学位論文要旨



No 117141
著者(漢字) 高橋,圭
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ケイ
標題(和) マンガン・ルテニウム酸化物の薄膜と人工格子の物性
標題(洋)
報告番号 117141
報告番号 甲17141
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5282号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 講師 和泉,真
内容要旨 要旨を表示する

 遷移金属酸化物は電子相関が強いため、スピン・電荷・軌道が絡んだ多彩な物性が出現する。その例の一つとしてペロブスカイト構造のLa1-xSrxMnO3系で見られる室温付近の数十%もの超巨大磁気抵抗(CMR)がある。その発見以来マンガン酸化物の研究は理論・実験ともに盛んに行なわれており、近年のこの系に関する理解は目覚しいものがある。一方、SrRuO3は同じd電子系ペロブスカイト酸化物の強磁性金属であるが、単結晶の作製が困難である事などの理由から基本的な物性すらまだ理解されていないことが非常に多い。

 そこで、SrRuO3単結晶薄膜の作製と異常ホール効果・カー効果の測定を行いSrRuO3の物性を詳細に調べること、さらにそのスピン偏極率を実験的に測定するためにLa0.7Sr0.3MnO3とのトンネル接合を作製し磁気抵抗を測定し評価することを目的の一つとした。

 SrRuO3単結晶薄膜の合成はレーザーアブレーション法を用いた。SrTiO3(001)基板上にコヒーレントなエピタキシーを実現させ、面内の格子定数が基板と一致しc軸長が伸ばされたtetragonal結晶薄膜を作製した。図1にSrRuO3単結晶薄膜の異常ホール係数とホール伝導率の温度変化を示す。Karplus、Luttingerらのバンド理論[1]では異常ホール係数はスピン軌道相互作用を取り入れると抵抗率の2乗に比例する。しかし、SrRuO3の異常ホール係数は通常の彼らの理論では説明出来ない温度依存性を示す事、また低温での温度依存性がこれまでに報告された結果[2][3]と大きく異なる事が分かった。これはLa1-xSrxMnO3系の異常ホール係数が広い温度範囲で抵抗率の2乗に比例することを考えると興味深い結果である。

 光磁気カー効果は伝導率テンソルの非対角項σxy(ω)によって生じる現象であり、周波数ゼロの極限がホール効果に対応するものである。従って、SrRuO3の光磁気カー効果、特に低エネルギー領域のスペクトルは"異常な"異常ホール効果の理解につながると考えられる。カー効果は円偏光変調法で測定した。

 図2に様々な温度でのカー回転角θ、カー楕円率ηの周波数依存性(E=0.2−4.2eV)を、図3にθ、ηと反射率測定から求めたσxx(ω)から導出した伝導率テンソルの非対角項:σxy(ω)の実数項と虚数項の周波数依存性を示す。図2から、1.8eVと3.2eV付近に低温で大きくなる構造があり大きな回転角(〜0.7°)を示している事が分かる。図3のσxy(ω)の同じ領域をみると、1.8eV付近には構造が無く、3.2eV付近には低温で大きくなる構造があるのが分かる。これは、カー回転角の1.8eV付近の構造がσxy(ω)の構造に起因するのではなく、ちょうどプラズマエッジでσxx(ω)が極小をとる構造を持つことに起因すると考えられ、3.2eVの構造は02pからRu4dへの遷移の際に生じる成分であると考えられる。σxy(ω)の0.3eV付近の構造の起源をマグネトプラズマ共鳴と考えてフィットしてみたが良くフィットしなかった。これは、この構造がインコヒーレントな伝導の非対角成分のスペクトルと考えなくてはならないことを示唆していると考えられる。

 SrRuO3のスピン偏極率を評価するためにスピン偏極率がほぼ+100%(ハーフメタル)であるLa0.7Sr0.3MnO3とのトンネル接合の磁気抵抗を測定した。絶縁層には格子のマッチングを考慮しSrTiO3を用いた。図4にトンネル接合の各層の磁化の方向とトンネル磁気抵抗率の磁場依存性を示す。バックグラウンドの負の磁気抵抗を無視すると磁化の向きが平行のときの方が反平行のときより抵抗が高いという正の磁気抵抗をはっきり示している事が分かる。正の磁気抵抗の最大値からSrRuO3のスピン偏極率を見積もると約−12%となり、バンド計算の結果(−14.5%)[4]、超伝導との接合の実験結果(−9.5%)[5]から見積もった値に近い値である。また、これは全て酸化物で形成した強磁性トンネル接合において明確に正の磁気抵抗を見出した初めての例である。

