学位論文要旨



No 117149
著者(漢字) 有村,慎一
著者(英字)
著者(カナ) アリムラ,シンイチ
標題(和) 植物オルガネラの遺伝子進化と機能獲得に関する研究
標題(洋)
報告番号 117149
報告番号 甲17149
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2345号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 高野,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 植物細胞内において葉緑体(プラスチド)は二重膜で囲まれた独自の場の内部に遺伝情報を持ち,光合成をおこなうばかりでなく,アミノ酸,色素,植物ホルモンや脂肪酸の生合成,さらに代謝産物の貯蔵を担っている.ミトコンドリアも独自のゲノムを持っており,クエン酸回路と電子伝達系によるエネルギー生産の他に,有機酸,アミノ酸合成代謝経路の一部を担っている.さらに,ミトコンドリアの機能異常により斑入りや細胞質雄性不稔が引き起こされることが知られている.このように,葉緑体とミトコンドリアは,農業生産上きわめて重要な役割を担っており,その機能を人為的に改変することができれば,農業生産の効率化や高付加価値作物の作出などさまざまな形で応用できる.

 葉緑体とミトコンドリアは,それぞれaプロテオバクテリアの祖先種とシアノバクテリアの祖先種がおよそ15億〜7億年前に原始真核細胞内に取り込まれ,共生関係を樹立して現在に至ったと考えられている.オルガネラは原始真核細胞に共生して以来,宿主細胞との間で機能の分業化と特殊化を進めて協調的なシステムを構築すると同時に,真核細胞内の環境により適応するために,原核生物にはなかった新しい機能を獲得してきたと考えられる.作物のオルガネラの機能を人為的に改変して利用するためには,細胞内における核とオルガネラの協調性を保ったまま,目的の形質を導入する必要がある.そのためには,進化の過程でオルガネラと核が構築してきた協調的なシステムと,オルガネラが新たに獲得した機能について理解する必要がある.本研究ではこれらに関する基礎的な知見を蓄積するために,以下の4つの実験をおこなった.

1.イネ核コード葉緑体リボソームタンパク質遺伝子rpl13, rpl24遺伝子の転写調節

 葉緑体リボソームは58個のタンパク質因子をもち,そのうち20個が葉緑体ゲノムに,38個が核ゲノムにコードされている.後者は進化の過程で葉緑体ゲノムから核ゲノムへ転移してきたものである.二つのゲノムにコードされた遺伝子群は,互いに協調的に発現し,最終的なタンパク質のモル比を揃えていると考えられている.本研究ではイネの核ゲノムにコードされた2種の葉緑体リボソームタンパク質遺伝子rpl13, rpl24(ribosomal protein L13, L24)の発現パターンの解析と転写開始点の決定を行った.明条件下あるいは暗条件下で育成したイネ幼植物のさまざまな組織から抽出したRNAを用いて,rpl13, rpl24遺伝子の転写産物蓄積量をノーザンハイブリダイゼーションで確認したところ,光の条件に関係無く幼植物の地上部で強いシグナルが確認された.また,オリゴキャップ法とS1マッピングアッセイの2種の方法を用いてrpl13, rpl24遺伝子の転写開始点を決定した.その結果,いずれの方法を用いた場合も2箇所ずつ転写開始点があることが確認された.通常の場合,核ゲノム上の遺伝子の転写開始点は1箇所である.双子葉植物の他の核コード葉緑体リボソームタンパク質遺伝子(rps1, rps17, rpl21)でも複数の転写開始点を持つ例が報告されており,核コードの葉緑体リボソームタンパク質の転写調節における共通性の一つであると考えられる.

2.葉緑体リボソームタンパク質遺伝子rps9の同定とトランジットペプチドの獲得

 オルガネラゲノムから核ゲノムへ移行した遺伝子は,その翻訳産物を目的のオルガネラへ輸送するために,細胞内局在シグナルをコードする配列を獲得しなければならない.しかし,進化の過程でどのようにしてこの細胞内局在シグナルが獲得され利用されるようになったのか不明な点が多い.一般に,葉緑体局在シグナル(トランジットペプチド)やミトコンドリア局在シグナル(プレシークエンス)はタンパク質ごとに異なっており,トランジットペプチド間あるいはプレシークエンス間で相同性は無い.そのため,局在シグナルの一次配列情報からそのタンパク質の輸送されるオルガネラを特定することは困難である.

