学位論文要旨



No 117129
著者(漢字) 竹村,太郎
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,タロウ
標題(和) オヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza)の塩ストレス応答
標題(洋)
報告番号 117129
報告番号 甲17129
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5270号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 講師 矢野,和義
内容要旨 要旨を表示する

 今日、砂漠化の進行により緑地面積が減少し、二酸化炭素濃度の上昇から地球の温暖化が進んでいるが、砂漠が発生する原因の一つは塩害であり、灌漑農業によって却って塩害地域が広がっている。塩害による耕地面積の減少は深刻な食料問題を引き起こしかねない。そのため塩害土壌でも生育可能な耐塩性の樹木や農産物を開発することができれば、砂漠の緑地化や塩害土壌での農業に役立つことが期待できる。そのような植物の開発には遺伝子工学を用いた分子育種が考えられるが、そのためには耐塩性メカニズムが分子生物学的レベルで明らかになっている必要がある。すなわち既存の塩環境に適応した塩生植物を研究することによって耐塩性メカニズムに関する知見を得ることが重要である。

 そこで本研究の目的を植物の耐塩性メカニズムを分子生物学的レベルで解析することとした。現在行なわれている耐塩性メカニズム研究の対象植物は、実験の容易さのために研究用モデル植物に偏っているので、おおむね100mM〜200mMの低い塩濃度に対して耐塩性を示す程度であるが、今回研究対象に選んだオヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza)はマングローブの一種であり、海水レベル(約500mM)の塩濃度下でも生育可能な植物である。なおマングローブとは熱帯および亜熱帯地域の沿岸や河岸など潮間帯に分布する高等植物の総称であるが、マングローブの分子生物学的研究は系統分類学に関することを除いてほとんど行なわれていない。本研究では、塩環境に適応したオヒルギの塩ストレス応答を生理学的・分子生物学的に解析した。

 第1章は緒論であり、植物が塩により生育を阻害される原因について解説した上で、これまでの植物の耐塩性に関する研究報告、特に塩ストレスと活性酸素の関係について概説した。また研究対象のオヒルギについて説明した。

 第2章では、オヒルギに塩ストレスを与えた場合の葉中のナトリウム濃度およびスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)とカタラーゼの酵素活性の経時変化について測定した。オヒルギは沖縄県西表島にて採取した散布体をポットに植え、ポットの大半が浸水する状態で約3ヶ月から半年間、温室内で栽培したものを用いた。塩ストレス処理はオヒルギのポットを500mM NaCl水溶液に移すことによって行なった。ナトリウム濃度や酵素活性の測定には、葉を採取してタンパクの抽出を行なったものをサンプルとした。

 塩ストレス処理の結果、オヒルギの全SOD活性は、塩処理開始後すぐに上昇し始め、最終的には9日目で塩処理開始時の約8倍に達した。またカタラーゼもSODと類似した変化を示したがSODの増加の程度より低く、9日目の活性は塩処理開始時の約5倍くらいであった。オヒルギ葉中のナトリウム濃度は処理開始時に150mM程度であったが、3日後ぐらいまでは急激に上昇し、最終的には約450mMに達した。以上からオヒルギは塩環境下では塩を植物体内に吸収すること、SODやカタラーゼなどの抗酸化系が活性化されることが明らかになった。このことは塩ストレスによる障害の低減に活性酸素消去系が寄与していることを示唆する。

 第3章では、SODとカタラーゼの遺伝子をクローニングして、そのcDNAをプローブとし、発現レベルでの塩ストレス応答をノーザンハイブリダイゼーションにより解析した。植物のSODには補酵素によってMn-SOD, Fe-SOD, Cu/Zn-SODの3種類のアイソザイムが知られているが、このうち細胞質における抗酸化系の応答を調べるため細胞質型Cu/Zn-SOD遺伝子のcDNAをオヒルギのmRNAからreverse-transcribed polymerase chain reaction (RT-PCR)およびrapid amplification of cDNA ends (RACE)法によってクローニングした。配列を決定したところ、153残基のタンパクをコードしており、他の植物のホモログと約80%以上の高い相同性を示した。とくに最も高い相同性86%を示したのは砂漠の塩生植物であるアイスプラント(Mesembryanthemum crystallinum)であった。カタラーゼの遺伝子はオヒルギのExpressed Sequence Tag (EST)コレクションに含まれていたのでそれを利用した。

 オヒルギに塩処理を行い、ノーザンハイブリダイゼーションによって細胞質型Cu/Zn-SODとカタラーゼの発現変化を調べた。解析の結果、細胞質型Cu/Zn-SOD遺伝子の転写レベルでの発現には、塩処理後1日以内と5〜7日後の2つのピークが認められた。最も強い発現が5日目で観察されたことは、SOD活性測定値が5日目以降も増大していることを支持している。カタラーゼについては塩処理による明白な影響は見られなかった。この結果から、細胞質に局在する細胞質型Cu/Zn-SODが塩ストレスによる植物への障害の低減に寄与している可能性が示唆された。

