学位論文要旨



No 117154
著者(漢字) 横井,寿郎
著者(英字)
著者(カナ) ヨコイ,トシロウ
標題(和) イネ病原菌類ウイルスのゲノム構造に関する研究
標題(洋)
報告番号 117154
報告番号 甲17154
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2350号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 宇垣,正志
内容要旨 要旨を表示する

 菌類ウイルスの研究が始まったのは1950〜1960年代であり、動物や高等植物のウイルスまたはバクテリオファージと比較すると、非常にその進展が立ち遅れた分野である。しかし、近年いくつかの菌で生育異常あるいは病原性にウイルスが関与している可能性が指摘されたことでこの分野に改めて注目が集まり、それらのウイルスを利用した生物防除や弱毒菌株の作出などが検討されはじめた。ウイルス学的な研究が依然立ち遅れているこの分野において、菌類ウイルスの分子生物学的性状を解析し、それらの有効利用を考慮して重要遺伝子資源としての位置付けを明確にすることは意義あることであると考えられる。本研究では、イネ科植物の病原菌類のうち、Sclerophthora macrospora virus A,B(SmV AおよびSmV B)とMagnaporthe grisea virus (MgV)に関して、ゲノムRNAからcDNAクローンを作製してその全塩基配列を決定し、予想されるアミノ酸配列とゲノム構造を、既知のウイルスと比較した。

 1.Sclerophthora macrospora virus A

 S.macrosporaは、広くイネ科植物に黄化萎縮病を引き起こす病原菌類で、鞭毛菌亜門卵菌綱に属する。SmV Aは、S.macrosporaを宿主とする小球形ウイルス(径約30nmで表面に約4nmの突起を有する)で、菌類ウイルスとしては稀少な、3分節の1本鎖RNAをゲノムとする。純化SmV Aから抽出したゲノムRNAから、まず、ランダムプライマーを用いてcDNAクローンを作製した。両末端に関しては、Oligo-capping法とanchor cloning法により両terminal clonesを作製し、全長の配列を決定した。また、2成分のコートプロテイン(CP)のN末端の部分アミノ酸配列に関して、アミノ酸シーケンシングを行い10個ずつの配列を決定した。得られた塩基配列からSmV Aのゲノム構造は以下のように考えられた。すなわち、ゲノムRNAの全長はそれぞれRNA 1 : 2927nt,RNA 2 : 1982nt,RNA 3 : 977ntであることが明らかになった。ORFを解析した結果、RNA 1には、2697ntの大きなORF(ORF 1a)と、別のフレームの3'端付近から始まる870ntの小さなORF(ORF 1b)が存在することが明らかになった。両末端の非翻訳領域はそれぞれ66nt,164ntであった。RNA 2には1269ntのORF 2があり両末端の非翻訳領域はそれぞれ11nt,702ntであった。RNA 3にはタンパク質をコードしていると考えられるORFは存在しなかった。RNAの各5'末端にはキャップ構造が存在すると推測され、各3'末端には、poly (A) tailが存在しないことが明らかになった。各ORFの予想されるアミノ酸配列に関してホモロジーサーチを行った結果、ORF laはNodaviridaeに属する各ウイルスのRNA-directed RNA polymerase (RdRp)と最も類似性が高く、全体で17-22%程度の相同性を示した。ORF 1bの配列と有意な相同性を示すウイルスタンパク質は存在しなかった。ORF 2の配列はTombusviridaeに属するウイルスのCPの配列と最も高い類似性を示し、その相同性は全体で25%程度であった。RNA 3は有意なORFが見出せなかったので塩基配列全体をホモロジーサーチした結果、一部の配列がSclerophthora macrospora virus B (SmV B)の配列と高い相同性を示した。SDS-PAGEの結果、2成分の構造タンパク質は、それぞれCP 1:約39kDa,CP 2:約43kDaと推測された。N末端のアミノ酸シークエンスを行った結果、両タンパクの配列はともにORF 2から予想されたアミノ酸配列と一致した。しかし、マイナー成分と思われる43kDaのタンパクがORF 2の最も5'端のアミノ酸配列と一致したのに対し、メジャー成分と考えられる39kDaのタンパクは内部の71番目からのアミノ酸以降の配列と一致した。この結果から39kDaのタンパクは43kDaのタンパクが翻訳後プロセシングを受けた産物であると考えられた。SmV Aのゲノム構造を他のウイルスと比較すると、SmV Bなどの菌類ウイルスとは大きく異なっており、むしろ、昆虫ウイルスのNodaviridaeと類似していることが明らかになった。以上の結果から、本ウイルスのゲノム構造は既知の菌類RNAウイルスとは大きく異なることが明らかになった。

