学位論文要旨



No 117157
著者(漢字) 村中,孝司
著者(英字)
著者(カナ) ムラナカ,タカシ
標題(和) 鬼怒川砂礫質河原の植生と外来植物の侵入
標題(洋)
報告番号 117157
報告番号 甲17157
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2353号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 大澤,雅彦
 東京大学 助教授 加藤,和弘
 東京大学 助教授 舘野,正樹
内容要旨 要旨を表示する

1 序論

 河川への外来植物の侵入は,競争排除や土壌の富栄養化・乾燥化など生育環境の変化をもたらすことで,在来植物の生育を脅かし,生物多様性を低下させることが指摘されている.

 地形が急峻な我が国の河川では多くが急流であり,中流域には円礫の堆積した砂礫質河原が発達する.その特殊な環境に適応した河原に固有な植物を河原固有植物と呼ぶ.近年では,カワラノギクAster kantoensis Kitam.やカワラニガナIxeris tamagawaensis (Makino) Kitam.が「日本の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータブック)」に掲載されるなど,河原固有植物が衰退しつつあり,その原因は外来植物の侵入を重要な要因の一つとして含む河川環境の全般的変化であると考えられている.

 利根川水系の鬼怒川は我が国を代表する急流河川であり,中流域には広い範囲に砂礫質河原が成立し,そこには,カワラノギク,カワラニガナなどの河原固有植物が生育している.本研究では,鬼怒川中流域の砂礫質河原の保全上の問題点を明らかにして保全の計画を立てる上での基礎情報を把握するために,まず,河原固有植物の分布と外来植物の侵入状況を調査した.次に,河原固有植物の分布が残されている中流域上流側において,侵入の著しい外来植物シナダレスズメガヤEragrostis curvula (Schrad.) Neesが河原固有植物カワラノギクの生育に及ぼす影響を検討した.さらに,空間構造を考慮した個体群動態モデルを用いてシナダレスズメガヤの今後の分布拡大を予測した.また,1996年から2000年の中流域上流側の砂礫質河原の植生の変化を分析することで,シナダレスズメガヤの増加と河原固有植物の減少の実態を明らかにした.

2 砂礫質河原の植生と植物の分布状況

 周辺地域の土地利用の異なる中流域の7ヶ所の砂礫質河原で植生調査を行い,河原固有植物の分布および外来植物の侵入の現状を把握した.調査した7ヶ所の河原の植生は種組成の類似性比率によって,上流側(5ヶ所)および下流側(2ヶ所)の2つのグループに分類された.河原固有種および外来種の出現頻度は2つのグループの間できわだった違いを示した.下流側の調査地には河原固有種はほとんどみられず,セイタカアワダチソウSolidago altissima L.の出現頻度が高かった.それに対して,上流側の調査地にはカワラハハコ,カワラヨモギArtemisia capillaris Thunb.,カワラノギクなどの河原固有種が優占する植生が残されていたが,外来牧草シナダレスズメガヤが高い出現頻度を示した.種組成の違いは冠水頻度や基質タイプなどの環境要因の違いでは説明できず,周辺地域の土地利用や河川における位置の違いなどが潜在的種子供給量の違いを介して植生の現状に違いをもたらしている可能性が示唆された.河原固有種が残されている上流側サイトでは,カワラハハコ,カワラニガナ,カワラノギクはシナダレスズメガヤとの共存度が低く,シナダレスズメガヤの侵入が基質タイプの改変や被陰を通じて河原固有種の生育適地を縮小させている可能性が考えられた.

3 シナダレスズメガヤがカワラノギクの生存,成長および開花に与える影響と種子導入による個体群再生の可能性

 外来牧草シナダレスズメガヤの侵入と河原の基質の砂質化が,カワラノギクの生存,成長および開花におよぼす影響を,鬼怒川中流のシナダレスズメガヤがすでに侵入した河原および未侵入の河原に種子を導入する野外実験によって検討した.シナダレスズメガヤの侵入した場所や基質が砂質の場所ではカワラノギクの実生の生存率,成長,開花株率のいずれもがシナダレスズメガヤの侵入のない礫質の河原に比べて低かった.シナダレスズメガヤは光要求性の大きいカワラノギクの実生を被陰することで成長を抑え,死亡率を高めたと考えられる.

 1998年,1999年,2000年の春にそれぞれ開始した3回にわたる播種実験において,カワラノギクの実生の生存率が最も高かったのは,前年の秋の洪水により河原の植被が減少した1999年であった.翌年その場所にもシナダレスズメガヤが侵入すると,カワラノギクの実生の生存率は著しく低下した.一方,洪水で形成された礫質の裸地やカワラノギクが既に消失した中流域下流側の礫質の河原に播種した種子に由来する実生は,生存率が低いものの10月の根際直径でみた成長は良好であった.

 これらの実験の結果から,種子を人為的に供給すれば,下流側の地域でもカワラノギクの局所個体群を再生させる可能性があることが示唆された.

4 シナダレスズメガヤの種子繁殖特性と分布拡大

 実測したシナダレスズメガヤの生態的特性にもとづいて,河原における分布拡大をモデルシミュレーションによって予測するとともに,洪水が生育と分布拡大におよぼす影響を植生調査によって把握した.モデルに用いるパラメータを実測するために河原の条件をシミュレートした条件下で栽培したシナダレスズメガヤの実生の相対成長率は31.1-462.6(g乾燥重量 g-1 year-1)であり,1年目に種子をつける個体もみられた.河原に侵入したシナダレスズメガヤの中には発芽後1年目に種子を生産する株があり,2年目には10万粒を超える種子を生産する株もみられた.発芽実験によって把握された休眠・発芽特性からは,種子は永続的土壌シードバンクをつくらないことが示唆された.河原では,種子分散直後の8-9月に発芽した.それらのデータにもとづき,格子内の個体群動態を推移行列で記述し,格子間での種子分散パターンについても実測データにもとづいて考慮したモデルによるシミュレーションで,河原におけるシナダレスズメガヤの占有面積と株の増加を予測したところ,侵入初期には,毎年占有面積がおよそ2.14倍,株数はおよそ2.22倍に増加し,1-4年で河原のほぼ全域がシナダレスズメガヤに覆われることが予測された.

 また,1998年の洪水の前後で植生を比較したところ,多くの外来植物種の出現頻度が激減したが,シナダレスズメガヤは高い出現頻度を維持した.また,半安定帯が洪水で冠水したときに種子が土砂とともに下流方向へ運ばれる可能性が示唆された.

5 シナダレスズメガヤの侵入と河原固有植物の急激な減少

 利根川水系鬼怒川の中流域で1996年に植生調査を行った砂礫質河原のうち,河原固有種が多く生育していた4ヶ所において,1999年および2000年にベルトトランセクト法により植物種の出現頻度と基質タイプを調べ,1996年のデータと比較した.4ヶ所のうち2ヶ所の河原の半安定帯において,カワラノギクやカワラニガナの河原固有種の出現頻度の著しい減少が認められた.そのうち2ヶ所の河原においては,砂質の基質の顕著な増加が認められた.シナダレスズメガヤは砂質だけでなく礫質(沈み石)および礫質(浮き石)の基質でも増加していた.1996年にはカワラノギクの局所個体群が4ヶ所確認されていたが,2001年には3ヶ所となり,そのうち1ヶ所ではその株数もほぼ10万株から約110株へと著しく減少した.そのうち開花株は約50株にすぎなかった.砂質化とシナダレスズメガヤの侵入がカワラノギクやカワラニガナなどの河原固有植物の生育適地を減少させ,個体群の急激な衰退が起こっており,保全のための応急的対策が必要となっている.

6 考察

 本研究では,鬼怒川中流域の7ヶ所の砂礫質河原において植生を把握した.中流域上流側においては河原固有植物の優占する植生が残されていたものの,外来植物シナダレスズメガヤの侵入が目立っていた.シナダレスズメガヤは河原固有植物との共存度が低く,河原固有植物カワラノギクを被陰して生存率や平均適応度を低下させることが示された.また,シナダレスズメガヤの成長,種子繁殖特性を用いた個体群モデルから分布拡大を予測したところ,数年で河原の不安定帯および半安定帯のほぼ全体が占有される可能性が示された.

 1998年の洪水時には,河原に砂が大量に堆積し,基質からみたカワラノギクの生育適地が急速に失われた.1999年以降,小林調査地におけるカワラノギクは1996年から2001年の間に10万株から110株に激減した.一方で,シナダレスズメガヤは急速に分布を拡大した.河原固有種の減少とシナダレスズメガヤの分布拡大は現在も急速に進行中である.

 洪水はシナダレスズメガヤのような本来は河川に生育しない植物を物理的に排除すると考えられてきた.ところが,侵入種として排除されるはずのシナダレスズメガヤが洪水後はむしろ分布を拡大していることが示された.河川固有の健全な生態系を再生させるためには,シナダレスズメガヤをできる限り排除するとともに,砂質の増加などの河川環境の全般的な変化の原因を明らかにして,河川本来のダイナミックスを取り戻すための河川管理のあり方を検討する必要がある.

 現在の鬼怒川中流では,自然の種子供給による局所個体群再生の可能性はほとんどない.したがって,応急的な対策として一定の規模で人為的に河原固有植物の生育適地を回復させ,種子を導入することが必要である.

審査要旨 要旨を表示する

 国土全体に森林が発達しやすい日本列島では、攪乱とストレスが強く支配するために樹林に覆われることのない場所は、生物多様性保全上とくに重要である。モンスーン気候帯の島弧造山帯の河川に特有な生態系である中流域の砂礫質河原は、まさにそのような場所にあたる。ところが現在では、緑化工事になどに使われる外来牧草が侵入して河原が草原化し、砂礫質河原の固有な植生が失われつつあることが指摘されている。

 本研究では、関東地方でもっとも広大な砂礫質河原をもつ鬼怒川の中流域を調査地とし、植生の現状とその数年間の変化、外来牧草の侵入状況と将来予測、河原固有の植物に及ぼす影響などを、野外調査、野外実験、室内実験、モデルシミュレーションなどを有機的に組み合わせて研究し、1)中流域でも周囲が都市化した下流側では川らしい植生がすでに失われ、外来植物の優占が目立つこと、2)研究を開始した1996年当時に河原固有の植生が残されていた上流側でも植生が急激に変化し、河原固有種が著しく衰退して外来牧草シナダレスズメガヤEragrostis curvula (Schrad.) Neesの優占する草原に変化しつつあること、3)シナダレスズメガヤの侵入は絶滅危惧種のカワラノギクAster kantoensis Kitam.の適応度を著しく低下させて絶滅を加速する要因となっていることを明らかにし、4)シナダレスズメガヤが今後も急速に分布を拡大させることを予測した。

 河原の植生の概況を明らかにする植生調査においては、周辺地域の土地利用の異なる中流域の7ヶ所の砂礫質河原で植生調査を行い、河原固有植物の分布および外来植物の侵入の現状を把握した。調査した7ヶ所の河原の植生は種組成の類似度比率によって、上流側(5ヶ所)および下流側(2ヶ所)の2つのグループに分類された。上流側の植生がカワラハハコAnaphalis margaritacea (L.) Benth. et Hook. fil. subsp. yedoensis (Franch. et Savat.) Kitam.、カワラヨモギArtemisia capillaris Thunb.、カワラニガナIxeris tamagawaensis (Makino) Kitam.、カワラノギクなどの河原固有種で特徴づけられるのに対して、下流側には河原固有種がほとんどみられず、セイタカアワダチソウSolidago altissima L.などが優占していた。また、上流側では、外来牧草シナダレスズメガヤが高い出現頻度を示した。そのような植生の違いは、冠水頻度や基質タイプなどの環境要因では説明できず、周辺地域の土地利用や河川における位置の違いなどによるシードソースの差異やこれまでの植生変遷の経緯を介して植生の現状に違いをもたらしている可能性が示唆された。カワラハハコ、カワラニガナ、カワラノギクのシナダレスズメガヤとの共存度は低く、シナダレスズメガヤによるこれら河原植物の競争排除が示唆された。

 シナダレスズメガヤの侵入と河原の基質の砂質化がカワラノギクの生存、成長および開花におよぼす影響は、河原の何ヶ所かに播種した種子から出現する実生の運命を追跡する野外実験によって把握した。シナダレスズメガヤの侵入した場所や砂質の場所では、カワラノギクの実生の生存率、成長、開花株率のいずれもが著しく低く、シナダレスズメガヤは光要求性の大きいカワラノギクの実生を被陰することで成長を阻害し、死亡率を高め、開花を抑制することが示唆された。

 シナダレスズメガヤの生活史・生態特性にもとづく推移行列を用いた格子モデルを作成し、シナダレスズメガヤの個体群成長と分布拡大パターンをシミュレーションによって予測した。モデルに用いたパラメータは、河原を模倣した条件下で栽培した実生の相対成長率、河原における株サイズの分布とその年間推移、株サイズと生産種子量との関係、実生の出現時期、実生と成熟株の位置関係などの実測データにもとづいてその値や範囲を決めた。また、発芽実験によって把握された休眠・発芽特性から、この種は永続的土壌シードバンクをつくらないことを確認した。現在の状況を模倣した初期値を与えてシミュレーションを行ったところ、侵入初期には、毎年、占有面積がおよそ2.14倍、株数はおよそ2.22倍増加し、1-4年でモデル河原のほぼ全域がシナダレスズメガヤに覆われることが予測された。予測された増加率は、最近数年間に河原で観測された分布拡大速度とほぼ一致していた。

 1996年時点で河原固有の植生が残されていた4ヶ所の調査地において、1999年および2000年にベルトトランセクト法により植物種の出現頻度と基質タイプを調べ、1996年のデータと比較したところ、4ヶ所のうち2ヶ所の河原の半安定帯において、カワラノギクやカワラニガナの河原固有種の出現頻度の著しい減少が認められたのに対して、シナダレスズメガヤは砂質だけでなく礫質(沈み石)および礫質(浮き石)の基質でも増加していた。1996年にはカワラノギクの局所個体群が4ヶ所確認されていたが、2001年には3ヶ所となり、そのうち1ヶ所では株数がほぼ10万株から約110株へと著しく減少した。そのうち開花株は約50株にすぎなかった。砂質化とシナダレスズメガヤの侵入が河原固有植物の生育環境を著しく悪化させ、個体群の急激な衰退を引き起こしていることが示唆された。

 1998年の洪水前後に実施した植生調査からは、河原固有の植物種の出現頻度が激減する一方で、シナダレスズメガヤは高い出現頻度を維持することが示された。

 本研究では、鬼怒川中流域の砂礫質河原で進行する急激な植生変化の実態を明らかにし、豊富なデータにもとづいて外来牧草シナダレスズメガヤの侵入と河原の砂質化が河原に固有な植物の急激な衰退をもたらしていること、このまま推移すれば今後河原の草原化がいっそう進むことを予測した。外来牧草の蔓延を防ぐための緊急対策および砂質化の原因究明にもとづくより根本的な対策の必要性を強く示唆した本研究の成果は、鬼怒川中流域の砂礫質河原の植生回復を目的とする国土交通省の「自然再生事業」のきっかけともなった。一方、本研究で開発した侵入植物の分布拡大予測手法は、広く同じような目的の研究に応用することができる。本研究は、学術的にも社会的にも十分な成果をあげたということができる。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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