 本研究では,イネのESTクローンに見出された原核生物型リボソームタンパク質遺伝子rps9(ribosomal protein S9)がコードするタンパク質について,このN末端領域とGFP(緑色蛍光タンパク質)の融合タンパク質を発現するプラスミドを構築し,これをパーティクルガンによってイネ緑葉に遺伝子導入し一過的に発現させ,共焦点レーザー顕微鏡による観察でその細胞内局在を観察した.その結果,融合タンパク質発現プラスミドを導入した細胞では,GFPの緑色蛍光とクロロフィルが示す赤色蛍光の位置が完全に一致し,それ以外のシグナルは見出されなかった.このことから,この遺伝子産物が葉緑体に輸送されることを確認し,高等植物で初めて葉緑体リボソームタンパク質S9をコードする遺伝子を突き止めた.また,同定したイネのrps9の相同遺伝子をシロイヌナズナからも単離し,そのcDNA塩基配列を決定した.本研究で同定したイネとシロイヌナズナのRPS9およびイネの他の葉緑体に輸送されるタンパク質のトランジットペプチド領域のアミノ酸配列を比較したところ,イネのRPS9の配列は別の遺伝子の葉緑体トランジットペプチド領域と相同性が高いことが確認された.この結果は,既存のトランジットペプチド領域の配列がコピーされ,別の葉緑体タンパク質遺伝子のN末端側に挿入されることよってトランジットペプチドが獲得されたことを示している.

3.高等植物で見出された真核生物型ミトコンドリア分裂装置

 最近,葉緑体の分裂に関して,細菌の細胞分裂装置と相同なタンパク質FtsZが利用されていることが明らかにされた.またミトコンドリアの分裂においても,紅藻,黄金藻類において原核生物型の分裂装置FtsZが関与していることが報告された.これらは,共生前の細菌型分裂システムをオルガネラがそのまま受け継いで自身の分裂に利用していることを示している.しかしながら,酵母や動物のミトコンドリアの分裂においては,細菌の因子とは全く異なるダイナミン様タンパク質を利用していることが明らかになった.ダイナミンは,エンドサイトーシスの際に細胞膜を小胞化するタンパク質として知られている.つまり,酵母や動物ではミトコンドリアの分裂に真核細胞のシステムを利用していると考えることができる.高等植物におけるミトコンドリアの分裂装置に関してはこれまで報告例は無かった.

 本研究では高等植物におけるミトコンドリア分裂にかかわる遺伝子の候補として,原核生物型FtsZ遺伝子とダイナミン様タンパク質遺伝子をシロイヌナズナゲノム情報から探し出し,実際にミトコンドリアの分裂に機能しているかを検討した.予想に反してシロイヌナズナゲノム中にはaプロテオバクテリア型FtsZ遺伝子は存在せず,ダイナミン様タンパク質遺伝子ADL2bが存在することを見出した.GFPとADL2bの全長を融合させたタンパク質をタバコ培養細胞で発現させた場合,ミトコンドリアの狭窄部,端部に局在した.これは,ADL2b遺伝子産物がミトコンドリアの分裂面に局在しているためであると考えられた.またADL2bに存在するGTPaseドメインに点変異を入れたタンパク質をシロイヌナズナの表皮細胞およびタバコの培養細胞で高発現させると,いずれもミトコンドリアが著しく伸長することを見出した.このミトコンドリアの伸長は,変異型ADL2bタンパク質によるミトコンドリア分裂機能障害の結果であると考えられる.以上の結果から,高等植物のミトコンドリア分裂には,細菌型のFtsZではなく真核生物型ダイナミン様タンパク質が用いられることが明らかとなった.さらに他の生物種で得られている知見を総合すると,進化系統上,動物,菌類,植物が分岐する以前にダイナミン様タンパク質がミトコンドリアの分裂に利用されるようになり,FtsZ遺伝子の消失は系統樹上で複数回独立に起こったと推測された.

4.葉緑体突出構造(stromule)

 顕微鏡で観察される葉緑体とミトコンドリアは,教科書によく図示されているレンズ状やピーナツ状の静かな構造物ではない.近年,ペチュニアとタバコにおいて,葉緑体から突出した筒状の構造物(stromule)があることが報告された.本研究ではGFPのN末端側に葉緑体トランジットペプチドを融合したタンパク質を発現させるプラスミドを構築し,これをパーティクルガンによってイネ,シロイヌナズナ,タバコ,ツユクサの葉あるいは培養細胞に導入した.この方法ではストロマにGFPが局在するため,共焦点レーザー蛍光顕微鏡を利用することで容易に葉緑体の構造を観察することができる.その結果,調べたすべての植物種の葉緑体においてstromuleが存在することがわかり,stromuleが高等植物に一般的に存在する構造であることがわかった.またstromuleは単に葉緑体から突出した構造をとるだけではなく,葉緑体間を網目状に連結する高次の構造体を構築すること明らかにした.このように網目状の構造をとることから,stromuleは葉緑体間の物質輸送や情報伝達に利用されている可能性がある.このような構造体は,葉緑体の起源となったシアノバクテリアには見出されないものであり,オルガネラの共生後に獲得された新たな形質であると考えられる.