 強相関電子系では、その物性がスピン・電荷・軌道の変化に非常に敏感なことから、界面での数ユニットセル領域の電荷のドープ、あるいは界面での最近接原子間のスピン相互作用が起こるだけでその界面の物性が大きく変化する(相転移すら起こす)可能性がある。そこで、接合界面で電荷移動の起こる可能性の高い2つの物質が交互に積層した超格子を作製し、界面の物性を評価する事を目的とした研究を行なった。

 G-type反強磁性絶縁体CaMnO3にRuをドープしたCaMn1-xRuxO3は、Mn4++Ru4+→Mn3++Ru5+に相当する電荷移動がおこり、Mnのeg軌道を占める電子が0個または1個のBサイトイオンの混合となり二重交換相互作用が効きやすくなった結果、強磁性金属に変化することが報告されている[5]。そこで、超格子に用いる2つの物質に、G-type反強磁性絶縁体CaMnO3と常磁性金属CaRuO3を選び実験を行なった。試料はレーザーアブレーション法でLaAlO3(001)基板上に[001]方向に積層する超格子を作製した。層数は製膜中にRHEED(reflection high energy electron diffraction)の鏡面反射強度をモニタリングし1層1層数えることによって制御した。逆格子点(114)付近の四軸のXRDマッピングの結果、超格子の面内の格子定数は基板と一致しておりコヒーレントなエピタキシーが実現し各界面で格子のミスフィット転位のないほぼ理想的な界面が出来ていることを確認した。図5にCaMnO3を10unitに固定しCaRuO3の層数を変えた[CaMnO3(10)/CaRuO3(N)]15超格子(N=2、6、10)、CaMnO3単層膜、CaRuO3単層膜、及びCaMn1-xRuxO3固溶体薄膜(x=0.15−0.5)の磁化モーメントの温度依存性を示す。CaMnO3・CaRuO3単層膜では強磁性転移が観察されないにもかかわらず、全ての超格子において約95Kで強磁性転移している事が分かる。これは、固溶体薄膜の強磁性転移温度が、Mn/Ru比に大きく依存することに比べて極めて特徴的である。この超格子における強磁性の物性と界面の関係を理解するために、界面の数で規格化した飽和磁化モーメントと強磁性転移温度のCaRuO3の層数依存性を図6に示した。磁化モーメント、転移温度ともにCaRuO3の層数に依存せず一定値をとっている、つまりこの強磁性は界面だけで発現した界面強磁性であると考えられる。これは、電気伝導率がCaRuO3の層数に比例して大きくなるにも関わらず、磁気伝導率(負の磁気抵抗)の大きさはCaRuO3の層数に依存しないという輸送特性の結果と矛盾しない。ここで発現している界面強磁性とは、界面でMn4++Ru4+→Mn3++Ru5+という電荷移動が起こった結果、界面付近のCaMnO3の反強磁性がキャントしたものであり、負の磁気抵抗はこのキャントしたスピンが磁場によってスピンが揃いスピンによる散乱が抑えられることで発現すると考えられる。これは、共に強磁性体ではない物質の界面で強磁性を明確に見出した初めての例である。

[1] R. Karplus and J. M. Luttinger Phys. Rev. 95, 1154 (1954).

[2] L. Klein et al. Phys. Rev. B 61, R7842 (2000).

[3] M. Izumi et al. J. Phys. Soc. Jpn. 66, 3893 (1997).

[4] P. B. Allen et al. Phys. Rev. B 53, 4393 (1996).

[5] D. C. Worledge et al. Phys. Rev. Lett. 85, 5182 (2000).

[6] A. Maignan et al. Solid State Commun. 117, 377 (2001).

図1:SrRuO3薄膜の異常ホール係数とホール伝導度の温度依存性。

図2:実線:カー回転角θ、点線:カー楕円率ηの周波数依存性。

図3:σxy(ω)の実数項と虚数項の周波数依存性。

図4:10Kでのトンネル接合の磁気抵抗率の磁場依存性。

図5:[CaMnO3(10)/CaRuO3(N)]15超格子、CaRuO3・CaMnO3単層膜、及びCaMn1-xRuxO3固溶体薄膜(x=0.15−0.5)の磁化モーメントの温度依存性。

