学位論文要旨



No 117134
著者(漢字) 丸山,達生
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,タツオ
標題(和) 油脂の改質を目的としたリパーゼの高活性化
標題(洋) Lipase activation for modification of fats and oils
報告番号 117134
報告番号 甲17134
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5275号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 関,実
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 食品総合研究所 室長 中嶋,光敏
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 長い間、酵素反応は水中でしか進行しないと考えられていたが、1980年代に有機溶媒中において酵素が有用な合成反応を触媒することが発見され、非水系における酵素反応に関して多くの研究がなされてきた。しかしながら、あらゆる酵素が有機溶媒中で合成活性を示すわけでなく、また酵素が有機溶媒に不溶であることから有機溶媒中における酵素反応の解析はそれほど進んでいない。そんな中、リパーゼは低極性溶媒の中で比較的安定であり、活性が低いながらも合成反応を行うことから注目を集めている。

 一方、リパーゼが最も得意とする基質は天然油脂中に含まれるトリグリセリドである。この再生可能な天然油脂の有効利用は、資源の枯渇問題、食糧問題の解決に少なからず貢献するものと思われる。トリグリセリドの物性および機能性はグリセロール基にエステル結合しているアシル基の種類およびその結合位置に起因する。従って工業的応用を考えると、安全性・反応部位選択性の面から酵素法としてリパーゼを用いた油脂の改質が期待されている。工業的に価値のあるエステル交換反応やエステル合成反応は非水系、つまり有機溶媒中か無溶媒系で行わせる必要があるが、酵素が高価なこと、非水系で反応性が低いことなどから実用例は少ない。これまでリパーゼを固定化あるいは脂質修飾することにより有機溶媒中における酵素活性を向上できることが報告されてきた。しかし固定化および脂質修飾操作によるリパーゼの活性化機構については不明のままである。

 そこで本研究では、エステル交換反応(図1)を用いた油脂の改質を念頭に、高活性を有する脂肪酸−リパーゼ複合体の基礎特性を検討し、その構造解析を行った。また、これらの活性化に界面の存在が深く関わっていると考え、界面を利用したリパーゼの活性化現象についての検討を行い、リパーゼによる合成反応の活性化に本質的に関わる要因を明らかにすることを目指した。

2.脂肪酸修飾によるリパーゼの高活性化

背景と目的:リパーゼの脂肪酸修飾は、人体に有害な物質を含まず、食品産業への応用の点からきわめて望ましい酵素の活性化方法である。これまでカビ由来のリパーゼのエステル交換活性を飛躍的に高めることが報告されている。そこで、この脂肪酸修飾方法の汎用性を確かめるべく、動物、カビ、細菌由来のリパーゼについて、数種の脂肪酸を用いて修飾を施し、そのエステル交換活性を検討した。

実験:リパーゼ水溶液と脂肪酸を溶解させたエタノール溶液とを混合し、遠心分離の後、沈殿物を凍結乾燥して脂肪酸修飾リパーゼを調製した。この脂肪酸修飾リパーゼを用いて、トリオレインとパルミチン酸との間でエステル交換反応(図2)をヘキサン中で行い、その活性を評価した。

結果と考察:由来の異なる3種のリパーゼを検討した結果、それぞれエステル交換活性が飛躍的に向上した。また、どのリパーゼも、修飾に用いる脂肪酸にエステル交換活性は大きく依存した(図3)。

3.脂肪酸修飾リパーゼの構造解析

背景と目的:これまで上記の脂肪酸修飾リパーゼは、リパーゼ分子の周りに脂肪酸がミセル状に取り囲んでいるものと想像されており、反応溶媒に対するその溶解性あるいは分散性がエステル交換活性の向上に寄与していると考えられていた。しかしながら、脂肪酸修飾リパーゼのヘキサンに対する溶解性および分散性の予備検討を行った結果、ヘキサンにこの修飾リパーゼは全く溶解せず、分散性も低かった。そこで小角X線散乱法を用いて、この脂肪酸修飾リパーゼの構造解析を行った。

実験:脂肪酸修飾リパーゼを緩衝液あるいはヘキサンに分散させ、小角X線散乱測定を高エネルギー物理学研究機構で行った。

結果と考察:測定の結果、緩衝液およびヘキサン中においてラメラ構造特有のX線散乱パターンが得られた(図4)。つまり脂肪酸修飾リパーゼでは脂肪酸のラメラ構造が存在することが判明し、ヘキサン中に分散させてもそのラメラ構造は保持されていることが明らかになった。この際、リパーゼ分子はそのラメラ構造に入り込んでいる、あるいは吸着しているものと考えられる(図5)。つまり脂肪酸修飾リパーゼの構造は想像されていたミセル状のものではなく、その活性化機構も別に存在することが示された。

4.油水界面によるリパーゼの高活性化

背景と目的:近年のX線結晶構造解析により、リパーゼは活性部位を覆う蓋(Lid)の様な構造を有していること、しかもこの蓋は開閉することが明らかになっている。また、油水界面により、リパーゼによる油脂の加水分解反応が著しく活性化されることが古くから知られており、この活性化は、リパーゼ特有の構造である蓋の開閉が関与しているものと考えられている。つまり油水界面において、この蓋が開き、基質が活性部位に到達しやすくなるため、加水分解反応が活性化されたものと考えられている(図6)。そこで有機溶媒中や無溶媒系におけるリパーゼの不活性状態はこれらの系に油水界面が存在しないことが原因であると推察し、事前にリパーゼを油水界面との接触操作を行うことにより、有機溶媒中において高活性を有するリパーゼの調製ができるかどうかを検討した。

実験:リパーゼ水溶液にテトラデカン等の飽和炭化水素を少量加え、界面が存在する二相の状態でしばらく攪拌した。この状態から凍結乾燥により、飽和炭化水素と水を取り除き、油水界面接触リパーゼを乾燥粉末として調製した。ヘキサン中でトリパルミチンとステアリン酸との間でエステル交換反応を行い、エステル交換活性を評価した。なお、Cutinaseに関してはエステル交換活性を示さなかったため、ブチルラウレート合成活性を評価した。

結果と考察:種々のリパーゼを検討した結果、油水界面接触処理を施したリパーゼは、未処理リパーゼおよびコントロール(リパーゼ緩衝溶液を凍結乾燥したもの)に比して、顕著なエステル交換活性を示すことが分かった(図7)。また蓋を持たないリパーゼ(Cutinase)ではこの油水界面接触処理の効果が見られなかった。油相として種々の飽和炭化水素を用いて油水界面接触処理を行った結果、得られるエステル交換活性はその炭素数に大きく依存し、その依存の仕方はリパーゼの由来により違いが見られた。

 この油水界面接触処理を施したリパーゼ(Rhizopus japonicus由来)に水を加え、水中に24時間再分散させ、凍結乾燥後、そのエステル交換活性を調べた。その結果、このリパーゼのエステル交換活性は油水界面接触処理後に比べ、その3%にまで活性が減少した。さらにこの不活性化したリパーゼに再度油水界面接触処理を施すと、そのエステル交換活性は約9倍に活性化された。つまりこの油水界面接触による活性化方法は、他の活性化方法と異なり、可逆であることが明らかになった。

 この油水界面接触処理による活性化を次のように考察した。テトラデカン−水界面によりリパーゼ特有の活性部位を覆う蓋が開き、基質がたどり着きやすい状態を形成したため、高いエステル交換活性を有機溶媒中で示したものと思われる。また油水界面の存在しない緩衝液に再分散させるとそのエステル交換活性が顕著に減少し、さらにその不活性化したリパーゼを油水界面接触処理により再活性化できたことはこの仮説を強く支持する結果である。