 オルガネラは宿主細胞と細胞内共生をはじめた後,原核生物のシステムを残しながら,核ゲノムへの遺伝子転移を行い,徐々に核ゲノムの支配下に納まってきた.本研究では,葉緑体ゲノムから核ゲノムへ移行した遺伝子において,転写調節領域の共通性と細胞内局在シグナルの獲得機構の一部を明らかにした.また,ダイナミン様タンパク質のように,進化の過程においてオルガネラ機能の一部は真核生物型の因子で代用されるようになった部分があること,さらにstromuleのように原核細胞には存在しないまったく新しい機能を獲得した可能性があることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

 オルガネラは原始真核細胞に共生して以来,宿主細胞との間で機能の分業化と特殊化を進めて協調的なシステムを構築すると同時に,真核細胞内の環境により適応するために,原核生物にはなかった新しい機能を獲得してきたと考えられる.本論文では,これらに関する基礎的な知見を得るために,以下の4つの研究をおこなっている.

 第1章「緒言」では,研究の背景ならびに本研究の目的と意義について述べている.

 第2章では,イネの核にコードされた葉緑体リボソームタンパク質遺伝子rpl13, rpl24の転写開始点の決定と発現パターンの解析をおこなっている.これらの遺伝子は,葉緑体ゲノムから核ゲノムへ転移してきたものである.rpl13, rpl24の転写産物蓄積量を調べたところ,両遺伝子ともに光に無関係に幼植物の地上部で強く発現していた.また,転写開始点を決定したところ,rpl13, rpl24の双方とも2箇所ずつ転写開始点があることが確認された.2箇所の転写開始点を持つことが核コードの葉緑体リボソームタンパク質の共通性の一つであると考えられた.

 第3章では,葉緑体リボソームタンパク質遺伝子rps9を植物で初めて同定し,トランジットペプチドの獲得機構について考察している.イネのcDNAに見出された原核型リボソームタンパク質遺伝子rps9がコードするタンパク質について,このN末端領域と緑色蛍光タンパク質(GFP)の融合タンパク質をイネ緑葉で発現させた.その結果,この遺伝子産物が葉緑体に輸送されることが確認され,高等植物で初めて葉緑体rps9遺伝子を同定した.さらに,RPS9および他の葉緑体タンパク質のトランジットペプチド領域を比較したところ,イネのRPS9のアミノ酸配列は別のタンパク質のトランジットペプチドと相同性が高いことが確認された.この結果は,既存のトランジットペプチド領域の配列がコピーされ,別の葉緑体タンパク質遺伝子の上流に挿入されることよってトランジットペプチドが獲得されたことを示しており,トランジットペプチドの獲得機構について新たな知見を加えた.

 第4章では,ミトコンドリア分裂装置を構成するタンパク質を,高等植物で始めて同定している.藻類においては,ミトコンドリアの分裂に原核生物型の分裂装置FtsZが関与していることが知られている.これらは,共生前の細菌型分裂システムをそのまま利用していることを示している.しかし,酵母や動物のミトコンドリアの分裂においては,細菌の因子とは異なるダイナミン様タンパク質を利用していることが知られている.本研究では,シロイヌナズナゲノム中で見出したダイナミン様タンパク質遺伝子ADL2bとGFP遺伝子を融合しタバコ培養細胞で発現させた.その結果,融合タンパク質はミトコンドリアの狭窄部,端部に局在した.これは,ADL2b遺伝子産物がミトコンドリアの分裂面に局在しているためであると考えられた.またADL2bに点変異を入れたタンパク質を高発現させると,分裂障害が起こり,ミトコンドリアが著しく伸長することを見出した.以上の結果から,高等植物のミトコンドリア分裂には,真核生物型ダイナミン様タンパク質が用いられることを明らかにした.

 第5章では葉緑体突出構造(stromule)の特徴について調査している.stromuleは,ペチュニアとタバコにおいて近年報告された葉緑体から突出した筒状の構造物である.本研究では葉緑体トランジットペプチドとGFPの融合タンパク質を,種々の植物の葉あるいは培養細胞で発現させ,stromuleの構造の特徴を調べている.その結果,調べたすべての植物種の葉緑体においてstromuleが存在することがわかり,stromuleが高等植物に普遍的に存在する構造であることを示した.またstromuleは単に突出した構造だけでなく,葉緑体間を網目状に連結する高次の構造体を構築すること明らかにした.

 第6章では総合考察として,得られた結果を中心に高等植物のオルガネラの進化について総合的に議論している.

 以上,本論文は,葉緑体ゲノムから核ゲノムへ移行した遺伝子において,転写調節領域の共通性と細胞内局在シグナルの獲得機構の一部を明らかにした.また,ダイナミン様タンパク質のように,進化の過程においてオルガネラ機能の一部は真核生物型の因子で代用されるようになったものがあること,さらにstromuleのように原核細胞には存在しないまったく新しい機能をオルガネラが獲得した可能性があることを示している.本研究で得られた知見は,高等植物のオルガネラ遺伝子の進化と機能の獲得について新たな視点を与え,将来の農業生産の効率化に寄与するものである.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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