学位論文要旨



No 117142
著者(漢字) 戸川,欣彦
著者(英字)
著者(カナ) トガワ,ヨシヒコ
標題(和) 高温酸化物超伝導体における磁束系動的相図の研究
標題(洋)
報告番号 117142
報告番号 甲17142
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5283号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 前田,京剛
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 助教授 花栗,哲郎
 東京大学 助教授 加藤,雄介
内容要旨 要旨を表示する

 [緒言]高温酸化物超伝導体は、その名の由来通り、高温で超伝導転移を示す。そのため、熱揺らぎが大きくなり様々な物性に影響を及ぼす。超伝導体に磁場を印加した際現れる超伝導磁束系においても、熱揺らぎ、さらに、不純物等によるピンニングの効果で、磁束固体相のみならず磁束流体相など多様な静的状態が現れることがわかり、従来の理解は大きく変更を迫られた。高温酸化物超伝導体における磁束系動的挙動もまた、熱揺らぎとピンニングの影響を受け、動的相転移などの新たな現象が観測される可能性があり興味深い。また、超伝導体における磁束系ダイナミクスは、密度波、ウィグナー結晶、ジョセフソン格子の位相、ドメイン壁の運動、固体間摩擦、地震などのランダムピン中の内部多自由度系の運動に共通する現象、概念を探る上でのモデルとして注目を集めている。

 このような問題に対して、駆動力に対する動的挙動の変化を探ることが重要となる。磁束系のような2次元の運動では、駆動力が大きくなると、ピン止めから外れた磁束が静止している磁束領域間を流れるというプラスティックフローが発生することが知られている。さらに駆動力を大きくすると、理論的には磁束は再秩序化すると考えられている。再秩序化相として、格子状に再秩序化したmoving-Bragg-glass相や、進行方向と垂直にのみ相関が発達したmoving-smectic相が提唱されているが、未だ見解は一致していない。moving-Bragg-glass相がランダムピン中を並進運動をすると、ワッシュボード変調と呼ばれる周期的な速度変調が生じる。この現象は

密度波の運動状態のノイズスペクトル中でよく観測されているが、ランダムピン中の磁束系では極めて小さな領域においてしか観測されておらず、より巨視的スケールで観測されるかどうかが再秩序化相を探る上で重要となる。さらに、高温酸化物超伝導体においては、磁束系の動的挙動の推移はまだほとんど明らかにされていない。

 本研究では、高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oy (Bi2212)において、磁束系の運動における時間秩序に注目し、磁束の運動に伴い発生する速度揺らぎと密度揺らぎに着目したノイズ測定、直流信号と交流信号を同時に加えた干渉効果の手法を用い、駆動力に対する動的磁束状態の変化、動的相図を探ることを目的とした。

 [実験]Floating Zone法により育成したBi2212単結晶棒を大気中で800℃,72時間アニールした後、試料を切り出した。板状試料の典型的な大きさは、ab面内に1.5×1.0mm2、c軸方向に0.015mmであった。電流、電圧端子用のパッドを金蒸着により形成し、さらに大気中で800℃,24時間アニールを行い、試料を最適ドープ状態にした。零磁場下での四端子法によるab面内の直流抵抗率測定とc軸平行磁場下での微小ホール素子アレイを用いた局所磁化測定により試料の特性を評価した。ノイズ、干渉効果の測定には、急峻な超伝導転移を示し、超伝導転移温度Tc直上の残留抵抗率が400μΩcm以下であり、磁化可逆領域で磁束格子の一次相転移による局所磁化の跳びが観測される試料のみを用いた。c軸平行に磁場を印加し、駆動電流はab面内に流した。駆動された磁束が示す二種類の揺らぎ(電圧の揺らぎと局所密度の揺らぎ)のスペクトルをFFTアナライザー(HP-35670A)に用いて測定した。以下では、前者の測定を伝導ノイズ、後者の測定を局所密度ノイズと呼ぶ。また、直流電流と交流電流を同時に流す干渉実験ではSR830を用いたロックイン検出により、微分抵抗を測定した。

 [結果・考察]図1に示すのは、Tc=92.2Kの試料の80K,133A/cm2での伝導ノイズスペクトルである。この温度での磁束格子の一次相転移磁場(Hpt)は70Oeであった。磁場を増加すると、低周波領域に広がるbroad-band noise (BBN)が観測される。さらに高磁場では、ピーク構造をもったnarrow-band noise (NBN)が出現し、磁場の上昇と共に急速に高周波側へ移動していく。さらに磁場が増加すると、特徴的なノイズ構造は観測されなくなる。伝導ノイズのBBNとNBNはいずれも磁束固体相で観測された。

