学位論文要旨



No 117153
著者(漢字) 山宮,彩
著者(英字)
著者(カナ) ヤマミヤ,アヤ
標題(和) ムギ類萎縮ウイルスゲノムの機能解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 117153
報告番号 甲17153
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2349号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 高野,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 ムギ類萎縮ウイルス(Soil-borne wheat mosaic virus, SBWMV)はFurovirus(Fungus-transmitted rod-shaped virus)属のタイプ種で、7.2kbのRNA1と3.6kbのRNA2からなる2分節ゲノム性プラス鎖RNAウイルスである。ウイルス粒子形態は直径20nm、長さ160及び300nmの棒状である。アジア、欧米を含め世界各国で栽培される冬コムギに感染し、通常10-30%の収穫減をもたらすことからコムギの重要病原の一つに指定されている。本ウイルスは自然界ではネコブカビ目の土壌菌、Polymyxa graminis菌によって感染根から非感染根へ伝搬され、感染性が厚膜の休眠胞子内に保持されるため、一度ウイルス病が発生した圃場からウイルスを除去することは非常に困難である。

 本研究では、SBWMVの病原性を分子生物学的に解析することを目的に、RNA1とRNA2の感染性cDNAクローンを構築し、特にRNA2にコードされるタンパク質の感染性における役割をin vitro mutagenesisにより作出した部位特異的変異体を用いて調べた。

1.全長cDNAクローンの構築

 プラス鎖RNAウイルスのゲノム構造と機能の分子遺伝学的解析には、感染性全長cDNAクローンの構築が必須であるが、Furovirus属のウイルスではこれまでその例がなかった。そこで、本研究ではSBWMV日本分離株(SBWMV-JT)を用い、ゲノム構造と機能の解析を目的にRNA1及びRNA2の全長cDNAクローンを構築し、機械的接種において野生型ウイルスと同様の生物学的性状を有する感染性RNAのin vitro転写系を初めて確立した。この結果、SBWMVゲノムの分子遺伝学的解析が可能になった。

 RNA1及びRNA2の感染性cDNAクローン、pJS1及びpJS2から合成したin vitro転写産物は、局部病斑宿主Chenopodium quinoaの接種葉にウイルスあるいはウイルスRNA接種後と同様の退緑斑を形成し、全身感染性宿主コムギ(Triticum aetivum cv. Fukuho)において、接種3週間後に全身的に穏やかなモザイク症状を引き起こした。また、無接種上位葉よりWestern blot法で外被タンパク質(CP)が検出され、電子顕微鏡観察でウイルス粒子が観察された。従って、pJS1およびpJS2のin vitro転写産物は機械的接種において野生型ウイルスと同様の生物学的性状を示すことが明らかとなり、SBWMV-JTの全長cDNAクローンを用いた感染性RNAのin vitro転写系の確立が確認された。

2.外被タンパク質を含む2種類の融合タンパク質の感染性における役割

 SBWMV感染細胞内では、大量のCPと共に、CPの終止コドンの読み過ごしによりC末端側に576アミノ酸が付加されたCP-RTと、120塩基上流にあるCUGを翻訳開始コドンとしCPのN末端側に40アミノ酸が付加されたN-CPが合成される。これら2種類のCP融合タンパク質の感染性における役割を調べるために、CUG開始コドンをCAGに改変したpJS2.CP-RT、CP終止コドン(UGA)の直下流にもう一つ終止コドン(UAG)をつなげたpJS2.N-CP、RT領域内の1640塩基を欠失させたpJS2.N-CPΔRTを作出した。さらに、それらの改変を組み合わせ、N-CPおよびCP-RTを発現しないpJS2.CPとpJS2.CPΔRTを作出した。各変異体pJS2のin vitro転写産物を用いてC. quinoaとコムギに接種したところ、全ての変異体RNA2で野生型pJS2を用いた場合と同様の感染性が認められ、病葉からは棒状ウイルス粒子が検出された。この結果から、SBWMV RNA2にコードされたCPを含む2種類の融合タンパク質はウイルスの粒子形成と全身移行には必要ないことが証明された。

