学位論文要旨



No 117148
著者(漢字) 山口,友加
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ユカ
標題(和) アルファウイルス日本分離株を用いた発現ベクターの開発およびRNAパッケージング機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 117148
報告番号 甲17148
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2344号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

 アルファウイルスは、エンベロープを持つ一本鎖のプラス鎖RNAウイルスであり、シンドビスウイルス(Sindbis virus: SINV)をタイプ種とする26種のウイルスから構成され、地理的分布は非常に広範囲で、自然界では昆虫類、鳥類、哺乳類を宿主としている。ヒトヘの感染による病例としては、東部ウマ脳炎ウイルス(Eastern equine encephalitis virus: EEEV)による致死的脳炎や、SINV、セムリキ森林ウイルス(Semliki Forest virus: SFV)による発熱や関節炎などが挙げられる。ウイルス粒子は直径約70nmの小型球形で、正20面体のヌクレオキャプシドがスパイクを持つエンベロープに包まれている。ゲノムの全長は11〜12kbで5'側の2/3に非構造タンパク質、3'側の1/3には構造タンパク質をコードしており、5'末端にキャップ構造、3'末端にポリAを有する。ゲノムRNAが感染細胞内でメッセンジャーRNAとして機能し、非構造タンパク質がポリプロテインとして翻訳された後に特異的切断を受け、nsP1、nsP2、nsP3、nsP4が合成される。構造タンパク質は、マイナス鎖ゲノムRNA上のサブゲノムプロモーターから転写された26SサブゲノムRNAから翻訳される。構造タンパク質もポリプロテインとして翻訳されるが、キャプシドタンパク質(capsid protein: C)の持つセリンプロテアーゼ活性と細胞の2種類のプロテアーゼによりE1、E2、E3と6Kタンパク質に切断される。

 本研究で実験材料として用いたアルファウイルス日本分離株のサギヤマウイルス(Sagiyama virus: SAGV)は、1956年東京近郊の鷺生息地で採集された蚊から分離されたウイルスで、RRVと最も近縁であり、アミノ酸レベルで、非構造タンパク質では86%、構造タンパク質では83%の相同性を示す。SAGVとGETVに対する抗体は哺乳類および鳥類から検出されているが、ヒトに対する病原性はない。SAGVのゲノムは全長11698ヌクレオチドで、完全長の感染性cDNAクローンpSAG2が既に構築されている。本研究は(1)pSAG2を用いた発現ベクターの開発、(2)SAGVベクターを用いた外来遺伝子の発現と精製、(3)SAGVベクターを利用したウイルスRNAパッケージング機構の解明、を目的として行った。

1.SAGV感染性cDNAクローンを用いた高レベル発現ベクターの構築

 SAGVの感染性cDNAクローンであるpSAG2を基本骨格とし、発現遺伝子としてGFP遺伝子を挿入した発現ベクターを構築した。pSAG2.C-GFPはC以外のほとんどの構造タンパク質遺伝子部分を除き、C遺伝子の直下流にGFP遺伝子を挿入したベクター、pSAG2.△C-GFPは、pSAG2.C-GFPからC遺伝子のN末端の330ヌクレオチドのプラスに荷電している部分を除いたベクターである。一方、pSAG2-GFP.Hは、ほとんど全ての構造タンパク質遺伝子を除き、サブゲノムプロモーターの直下流にGFP遺伝子をつないだベクターである。pSAG2.C-GFPベクター由来のin vitroトランスクリプトを、エレクトロポレーション法によりBHK細胞に導入し、30℃または37℃で培養後の細胞を回収し、SDS-PAGE解析およびウエスタンブロット解析を行った。その結果C(30kDa)またはGFP(28kDa)のバンドが検出されたが、CとGFPの融合タンパク質(58kDa)のバンドは検出されなかったことから、SAGVベクターにより発現されたCとGFPの融合タンパク質は、C自体が有するセリンプロテアーゼ活性によって切断されたことが示唆された。またpSAG2.△C-GFPベクターを用いた場合も、△Cのセリンプロテアーゼ活性によって△CとGFPに切断されることが確認された。次に、ベクターRNAを含む感染性疑似ウイルス粒子の回収を目的として構造タンパク質を供与するヘルパーRNAを用いてベクターRNAを使用した。ベクターとヘルパーのRNAを同時にBHK-21細胞へ導入し、30℃で培養後の培養液を回収し、モノレイヤーなBHK-21細胞へ接種し、培養5日目の培養液を高タイターウイルスストックとして得た。pSAG2-GFPベクターを用いた場合も、SAG2.C-GFPベクターと同レベルのGFP発現が確認された。従って、SAGVベクターには、SINVやSFVベクターに存在するようなC遺伝子内のエンハンサーシークエンスは存在せず、余分なアミノ酸付加のない目的タンパク質の高レベル発現が可能であることが示された。

