学位論文要旨



No 117135
著者(漢字) 安川,武宏
著者(英字)
著者(カナ) ヤスカワ,タケヒロ
標題(和) 変異tRNA修飾欠損に起因するミトコンドリア病の分子機構解明
標題(洋)
報告番号 117135
報告番号 甲17135
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5276号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 講師 鈴木,勉
内容要旨 要旨を表示する

 ミトコンドリア病はその症状が全身多臓器に現れるのが特徴であり、中でもエネルギー需要の高い脳中枢神経系・心筋・骨格筋に頻繁に症状が現れる。約10年前、ミトコンドリアDNA (mtDNA)にコードされるtRNA遺伝子の点変異やmtDNAの数千塩基対の欠失変異がミトコンドリア病患者から見出された。そして代表病型であるMERRF (myoclonus epilepsy associated with ragged-red fibers)の患者の9割ではtRNALys遺伝子上の塩基番号8344位に、もう一つの代表病型MELAS (mitochondrial encephalomyopathies, mitochondrial myopathy, encephalopathy, lactic acidosis, and stroke-like episodes)の患者の8割ではtRNALeu (UUR)遺伝子上の3243位に、1割では同遺伝子の3271位に変異を持つことが明らかとなった(R=A or G)(図1)。また3243位変異はPEO、糖尿病、難聴患者でも見出されている。ところでミトコンドリアを構成したり機能を調節する蛋白質の殆どは核遺伝子にコードされているので、たとえ変異がmtDNAに見出されてもこれが本当にミトコンドリア異常を引き起こしているかは分からない。そこで患者の核の影響を排除するために患者ミトコンドリアと外来細胞の核を融合したサイブリド細胞が作製され、これらのサイブリドが実際にミトコンドリアの呼吸活性の低下と蛋白質合成の低下・異常を示したことから、上記の点変異(やmtDNA大欠失)が原因遺伝子変異であることが証明された。

 しかしながら、tRNA遺伝子上のたった一塩基の置換がどの様にしてミトコンドリア異常を引き起こすのかの直接的な解答は変異が報告されて以来謎であった。私はそれらの根元的原因はその変異を持つtRNA分子の異常性とそれにより引き起こされる特に翻訳反応過程の異常ではないかと考え、サンプルが微量であることと精製が技術的に困難であることを克服して、変異tRNA分子(MERRF8344変異を持つtRNALys, tRNALys (A8344G); MELAS3243変異を持つtRNALeu (UUR), tRNALeu (UUR) (A3243G); MELAS3271変異を持つtRNALeu (UUR), tRNALeu (UUR) (U3271C))の構造・機能を直接解析することで発症の分子機構を明らかにすることを目的とした。

 まずそれぞれの点変異を持つサイプリド細胞のミトコンドリア蛋白合成活性を評価した(図2)。そして細胞内での変異tRNAの存在量・安定性・アミノアシル化を解析した。図3にまとめたようにtRNALys (A8344G)はコントロールサイブリド内の正常配列tRNALysと比べてLysyl-tRNALys量はほとんど低下していなかった。一方、MELAS変異を持つ2種類の変異tRNALeu (UUR)は各サイブリド内でそのLeucyl-tRNALeu (UUR)量が30%以下にまで低下していた。これらの結果と各サイブリドのミトコンドリア蛋白合成活性を比較してみると、単純にアミノアシルtRNA量の低下で蛋白合成活性低下を説明することができないことが明らかとなった。

 そこで私は変異tRNA分子自体の解析を行うこととした。まずサイブリド大量培養法を確立した。それぞれの培養細胞からtotal RNAを得、陰イオン交換カラムでtRNAを分画し、目的のtRNAがどの画分に含まれているかをdot blotting法で確認し、tRNALys (A8344G)、tRNALeu (UUR) (A3243G)、tRNALeu (UUR) (U3271C)を固相化プローブ法により構造解析可能量の単離精製(正常tRNALys、tRNALeu (UUR)はコントロール細胞から精製)に成功した。そして酵素的RNA配列決定法(Donis-Keller法)、ポストラベル−2次元TLC法(Kuchino法)、LC/MS精密質量分析法を駆使して正常型、変異型tRNAの修飾塩基を含む一次構造を決定したところ、3種の変異tRNAのanticodon 1文字目のウリジン(U34)への必須の修飾が特異的に欠落しており、未修飾のUのままであることを見い出した(図4)[1, 2]。この修飾塩基の構造自体は当研究室の鈴木らによって牛mt tRNAの研究から同定された。tRNALysは5-taurinomethyl-2-thiouridine (τm5s2U)、tRNALeu (UUR)は5-taurinomethyluridine (τm5U)を持つ。この修飾酵素は全く知られていないが、tRNA分子内で互いに離れた位置の3変異によってU34の修飾が欠落するという本研究結果から少なくともこの酵素はtRNAの正確な全体構造を認識しており、さらに局所的な塩基配列も認識対象としているかもしれないと考察できる。

