学位論文要旨



No 117151
著者(漢字) 佐藤,奈美子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ナミコ
標題(和) イネ茎頂分裂組織の分化および維持機構の遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 117151
報告番号 甲17151
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2347号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 堤,伸浩
内容要旨 要旨を表示する

 植物のシュートの形成は、茎頂分裂組織(SAM)の活性に依存しており、シュートの人為的制御を展望する上で、SAMの分化および維持機構の解明が不可欠である。SAMについての遺伝学的研究は、シロイヌナズナで精力的に進められているが、単子葉植物ではほとんど行われていない。本研究では、イネのSAMの分化過程および維持過程に異常が見られる変異体を用い、SAMの分化から維持に至る遺伝的プログラムを解明することを目的とした。

1、茎頂分裂組織を欠失するshootless変異体の解析

 5遺伝子座に由来する、SAMを欠失するshootless(shl)変異体(shl1〜shl5)が得られた。ほとんどのshl変異体では、胚発生過程でSAMが分化せず、完成胚ではシュート(SAMと3枚の本葉)、鞘葉およびエピブラストが欠失していた。shl1、shl2、shl4およびshl5変異体では、幼根は正常に分化していた。一方、shl3変異体の幼根は胚発生過程で休眠することなく発根し、完成胚では褐変、枯死していた。また、shl1、shl2、shl4およびshl5変異体の胚では、正常な胚盤の分化が見られた。このように、胚盤および幼根はSAMとは遺伝的に独立に分化するのに対し、鞘葉およびエピブラストの分化はSAMの分化に依存していた。shl変異体のカルスからの不定芽形成を試みたところ、野生型のカルスからは、多くの不定芽が再分化してきたが、shl1、shl2およびshl4変異体のカルスからは、全く再分化しなかった。このことから、SHL1、SHL2およびSHL4遺伝子は、SAMの分化に一般的に必要であることが明らかになった。shl変異体のカルスからは不定芽は分化しなかったが、不定葉が形成され、葉原基はSAMとは独立に分化し得ることが示唆された。

 イネの胚発生初期に、SAMの分化予定領域で発現する、イネホメオボックス遺伝子OSH1をプローブとして、in situハイブリダイゼーションを行ったところ、shl1、shl2およびshl4変異体の胚では、OSH1の発現領域は野生型よりも極端に狭くなっていた。一方、shl3およびshl5変異体では、ほぼ正常な発現を示した。このことから、shl1、shl2およびshl4変異体の胚では、SAMの分化領域が正常に確保されておらず、一方、shl3およびshl5変異体では、SAM分化予定領域が、比較的正常に確保されていると考えられた。したがって、SHL1、SHL2およびSHL4遺伝子はOSH1の上流で、SHL3およびSHL5遺伝子はOSH1の下流あるいはOSH1とは独立にSAMの分化過程で機能していることが明らかなった。

2、弱い表現型を示すshootless2変異体およびshootless1変異体を用いた茎頂分裂組織の分化・維持機構の解析

 分化後のSAMにおけるSHL遺伝子の機能を明らかにするため、弱い表現型を示す3系統のshl2変異体(shl2-6〜shl2-8)と1系統のshl1変異体(shl1-3)を同定し、解析した。

 弱いshl2変異体の胚では、胚盤および幼根の他に、SAM、本葉およびエピブラストが分化した。しかし、鞘葉の分化は見られなかった。3つの弱いshl2変異体の間では、胚の表現型に強弱が認められた。すなわち、SAMの分化頻度はshl2-6変異体で最も低く、shl2-8変異体で最も高かった。また、shl2-6およびshl2-7変異体では、分化したSAMのほとんどが胚発生中に消失したが、shl2-8変異体では完成胚でもSAMが観察された。胚におけるOSH1の発現領域は、野生型よりは狭かったが、3変異体の間では、shl2-8変異体で最も広く、shl2-6変異体で最も狭かった。このように、3つの弱い変異体の間で、胚でのOSH1の発現領域の広さ、SAM分化の頻度およびSAMが維持される期間の間には、正の相関が認められた。したがって、SAMは、どれくらいの数の未分化な細胞が確保されているかによって、さまざまな程度に構築され、維持されることが示唆された。shl1-3変異体は、shl2-8変異体とほぼ同様の表現型を示した。shl2-8およびshl1-3変異体は、いずれも発芽したが、2ヶ月以内に枯死した。