 塩処理の代わりに等しい浸透圧を与えるマンニトール溶液で同様の実験を行なったところ、翌日には葉は全て萎れてしまい以後回復することはなかった。塩処理の場合、1日以内に葉は一度萎れるが翌日には回復していた。マンニトール処理して1日後のノーザン解析によると細胞質型Cu/Zn-SODは発現が増加しているが、カタラーゼには変化が認められなかった。よって塩処理における1日後の細胞質型Cu/Zn-SODの発現増加は塩の浸透圧にるものであることが示唆された。塩処理5日後は葉が萎れておらず、葉中の塩濃度が300mM程度まで高まったときなので、細胞質型Cu/Zn-SODの増加は葉中の塩によるイオンストレスによるものと考えられる。つまり塩ストレス応答は初期と後期の2段階に分けることができる。

 次に葉の位置の違いによって塩ストレスに対する応答がどのように異なるかを調べた。最上部で展開した葉を1番とし、そこから下へ順番に葉を数えるとした。1, 2, 4番目の葉においては、コントロール時の細胞質型Cu/Zn-SODの発現はほぼ同じで、塩ストレス時にはいずれも発現が増加していた。しかし上から6番目の葉では発現がほとんど変化していなかった。つまり若い葉や成熟した葉は老化した葉よりも塩ストレスの影響を受けやすいことを示唆している。カタラーゼは上から4番目の葉の発現が他の位置の葉よりやや高いが、どの位置の葉も塩ストレスを与えてもコントロール時とほとんど変化しなかった。

 環境ストレスによる応答は植物ホルモンに支配されることが多いので、どの植物ホルモンが細胞質型Cu/Zn-SODやカタラーゼの発現に関与しているかを調べた。オヒルギにアブシジン酸(ABA)、ジャスモン酸メチル(MJ)、2−クロロエチルホスホン酸(CEPA)を与えてノーザンブロット解析を行なった。CEPAは植物ホルモンではないが容易に分解し植物ホルモンのエチレンを生成する物質である。解析の結果、細胞質型Cu/Zn-SODはABAによって発現が増加し、MJによって抑制されたが、CEPAには発現の変化を受けなかった。カタラーゼはABAやMJによって発現が抑制されたが、CEPAによって発現が増加した。よって細胞質型Cu/Zn-SODの発現にはABAが関与していること、カタラーゼの発現制御はエチレンに関与することが示唆された。

 第4章では、細胞質型Cu/Zn-SODの耐塩性における役割を示すため、タバコの細胞質型Cu/Zn-SOD過剰発現組換体を作製し、耐塩性評価を行なった。作製方法はアグロバクテリウムを用いたリーフディスク法で行った。最終的に遺伝子が組み換えられたタバコ再生体を10個体ほど得た。これらの株の種子を使用して、発芽による塩ストレス耐性の評価を行なった。

 第5章では、抗酸化作用としての銅シャペロンに着目し、遺伝子発現レベルでの塩ストレス応答をノーザンハイブリダイゼーション解析した。銅シャペロンは細胞中の銅イオンを輸送するタンパクであってそれ自体は抗酸化作用はない。銅イオンはCu/Zn-SODを始めとするいくつかの酵素の補酵素として細胞に必須のものであるが、ハーバー・ワイス反応によって活性酸素種の中でも最も毒性の高い種とされているヒドロキシラジカルを発生させ得る。銅シャペロンは細胞質から銅イオンを輸送しゴルジ体へ隔離するので、細胞質の銅イオン濃度を下げることによって活性酸素の発生を抑制する可能性がある。

 オヒルギの銅シャペロン遺伝子はESTコレクションに含まれていたのを用いた。全長121残基のうちN末端側70残基ほどは他の動植物のホモログと相同性が認められた。この部分は銅イオン?と結合するドメインであると考えられる。しかし残りのC末端側は動物や細菌のホモログには存在せず、他の植物とは相同性が低い部分で、7残基のTE(A/P)KPA(E/K)を単位とする6回の繰り返し配列となっている。2次構造の予測としてはアミノ酸のチャージからaヘリックスを組む可能性が考えられるが、この部分の役割は未知である。

 銅シャペロンの発現量についてはコントロール時には少なく、葉の位置による差もあまりなかった。しかし塩処理時には4,6番目の葉では発現が大きく増加した。これらの結果と、銅シャペロンは老化した葉において銅イオンを別の器官に運ぶために働くことが報告されていることを考えると、塩ストレスによって老化現象が進行する可能性が示唆される。

