学位論文要旨



No 117152
著者(漢字) 田村,克
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,マサル
標題(和) ノーウォーク様ウイルス結合分子の探索と感染防御への利用に関する研究
標題(洋)
報告番号 117152
報告番号 甲17152
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2348号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨 要旨を表示する

 日本は島国であり、その地理的環境から魚介類を食べる機会が多い。特に、多くの新鮮な魚介類を生で食べる伝統は、世界でもユニークなものとして知られている。しかし、水域で生息している魚介類には、ヒトに感染して病原性を示す様々な病原体が潜んでいる。そのうち細菌病原体は、検査によって容易に検出できるものが多いが、ウイルスは、これまで知られている限りにおいてヒトの体内でのみ感染増殖し魚介類そのものには病原性を示さないため、事実上、検出・除去が非常に困難である。これらのウイルスの存在によって、新鮮な魚介類を生で食べる我々は、常に感染の危険に晒されている。ウイルス性胃腸炎は先進国において以前から保健衛生上重要な問題であるばかりでなく、我が国のように、新鮮な生の魚介類を食べる生活習慣を持つ国にとって非常に深刻な問題である。

 そこで、本研究では、魚介類によって媒介されるウイルスのうち、含有率が高く、しかも近年、非細菌性の流行性胃腸炎の主因として注目されているノーウォーク様ウイルス(Norwalk-like virus; NLV)を研究材料とし、安心して新鮮な生の魚介類を食べられる将来に向けて、ウイルス感染防御の確立を試みた。NLVは(+)一本鎖RNAをゲノムとする小型球形のウイルスであり、世界各地の市町村、学校、キャンプ、家庭において引き起こされる非細菌性胃腸炎の主因病原体として知られる。原因食品は主として、生あるいは加熱不十分の魚介類(特にカキなどの2枚貝)が挙げられ、レストランや学校などの集団生活の場で、水や食品を介したウイルス性胃腸炎の集団発生がみられる。NLVは長年に渡る精力的な研究にも関わらず、中和抗体が見出されていないばかりか、ウイルスの分離・培養がいかなる方法でも成功しておらず、その感染・増殖機構および免疫性は不明である。

 このように中和抗体が見出されないウイルスに対し、本研究ではまず、(1)NLVが結合する細胞表面受容体を探索し、それを精製して感染防御に利用することを試みた。その結果、受容体を特定することができたが、その精製が困難であることが判明した。そこで、(2)受容体に限ることなく細胞内に存在しているNLV結合分子を探索したところ、ヒストンH1が強い結合性を示すことが明らかになった。このため、(3)これを利用することでNLVの感染防御を試みた。

(1) 細胞表面に存在するNLV受容体の解析

 NLVは培養によって生ウイルスを得られないため、その系統の1つであるUeno株から得られたキャプシドタンパク質遺伝子(ORF2)を組込んだバキュロウイルスによって昆虫細胞内で中空粒子(Virus-Like Particle; VLP)を作製し、これを用いて細胞との相互作用を解析した。作製されたVLPであるrecombinant Ueno Virus(rUEV)を用いて、まずはヒト腸管由来のCaco-2細胞との結合性を調べた。Dose Responseを調べたところ、rUEVは細胞膜に対し特異的に結合していた。またScatchard Plotにより、1細胞あたりおよそ106個のrUEVが表面に結合していることがわかった。次にrUEVが細胞膜を経由して細胞内に取り込まれるかどうかを調べるために、Internalization Assayを行った。その結果、初めに細胞膜に特異的に結合したrUEVのうち約7.5%が細胞内に取り込まれた。以上の結果は、過去に研究されてきた他のウイルス受容体の特徴とよく一致しており、NLVが細胞に侵入する際に受容体として働く何らかの細胞表面分子を利用することが示唆された。

 そこで、この分子の種類を調べるために、Phospholipase C、過ヨウ素酸及びProteinase Kであらかじめ細胞表面を処理し、rUEVとの結合を調べた。その結果、Proteinase Kで処理した場合のみ顕著な結合低下が見られた。このことは、ウイルスが細胞膜の脂質や糖鎖ではなくタンパク質と直接結合することを示唆している。そこで、このrUEV結合タンパク質をVOPBA法によって検出した結果、105kDaの位置に明瞭な単一バンドが得られた。この105kDaタンパク質は全ての哺乳動物細胞株に存在し、さらにUEV以外の系統のNLVとも結合した。しかし、NLVと同じカリシウイルス科に属するE型肝炎ウイルス(hepatitis E virus; HEV)とは結合しなかった。従って、この105kDaタンパク質は細胞にとって何らかの重要な役割を果たしているタンパク質であり、それをNLVが特異的に受容体として利用していることが示唆された。rUEVばかりでなく他のNLVにも共通な受容体候補分子が見つかったことから、逆にこの分子との相互作用を阻害することでNLVの感染を防げることが推測された。

