貢献するものであり,微細加工技術を化学工学に応用する学際的な研究としても,重要な意味を持つものである。

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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