3.RNA2にコードされるシステインリッチタンパク質の役割

 SBWMV RNA2の3'末端側には、サブゲノムRNAから翻訳されると推定される19kDaのシステイン残基に富むタンパク質がコードされている。本実験では、C. quinoaとコムギを用い、SBWMVのシステインリッチタンパク質の感染性における役割を調べた。システインリッチタンパク質コード領域を完全に欠失させたpJS2.ΔCys、及びシステインリッチタンパク質を翻訳しないよう開始コドンを終止コドン(TAA)に置換したpJS2.CysOcのin vitro転写産物をpJS1のin vitro転写産物と共に接種したところ、それぞれ接種植物に対し病徴を示さず、また、Western blot法によりCPが検出されなかった。さらに、pJS2(野生型)のin vitro転写産物を加えて接種した場合でも、pJS2.ΔCys及びpJS2.CysOc由来のRNAが接種植物内で複製していないことがRT-PCR産物の分析で確認された。これらの結果から、SBWMV RNA2にコードされる19kDaのシステインリッチタンパク質はcisに機能し、ウイルスRNA複製あるいはウイルスの細胞間移行に関与する可能性が示唆された。

4.SBWMV-JTから生ずる欠失変異RNA2の解析

 SBWMVは2分節性の棒状ウイルスで、自然界では土壌菌、P. graminisにより伝搬される。SBWMVアメリカ野外分離株では、ウイルス感染葉粗汁液をコムギで機械的接種により継代するとRNA2のCPの直下流にコードされるRT領域に欠失を生じ、野生型ウイルスに比べて激しいモザイク及び萎縮症状を引き起こすことが知られている。本実験ではSBWMV-JT由来の完全長cDNAクローンを用い、ウイルス感染コムギ葉粗汁液を機械的接種により継代し、欠失変異RNA2がウイルス増殖過程においてde novoで生ずることを明らかにした。欠失は通常RT領域内に一連続領域として生じ、RT領域はウイルス粒子形成やウイルス複製に基本的に不必要であるという先の結果を支持した。しかし、検出された欠失変異RNA2の約7割は欠失がインフレームで生じ、その結果、CPのC末端側に数十アミノ酸残基が付加する結果となった。また、5回の反復実験の結果、植物内で優占となった5種類の安定欠失変異RNA2は全て欠失がインフレームで生じていたことから、CPのC末端側に数十アミノ酸残基が付加されることがウイルスの感染維持に重要であることが示唆された。さらに、RT領域に外来遺伝子を導入した変異体pJS2由来の安定欠失変異RNA2や、CP-RTの200アミノ酸以下、あるいは400アミノ酸以下に終止コドンを導入し、さらにフレームをずらした変異体pJS2由来のそれぞれの安定欠失変異RNA2においても、欠失がインフレームで生じることを明らかにし、RT領域の塩基配列あるいはアミノ酸配列の存在がウイルス増殖に有利であることが示唆された。しかし、欠失領域周辺において特徴的な塩基配列モチーフや二次構造は認められず、異なる安定欠失変異RNA2がウイルス感染個体内で優占になる機構は不明である。Furovirus属と類似した遺伝子構造と菌伝搬性を持つBeet necrotic yellow vein virus(BNYVV)ではRT領域が菌伝搬性に必要であることが既に実証されている。SBWMVにおいてもRT領域と媒介菌との関連性が予想されるため、今後、SBWMVのP. graminisによる伝搬系を確立し、菌伝搬の決定因子を同定する必要がある。

5.RT領域の細胞内局在

 RT領域のC末端タンパク質に対する抗体(抗JS.2RTC-H血清)を作製し、RT領域の細胞内局在をWestern blot法により分析した。その結果、CPとの融合タンパク質であるCP-RTは、P30膜画分およびS30可溶性画分から検出された。P30画分から検出されたことは、RT領域がコムギ細胞の膜構造と関連していることを示唆している。継代接種を繰り返すと、感染植物個体内の液胞封入体が小型化し減少することが電子顕微鏡観察により明らかにされており、RT領域と封入体との関係が示唆されている。また、SBWMV感染植物内で特異的に観察される封入体が膜状構造を形成することも報告されている。今後、金コロイド粒子でラベルした抗JS.2RTC-H血清を用い、感染植物細胞の超薄切片を電子顕微鏡観察することで、感染植物内でのRT領域の局在が明らかにする必要がある。

 以上を要するに、本研究では(1)SBWMV RNA1及びRNA2のゲノム構造と機能の分子生物学的解析を可能とするため、機械的接種において野生型ウイルスと同様の感染性を示す感染性RNAのin vitro転写系を確立した。これは、Furovirus属ウイルス種としては世界初の感染性全長cDNAクローンの構築を意味する。(2)感染性全長cDNAクローンを用いて、2種類のCP融合タンパク質がウイルス粒子形成とコムギにおける全身感染に必要ではないことを明らかにした。(3)さらにCPのC末端側にRT領域由来の短いポリペプチドが付加されることがウイルス増殖に有利に働くことが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 ムギ類萎縮ウイルス(Soil-borne wheat mosaic virus, SBWMV)はFurovirus属のタイプ種で、RNA1(7.2kb)とRNA2(3.6kb)からなる2分節性プラス鎖RNAウイルスである。世界各地の冬コムギに感染し、モザイク病や萎縮病を引き起こすコムギの重要病害の一つである。自然界ではネコブカビ目のPolymyxa graminis菌によって土壌伝搬され、ウイルス保毒菌に汚染された圃場でのウイルス病防除は非常に困難である。このようにSBWMVは、農業上重要な病原ウイルスであるが、機械的接種による感染性が低い上、増殖に低温が必要で、さらにウイルス精製が困難なため、実験材料として扱いにくく、ウイルスゲノムの分子生物学的研究が立ち後れていた。