2.SAGVベクターを用いた外来タンパク質の発現および精製

 SAGVベクターを用いてGFPと同様に、ヒスチジンタグの付加したβ−ガラクトシダーゼ(116kDa)を発現させNi2+・NTA-agarose(QIAGEN)による目的タンパク質の精製を試験した結果、β−ガラクトシダーゼ、GFPの回収された精製タンパク質量はBHK-21細胞106個あたり約15〜50μgであった。また、Vero細胞におけるSAGVベクターによる外来タンパク質発現量は、BHK-21細胞、C6/36細胞に比べて非常に少なく、3種類の細胞におけるSAGVの増殖曲線解析から、各細胞におけるSAGの増殖速度の違いとタンパク質発現レベルの間に相関関係があることが示された。

3.SAGVベクターを利用したSAGVのRNAのパッケージングに関する研究

 ノーザンブロッティングの結果から、精製SAGV粒子中には、11.7kbと4.2kbのゲノムおよびサブゲノムの両方がパッケージングされていることが確認された。この結果からSAGVのサブゲノムRNAにはパッケージングシグナルが存在することが示唆されたため、ベクターSAG2.GFPとヘルパーSAG2.3L由来のRNAトランスクリプトを同時にBHK-21細胞に導入し、SAGVベクターシステムと同様の方法で感染性疑似ウイルス粒子を形成させ、感染性疑似ウイルス粒子から抽出したRNAをノーザンブロット解析した結果、ベクターSAG2.GFPのゲノムRNA(8.8kb)とサブゲノムRNA(1.2kb)、ヘルパーSAG2.3LのゲノムRNA(11.7kb)とサブゲノムRNA(4.2kb)の4本のバンドが検出された。従って、サブゲノムプロモーター下流からキャプシドタンパク質遺伝子上流の非コード領域までの領域(nt7479-7526)と、E1遺伝子の3'末端領域から3'UTR領域の終わりまでの領域(nt11096-11698)のどちらか、あるいは両方にSAGVのパッケージングシグナルが存在すると推定された。これ以外にもSINVやSFV、RRVのように非構造タンパク質遺伝子領域にもゲノムRNAのパッケージングに関与する領域が存在する可能性を試験するため、pSAG2.3LヘルパーのゲノムRNA上の非構造タンパク質遺伝子領域の様々な領域を欠失させた欠失変異体を9種類作製し、これらの欠失がヘルパーゲノムの複製およびパッケージングに与える影響を試験した。各欠失変異体をヘルパーとし、SAG2.C.GFPベクターRNAとともに細胞へ導入し、回収された培養液を接種源として接種し、細胞のGFP蛍光を観察することで2次感染が生じるか否かを調べた。2次感染の広がらなかったヘルパーを使用した場合には、接種源にベクターRNAを含む感染性疑似ウイルス粒子しか放出されなかったと推定された。欠失領域が長くゲノムサイズの小さいヘルパーを使用した場合程、エレクトロポレーション後の培地中のSAG2.C-GFPベクター粒子のタイターが高かった。2次感染の広がらなかったpSAG2.△301-800,1201-7350ヘルパーを使用した場合もベクター粒子のタイターが高かった。すなはち、ヘルパーのゲノムRNA上の非構造タンパク質遺伝子領域の様々な領域の欠失によりヘルパーRNAの複製が抑制されることはなく、サイズの小さいゲノムRNA程、効率的に複製されサブゲノムから合成される構造タンパク質量も多くなることが推定された。一方、2次感染の広がらなかったpSAG2.△301-1200ヘルパーと、pSAG2.△301-800,1201-7350ヘルパーを使用した場合には、エレクトロポレーション後の培地中にベクターRNAを含む感染性疑似ウイルス粒子しか放出されなかったと推定された。これに対しRT-PCRとRT-PCR産物のシークエンスの結果から、pSAG2.△401-7350をヘルパーとして使用した場合のエレクトロポレーション後の培地中にはヘルパー粒子が含まれていることが示された。これらの結果を総合した結果、SAGVゲノムのnt301〜400の間の100ヌクレオチドを欠失させた場合にヘルパーRNAのパッケージング効率が低くなり、401〜7350ヌクレオチドの領域を欠失させてもパッケージングの効率に影響を与えないことが示唆され、nsP1遺伝子内の301〜400ヌクレオチドの領域にゲノムRNAのパッケージングに関与する領域が存在することが示された。