 図2に示すのは伝導NBNのピーク位置fNBNの磁場依存性である。ノイズスペクトルの特徴的なピーク構造の起源として、最も有力なのはワッシュボードノイズである。磁束系においてワッシュボード周波数は〓と表される。ここで、vは平均速度、aは格子間隔、pは抵抗率、jは電流密度、Bは磁場、Φ0は磁束量子である。図2には、測定感度(10−9Ωcm)以上の抵抗率測定のデータを用い見積もったfwを併せてプロットしている。NBNは抵抗が発生する直前の磁束クリープ領域(速度に換算すると、10μm/s〜1mm/s)でのみ観測されたため、同一領域でのfNBNとfwの直接的な比較はできないが、両者が極めて自然かつスムースにつながる様子が見出される。このことは、伝導NBNがワッシュポードノイズであり、少なくとも電圧端子間距離(〜1mm)程度にわたって、磁束が再秩序化してコヒーレントに運動している様子を示している。進行方向に相関が発達した相として現在提唱されている動的状態はmoving-Bragg-glass相のみであり、今回のワッシュボードノイズの観測は高温酸化物超伝導体で初めてその存在を明らかにするものである。

 駆動力が増すにつれワッシュボードノイズの強度が減衰する振る舞いが見出された。これは、駆動力が増すにつれピンニングの影響は相対的に弱くなり磁束のコヒーレンスが高まるという直感的な予想と反する。従って、この領域で動的相図が複雑に入り組んでいる可能性が考えられる。また、ワッシュボードノイズが観測された領域は、抵抗の振る舞いから磁束クリープ領域と見なされる。磁束クリープ領域では磁束バンドルが確率的に遷移すると考えられているが、その描像はコヒーレントな運動と矛盾する。少数(〜20個)の磁束が極めて低速(〜1nm/s)でワッシュボード変調を示すという報告もある。どの速度領域までコヒーレントな状態が存在するか、また、クリープの概念の妥当性の検討は今後の課題であろう。

 伝導ノイズで測定される量は磁束速度揺らぎδvと磁束密度揺らぎδnの重ねあわせとなる。一方、局所密度ノイズでは磁束密度の揺らぎδnを観測する。従って、同一の試料で伝導ノイズと局所密度ノイズを同時に測定することで、δvとδnを評価することができる。図3はTc=91.1Kの試料の同時測定による伝導ノイズと局所密度ノイズの10Hzでのノイズパワース

ペクトル密度を示したもので、それぞれのBBNの磁場依存性を示している。磁場が増加すると、抵抗が発生し、その周辺で局所密度BBNが発生する。それが減衰すると伝導BBNが発生する様子が見出された。局所密度ノイズ測定から見積もられるδnを伝導ノイズに変換すると、ノイズフロアより五桁程低く、伝導ノイズへの寄与は極めて小さい。従って、伝導ノイズで観測されている揺らぎ量は速度揺らぎδvによるものである。この結果から、磁束系ダイナミクスを理論的・数値的に考慮する際、密度揺らぎと速度揺らぎを別個の物理量として区別することが重要であることが分かる。

 伝導BBNの起源を探るため、コルビノ配置の電極を持つ試料を作製し、BBNの発生起源として有力な二つの可能性(表面バリアと局所バルクピン)を直接的に検討した。その結果、コルビノ配置の試料の伝導ノイズにおいても、板状試料と同様なBBNが観測された。電極配置にかかわらず観測される伝導BBNの起源は局所バルクピンによるものと考えられる。

 また、大交流電流による強制的な磁束の振動と磁束格子のワッシュボード変調の干渉の観測にBi2212系で初めて成功した。干渉効果の磁場依存性を図4に示す。興味深いことに、干渉効果が出現する磁場領域が、伝導BBNが観測される磁場領域とほぼ一致した。これらの観測結果から、この磁場領域において、直流電流下でも少なからず磁束の進行方向に対する周期性が発達しており、また、伝導BBNがコヒーレントなワッシュボード変調の前駆体とみなせることが示唆される。

 以上の実験より得られた高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyにおける磁束系動的相図の電流−磁場、磁場−温度平面を示す。電流、磁場により駆動力が増加すると、ピン止めされた静止状態(Bragg glass)→密度揺らぎを伴うプラスティックフロー状態→ランダムな速度揺らぎを伴うコヒーレント状態の前駆状態→ワッシュボードノイズ、干渉効果を示すコヒーレント状態(moving-Bragg-glass)→コヒーレンスが徐々に破れてゆく状態→磁束流体相(moving-vortex-fluid)というような高温酸化物超伝導体における磁束系の動的状態の移り変わりに関する描像を得た。

