学位論文要旨



No 117159
著者(漢字) 金山,敦宏
著者(英字)
著者(カナ) カナヤマ,アツヒロ
標題(和) NFκB活性化に関するタウリンの阻害作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 117159
報告番号 甲17159
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2355号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 助教授 佐藤,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 タウリン(2-aminoethanesulfonic acid)は、ヒトをはじめとする動物の多くの組織において、最も多量に存在する遊離型のアミノ酸の一つである。タウリンが炎症を抑制するという報告は数多くされてきた。ハムスターやラットでNO2などによって誘導される肺炎がタウリンの経口投与で抑制される。タウリンを経口摂取したマウスでは、傷口のマスト細胞とヒスタミン量が抑制される。このような抗炎症効果は現象としては見い出されたが、どのようにしてタウリンが効果を発揮するかは不明であった。しかしこれらの現象から、タウリンは免疫系細胞の働きに何らかの重要な影響を及ぼすと筆者は推測した。

 タウリンは、好中球に多く存在することが報告されている。この細胞に特徴的な点は、貪食能を持ちmyeloperoxidase (MPO)を発現することである。好中球は細菌を取り囲むように変形し、貪食空胞を構築してその内に菌を捕らえる。続いてNADPHオキシダーゼが活性化され、過酸化水素が貪食空胞内で生成される。顆粒球から貪食空胞内に放出されるMPOを触媒とし、塩素イオンと過酸化水素から次亜塩素酸が貪食空胞内で生成される(H2O2-MPO-Cl-system)。次亜塩素酸は強力な酸化剤であり、細菌を死滅させる。しかし、次亜塩素酸が過剰に発生し細胞質内や核内に浸潤すると、宿主細胞のタンパク質やDNAを損傷する。タウリンは次亜塩素酸との反応性が高く、細胞質に入ってきた次亜塩素酸と反応してtaurine chloramine (TauCl)になることが知られている。TauClはクロラミンの中では例外的に安定で最も毒性が低く、タウリンは好中球内の酸化剤スカベンジャーであると言われている。しかし、この事実から動物における抗炎症作用を完全に説明することは難しい。筆者は、TauCl自身にも抗炎症作用があると推察した。

 Nuclear factor κ B (NFκB)は、炎症において極めて重要な転写因子である。それは、NFκBの標的遺伝子として炎症に関わる遺伝子が多数知られているからである。NFκBはInhibitory protein ofκB (IκB)と複合体を形成して細胞質に存在している。しかし、TNFαなどの刺激でIκBキナーゼ(IKK)が活性化され、IκBαのSer 32/36がリン酸化されると、ユビキチンープロテアソーム分解系が働いてIκBαは分解されNFκBから解離する。その結果NFκBは核内に移行できるようになり、NFκB binding siteに結合し標的遺伝子の転写が誘導される。筆者はNFκB活性化プロセスの要であるIκBαの分解に対するTauClの効果を検討した。

 2.TauClによるIκBα分解阻害とNFκB活性化阻害

 Jurkat細胞をtumor necrosis factor α(TNFα)で刺激するとIκBαは分解したが、TauClを前処理すると、IκBαのバンドのシフトがウエスタンブロットで観察された。そのバンドはTNFα刺激後も消滅せずに残った。しかも、プロテアソームの阻害剤(PSI)やリン酸化阻害剤pyrrolidine dithiocarbamate (PDTC)で処理した場合とは異なったバンドのパターンを示した。同時に、核内に移行するNFκBの経時的増加がTauClで細胞を前処理すると阻害されることがゲルシフトアッセイにより観察された。ルシフェラーゼのレポーターアッセイでは、細胞を前処理するTauClの濃度に依存して、TNFαに誘導されるNFκBに依存した転写活性化が抑制された。

 3.HL-60細胞と好中球におけるタウリンの機能

 MPOを発現している前骨髄球細胞HL-60を過酸化水素で処理すると、Jurkat細胞をTauClで処理した場合と同様のIκBαのシフトバンドが観察され、TNFαによるNFκBの核移行は阻害された。MPOの阻害剤である4-aminobenzoic hydrazide (ABAH)で前処理すると、IκBαのバンドはシフトせずにTNFα処理によって分解し、しかもNFκBの核移行は阻害されなかった。以上から、H2O2-MPO-Cl-systemによりTauClが細胞内で生合成され、それがNFκBの活性化を阻害する可能性が示唆された。細菌貪食によって開始されるIL-8の産生は、タウリン濃度を減少させたラットの好中球では経時的に上昇したが、タウリンを再び吸収させた細胞では、劇的に抑制された。しかもABAHでこの細胞を前処理すると、IL-8の産生は上昇した。よって、貪食刺激によって細胞内で合成されたTauClがNFκBに依存したIL-8の産生を抑制することが示唆された。