 第6章では、本研究で得られた知見を総括した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、高い耐塩性能を有しながらそのメカニズムについての分子生物学的な研究がこれまで行なわれてこなかったマングローブのオヒルギについて、抗酸化系酵素の塩ストレス応答の解析を行なったものであり、6章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景について述べ、及び本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、オヒルギに塩ストレスを与えた場合の葉中のナトリウム濃度およびスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)とカタラーゼの酵素活性の経時変化について測定している。塩ストレス処理の結果、オヒルギの全SOD活性は、塩処理開始後すぐに上昇し始め、最終的には9日目で塩処理開始時の約8倍に達すること、カタラーゼもSODと類似した変化を示し、9日目の活性は塩処理開始時の約5倍くらいであることを示している。オヒルギ葉中のナトリウム濃度については処理開始時に150mM程度であり、3日後ぐらいまでは急激に上昇し、最終的には約450mMに達することを確認している。以上からオヒルギは塩環境下では塩を植物体内に吸収すること、SODやカタラーゼなどの抗酸化系が活性化されることが明らかとなり、このことから塩ストレスによる障害の低減に活性酸素消去系が寄与していると結論している。

 第3章では、オヒルギの細胞質型Cu/Zn-SODとカタラーゼの遺伝子をクローニングして、そのcDNAをプローブとし、発現レベルでの塩ストレス応答をノーザンハイブリダイゼーションにより解析している。クローニングした細胞質型Cu/Zn-SOD配列を決定して、153残基のタンパクをコードしていること、他の植物のホモログと約80%以上の高い相同性があることを明らかにしている。次に塩処理を行い、ノーザンハイブリダイゼーションによって細胞質型Cu/Zn-SODとカタラーゼの発現変化を調べている。細胞質型Cu/Zn-SOD遺伝子の転写レベルでの発現には、塩処理後1日以内と5〜7日後の2つのピークを認めている。最も強い発現が5日目で観察されたことは、SOD活性測定値が5日目以降も増大していることを支持し、細胞質に局在する細胞質型Cu/Zn-SODが塩ストレスによる植物への障害の低減に寄与している可能性を示唆していると述べている。塩処理の代わりに等しい浸透圧を与えるマンニトール溶液で同様の実験を行なっている。マンニトール処理して1日後のノーザン解析によると細胞質型Cu/Zn-SODは発現が増加することを示している。よって塩処理における1日後の細胞質型Cu/Zn-SODの発現増加は塩の浸透圧にるものであることが示唆されると述べている。塩処理5日後は葉が萎れておらず、葉中の塩濃度が300mM程度まで高まったときなので、細胞質型Cu/Zn-SODの増加は葉中の塩によるイオンストレスによるもの、つまり塩ストレス応答は初期と後期の2段階に分けることができるとしている。次に葉の位置の違いによって塩ストレスに対する応答がどのように異なるかを調べている。その結果、若い葉や成熟した葉は老化した葉よりも塩ストレスの影響を受けやすいと述べている。最後にどの植物ホルモンが細胞質型Cu/Zn-SODやカタラーゼの発現に関与しているかを調べている。オヒルギにアブシジン酸(ABA)、ジャスモン酸メチル(MJ)、2−クロロエチルホスホン酸(CEPA)を与えてノーザンブロット解析を行なっている。解析の結果、細胞質型Cu/Zn-SODの発現にはABAが関与していること、カタラーゼの発現制御はエチレンに関与することが示唆されると述べている。

 第4章では、細胞質型Cu/Zn-SODの耐塩性における役割を示すため、タバコの細胞質型Cu/Zn-SOD過剰発現組換体を作製し、耐塩性評価を行なっている。最終的に遺伝子が組み換えられたタバコ再生体を10個体ほど得ている。これらの株の種子を使用して、発芽による塩ストレス耐性の評価を行なっている。

 第5章では、抗酸化作用としての銅シャペロンに着目し、遺伝子発現レベルでの塩ストレス応答をノーザンハイブリダイゼーション解析している。銅イオンはCu/Zn-SODを始めとするいくつかの酵素の補酵素として細胞に必須のものであるが、ハーバー・ワイス反応によって活性酸素種の中でも最も毒性の高い種とされているヒドロキシラジカルを発生させ得ると述べている。銅シャペロンは細胞質から銅イオンを輸送しゴルジ体へ隔離するので、細胞質の銅イオン濃度を下げることによって活性酸素の発生を抑制する可能性を述べている。オヒルギの銅シャペロン遺伝子は全長121残基で、うちN末端側70残基ほどは他の動植物のホモログと相同性があると述べている。この部分は銅イオンと結合するドメインであるとしているが、残りのC末端側は動物や細菌のホモログには存在せず、他の植物とは相同性が低い部分で、7残基のTE(A/P)KPA(E/K)を単位とする6回の繰り返し配列となっていることを明らかにしている。この部分の役割は未知ながら、2次構造の予測としてはアミノ酸のチャージからαヘリックスを組む可能性をあげている。銅シャペロンの発現量については塩処理時に老いた葉では発現が大きく増加することを確認している。これらの結果と、銅シャペロンは老化した葉において銅イオンを別の器官に運ぶために働くことが報告されていることを考えると、塩ストレスによって老化現象が進行する可能性が示唆されると述べている。

 第6章では、本研究で得られた知見を総括している。

 以上のように、本論文は、オヒルギの塩ストレスに対する応答、特に抗酸化系酵素の遺伝子レベルでの応答についての解析に成功している。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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