 一方、乳児致死性心筋症(CM)患者で見つかった4269位に塩基置換を持つtRNAIleの修飾塩基は全て正常であることも確認した。Human mitochondrial (hmt) tRNALeu (UUR), tRNAIleのRNA配列は新規決定したのでGenBank/EBI Data Bankに登録した。CMの場合は変異tRNAが非常に不安定であることがミトコンドリア異常の主要原因であると考察した[3]。

 一般にtRNAに存在する修飾塩基はtRNA分子の高次構造保持や様々な因子・酵素の認識に必要であり、tRNA分子の機能発現に重要な役割を果たしている。そして特にanticodon loopに存在する修飾塩基はtRNAのcodon認識に不可欠であるので、MERRF、MELASの場合のanticodon修飾欠損は変異tRNAが(1) noncognate codon(tRNALeu (UUR)ならUUC、UUU)を誤翻訳すること、(2) cognate codonと正常に対合できないこと、を示唆し、変異tRNA分子自体の翻訳過程での機能異常が発症原因の可能性が高い。そこで当研究室で確立したin vitroミトコンドリア蛋白質合成系を用いて変異tRNAの翻訳異常を検証することにした。具体的には、系を構成する翻訳因子を充分量調整するために、ミトコンドリア蛋白質合成系の各因子の相同性の高い牛の肝臓からミトコンドリアのribosomeや伸長因子(一部大腸菌で発現)などを精製して用いた。そして変異(あるいは正常)tRNALys、tRNALeu (UUR)は大量培養したそれぞれの変異(あるいは正常)サイブリドから単離精製し、放射性ラベルされたlysine、leucineを対応するアミノアシルtRNA合成酵素でtRNAにチャージさせて系に投入した。そしてこの系で、対応するcodon repeat RNA (poly (AAN) 30、poly (UUN) 30, N=A, G, C, or U)をどれくらい効率よく翻訳するかを重合したアミノ酸の放射活性を測定することで評価した。どの変異tRNAも対応する正常配列tRNAに比べてcognate codonの翻訳効率が低下していることが判明した(図5)[4]。そして3文字目がAのcodonよりもGのcodonの場合のほうがより効率が低下していた。これはA-U Watson-Click塩基対よりもG-U wobble塩基対のほうが不安定であることに起因していると考えられる。この結果は大腸菌tRNAの研究でU34が未修飾となった場合、3文字目がAよりもGであるcodonを読みにくくなるという過去の報告と一致する。また、未修飾のU34はnoncognate codonの認識が予想されたが、in vitro翻訳反応系ではnoncognate codonでのペプチド合成が観測されなかったことからhmt tRNALys、tRNALeu (UUR)のanticodonの場合は対合力自体が弱まってしまい誤翻訳は起こらないと考えられる。

 また3種類の変異tRNAの中でMERRF tRNALysが最も顕著に活性低下を示し、ほとんど伸長反応がおこっていない。ところで他の種のtRNALysではU34の2、5位の修飾(5位の側鎖はhmt tRNALysとは異なるがxm5s2U型の修飾である)がcodonとの対合に不可欠で、修飾を欠くと全く対合できず、特に2位のチオ化が重要であるということがtRNAとcodonの対合力を評価するときに用いられるnon-enzymatic mRNA-programmed ribosomal small subunit binding assayによって直接的に証明されている。そこで、MERRF変異tRNALysの場合も同様のassayを用いて修飾欠損が本当に翻訳活性消失の直接の原因であるかを実験的に検証することとした。このassayを用いる利点は近年のribosomeのX線結晶構造解析からtRNAがribosome上でcodonと対合する時にTΨC loopはribosomal small subunitと接触せず、anticodon stem-loop (ASL)部位のみが接触することである。なぜならMERRF点変異はTΨC loop上にあるのでこのassay系を用いれば変異tRNALysと正常tRNALysのASL部位の結合力の相対的差異、すなわちU34修飾の有無によりcodonとanticodonが結合できるかを評価することとなるからである。結果は図6に示したとおりでpoly (AAA)と正常tRNALysは結合するがMERRF変異tRNALysは結合できず、tRNALysがU34の修飾欠損によりcodonと対合できないことが直接証明された。この結果はin vitro翻訳反応活性と実際のサイブリドのミトコンドリア蛋白合成活性の顕著な低下をよく説明できる。よって私は変異tRNALysがU34の修飾欠損によりcognate codonと対合できなっていることがMERRFのミトコンドリア機能障害の分子レベルでの主要な原因であると結論した[4]。