 2.Sclerophthora macrospora virus B

 SmV Bは、S.macrosporaを宿主とする小球形ウイルス(径約32nmで表面平滑)で、単一の1本鎖RNAをゲノムとする。純化SmV Bから抽出したゲノムRNAから、SmV Aと同様の方法でcDNAクローンを作製し、全長の配列を決定した。また、CPのN末端の部分アミノ酸配列に関して、アミノ酸シーケンシングを行い10数個の配列を決定した。得られた塩基配列からSmV Bのゲノム構造は以下のように考えられた。すなわち、ゲノムRNAは全5533塩基からなり、5'末端にキャップ構造は存在しない。5'末端から順に、102ntの非翻訳領域、3840ntのORF 1、Aリッチな135ntの非翻訳領域、1113ntで41kDaのCPをコードしているORF 2、343ntの非翻訳領域が存在し、3'末端にはポリ(A)配列はない。ORF 1には、キモトリプシン様セリンプロテアーゼおよびRNA-directed RNA polymerase (RdRp)と推定される領域がそれぞれ存在し、約145kDaのポリプロテインとして発現すると推定された。ORFの各領域に関してホモロジー検索を行い、他の1本鎖RNAウイルスと比較した。セリンプロテアーゼと推測される領域に関しては、同じく菌類RNAウイルスのMBVや植物ウイルスのインゲンマメ南部モザイクウイルス(SBMV)およびジャガイモ葉巻ウイルス(PLRV)などと、GxSGなど3つのモチーフ配列付近の配列が類似性を示した。RdRpと推測される領域は、プラス1本鎖RNAウイルスの分類でsupergroup 1に属するウイルス(Koonin, 1993)の多くと17-22%程度の類似性を示し、GDDモチーフなど8つのモチーフ配列付近の配列が保存されていることが明らかになった。CPの領域に関しては、有意な類似性を示す既知のウイルスは存在しなかった。以上の結果から、本ウイルスのゲノム構造は、既知の菌類RNAウイルスとは大きく異なる特徴的な構造を有していることが明らかになった。

 3.Magnaporthe grisea virus

 M.griseaは、イネの最重要病害であるいもち病を引き起こす病原菌類であるが、MgVは同菌を宿主とする径約36nmの小球形ウイルスで、単一2本鎖RNAをゲノムとする。純化MgVから抽出したゲノムRNAから、同様に、ランダムプライマーを用いてcDNAクローンを作製した。両末端に関しては、anchor cloning法により両terminal clonesを作製し、全長の配列を決定した。得られた塩基配列からMgVのゲノム構造は以下のように考えられた。すなわち、ゲノムRNAの全長は2927ntで、ORFを解析した結果、2塩基の非翻訳領域をはさんで2つのORF(ORF 1 : 2241nt,ORF 2 : 2499nt)が存在することが明らかになった。両末端の非翻訳領域はそれぞれ568nt,40ntであった。3'末端には、poly (A) tailが存在しないことが明らかになった。各ORFの予想されるアミノ酸配列に関してホモロジーサーチを行った結果、どちらのORFもTotiviridaeに属する各ウイルスと高い類似性を示し、中でもHelminthosporium victriae virus 190S, Sphaeropsis sapinea RNA virus 1, 2などのウイルスと特に高い相同性を示しどちらのORFでも30〜35%ほどの相同性を示した。ゲノム構造全体でも、Totiviridaeに属するウイルスと類似していることが明らかになった。

 以上を要するに、3種のイネ病原菌類ウイルスSmV A,SmV B,MgVのゲノムRNA全長についてその全塩基配列を決定し、遺伝子構造を解析した結果、SmV A,SmV Bのゲノムはそれぞれ、既知の菌類RNAウイルスとは大きく異なり、新たなウイルスグループに属すると推測された。一方、MgVはTotiviridaeに属すると推測された。