 4.TauClによるIκBαの修飾反応

 HL-60細胞を過酸化水素で処理してもJurkat細胞をTauClで処理した場合と同様にIκBαのシフトが観察されたことは、バンドのシフトがタウリンの炎症抑制効果のメカニズムを知る上で大変重要な指標であることを示唆している。そこで、このバンドのシフトの解析を試みた。TauCl処理によるIκBαのバンドのシフトは、TNFαに誘導されるIκBαのバンドのシフトと類似していたため、TauClがIκBαをリン酸化修飾をする可能性を検討した。FLAG-IκBα(S32/36A)をJurkat細胞に過剰発現させTauClで処理すると、FLAG-IκBα(S32/36A)のバンドはシフトした。また、Jurkat細胞をTauClで処理した後、細胞抽出液をアルカリフォスファターゼで処理しても、シフトしたバンドは元の位置に戻らなかった。Jurkat細胞の細胞質抽出液を煮沸した後TauClで処理しても、IκBαのバンドはTauClの濃度に依存してシフトした。以上の一連の実験から、TauClによるIκBαの修飾はリン酸化反応では無く、しかも酵素反応を介さないことが示唆された。

 TauClによるIκBαのシフトバンドの形成は、TauClがIκBα分子を直接的な化学反応で修飾しているためと推測された。そこでまずIκBαを免沈し、TauClで処理しウエスタンブロットを行ったところ、IκBαのバンドはシフトした。次に、Tau36Clおよび[14C]TauClを合成し、それぞれリコンビナントのIκBαとインキュベートした。これをSDS-PAGEで分画しイメージング解析を行うと、TauClの塩素がIκBαに結合しIκBαが塩素化されることが示唆された。TauClで処理したIκBαのアミノ酸分析ではTauCl処理でトリプトファンだけが劇的に減少していたので、全てのトリプトファン残基に点突然変異の入ったIκBαをHEK293細胞に発現させ、ウエスタンブロットで観察した。しかし意外にも、変異IκBαのバンドもコントロールと同様のシフトを示した。以上から、トリプトファン残基の修飾のバンドシフトヘの関与は否定された。

 5.IκBαのメチオニン残基の酸化反応

 筆者は、IκBαの部分欠失変異体を作成し、IκBαのバンドのシフトに必要な領域を探索するというアプローチを試みた。まず、IκBαの1番目から180番目のアミノ酸を含む欠失変異IκBα(IκBα(1-180))、および、IκBα(1-248)、IκBα(1-289)を合成した。これをTauClとインキュベートし、電気泳動したが、全ての変異体で野生型のIκBα(1-317)と同様にシフトが観察された。ところが、IκBα(43-180)はバンドのシフトが生じるのに対し、IκBα(67-180)はシフトが生じなかった。これを手がかりにTauClが反応する領域を段階的に狭めた結果、TauClによるIκBαの修飾アミノ酸残基は45番目のメチオニン(Met45)であることが示唆された。IκBαのE43からQ50までを含んだペプチド断片(AceEQMVKELQ)をTauClで処理し、修飾されたペプチド断片をMS分析すると、TauCl処理でIκBαMet45に相当するメチオニン残基がMetOに酸化されることが明らかとなった。次に、Met45の変異体をJurkat細胞にトランスフェクションし、IκBαの分解に対するTauClの影響を観察した。IκBαM45A(1-280)はTauClで細胞を前処理してもバンドがほとんどシフトせず、TNFαの刺激によって分解した。さらに、pME-IκBαをトランスフェクションしたJurkat細胞の場合には、NFκBに依存したルシフェラーゼの転写活性化がTauClで90%抑制されたのに対し、pME-IκBαM45Aでは、抑制率が70%まで低下した。これらの結果から、TauClがMet45を酸化しMetOに変換することで、IκBαがTNFαに誘導される分解に耐性を持つようになり、NFκBの活性化による転写が抑制されることが強く示唆された。

6.総括

 本研究では、好中球が貪食する時に合成されるTauClが、貪食刺激で活性化されることが知られているNFκBの活性化を抑制することを示した。そのメカニズムとして、TauClがIκBαM45を酸化することによりIκBαの分解性を低下させたことを明らかにした。しかし課題も多く残されている。TauClによって酸化されるIκBαのメチオニンを全て決定し、NFκB活性化の阻害に対する個々の関与の程度を検討するとともに、IκBαM45の酸化がなぜ分解耐性をもたらすのかを明らかにする必要がある。さらに好中球の細菌貪食の際にこのメカニズムがどの程度関与しているかを検討し、タウリンの抗炎症効果を解明することが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 タウリンは、古くから知られているアミノ酸であり、その生理機能は多岐に渡っている。しかし、免疫系細胞におけるタウリンの役割は現在のところまだ明確ではない。好中球に豊富に存在することが報告されているタウリンは、この細胞に特徴的なmyeloperoxidase (MPO)の働きで生じる次亜塩素酸と反応してtaurine chloramines (TauCl)となることが知られている。本論文は、このTauClの生理機能に焦点を当て、特に転写因子NFκBの活性化に対するタウリンの阻害効果の研究をまとめたもので、序論と総論を含め6章から構成されている。