(2) 細胞に存在するNLV結合タンパク質の探索

 ウイルスの感染防御には、中和抗体の他に受容体分子を利用できることが知られている。しかし、受容体の分離、同定には多大な労力と時間が必要とされる。NLVも例外ではなく、105kDa受容体候補タンパク質の同定は困難を極めた。そこで、受容体に代わるNLV結合分子を細胞内から探索することにした。細胞の全溶出液を用いてVOPBAを行った結果、105kDaタンパク質とは別に、およそ35kDaの位置に大量のNLV結合タンパク質が検出された。この35kDaタンパク質は核画分に存在していた。アミノ酸配列を解析した結果、ヒトを始め哺乳類のヒストンH1と100%の相同性を示した。rUEVとヒストンH1との結合の性質を調べた結果、VLPの立体構造が重要であること、そして幅広いpH領域や塩濃度条件下でも結合が可能であることがわかった。ヒストンH1はUEV以外の系統のNLVとも結合したが、HEVとは結合しないことからNLV特異的に結合することが示唆された。以上の結果は、腸管管腔内のように変化に富む環境でもヒストンH1がNLVと結合できることを示唆している。すなわちウイルスに結合するヒストンH1は受容体に代わってNLV感染防御へ利用できることが予想された。

(3) NLV感染防御への利用

 NLVの系統によらず結合する受容体候補105 kDaタンパク質の性質と、pHに影響されずNLVと結合するヒストンH1の性質を利用して、NLVに対する結合阻害剤としてのヒストンH1の機能を検証した。ヒト小腸由来細胞株Intestine407を用いて、ヒストンH1存在下で結合検定を行った結果、25μg/ml以上のヒストンH1が存在すると、rUEVの細胞への結合は95%以上阻害された。結合阻害作用は、他の系統のNLVに対しても同様であった。意外なことに、ヒストンH1はrUEV粒子表面ばかりでなく細胞表面にも作用することで結合阻害効果を示すことが判明した。

 次に、ヒストンH1によるウイルスの結合阻害効果が他種のウイルスにも成立するものか検証するために、HEV、ピコルナウイルス科に属するポリオウイルス、昆虫の核多角体病ウイルスAcNPVを用いてヒストンH1存在下で感染実験を行った。しかし、どのウイルスに対しても阻害効果は見られなかった。以上の結果から、ヒストンH1の結合阻害効果はNLV特異的なものであり、決して非特異的に細胞表面を覆うことでNLVの結合を阻害しているわけではないことが示唆された。

 ヒストンは細胞に対し生理的な作用を及ぼしたり、殺菌作用を示すことが知られている。そこで、ヒストンH1の薬剤としての腸管細胞および腸内細菌に対する安全性について検証した。その結果、NLV結合阻害に有効な濃度のさらに10倍量のヒストンH1を投与してもIntestine 407、Caco-2細胞の生育に及ぼす傷害的な影響は見られなかった。また、腸内細菌に対しては、長時間の処理では一部の細菌に対して殺菌作用を示したが、短時間では全く問題ないこと、そして長時間でも腸内細菌全体の量には影響を及ぼさないことが確認された。以上の結果から、ヒストンH1の投与は人体に悪影響を及ぼさず、ヒストンH1がNLVの感染防御特効薬として有効かつ安全であることが示唆された。

 本研究では、感染防御の主流である中和抗体や受容体の概念にとらわれず、NLV結合分子を宿主細胞内から探索することで、核タンパク質として一般に広く知られているヒストンH1の新たな機能を見出し、NLV感染防御への糸口を掴んだ。本研究の成果を応用し、予防薬として用いることができれば、新鮮な生の魚介類を安心して口に運べる日も近いと思われる。ヒストンは、NLV感染防御ができるほど高濃度ではないものの、元々アポトーシスに伴って腸管内に放出されているタンパク質であるため、ヒトの免疫系を刺激しないと推測される。また、受容体候補である105kDaタンパク質よりも、ヒストンH1の方が容易に、しかも多量に得られるため、製薬的視点から見てもヒストンの利用価値は大きいものと思われる。本研究で得られた知見は、ウイルスの感染防御を確立するには中和抗体や受容体ばかりでなく、細胞内に存在するあらゆるウイルス結合分子が利用できることを示している。さらに概念を拡張して考えると、細胞内分子に限らずともウイルス結合分子であれば感染防御分子の候補となり得ることが推測される。本研究の実験的手法は、培養系の有無に限らずウイルス全般への利用が可能であり、感染防御を確立するための手段として広範な応用が期待されるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 魚介類の生食によって発生する流行性胃腸炎の主因であるノーウォーク様ウイルス(Norwalk-like virus; NLV)は、感染する実験動物も培養細胞も見つかっていないため、感染機構および免疫性は不明のまま残されており、また、感染個体に産生された抗体が感染防御抗体とはなりえないため、中和抗体等による感染防御法の確立が期待されている。