 最も弱い表現型を示すshl2-8およびshl1-3変異体を用いて、シュートの構造およびSAMの消失過程を調査した。いずれも、栄養生長初期には、葉形、葉の組織、葉序および葉間期などに異常が見られた。SAMは扁平であり、多くの場合、OSH1の発現領域が狭くなっており、未分化な細胞の割合が、野生型に比べて小さくなっていることがわかった。播種後1週間以降になると、SAMのL1層からトライコームが分化し、OSH1の発現領域がより内部に限定されているものが見られた。また、SAMの位置に葉原基が分化し、OSH1の発現が見られないものもあった。これらのことは、SAM内の未分化な細胞が減少し、外側の細胞から葉のアイデンティティーを獲得し、やがてSAMが消失するという現象が起こっていることを示している。また、細胞分裂のS期に特異的に発現するhistoneH4遺伝子を用い、shl2-8およびshl1-3変異体のSAMに対し、in situハイブリダイゼーションをおこなったところ、野生型より多く、かつ、SAM内の異常な部位での発現が見られた。これらの結果は、shl2-8およびshl1-3変異体のSAMのオーガニゼーションや、細胞分裂の空間的制御が異常であることを示している。

 以上の解析から、SHL2およびSHL1遺伝子は、SAMの分化だけでなく、維持にも不可欠であり、さらに、葉の分化や形態形成にも関わっていることが明らかになった。

 shl変異体の胚および植物体の形態は、これまでにイネで解析されているshoot organization (sho)変異体とよく似ていた。shl2-6 sho2二重変異体を作成したところ、二重変異体は、shl2-6変異体と同じ表現型を示した。このことから、SHL2遺伝子はSHO2遺伝子の上流でSAMの分化および維持に関わっていると考えられた。

3、茎頂分裂組織の維持に異常が見られる変異体の同定と解析

 SAMの分化や維持には、SHL遺伝子以外にも、多くの遺伝子が関与していると考えられたので、発芽後まもなく枯死する変異体を16系統同定、解析した。16系統の変異体は、SAMだけでなく、植物体の他の部分(葉、根、SAMの直下の茎、分げつ芽)にもさまざまな異常を見せた。このことから、SAMの維持をつかさどる遺伝子には多種多様なものがあり、SAMの維持における遺伝的プログラムは、他の器官や植物体全体の発生を制御するプログラムとも絡み合った、非常に複雑なものであることが明らかになった。

 16系統の中から選抜して詳細に解析をおこなったodm129変異体では、胚発生の遅れ、扁平でオーガニゼーションが異常なSAM、不規則な葉序、形態異常の葉といった表現型が見られ、その原因遺伝子は、イネの発生において多面的で重要な機能を持っていると考えられた。さらに、odm129変異体とshl2-6変異体およびsho1変異体との二重変異体の表現型がいずれも相乗的であったことから、odm129の野生型遺伝子は、SHL2およびSHO1遺伝子と共同してSAMの分化および維持に関与していることが明らかになった。

4、aberrant regionalization of embryo 3変異体を用いた胚の領域化の解析

 SAMの分化位置を決定する胚の軸分化および領域化の制御機構の解明のため、胚発生中にSAMや幼根が増加するaberrant regionalization of embryo 3 (are3)変異体の解析を行った。

 are3変異体の完成胚では、約50%の個体で、SAMおよび幼根、あるいはいずれかが増加していた。増加したSAMの位置関係は、ひとつの鞘葉の中にふたつのSAMが形成されるものから、別々の鞘葉を持ったSAMが離れた位置に形成されるものまで連続的であった。幼根は、互いに隣り合って、根端を胚柄に向けて増加した。また、胚盤が増加する場合もあった。SAM、幼根および胚盤の増加の間には、有意な相関が認められ、それらが一つのセットとして制御されていると考えられた。また、器官がどのように増加する場合でも、胚盤−SAM−幼根という位置関係は変わらなかった。

 イネの胚には、その形態から、先端部−基部と背腹の2本の軸を想定することができる。are3変異体では、胚盤−SAM−幼根の位置関係が保たれていたことから、先端部−基部軸に沿った領域分化はほぼ正常におこなわれていると考えられた。一方、are3変異体の初期胚でのOSH1の発現は、背側方向に拡大しており、背腹軸に沿った領域分化には大きな異常があり、それが器官増加につながっていると思われた。

 以上の解析より、ARE3遺伝子は、イネの初期胚において腹側あるいは背側の領域の広さを規定することで、特に背腹軸に沿った領域分化に関わっていると考えられる。さらに、shl2-6 are3二重変異体を作出したところ、相乗的な表現型が見られたので、SHL2遺伝子と共同してSAMの分化領域の確保を促進していることが明らかになった。

 以上、本研究は、SAMに関わる多様な変異体を同定、解析し、イネのSAMの分化および維持過程に関与する遺伝子の機能解析と遺伝子間相互作用の解明をおこなったものである。