 第1章序論で研究の背景と動機を述べた後、第2章でTauClにIκBα分解阻害とNFκB活性化阻害作用があることを示した。Jurkat細胞をTNFαで刺激するとIκBαは速やかにリン酸化され、分解されるが、TauClで細胞を前処理すると、IκBαの電気泳動のバンドがシフトし、そのバンドはTNFα刺激後も消滅せずに残ることが観察された。このバンドシフトのパターンは、プロテアソームの阻害剤(PSI)やリン酸化阻害剤pyrrolidine dithiocarbamate (PDTC)で細胞を処理した場合とは異なっていた。同時に、核内に移行するNFκBの経時的増加がTauCl処理により阻害されることがゲルシフトアッセイにより観察された。ルシフェラーゼを用いたレポーターアッセイでは、TauClの処理濃度に依存して、TNFαに誘導されるNFκB依存性の転写活性化が抑制された。

 TauClによるIκBα分解阻害とNFκB活性化阻害が明確になり、特にTauClによるIκBαのバンドのシフトという特徴的な現象を捉えたことを基盤にして、第3章では、HL-60細胞と好中球におけるタウリンの機能について論じている。MPOを発現しているHL-60を過酸化水素で処理すると、Jurkat細胞をTauClで処理した場合と同様のIκBαのシフトバンドが観察され、TNFαによるNFκBの核移行は阻害された。しかしMPO阻害剤で前処理すると、IκBαのバンドはシフトせずにTNFα処理によって分解し、しかもNFκBの核移行は阻害されなかった。以上から、MPOを持つ細胞ではTauClが細胞内で生合成され、それがNFκBの活性化を阻害する可能性が示された。細菌貪食によって誘導されるIL-8の産生は、タウリン濃度を減少させたラット好中球では経時的に上昇したが、タウリンを再吸収させた細胞では、劇的に抑制された。しかもMPO阻害剤でこの細胞を前処理すると、IL-8の産生は上昇した。よって、貪食刺激で細胞内で合成されたTauClがNFκBに依存したIL-8の産生を抑制することが示唆された。

 続く第4章ではTauClによるIκBαの修飾反応の解析を試みている。リン酸化部位に変異を導入したIκBα(S32/36A)のバンドもTauCl処理でシフトしたこと、アルカリフォスファターゼ処理してもシフトしたバンドは元に戻らなかったこと、煮沸処理によって酵素を失活させてからTauClで処理してもIκBαのバンドはシフトしたことから、TauClによるIκBαの酵素的修飾の可能性は否定された。Tau36Clを用いた解析から、IκBαの塩素化が示唆されたが、塩素化の標的となるTyr残基とTrp残基に点突然変異を導入したIκBαもTauCl処理でシフトを示したことから、塩素化のバンドシフトヘの関与は否定された。

 第5章では、IκBαのバンドシフトの原因を探るためにIκBαの部分欠失変異体を作成し、バンドのシフトに必要な領域を探索している。その結果、IκBα(43-180)ではバンドのシフトが生じるが、IκBα(67-180)ではシフトが生じないことを見出した。この知見をもとに各種の変異体を用いて解析を進め、TauClによるIκBαの修飾アミノ酸残基がMet45であることを突き止めるとともに、Met45を含むペプチド断片のMS分析からメチオニン残基の酸化がバンドシフトの原因であることを明らかにした。さらにMet45を変異体させたIκBαをJurkat細胞に導入した場合、変異体はTauClで細胞を前処理してもバンドがほとんどシフトせず、TNFαの刺激によって速やかに分解した。しかも、IκBα(M45A)を導入したJurkat細胞では、野生型のIκBαを導入した細胞に比べて、NFκBに依存した転写活性化のTauClによる抑制率が低下することが見出された。すなわち、TauClによってMet45が酸化されることで、IκBαがTNFαに誘導される分解に耐性を持つようになり、NFκBの活性化による転写が抑制されることが強く示唆された。なお第6章では、本研究を総括するとともに、研究の展望が述べられている。

 以上、本論文は、好中球が貪食する時に合成されるTauClが、貪食刺激等で活性化されることが知られているNFκBの活性化を抑制することが示し、そのメカニズムを細胞・分子レベルで詳細に明らかにしたもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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