 本研究は、まず(1)NLV受容体を探索し、それを精製して感染防御に利用することを試み、受容体を特定したが、受容体タンパク質が精製が進むにつれ不安定になる性質を有していたため、(2)細胞内に存在している他のNLV結合分子を探索し、ヒストンH1が強い結合性を示すことを明らかにし、(3)これを利用することでNLVの感染防御を試みている。本論文はこれらの結果を3章に纏め、感染防御に関する総合考察を加えている。

 第1章 細胞表面に存在するNLV受容体の解析

 NLVは培養細胞からウイルスを得られないため、バキュロウイルスによって昆虫細胞内で中空粒子を作製し、これを用いて細胞との相互作用を解析した。作製された中空粒子であるrecombinant Ueno Virus (rUEV)は、感染個体の糞便中から精製されたNLVと一致する抗原性を示したが、これらに対する抗体は感染防御抗体とはなり得なかった。そこで、rUEVを用いて、ヒト腸管由来細胞株との結合性を調べた結果、1細胞あたりおよそ106個のrUEVが結合し、細胞膜に特異的に結合したrUEVの約7.5%が細胞内に取り込まれることが判明した。この結果は、受容体を介して細胞に侵入する既知のウイルスの例とよく一致しており、NLVが細胞に侵入する際に受容体分子を利用することが示唆された。

 また、細胞を酵素等で処理して結合性を調べたところ、rUEVは細胞膜の脂質や糖鎖ではなくタンパク質と直接結合することが示唆された。そこで、このrUEV結合タンパク質をVOPBA法によって検出した結果、105kDaの位置に明瞭な単一バンドが得られ、この105kDaタンパク質はUEV以外の系統のNLVとも結合することが明らかになった。

 第2章 細胞に存在するNLV結合タンパク質の探索

 105kDaタンパク質は、UEVばかりでなく他のNLVにも共通な受容体候補分子であったことから、これを分離精製しアミノ酸配列から遺伝子を単離して、発現ベクター系により大量増殖させNLVの感染防御に利用することを計画した。しかし、この105kDa受容体候補タンパク質は精製が進むに従い不安定になり単離精製が困難であったため、アミノ酸配列の決定にまで至らず、感染防御に利用できるかどうかについての検証もできなかった。そこで、受容体に代わるNLV結合分子を細胞内から探索するため、細胞の全溶出液を用いてVOPBAを行った結果、およそ35kDaの位置に大量のNLV結合タンパク質が検出された。アミノ酸配列を解析した結果、哺乳類のヒストンH1と100%の相同性を示した。rUEVとヒストンH1との結合は、幅広いpH領域や塩濃度条件下でも可能であることがわかった。以上の結果は、腸管管腔内のように変化に富む環境でもヒストンH1がNLVと結合できることを示唆している。

 第3章NLV感染防御への利用

 NLVに対する細胞結合阻害剤としてのヒストンH1の機能を検証した。ヒト腸管由来細胞株を用いて、ヒストンH1存在下でrUEVの細胞結合検定を行った結果、25μg/ml以上のヒストンH1が存在すると、rUEVの細胞への結合は95%以上阻害され、他の系統のNLVに対しても同様であった。また、ヒストンH1は、rUEV粒子ばかりでなく細胞表面にも作用することで結合阻害効果を示すことが明らかになった。これに対し、E型肝炎ウイルス、ポリオウイルス、昆虫核多角体病ウイルスなどの他種のウイルスに対しては阻害効果は見られず、ヒストンH1の結合阻害効果はNLVに特異的であることが示唆された。次に、ヒストンH1の腸管細胞および腸内細菌に対する安全性について検証した結果、NLV結合阻害に有効な濃度の10倍量のヒストンH1が存在しても細胞傷害性や殺菌作用は見られなかった。以上の結果から、ヒストンH1がNLVの感染防御に有効かつ安全であることが示唆された。

 以上要するに本論文は、魚介により媒介される流行性胃腸炎の主因であるノーウォーク様ウイルスについて、バキュロウイルスベクターによって昆虫細胞で作製した中空粒子を用いて、105kDの受容体タンパク質を特定すると共に、ヒストンH1が特異的結合分子であり感染防御に有効であることを明らかにしたものである。よって審査委員一同は、本論文が学術上応用上価値あるものであり、博士(農学)の学位論文として、ふさわしいものであると認めた。

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