図1:伝導ノイズスペクトル

図2:fNBNと抵抗率から見積もられるfW

図3:同時測定による局所密度BBN強度と伝導BBN強度、および抵抗率の磁場依存性

図4:干渉効果の磁場依存性

図5:ノイズ及び干渉の手法により得られた高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyにおける磁束系動的相図の電流−磁場平面、及び、磁場−温度平面

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「高温酸化物超伝導体における磁束系動的相図の研究」と題し、高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyにおいて、磁束系の運動における時間秩序に注目し、磁束の運動に伴い発生する速度揺らぎと密度揺らぎに着目したノイズ測定、直流駆動力と交流駆動力存在下での干渉効果の手法を用い、駆動力に対する動的磁束状態の変化を系統的に探ったものである。巨視的スケールにわたる洗濯板ノイズの観測にはじめて成功し動的再秩序化相の状態を明らかにしたこと、また、高温酸化物超伝導体の磁束系動的相図中における時間秩序の発達の様子、動的磁束状態の変遷を明らかにしたことがその成果といえる。本論文は6つの章から構成されている。

まず、第一章では、超伝導の分野における本研究の位置づけと、本研究の背景として静的、動的磁束状態研究の現状、磁束状態を決定する要因に関してまとめた後に、本研究の目的、意義が述べられている。また、本研究における動的磁束系の研究が、超伝導の分野にとどまらず、様々な量子凝縮体の運動、固体間摩擦、地震等のあらゆる空間スケールで存在する内部多自由度系の運動に共通する現象、概念を探るモデルとして重要視されていることが述べられている。

第二章では、高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyの育成方法、及び、研究を行ううえで重要な良質試料の選出方法が述べられた後、動的状態を探るための実験方法についての記述がなされている。ノイズ及び干渉効果の手法から、巨視的スケールにわたる磁束系の運動の情報が得ることができ、このことが本研究の大きな特徴であることが記されている。また、伝導ノイズ、局所密度ノイズ同時測定により磁束系の速度揺らぎと密度揺らぎを区別することの重要性が述べられている。

第三章では、伝導ノイズ、およびノイズ同時測定に関する実験結果が述べられている。本研究の特筆すべき成果である洗濯板ノイズの観測について記述があり、その成功により高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyにおいて巨視的スケールにわたるコヒーレントな動的再秩序化状態の存在が明らかにされたことが述べられている。また、クリープ領域においてコヒーレント状態が観測されること、コヒーレンスの発達が理論に反する振る舞いを示すことが述べられており、既存の概念では説明し難いことが論じられている。また、ノイズ同時測定に初めて成功したことが記述されており、速度揺らぎと密度揺らぎは動的相図上の異なる領域で発生しており、それぞれ異なる動的磁束状態を反映していると理解されることが述べられている。

第四章では、干渉効果の意義について触れたのち、Bi2Sr2CaCu2Oyにおいてもはじめて干渉効果が観測され、コヒーレンス状態の存在が示されたという実験結果が記述されている。磁束系や電荷密度波動的状態における干渉効果との比較を通じ、高温酸化物超伝導体においては再秩序化相のコヒーレンスがそれほど発達しにくく、熱揺らぎの効果がその原因として有力視されることが述べられている。また、交流振幅依存性から干渉効果を用いても間接的に直流駆動の磁束状態が理解されること、本研究で動的相図を作製する上で干渉効果の手法が有用であることが述べられている。

第五章では、第三章、第四章で用いた手法を用い得られた高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyにおける動的相図、駆動力の増加に対する動的状態の変遷の様子が詳細に論じられている。Bi2Sr2CaCu2Oyにおける動的相図は理論、数値計算による動的相図と部分的に定性的な一致が見出されるものの詳細はかなり異なることが述べられている。また、第2種従来超伝導体NbSe2における動的相図とも大きく異なることが記されている。高温酸化物超伝導体では熱揺らぎの寄与が大きいため動的相図のこのような違いが生じており、高温酸化物超伝導体における動的磁束状態の理解のためには熱揺らぎの寄与を顕わに扱った理論、数値計算が必要不可欠であることが提案されている。

第六章では、本論文のまとめ、ならびに今後の課題が述べられている。

以上をまとめると、本論文では、高温酸化物超伝導体Bi2Sr2CaCu2Oyの動的磁束系動的相図上における時間秩序発達の様子、動的状態の変遷に関し述べられている。特に、再秩序化相としてコヒーレンス状態が存在することが、ノイズ測定における洗濯板ノイズと干渉効果の手法によって示され,再秩序化相に限らず、駆動力に対する変遷が系統的に明らかにされている。多自由度系の運動を普遍的に考える上で磁束系動的状態の推移が明らかにされたことの意義は大きい。高温酸化物超伝導体における磁束系の動的振る舞いの理解は電力応用などにとって有用な基礎的な知識であり、超伝導工学への寄与は大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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