 本研究の結果から以下のことが示された。本研究で構築したSAGV発現ベクターは、他のアルファウイルスベクターに比べて、(1)SINVやSFVと異なり、SAGVはヒトヘの感染により病気を引き起こした例がなく非常に安全なウイルスである(2)SAGVは、SINVやSFVでみられるようなC遺伝子内の翻訳エンハンサーシークエンスを持たないため、C遺伝子のN末端に由来する余分なアミノ酸残基を付加せずに目的タンパク質を発現することが可能である(3)C遺伝子下流に目的タンパク質遺伝子を挿入して発現を行い、キャプシドタンパク質のC末端が持つセリンプロテアーゼ活性により、目的タンパク質をキャプシドタンパク質との融合タンパク質から切り離して発現させることが可能である。+1切断部位のアミノ酸はセリン以外にメチオニンも使用可能であり他のアミノ酸の使用も期待できる、といった利点を持つため広範な使用が期待される。また、サブゲノムプロモーター下流からキャプシドタンパク質遺伝子上流の非コード領域までの領域(nt7479-7526)と、E1遺伝子の3'末端領域から3'UTR領域の終わりまでの領域(nt11096-11698)のどちらか、あるいは両方にSAGVのパッケージングシグナルが存在すると推定された。さらに、nsP1遺伝子内の301〜400ヌクレオチドの領域にゲノムRNAのパッケージングに関与する領域が存在することが示された。これまで、アルファウイルスのパッケージングシグナルの位置は、進化系統樹上のサブグループと関係していると推定されてきたが、SAGVのパッケージングシグナルと、SAGVと最も近縁のRRVのパッケージングシグナルの位置は大きく異なっていた。このことから、アルファウイルスのパッケージングシグナルの位置は進化系統樹上サブグループと相関はないことが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 トガウイルス科アルファウイルス属には、哺乳類、鳥類、昆虫等に感染するプラス鎖RNAウイルスの多くの種が含まれる。本属のタイプ種であるシンドビスウイルスを代表とするアルファウイルス・スーパーファミリーは動物と植物のRNAウイルスの大半を含んでおり、アルファウイルスの感染複製機構の解明は、植物RNAウイルスの感染性と病原性を理解する上で、重要な役割を果たしている。本研究では、日本産アルファウイルスであるサギヤマウイルスを材料とし、先ずアルファウイルスゲノムを有効利用する観点から、RNAレプリコン型一過性発現ベクターの開発を試みた。さらに発現系を利用してウイルス増殖過程での重要な一段階である成熟粒子形成に必要とされるRNAゲノム上の領域を特定した。