 MELASの場合も正常tRNALeu (UUR)がtRNALysと共通のU34の5位の側差を持っていることから、これを欠損した2種類の変異tRNALeu (UUR)のcognate codonとの対合力が弱まっていることがin vitro翻訳反応系で明らかとなった変異tRNALeu (UUR)の伸長反応活性低下の原因であると考えられる。但しtRNALeu (UUR)は元々U34の2位にチオ化を受けずに機能していることからU34の修飾欠損がin vitro翻訳反応に及ぼす影響はtRNALysほど重大ではないのであろう(図5)。そしてin vitroでtRNALeu (UUR) (U3271C)よりtRNALeu (UUR) (A3243G)のほうが翻訳効率が低下する結果は細胞内のミトコンドリア蛋白合成速度低下の度合いの傾向と一致した(図2, 5)。故に私はMELASにおけるミトコンドリア機能障害の分子メカニズムは、tRNALeu (UUR) (A3243G)の場合は修飾塩基欠損に加え点変異による翻訳活性低下であり、一方tRNALeu (UUR) (U3271C)の場合は修飾塩基欠損が翻訳活性低下を引き起こしており、点変異自体は大きな影響がないと考察した。一般にtRNAはその分子内の3次元的相互作用で高次構造を安定化しておりU8-A14の相互作用もその一つである。ミトコンドリアtRNAは通常のtRNAと異なる構造のものが多いがhmt tRNALeu (UUR)は通常のtRNAと同様の一次配列を持ち、3次元相互作用に必要な塩基の多くも保存されており、U8、A14も保存されているので相互作用が存在する可能性が高い。3243位変異はこの14位に塩基置換を起こすのでこの相互作用を消失してしまうことでtRNAの3次元構造が揺らいでribosomeにentryしにくくなっていると考えられる。一方in vitro(図5)、in vivo(図2)の結果から3271変異はanticodon stemの対合を崩すと予想されるがcodon-anticodon対合を阻害していないと推察される。臨床的なMELAS研究で3243変異患者群の方が3271変異患者群より発症年齢が若いという報告があり、上記の結果となんらかの関連が予想される。修飾欠損と点変異がそれぞれどれくらい翻訳活性低下に寄与しているかを正確に評価する研究は進行中である。

 本研究においてRNA分子の特定の塩基修飾というレベルでの詳細な解析から高次生命現象であるヒトの疾患の根本原因が見出されたことは意義深い。この知見はRNAの修飾欠損が疾患の原因であることを示した初めての例である。本研究の結果から構築できる分子レベルでの発症機構は以下の通りである。まずmtDNA上の点変異がtRNA分子に転写され、この点変異によりanticodon一文字目の修飾酵素がU34に修飾を施すことができなくなる(図4)。U34の修飾が欠損したことで変異tRNAのanticodonはcognate codonと安定に対合できなくなってtRNA自体のcognate codon認識能が失われてしまい(図5, 6)、MERRFではlysine codonのところで、MELASではleucine UUR codonのところでペプチド重合が正常に進行しなくなり細胞内のミトコンドリア蛋白質合成活性が低下して(図2)、結果としてmtDNAにコードされた呼吸鎖酵素複合体のサブユニットが正常に生産されなくなる。実際MERRF細胞においてはlysine codonのところで蛋白質合成が止まったために生じたpremature terminated productが確認されている。またframe shiftが起こっている可能性もある。このような異常なペプチドの大部分は恐らく呼吸鎖酵素複合体を形成できずミトコンドリア内のproteaseによって分解されてしまい、核にコードされたサブユニットがミトコンドリア内に正常にimportされてもmtDNAにコードされたサブユニットが少ないため結果として呼吸鎖酵素複合体の量的な低下が起こっている。また、異常なペプチドのうちの一部は複合体に間違って取り込まれ、正常に機能できない複合体が形成されている可能性もある。このような経路でミトコンドリアの機能障害が引き起こされているのではないかと私は考えている。一方、本研究では異常が起こるtRNA分子種がtRNALysとtRNALeu (UUR)の場合でどうして臨床病型が異なるのか、また同じ変異を持つ患者でも臨床症状では個々人によって重症度が異なったり、一個人内でも組織特異性があったりという個体レベルでの疑問に直接答えることはできなかった。しかしながらtRNA遺伝子内に発見されたたった一塩基の置換でどうのようにして細胞の機能が障害されるかという分子レベルの機構が明らかになり、将来上記の疑問に挑戦するときに必ず役に立つ知見であると私は考えている。