審査要旨 要旨を表示する

 イネ科植物の病原菌類に存在するウイルスのうち、イネ黄化萎縮病菌を宿主とするSclerophthora macrospora virus AおよびB(SmV A, SmV B)と、イネいもち病菌を宿主とするMagnaporthe grisea virus (MgV)に関して、各ウイルスのゲノム構造を解析し、既知の菌類ウイルスとの分子分類学的な比較を行った。

1.Sclerophthora macrospora virus A

 S.macrosporaは、広くイネ科植物に黄化萎縮病を引き起こす病原菌類で、鞭毛菌亜門卵菌綱に属する。SmV Aは、S.macrosporaを宿主とする径約30nmで表面に約4nmの突起を有する小球形ウイルスで、3分節の1本鎖RNAをゲノムとする。ゲノムRNAからcDNAクローンを作製し、その全長の配列を決定した結果、SmV Aのゲノム構造は以下のように推定された。すなわち、RNA 1 (2927nt)にはORF 1a (2697nt)と3'端付近のORF 1b (870nt)が、RNA 2 (1982nt)にはORF 2 (1269nt)がそれぞれ存在する。RNA 3 (977nt)にはタンパク質をコードしているORFは存在せず、サテライトRNAであると考えられた。各ORFの予想されるアミノ酸配列から、ORF 1aはRNA-directed RNA polymerase (RdRp)、ORF 2は2成分の構造タンパク質(CP 1:約39kDa, CP 2:約43kDa)をコードしていると推定されたが、ORF 1bの機能は不明であった。なお、39kDaタンパク質は43kDaタンパク質の翻訳後プロセシング産物であると推定された。以上の結果から、SmV Aのゲノム構造は他の既知の菌類ウイルスとは大きく異なり、むしろ、昆虫や魚類を宿主とするNodaviridae属ウイルスと類似していることが明らかになった。

2.Sclerophthora macrospora virus B

 SmV Bは、SmV Aと同じく、S.macrosporaを宿主とする径約32nmで表面平滑な小球形ウイルスで、単一の1本鎖RNAをゲノムとする。ゲノムRNAからcDNAクローンを作製し、その全長の配列を決定した結果、SmV Bのゲノム構造は以下のように推定された。すなわち、ゲノムRNA(5533nt)にはAリッチな135ntの非翻訳領域をはさんで、ORF 1(3840nt)とORF 2(1113nt)が存在する。ORF 1には、セリンプロテアーゼ、ゲノム結合タンパク質(Vpg)およびRdRpと推定される領域がそれぞれ存在し、約145kDaのポリプロテインとして発現すると推定された。セリンプロテアーゼおよびVpg領域は菌類RNAウイルスのMushroom bacilliform virus (MBV)や植物ウイルスのインゲンマメ南部モザイクウイルス(SBMV)およびジャガイモ葉巻ウイルス(PLRV)などと、また、RdRp領域はプラス1本鎖RNAウイルスsupergroup 1に属するウイルスの多くと、それぞれ類似性を示した。CP領域では類似性を示す既知のウイルスは存在しなかった。以上の結果から、本ウイルスのゲノム構造は、既知の菌類RNAウイルスとは大きく異なることが明らかになった。

3.Magnaporthe grisea virus

 M.griseaは、イネいもち病を引き起こす病原菌類であるが、MgVは同菌を宿主とする径約36nmの小球形ウイルスで、単一2本鎖RNAをゲノムとする。ゲノムRNAからcDNAクローンを作製、その全長の配列を決定した結果、MgVのゲノム構造は以下のよう推定された。すなわち、ゲノムRNA(5350nt)には2塩基の非翻訳領域をはさんでORF 1(2241nt)とORF 2(2499nt)が存在する。どちらのORFもTotiviridae属ウイルスと高い類似性を示し、ORF 1はCPを、ORF 2はRdRpをそれぞれコードしていると推定された。以上の結果から、本ウイルスはTotiviridae属の新種ウイルスであると結論された。

 以上を要するに、3種のイネ病原菌類ウイルスSmV A,SmV B,MgVのゲノムRNA全長についてその全塩基配列を決定し、遺伝子構造を解析した結果、SmV A,SmV Bのゲノムはそれぞれ既知の菌類RNAウイルスとは大きく異なる新たなウイルスグループに属すると推測された。一方、MgVはTotiviridaeに属すると推測された。本研究で得られた成果は学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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