 本研究では、(1)SBWMVゲノムの構造と機能の分子生物学的解析を目的にRNA1とRNA2の感染性cDNAクローンを構築し、(2)RNA2にコードされるタンパク質の感染性における役割をin vitro mutagenesisにより作出した部位特異的変異体を用いて調べ、(3)RNA2の自然欠失変異現象を詳細に解析した。

1.感染性全長cDNAクローンの構築

 プラス鎖RNAウイルスのゲノム構造と機能の分子生物学的解析には、全長cDNAクローンを用いた感染性RNAのin vitro転写系の確立が必須だが、Furovirus属のウイルスではこれまで感染性cDNAクローンの構築に成功した例はない。そこで本研究では、SBWMV日本分離株を用いて感染性cDNAクローンの構築を試みた。RNA1とRNA2の全長cDNAをそれぞれT7プロモーター下流に配置し、大腸菌プラズミドにクローニングし、RNA1とRNA2の完全長cDNAクローン、pJS1およびpJS2を構築した。T7 RNAポリメレースを用いてpJS1およびpJS2からin vitroで合成した転写産物は、局部病斑宿主Chenopodium quinoaに感染し接種葉にウイルスRNA接種後と同様の退緑斑を形成した。全身感染宿主コムギ(Triticum aestivum品種フクホ)に対しては全身的に穏やかなモザイク症状を引き起こし、上位葉より電子顕微鏡観察で棒状のウイルス粒子が確認された。従って、pJS1およびpJS2のin vitro転写RNAは野生型ウイルスRNAと同様の生物学的性状を示すことが明らかとなり、SBWMV感染性RNAのin vitro転写系の確立が確認された。以上の結果、SBWMVゲノムの構造と機能の分子遺伝学的解析が可能になった。Furovirus属のウイルスで感染性cDNAクローンを構築したのは本研究が初めてである。

2.SBWMV RNA2にコードされたタンパク質の感染性における役割

 RNA2は、5'末端に19kDaのウイルス外被タンパク質(CP)、そのUGA終止コドンの読み過ごしによりC末端側に64kDa領域(RT)が付加された83kDaタンパク質(CP-RT)、およびCPの翻訳開始コドンから120塩基上流のCUGを翻訳開始コドンとする24kDaのN-CPタンパク質を、3'側にはシステイン残基に富む機能不明の19kDaタンパク質(Cys19)をコードしている。CPを除く、3種類のタンパク質(N-CP、CP-RT、Cys19)の感染性における役割を調べるため、pJS2を用いて各タンパク質を発現しない変異体を作出し、接種試験を行った。その結果、N-CPとCP-RTは共にコムギに対する全身感染性およびウイルス粒子形成に不要であり、一方、Cys19は感染性に必須であることが証明された。

3.SBWMVから生ずる自然欠失変異RNA2の解析

 SBWMVは、野外分離株を機械的接種によりコムギで継代するとRNA2のCP遺伝子の直下流のRTコード領域に欠失を生じ、野生型ウイルスに比べて激しいモザイク及び萎縮症状を引き起こすことが知られている。本研究では、感染性cDNAクローン由来のin vitro転写RNAを接種源とし、欠失RNAの出現様式と塩基配列を詳細に解析した。その結果、RTコード領域内の欠失はランダムに生じ、継代を繰り返すとRTコード領域の大半がイン・フレームに欠失した変異RNA2のみとなることが明らかとなった。従って、RT領域は感染性と粒子形成には必須ではないが、CPのC末端にRT領域のC末端側の短いペプチドが付加されることが、ウイルスの全身感染性に有利に働くものと推察された。

 以上、本研究では、農業上の重要な病原ウイルスであるムギ類萎縮ウイルスの分子生物学的研究を可能にするため、感染性全長cDNAクローンを構築し、特にRNA2に絞って、ウイルスタンパク質の感染性における役割を明らかにし、RNA2の欠失変異現象を詳細に解析した。従って、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高く、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいものと認めた。

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