 また近年、疾患原因を探るアプローチとしてプロテオーム解析やマイクロアレイ、ディファレンシャルディスプレイなど、蛋白質やmRNAの発現量の変動を調べる方法が普及しているが、本研究を通して疾患原因として機能性RNAの転写後修飾異常も視野にいれておくことの必要性を強く意識した。また、mtDNA遺伝子変異が原因であるミトコンドリア病ではmtDNAが一細胞あたり数千コピーあることやmtDNAがミトコンドリアの2重の膜の内側にあることから、いわゆる遺伝子治療のアプローチが不可能であった。ところが本研究の結果はMERRF、MELASを始め、tRNA遺伝子内の点変異が原因のミトコンドリア病の治療法としてRNA修飾酵素やその関連遺伝子の同定と機構の解明・改変、また修飾塩基の基質の投入といったアプローチからの治療の可能性という、今まででは考えなかった発想を与えてくれた。

 原著論文

[1] Yasukawa T. et al. J. Biol. Chem. (2000) 275, 4251-4257, [2] Yasukawa T. et al. FEBS Lett. (2000) 467, 175-178, [3] Yasukawa T. et al. Nucleic Acids Res. (2000) 28, 3779-3784, [4] Yasukawa T. et al. EMBO J. (2001) 20, 4794-4802, [5] Yasukawa T. et al. Nucleic Acids Symposium Series (1998) 39, 257-258

図1 mtDNAと点変異

図2 [35S]Methionine pulse labelによるミトコンドリア内蛋白合成活性測定

図3 細胞内での変異tRNAの存在量とアミノアシル化の割合

図4 Wild-type tRNAs、変異tRNAsの修飾塩基を含んだ2次構造

図5 In vitroミトコンドリア蛋白質合成系でのCognate codon reading効率

図6 In vitro binding assayの概念図と結果

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はヒトミトコンドリア病で見られるミトコンドリアDNA上にコードされたtRNA遺伝子の点変異によって引き起こされるミトコンドリアtRNAの機能異常を明らかにすることを目的とし、代表病型MERRFの患者の9割でみられる塩基番号8344位に変異を持つtRNALys、もう一つの代表病型MELASの患者の8割でみられる3243位に変異を持つtRNALeu(UUR)、1割でみられる3271位に変異を持つtRNALeu(UUR)、致死性心筋症患者で見出された4269位に変異を持つtRNAIle、の4種類について、それらの構造・機能を詳細に解析し、いかにして変異tRNAが患者ミトコンドリアの異常を引き起こしているかを分子レベルで明らかにしたものである。

 第1章では本研究の背景としてミトコンドリアとその遺伝情報系について概説した。またmtDNA上の点変異がミトコンドリア異常の原因遺伝子変異であるかを明らかにするために開発された、核は正常細胞由来、ミトコンドリアは患者由来という人工融合細胞サイブリドがミトコンドリア病の細胞レベルでの研究を飛躍的に進め、多くの成果をもたらせたことを解説した。

 第2章では本研究で行った種々の実験方法−サイブリドの培養法、細胞内ミトコンドリア蛋白質合成活性の評価方法、ミトコンドリアtRNAの種々の解析法、試験管内ミトコンドリア蛋白質合成系による変異ミトコンドリアtRNAの翻訳活性測定方法−を述べた。