1.サギヤマウイルスRNAを用いた一過性タンパク質発現ベクターの開発

 アルファウイルスは粒子形成に必要な3種の構造タンパク質、キャプシドタンパク質(C)と2種類の膜糖タンパク質(E1およびE2)をサブゲノムRNAの5'末端側から翻訳する。サブゲノムRNAはゲノムRNAに比べて転写量が数倍多いため、シンドビスウイルスを始め数種のアルファウイルスで構造タンパク質遺伝子を外来遺伝子と置き換えたタンパク質発現系が開発されている。サギヤマウイルスはこれらのウイルスに比ベヒトヘの病原性がない点に特徴があり、本研究ではサギヤマウイルスを用いた安全性の高い発現ベクター系の開発を試みた。マーカー遺伝子にGFP遺伝子を用い、サギヤマウイルスの管全長cDNAクローンpSAG2から構造タンパク質遺伝子の全てあるいは膜糖タンパク質遺伝子をGFP遺伝子と置き換えたRNAレプリコン型ベクターを構築した。感染性疑似ウイルス粒子を形成させるために、pSAG2の複製酵素遺伝子内に変異を加えた非増殖性pSAG2.3Lをヘルパーとして用いた。in vitro転写によって合成されたベクターRNAとヘルパーRNAをBHK21細胞にエレクトロポレーション後、30℃で2日間培養したところ、培地からベクターRNAとヘルパーRNAを含む2種類の感染性疑似ウイルス粒子を回収された。さらに高タイター化した疑似感染性粒子を用いてBHK21細胞に接種し、30℃で2日間培養したところ、1x10e+6細胞当たり50μgのGFPが合成された。さらに、この発現系を改良し、GFPのC末端にヒスチジンタグを付加し、ニッケルカラムで精製可能とした。また、C遺伝子あるいはその3'側半分の直下流にGFP遺伝子を連結し、細胞内でC内在性セリンプロテアーゼ活性によってC/GFP間が切断されることを明らかにした。また、シンドビスウイルスと異なり、C遺伝子の5'側には翻訳エンハンサーが存在せず、構造タンパク質遺伝子全域を外来遺伝子と置き換えても、発現効率は目立って減少しないこと、等を明らかにした。

2.サギヤマウイルスRNAのパッケージングシグナルの特定

 アルファウイルスは感染細胞内でウイルスRNAのみを特異的にウイルス粒子内に取り込みヌクレオキャプシドを形成後、細胞膜表面で膜糖タンパク質を獲得し、成熟ウイルス粒子として出芽する。ウイルスRNA上にはCタンパク質と特異的に結合するパッケージングシグナルが存在する。これまで、シンドビスウイルスを始め3種類のアルファウイルスでは5'側の非構造タンパク質コード領域にこのシグナルが存在することが明らかになっている。本研究では、1.で構築した発現ベクター系を用い、感染性疑似ウイルスによる2次感染の有無を指標とし、パッケージングシグナルの特定を試みた。その結果、ヘルパーRNA内で301-400塩基の領域を欠失させた場合には感染性疑似ウイルスが形成されず、401-7350塩基まで欠失させた場合には感染性疑似ウイルスが形成されて2次感染が拡大した。従って、301-400塩基の領域がゲノムRNAのパッケージングに必要であることが示された。一方、野生型ウイルス粒子内にはゲノムRNAと共にサブゲノムRNAも取り込まれていることが、ノーザン解析の結果、明らかとなった。GFP発現レプリコンRNAを用いても、レプリコンRNA由来のサブゲノムRNAが粒子内の効率良くパッケージングされたことから、ゲノムの3'側にもサブゲノムRNAをパッケージングするシグナルが存在することが明らかとなった。このように、異なる機能を持つパッケージングシグナルがゲノム上の2カ所存在すること証明したのは、本研究が初めてである。

 以上、本研究ではウイルスゲノムを一つの遺伝資源と見なし、その有効活用の観点から高発現一過性RNAレプリコン型発現ベクターを開発した。さらにそれを利用してRNAウイルスの複製過程における一段階であるRNAパッケージング機構の一端を明らかにした。従って、本論文は学術上のみならず応用上も価値が高く、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク