学位論文要旨



No 117155
著者(漢字) いまかわ あんじぇら まりあ
著者(英字) Imakawa Angela Maria
著者(カナ) イマカワ アンジェラ マリア
標題(和) 植物種および品種におけるエチレン生成の比較生態・生理学的研究
標題(洋) Comparative ecophysiological studies on ethylene production in plant species and cultivars
報告番号 117155
報告番号 甲17155
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2351号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂,齊
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 助教授 山岸,順子
 東京大学 助教授 森田,茂紀
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、作物・雑草草種を用いて、エチレン生成特性を種・品種横断的に調べたものである。植物ホルモンには、近年新しく認知されたブラシノステロイド、ジャスモン酸を含めて7種類。そのうち第5番目のエチレンは生合成過程やその作用生理が最も良く研究されているホルモンの一つで、メチオニンを前駆体として数段の簡易なステップで生合成される。その定量はガスクロマトグラフィー法できわめて容易に測定できる。こうしたことから植物の成長・分化、成熟・生産、品質等の制御機構におけるエチレンの作用機構の解明、制御技術の開発に関する研究の関心は高い。

 こうした特性を示すエチレンであるが、これまで生理生化学機構や機能を解明する上での実験材料は、ヤエナリ、ダイズ、浮稲等の幼植物の胚軸等が多用されてきた。これによりエチレン生成機構や作用生理は十分に理解できるようになったものの、植物が発現する多様なエチレン生成を種・品種横断的に特性を調査し、相互に比較検討した研究事例は極めて少ない。本研究は、植物のエチレン生成に関して種・品種の属性に基づいた比較生態・生理の側面からの研究知見を得ることを目的にして実施し、以下の結果を得た。

I.外生投与エチレンに対する単子葉及び双子葉植物種の発芽・初期成育の差異

 種子の発芽・初期成長過程に与える外生エチレンの作用を調べたところ、双子葉植物は茎葉部・根部とも著しい成長阻害を受けた。これらはエチレンによる三重反応の発現であり、地表発芽植物(epigeal plant)のダイズ・ササゲは下胚軸の伸長が、地表発芽性植物(hypogeal plant)のエンドウでは上胚軸のそれが、それぞれ著しく阻害されて膨潤すると共に子葉からの新葉の展開が完全に抑制された。胚軸部は背地性を消失し捻転した。単子葉種では、双子葉種の成長を著しく阻害する濃度でも三重反応は明らかでないものの、コムギとトウモロコシ品種は最大50%近い成長阻害を受けた。しかし、同じ単子葉種でもイネとヒエの成長阻害は軽微であった。根は何れも向地性を無くして地上に露出した。以上のように、外生エチレンに対して双子葉種は著しい成長阻害を伴う三重反応を引き起こすが、単子葉種では影響を受けにくいイネ・ヒエと、トウモロコシ・コムギ等のように影響を受けて中間的な反応をするものに大別できた。

II.植物の種・品種から誘導したカルスにおけるエチレン生成特性

 エチレン生成は植物体の成育ステージや器官・組織の違いで、あるいはエイジによって大きく異なる。それ故に、植物体を用いて種・品種のエチレン特性を横断的に比較し検討することは難しいと考えられた。そこで、発芽種子から誘導し、継代培養した脱分化細胞塊のカルスに着目して、そのカルスが生成するエチレンを種・品種の特性として比較検討することにした。

1.オーキシンの2,4-Dを含む修正Murashige & Skoogの寒天培地を用いて、種子からのカルス誘導とその継代培養を試みた。単子葉種は比較的容易にカルスを形成し継代培養ができたが、双子葉種ではダイズの2品種およびササゲを除いて困難であった。これらは2、4-Dの濃度を下げ、あるいはIBAに置き換えてサイトカイニンを添加することで正常に成長するカルスを作出できた。

2.6回以上継代培養したカルスについてエチレン生成能の差異を調べたところ、双子葉種が著しく高く単子葉種で低いという明白な種間差が認められた。生成能の最も高いタバコ・ダイズなどと最も低いイネとを比較すると30〜100倍の差が認められた。単子葉種においては更にトウモロコシ・サトウキビ・メヒシバ見るようにエチレン生成能が比較的高いグループと低いイネ・ヒエのそれとに分類できた。

3.カルスからのエチレン生成は、生成能を測定するために放置する際の光条件で大きく変動した。イネにおいては、明条件下でのエチレン生成が高揚し、エチレン生成にフィトクローム系の関与が示唆された。

4.双子葉種のエチレン生成は2,4-D濃度に依存して高揚するが、イネなどの単子葉種では2,4-D濃度に無関係で、ほとんど変わることがなかった。

III イネとダイズのカルスにおけるエチレン生成の品種間差異。

 単子葉種のイネ(16品種)と双子葉種(10品種)のダイズにおけるエチレン生成特性を調べた。

1.イネ、ダイズともエチレン生成能に顕著な品種間差異があり、イネの最大生成量を示す品種のエチレン生成量は、ダイズの最小値を持つ品種のそれを凌駕することは無く、両種カルス間のエチレン生成量の差異は単子葉種と双子葉種との違いを反映していると推定された。なお、エチレン生成が著しく低いイネにおいても、その生成量には顕著な品種間差異と共にインディカ・ジャポニカ間で有意な差異が認められた。

2.カルスの継代培養にサイトカイニン不要なダイズ品種とイネ品種を用いて、エチレン生成に対するサイトカイニンの影響を調べた。ダイズでは、サイトカイニン添加は顕著な促進があったが、単子葉種のイネではサイトカイニンの添加効果は低かった。

3.カルスの成長とエチレン生成能との間には相関がなかった。

IV 植物体の葉片におけるエチレン生成の種間差異の検討

 カルスにおけるエチレン生成には著しい種間差・品種間差が認められたことから、インタクトな植物体でのエチレン生成を検討することにした。しかし植物体全体での比較検討は難しいことから、生育中の植物体の活動中心葉を用いて確立した葉片エチレン生成量測定法によって生成量を比較検討した。

1.円形葉片におけるエチレン生成量は、前駆体のメチオニンや中間物質のACCの添加でダイズ・イネのいずれにおいてもエチレン生成の促進が見られることから、この実験系でエチレン生成系が稼動していると考えられた。この葉片法で植物体のエチレン生成能を比較検討することが可能か否かはまだ明らかではないが、エチレン生成系に関わる促進あるいは阻害する物質の作用生理を調べることは可能と考えられた。

2.葉片からのエチレン生成に対する2,4-Dの作用をみると、2,4-Dはダイズ・インゲン・ササゲ等の双子葉種のエチレン生成を著しく高揚させるが、イネやトウモロコシではその効果は希薄で、カルスにおける2,4-D効果とほぼ同じ結果が得られ、2,4-Dの双子葉種への偏ったエチレン生成促進作用が明らかになった。

IV.植物における内生プロピレンの生成

1.生物がプロピレンを生成するという知見は、これまで僅かにPenicillium echinulatumにおいてだけであったが、カルスおよび葉片を用いてエチレン生成能の種・品種間差を検討するなかで高等植物のヒメジオン属植物が保有することを確認した。他のキク科植物をはじめ、本実験で使用した栽培植物種・品種では確認できなかった。上記微生物におけるプロピレン生合成の前駆体や中間代謝物とされるバリンやイソ酪酸は、ヒメジオン属植物のプロピレン生成に大きな影響は見られなかった。

2.葉におけるプロピレン生成には光が関与し、エチレン生成の場合とは逆に光条件下で著しい促進が認められた。

3.密閉条件下でハルジオン・ヒメジオン、イネ・ダイズの幼植物にエスレル(エチレン発生剤)を投与すると前2者は正常に成育を続け、2,4-D投与の場合にも両者は2、4-Dの除草剤作用を軽減したことから、エチレンの代謝作用に対する生体内のプロピレンの関与が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、農耕地における植物種・品種の生理生態学的属性を明らかにすることで、栽培植物の栽培や環境適応性に供する学術的知見を得ると共に農業利用に資する技術開発上の基礎知見を得ることを目的にして、植物ホルモンの一つであるエチレンを指標にして作物・雑草の種や品種における外生エチレン反応および内生エチレン生成能を比較検討し、それらの類別化、グループ化を試みたものである。得られた結果の概要は次の通りであった。

1) まず、植物種子の発芽・初期成長過程に与える外生エチレンの作用特性からみて、植物種を3グループに大別できた。すなわち、三重反応を示して茎葉部・根部とも著しい成長阻害を受ける双子葉植物、ほとんど阻害が認められないか、むしろ高濃度エチレンでさえ伸長促進作用が認められる単子葉種の一グループ(イネ・ヒエ等)、および同じ単子葉種ながらコムギ・トウモロコシ等のように中間的な成長阻害を受ける別のグループである。