 第3章では本研究で行った実験結果を述べた。まず、各変異サイブリド細胞のミトコンドリアタンパク質合成活性低下は、アミノアシル化された変異tRNAの存在量の低下やミスアミノアシル化によるものではないことをつきとめた。次に変異tRNAそのものの構造解析を試みた。この解析に必要な量のtRNAを取得するため、まずサイブリド細胞の大量培養法を確立し、そこから固相化プローブ法を用いて効率よく変異tRNAを単離精製することに成功した。そして配列特異的RNaseを用いたRNA sequencing法、修飾塩基を同定するためのポストラベル法と精密質量分析用のLC/MSを用いた塩基決定法を駆使して、各変異tRNAの修飾塩基を含めた塩基配列を決定し、対照となる正常tRNAのものと比較した。その結果、MERRF変異tRNALysと二つのMELAS変異tRNALeu(UUR)で共通にアンチコドン一文字目のウリジンの転写後修飾が特異的に欠損していることを発見した。一般にアンチコドン1文字目の修飾塩基は正常なコドンだけを正確かつ効率よく翻訳するために不可欠なので、この修飾を欠く変異tRNAは正常なコドンを効率よく翻訳できない、或いはそれコドン以外のコドンを誤翻訳する、という2つの可能性が考えられる。これらの可能性を実験的に検証するために、ヒトと相同性の高い牛肝臓からミトコンドリアを調製してそこから蛋白質合成系を構成する因子類をそれぞれ精製し、in vitroミトコンドリア蛋白質合成系を構築した。この系で精製変異tRNAの翻訳特性を検討したところ、どの変異tRNAも正常なコドン解読能が顕著に低下していること、しかし誤ったコドンを誤翻訳はしないこと、が判明した。コドン−アンチコドンの親和性を、30Sリボソーム上で変異tRNALysとモデルmRNAとしてのオリゴ(A)を用いて調べたところ、アンチコドン1文字目の修飾欠損によって変異tRNALysがコドンとの結合ができなくなっていることが分かった。

 また、致死性心筋症患者で見出された4269位に変異を持つtRNAIleについても同様に解析した結果、この場合は転写後修飾異常はなく、かわりに点変異によって細胞内でtRNAIleの安定性が極度に低下していることが明らかになった。

 第4章では上で得られた知見を総合してMERRF、MELAS変異細胞におけるミトコンドリア異状の分子レベルでの発症機構を論じた。すなわち、これまで考えられていたようにアミノアシル化された変異tRNAのミトコンドリア内での存在量の低下のみで蛋白質合成能の低下が説明することはできないことが明らかとなった。本研究によって、MERRFに関しては変異tRNAの量的低下は本質的ではなく、アンチコドン一文字目の修飾欠損によって変異tRNALysのアンチコドンがコドンと対合できなくなるため変異tRNALysは翻訳能を顕著に失い、結果として実際のミトコンドリア内ではリジンコドンのところで蛋白合成が停滞するため完全な蛋白質の合成量が低下する、というのが分子レベルでの蛋白合成異常の機構であることが明らかにされた。MELASの場合もMERRFと同様、アンチコドン修飾欠損によって変異tRNALeu(UUR)の翻訳能力が低下することが蛋白合成異常の主要原因であることが明らかにされた。MELASの場合はMERRFの場合と違い、変異tRNAの量が約1/3に低下していることも明らかにしており、tRNAの質的な活性低下(アンチコドン修飾欠損)だけでなく量的な低下も寄与していることが示唆された。また、MELASの場合、2種類の変異tRNAで3243変異を持つ方が3271変異を持つ方よりも翻訳活性が顕著に低下していたことより、3243点変異はなんらかの付加的な影響をtRNAの翻訳活性に与えていることも示唆された。また、臨床的研究から3243変異を持つ患者のほうが発症年齢が低いことがわかっており、本研究の結果はこのことと関連があると考えられ非常に興味深い。

 最後に本研究でなされたMERRF、MELASの結果、tRNAIleの実験結果、そして他のグループによるそれ以外の変異tRNAの研究とを比較し、一般にミトコンドリア病原因点変異を持つtRNAに起こり得る異常を考察している。

 第5章ではosterosacoma、lung carcinomaの核を持つサイブリドを用いて同様の変異tRNAの解析から同一のアンチコドン修飾欠損を確認し、HeLa細胞以外の細胞から由来した核を持つサイブリド細胞でも起こる一般的現象であることを明らかにした。そしてMERRF患者の検体でもそのことを確認した。

 本論文はミトコンドリア病原因点変異を持つtRNAの細胞内解析と単一に精製した変異tRNAの構造・機能解析を詳細に行い、代表病型であるMERRF、MELASの分子レベルでの発症の主要原因がtRNAの転写後修飾欠損に依るものであることを初めて明らかにしたものであり、その基礎および応用両面での学問的意義は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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