5.基質添加による活性化状態の安定化

背景と目的:基質あるいは基質アナログと酵素の複合体を水溶液中で形成させ、これを凍結乾燥することにより、有機溶媒中で高活性を有する酵素を調製できることが知られている。しかしながら、リパーゼに関しては、その反応場が一般にエマルション状態のようなヘテロな環境であることから、基質を用いたリパーゼの活性化状態の安定化に関する報告は少ない。そこで、先に開発した油水界面接触処理に、基質を添加することにより、リパーゼのエステル交換活性のさらなる向上を図った。

実験:前述の油水界面接触処理において、テトラデカン相に少量のトリカプリンを溶解させ、リパーゼの油水界面接触処理を行った。エステル交換活性は前述と同様に評価した。

結果と考察:トリカプリンを油相に添加し、油水界面接触処理を行った結果、トリカプリンなしの時に比べて、いずれのリパーゼも明らかにエステル交換活性が向上した(図8)。

 この基質添加によるリパーゼの高活性化現象を次のように推察した。テトラデカン−水界面によりリパーゼの蓋が開き、そこで基質−酵素複合体を形成することにより活性化状態が安定的に保持され(図9)、高いエステル交換活性をヘキサン中で示したものと思われる。

6.結論

 本研究により脂肪酸修飾操作が種々のリパーゼに適用可能であり、高いエステル交換活性が得られることが判明した。この脂肪酸修飾リパーゼはリパーゼと脂肪酸ラメラ構造の複合体であることも明らかになった。

 飽和炭化水素と水との界面接触によりリパーゼのエステル交換反応が活性化されることが初めて明らかになった。この油水界面接触処理は、他のリパーゼの活性化方法と違い、容易に不活性化し、さらに再活性化できることが判明した。この油水界面接触処理に基質を添加することで、エステル交換活性をさらに向上させることが可能になった。

 以上の結果から、有機溶媒中におけるリパーゼの活性を高めるためには、事前に界面を提供すること、ならびに基質−酵素複合体を事前に形成させることが重要であることが判明した。脂肪酸修飾操作ではこの二つの要因がリパーゼの高活性化に寄与しているものと考えられる。

図1 トリグリセリドと脂肪酸との間のエステル交換反応

図2 脂肪酸修飾リパーゼによる

トリオレイン(OOO)とパルミチン酸(P)との間でのエステル交換反応

図3 脂肪酸修飾リパーゼのエステル交換活性(#脂肪酸修飾リパーゼ調製時に沈殿物が得られなかった。)

図4 ヘキサン中における脂肪酸修飾リパーゼの小角X線散乱パターン

図5 脂肪酸修飾リパーゼの模式図

図6 油水界面によるリパーゼの活性化モデル

図7 油水界面接触処理がリパーゼのエステル交換活性に及ぼす影響(*Cutinaseに関してはエステル合成活性を評価した。)

図8 油水界面接触処理における基質添加がリパーゼのエステル交換活性に及ぼす影響

図9 油水界面における基質添加によるリパーゼの活性化状態の安定化モデル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,食用油脂の改質を行う酵素(リパーゼ)の高活性化方法の開発と高活性化に本質的に関わる因子の解明に関する研究を纏めたものである。具体的には,油脂の改質方法として非水系におけるエステル交換反応に注目し,この反応を触媒するリパーゼの脂肪酸修飾による高活性化,脂肪酸修飾を施したリパーゼ(リパーゼ−脂肪酸複合体)の構造解析,またリパーゼの性質を利用した新規な油水界面接触処理方法の開発などを含んでいる。特に本論文では,これまで未解明であった脂肪酸修飾リパーゼの構造解析を初めて行い,リパーゼの特質を生かした液−液界面を用いた可逆的な活性化方法(油水界面接触処理法)の開発を行ったところに特徴がある。