2) 次いで、植物種の内生エチレン生成特性を調査した。インタクトな植物体はエチレン生成能の異なる種々な器官・組織から成り立っており、また発育・分化の形態も違うので植物としてのトータルエチレン生成を比較するのは難しい。そこで植物から誘導したカルスを用いて、細胞レベルで植物種のエチレン生成特性を調べた。16種(種によっては品種群を用い、ここでは合計49品種を使用した)の植物から誘導し継代培養したカルスにおけるエチレン生成能を比較検討したところ、大きな種間差異が認められた。それらはエチレン生成能が極めて高い双子葉種と逆に著しく低い単子葉種に大別できた。生成能の最も高いタバコ・ダイズ(双子葉種)と最も低いイネ(単子葉種)とでは30〜100倍の差が認められた。単子葉種においては更にトウモロコシ・サトウキビ・メヒシバに見るようにエチレン生成能が比較的高いグループと低いイネ・ヒエのそれとに明確に分類できた。また、エチレン生成に影響するホルモンの2,4-Dとベンジルアデニンは、双子葉種のエチレン生成を顕著に促進するが、単子葉種にはほとんど影響しないことが判明した。

3) エチレン生成能の品種間差異を、主要な食糧作物である単子葉種のイネ(16品種)と双子葉種のダイズ(10品種)を用いてエチレン生成特性を調べた。両種ともエチレン生成量に顕著な品種間差異があったが、イネの最大生成量を示す品種のエチレン生成量は、ダイズの最小値を持つ品種のそれを凌駕することは無く、両種カルス間のエチレン生成量の差異は単子葉種と双子葉種との違いを反映しているものと考えられた。また、イネではインディカとジャポニカでエチレン生成量に明瞭な違いが見られた。

4) カルスレベルでのエチレン生成に顕著な種間差、品種間差が見られたことから、植物体でのエチレン生成能を見る必要があると考え、植物体の活動中心葉から調整した円形葉片のエチレン生成能を指標にして種・品種間差を検討した。葉片自体のエチレン生成能の種・品種間差異は僅かであったが、2,4-Dおよびベンチルアデニン投与により、カルスレベルでと同様両ホルモンに極めて感受性の高い双子葉種と低い単子葉種との間には顕著なエチレン生成能の差異が発現した。

5) ガスクロマトグラフィーによるエチレン生成能の種・品種間を検討する中で、エチレン(保持時間が1.298分)よりも遅い保持時間に未知のピークがヒメジオン属植物(葉片およびカルス)で認められた。これはGC/MS法と純プロピレンガス法で調ベプロピレン(同5.847分)であることが判明した。生物学的にプロピレンを生成するとの知見は、これまで微生物のPenicillium echinulatum等においてだけであった。本実験では、他のキク科植物をはじめ各種の栽培植物や雑草の種・品種では確認できず、従ってプロピレンは、ヒメジオン属植物のような特異な属に局在している可能性がある。葉におけるプロピレン生成は光条件下で著しい促進が認められ、エチレン生成の暗黒下での促進とは好対照であった。ハルジオン・ヒメジオンやイネ、ダイズの植物体にエテホン(エチレン発生剤)を投与すると前2者はほぼ正常に成育を続け、2,4-D投与の場合にも両者は双子葉種にもかかわらず2、4-Dの殺草作用が軽減されたことから、エチレンの代謝作用にはヒメジオン等が生成するプロピレンの関与が示唆された。

 以上を要約すると、外生投与エチレンに対する植物の反応やオーキシンの2,4-D、ベンチルアデニンに依存した植物からのエチレン生成は種・品種間で大きく異なり種や品種をグループ化できた。エチレン感受性の極めて高い双子葉種と逆に大変低い単子葉種とのグループ化等である。これは、単子葉種の細胞や葉レベルにおけるエチレン生成がオーキシンやサイトカイニンに依存せずに大変低いのに比し、双子葉種の感受性の高さに起因していた。しかし、単子葉種の低エチレン生成特性を更に詳細に見ると、トウモロコシやサトウキビ等はイネやヒエよりも高い場合があり、これは陸生種と水生種との違いの反映と見ることもできるが、更に検討が必要である。なお、イネにおけるエチレン生成能は、ジャポニカとインディカで差異があることも判明した。一方、ヒメジオン属植物が生成するプロピレンは、植物のエチレン生成系の制御に機能している可能性が示唆された。

 以上、耕地生態系における植物の種・品種を、植物ホルモンの一つのエチレンの動態を指標にして生態生理学的に解析し類別化した本論文は、学術上また農業的応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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