審査要旨 要旨を表示する

 植物の地上部は、胚発生で分化した茎頂分裂組織(SAM)の活性の産物であるため、植物の形作りを理解し、またシュートの人為的制御を展望するためには、SAMの分化、維持機構の解明が不可欠である。本研究は、イネのSAMの分化および維持過程に異常が見られる変異体を用い、SAMの分化から維持に至る遺伝的プログラムの解明を目的としたものである。

 まず、5遺伝子座に由来する、SAMを欠失するshootless (shl)変異体(shl1〜shl5)の解析を行った。ほとんどのshl変異体では、胚発生過程でSAMが分化せず、完成胚では、シュート(SAMと3枚の本葉)、鞘葉およびエピブラストが欠失した。しかし、幼根と胚盤は正常に分化していた。従って、SHL遺伝子はSAMの分化に不可欠であること、幼根と胚盤はSAMと独立に分化することが明らかになった。また、shl変異体のカルスからの再分化試験により、SHL1、SHL2およびSHL4遺伝子は、SAMの分化に一般的に必要であることが明らかになった。イネの胚発生初期にSAMの分化予定領域で発現するホメオボックス遺伝子OSH1の発現パターンから、SHL1、SHL2およびSHL4遺伝子はOSH1の上流で、SAM分化領域の確保に機能し、SHL3およびSHL5遺伝子はOSH1の下流あるいはOSH1とは独立にSAMの分化に必要であることがわかった。

 shl変異体ではSAMが分化しないため、SHL遺伝子のSAM分化後の機能は明らかでない。そこで、弱い表現型を示す3系統のshl2変異体(shl2-6〜shl2-8)と1系統のshl1変異体(shl1-3)を同定した。shl2-6〜shl2-8の間では、胚でのOSH1の発現領域の広さ、SAM分化頻度およびSAMが維持される期間の間に、正の相関が認められた。なお、shl1-3変異体は、shl2-8変異体と同様の表現型を示した。shl1-3およびshl2-8の植物体は、葉形、葉の組織、葉序および葉間期などに異常が見られた。SAMは扁平で、OSH1の発現領域は狭く、細胞分裂S期に特異的に発現するhistoneH4遺伝子の発現にも異常が見られ、SAMのオーガニゼーションが異常であることが示された。また、いずれの変異体も2ヶ月以内に枯死するが、その過程では、SAM内の未分化な細胞が減少し、外側の細胞から葉のアイデンティティーを獲得し、やがてSAMが消失することがわかった。表現型が類似するsho2との二重変異体は、shl2変異体と同じ表現型を示した。したがって、SHL1およびSHL2遺伝子は、SHO2遺伝子の上流で、SAMの分化だけでなく、維持にも関わっており、さらに、葉の分化や形態形成にも必要であることが明らかになった。

 既に同定したSHL遺伝子以外にも、多くの遺伝子がSAMの分化に関わっていると考えられる。そこで茎頂分裂組織の維持に異常が見られる変異体16系統を同定し解析した。それらは、SAMだけでなく、植物体の他の部分(葉、根、SAMの直下の茎、分げつ芽)にもさまざまな異常を示した。特に、odm129変異体では、胚発生の遅れ、扁平でオーガニゼーションの異常なSAM、不規則な葉序、形態異常の葉などの多様な表現型が見られた。さらに、二重変異体の解析により、odm129の野生型遺伝子は、SHL2遺伝子およびSHO1遺伝子と共同してSAMの分化および維持に関与していることが明らかになった。

 SAMが胚の中で正常な位置に分化するためには、胚の領域分化が正しく行われる必要がある。そこでシュートや幼根が複数分化するaberrant regionalization of embryo 3 (are3)変異体を用いて胚の領域化を解析した。are3変異体の完成胚では、約50%の個体で、SAMおよび幼根、あるいはいずれかが増加し、さらに胚盤の増加も見られた。SAM、幼根および胚盤の増加の間には、有意な相関が認められた。増加する場合にも、胚盤−SAM−幼根という位置関係は維持されていた。また、are3変異体の初期胚でのOSH1の発現は、背側方向に拡大していた。したがって、are3変異体では、胚の先端部−基部軸に沿ったパターン形成はほぼ正常であるが、背腹軸に沿った領域分化に大きな異常があり、ARE3遺伝子は、イネの初期胚において背側の領域の広さを規定していると考えられた。さらに、二重変異体の解析から、SHL2遺伝子と共同してSAMの分化領域の確保を促進していることが明らかになった。

 以上、本研究は、イネのシュートの構築に最も重要な茎頂分裂組織の分化、維持機構に関わる遺伝子を多数同定し、その機能を詳細に解析したものであり、学術上、応用上価値が高い。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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