 本論文は,全8章から構成されている。

 第一章では,本論文の意義を明確にするために,研究の背景およびリパーゼの特徴・その応用について述べている。

 第二章では,リパーゼによるエステル交換反応および脂肪酸修飾によるリパーゼの活性化現象に関して述べている。リパーゼによる油脂のエステル交換反応は,高い反応部位選択性,副産物の低減化,省エネルギー反応,食品グレードの安全性等多くの利点を有している。しかしながら,一般にリパーゼ単独では極めて低いエステル交換活性しか示さない。そこで本章では,このリパーゼの反応性を向上させる方法として脂肪酸による修飾法に注目し,その汎用性および反応特性に関する詳細な検討を行っている。リパーゼの脂肪酸修飾法は,極めて簡便な操作であり,かつ人体に対して安全性の高い活性化方法である。この方法が種々の由来のリパーゼに対して汎用性を有することを明らかにし,この脂肪酸修飾リパーゼの応用例として,機能性脂質である構造脂質の生産特性を評価している。これらの結果は,脂肪酸修飾リパーゼが食品産業において実用的に使用可能であることを示している。

 第三章では,前章で取り上げた,高活性を有する脂肪酸修飾リパーゼの構造解析について述べている。ここでは,小角X線散乱法を用いて,脂肪酸修飾リパーゼの分析を行い,脂肪酸修飾リパーゼが脂肪酸のラメラ構造とリパーゼ分子の複合体であり,主にリパーゼ分子はそのラメラ構造表面に存在することを初めて明らかにしている。

 第四章および第五章では,リパーゼの特性を利用した新規な活性の向上法(油水界面接触処理法)の開発について述べている。これまでリパーゼの活性を向上させるための様々な方法が提案されてきたが,それらのメカニズムについては,ほとんど明らかにされて来なかった。これに対して,本活性化方法は,推定されている,油水界面におけるリパーゼの構造変化を利用したものであり,極めて合理的な方法である。また本法は揮発性油を用いているため,活性化後,活性化に関与した物質が残存しない。そのため,活性化したリパーゼを容易に不活性化,再活性化できるという,これまでにない特徴を有している。この特徴的な,リパーゼの活性化方法の開発は,非水系および水系におけるリパーゼ触媒反応に関して重要な知見を与えている。

 第六章では,基質と油水界面を利用したリパーゼのインプリンティング効果について述べている。一般に,事前に,基質あるいは基質アナログと酵素のESコンプレックスを形成させること(インプリンティング)により,非水系における酵素活性を向上できることが知られている。しかしながら,リパーゼに関しては,効率的に基質とESコンプレックスを形成させることが難しいため,基質等を用いたインプリンティングによるリパーゼエステル交換活性の向上に関する報告はなかった。そこで本章では,四章・五章で開発した油水界面接触処理に少量の基質を添加することにより,リパーゼのインプリンティングを検討している。種々の基質を用いてインプリンティングを行い,いずれの場合もリパーゼのエステル交換活性が向上することを初めて報告している。

 第七章では,リパーゼによるペプチド分解・合成の可能性を述べている。これまで複数の研究グループが,粗リパーゼによるペプチド合成を報告しているが,ペプチド分解に関する報告は未だない。そこで本章では,13種のリパーゼに関して,ペプチド分解活性を検討し,市販の豚膵臓由来のリパーゼにペプチド分解活性を見出した。さらに,クロマトグラフィによる分画の結果,脂質分解活性とペプチド分解活性が分離可能であることを明らかにした。この結果から,これまで報告されているリパーゼのペプチド合成活性が混在するペプチダーゼに起因すると推定されることを示している。

 第八章においては,本研究を総括し,今後の展望を述べている。

 以上述べてきたように,本論文は,工業的な利用が期待されているリパーゼのエステル交換反応を念頭に,リパーゼの脂肪酸修飾による活性化および機能性油脂の生産を行い,その有用性を実証したものである。また,この高活性を有する脂肪酸修飾リパーゼの構造解析,油水界面接触処理による新規なリパーゼの高活性化法の開発等を通して,リパーゼが非水系で効率的に働く機構に関する重要な指針を提供している。これらの結果は,食品工学を含む生物化学工学の分野で重要な意味を持つとともに,新規な反応場における酵素の反応化学の分野にも意義深いものと考えられる。さらに,これら本論文の結果から,将来的に,油脂の改質のみならず,さまざまなファインケミカル合成へのリパーゼの応用が期待される。

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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