図6:[CaMnO3(10)/CaRuO3(N)]15超格子の界面に直面したBサイト原子で規格化した飽和磁化モーメントと強磁性転移温度のCaRuO3層数依存性。

審査要旨 要旨を表示する

 強相関電子を有する酸化物材料のスピンエレクトロニクスへの応用の可能性が盛んに議論されている。本論文では、代表的な強磁性金属であるペロブスカイト型マンガン酸化物とルテニウム酸化物を対象として、SrRuO3薄膜の基礎的物性、SrRuO3/SrTiO3/La0.7Sr0.3MnO3強磁性接合のトンネル磁気抵抗、CaMnO3/CaRuO3人工格子の物性を明らかにすることを目的としている。

 本論文は、4部で構成されており、第1部(1〜6章)では本研究の背景としてペロブスカイト型ルテニウム酸化物の物性、異常ホール効果、磁気光学効果、強磁性トンネル接合、酸化物超格子及び界面物性、CaMn1-xRuxO3の物性、を概観し述べている。

 第2部(7〜11章)では実験方法について、薄膜及び超格子の合成、結晶構造解析、磁化測定、輸送測定、磁気光学測定、それぞれの方法を詳しく述べている。特に本研究の特色の一つである酸化物超格子の合成方法を、各層厚を原子レベルで制御するRHEED(反射高速電子線回折)の鏡面反射強度の振動を利用した方法を中心に、詳しく述べている。また、超格子の結晶構造解析方法について、本研究で用いた1次元ステップモデルの計算方法を述べており、本研究で作製した超格子の構造を解析する準備としている。

 第3部では実験結果と考察を第12〜14章の3章にわたり述べている。第12章ではSrRuO3薄膜の物性について議論している。SrTiO3(STO)(001)基板上に成長したSrRuO3薄膜の結晶構造についてX線回折で評価し、薄膜面内の格子定数がSTO基板の格子定数に一致して歪んだコヒーレント薄膜である事が明らかにされている。磁化特性から、7T以上の結晶磁気異方性を観察し、その起源がコヒーレント薄膜の結晶歪みによる結晶場の変化に伴うスピン軌道相互作用であると結論されている。異常ホール効果の温度依存性から、従来の理論では説明出来ない低温での大きな異常ホール効果を確認している。また、MgO(001)基板上の歪みの無いSrRuO3薄膜の異常ホール効果の温度依存性との比較から、この系の異常ホール効果が格子歪みの大きな影響を受けることが明らかにされている。異常ホール効果の有限周波数版とも言える磁気光学カー効果については、広いエネルギー範囲と温度において、光学伝導度の非対角項スペクトルの特徴について議論している。

 第13章ではSrRuO3/SrTiO3/La0.7Sr0.3MnO3強磁性トンネル接合について、トンネル磁気抵抗を詳しく測定した結果を述べ、SrRuO3のスピン偏極率について議論している。電流電圧特性から、トンネル特性を示す接合の形成を確認し、トンネル磁気抵抗測定では、SrRuO3とLa0.7Sr0.3MnO3の磁化方向が平行であるときの方が高い接合抵抗が出現することを再現性良く観測した。この正のトンネル磁気抵抗から、SrRuO3のスピン偏極率はバンド計算等の予想と合致して、負であると結論している。これは、酸化物同士の強磁性トンネル接合で正の磁気抵抗を観察した初めての例である。

 第14章では反強磁性絶縁体のCaMnO3と常磁性金属のCaRuO3との人工格子の物性を界面に注目して議論している。磁化測定、磁気輸送測定の結果から、CaMnO3/CaRuO3界面はTC=95Kの強磁性になることを明らかにしている。この強磁性は、界面でMnにRuから電子がドープされることによってCaMnO3層2 unit cell程度が弱強磁性になったためと解釈している。そして、負の磁気抵抗は、弱強磁性になった界面近くのCaMnO3を流れる電子のスピン散乱が、磁場によって抑制されたためと結論している。CaMnO3/CaRuO3超格子の界面強磁性の発現は、他の酸化物同士の組み合わせの超格子への応用も考えられる、興味深い結果である。

第4部では、本研究で得られた成果をまとめて、総合的に議論し、今後の酸化物薄膜の電子機能研究に対する本研究成果の意義を述べている。

 以上を要するに、本論文ではSrRuO3薄膜の物性について異常ホール効果や磁気光学カー効果の異常な振る舞いについて詳細な測定結果を得た。SrRuO3/SrTiO3/La0.7Sr0.3MnO3強磁性トンネル接合において、正の磁気抵抗を見出し、SrRuO3のスピン偏極率が負であることを示した。またCaMnO3/CaRuO3人工格子の合成に成功し、界面での電荷移動による界面強磁性を発見した。強相関電子系の磁気伝導特性の理解、界面における物性に関する重要な知見を得たという観点から、物性工学の進展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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