学位論文要旨



No 117161
著者(漢字) 小林,宏行
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ヒロユキ
標題(和) 脳神経保護作用を有するアミノ酸類の構造と合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 117161
報告番号 甲17161
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2357号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

 脳卒中に代表される脳虚血疾患よって生じる神経障害は、脳虚血ストレスにより細胞外に過剰に放出されたグルタミン酸により惹起される興奮毒性によるものと考えられている。このグルタミン酸毒性は、脳内のグルタミン酸レセプターを介したCa2+イオンの細胞内流入により発現するため、グルタミン酸レセプターのアンタゴニストは、脳虚血疾患を治療しうる薬剤として期待される。特に、このグルタミン酸レセプターの一種であるAMPA/カイニン酸型レセプターのアンタゴニストとして見いだされたQuinoxalinedione系化合物NBQXは、スナネズミ脳虚血モデルにおいて、虚血負荷後の投与によっても神経細胞死が抑制されることが報告され、その臨床応用への研究が現在精力的に行われている。

 そこで著者は、AMPA/カイニン酸型レセプターのアンタゴニストを微生物の二次代謝産物中から見いだすことを目的とし、AMPA/カイニン酸レセプターを多く発現しているニワトリ胚初代終脳神経細胞を用いたスクリーニング系によりAMPA/カイニン酸型レセプターアンタゴニストの探索を行った。

1)Neuroprotectin A、Bの単離および生物活性

 スクリーニングの結果、放線菌Streptomyces sp. Q27107株より新規Complestatin誘導体であるNeuroprotectin AおよびBを発見した。ニワトリ胚初代終脳神経細胞に対してNeuroprotectin AおよびBの活性を評価したところ、既知のアンタゴニストであるNBQXより約10倍強い活性を示した。また、Neuroprotectin Aは神経細胞死を抑制する濃度では抗酸化作用が認められないため、本化合物の神経保護作用は抗酸化作用に基づいているものではないことが判明した。さらに、各種グルタミン酸レセプターに対してreceptor binding assayを行ったところ、Neuroprotectin Aは各種グルタミン酸レセプターに対する親和性が認められなかった。これらの結果より、Neuroprotectin Aは興奮性のアミノ酸に対して未だ解明されていない経路で神経細胞を保護していることが示唆された。

2)Kaitocephalinの絶対立体配置の決定

 Kaitocephalinは1997年に同スクリーニング系により、カビEupenicillium shearii PF1191株より単離された新規化合物であり、細胞毒性を示すことなく、従来のアンタゴニストと同様、あるいはそれ以上の強い活性でグルタミン酸毒性を抑制する。本化合物はAMPA/カイニン酸型レセプターおよびNMDA型レセプターに対しアンタゴニストとして作用し、in vitroの実験ではグルタミン酸曝露後でも有効であることが判明している。

 このように、Kaitocephalinは強力な神経保護効果を示すが、微生物による生産量が非常に少なく、現在ではほとんど生産されていない。そこで、本化合物の全合成が望まれているが、全合成をするためには絶対立体配置の決定が必須である。また、Kaitocephalinの立体異性体や様々な誘導体を合成し、それらの化合物の活性を評価することにより、Kaitocephalinの構造活性相関の解析が可能になる。このような背景のもと、本化合物の絶対立体配置の決定を行った。

 まず、Kaitocephalinから二環性の化合物2を誘導し、この2に対して各種NMRを測定した。NOEおよび3JHH、3JCHを解析することにより相対立体配置を決定し、さらに2のMTPA ester 3に対し改良Mosher法を適用することによりKaitocephalinの絶対立体構造を1aのように決定した。

 このようにしてKaitocephalinの絶対立体配置を決定したことから、当研究室ではL-prolineから得られる光学活性なラクトン4からニトロン5を経て、1aの全合成が行われた。しかしながら、1H-NMRとHPLCの保持時間が天然物とは一致しなかった。また、同ニトロン5から9位のエピマーである1bも合成されたが、これも天然物とは一致しなかった。合成された1aおよび1bと天然物の1H-NMRを比較すると、特に2位と3位のメチンプロトンが天然物ではシングレットに観測されるのに対し、合成した1aおよび1bでは4.3Hzおよび5.5Hzのダブレットに観測されたことから、先に決定した絶対立体配置のうち、2位ないし3位に誤りがあることが示唆された。

 そこで著者は、この2位と3位の立体の精査と、後の誘導体活性試験への供与のために1aの左側鎖が欠落した化合物6aとその2位のエピマー6bおよび3位のエピマー6cを合成し、その2位と3位のメチンプロトンの化学シフトと結合定数を比較したところ、2位のエピマーである6bが天然物と類似していることがわかった。

 さらに、この6aおよび6bに対して、天然物から二環性の化合物2を誘導したのと同様にBoc化およびメチル化を行い、二環性の化合物を調製したところ、6aおよび6bから同じ立体を有する化合物7が得られた。また、6bのモノBoc体に対してトリメチルシリルジアゾメタンによるメチル化を重メタノール中で行うと、カルボニルのα位が重水素化された化合物が得られたことから、このメチル化の際に異性化が起こり、7が得られることが判明した。これらのことから、天然物の絶対立体配置は6bと同じ立体(2R,3S)であることが示唆された。これを指標にして2R,3S体の合成が行われた結果、1H-NMRとHPLCの保持時間が一致し、更に旋光度の符号も一致した。これにより、最終的にkaitocephalinの絶対立体配置は2R,3S,4R,7R,9Sであると確定した。

3)Kaitocephalin誘導体の合成と活性評価

 以上のようにして、Kaitocephalinの絶対立体配置を決定したので、次に本化合物の活性部位を解明するために、各種誘導体に対する活性の評価を行った。まず、Kaitocephalinの右末端のグリシン部位が欠落した化合物8を合成し、先に合成された天然物の2位のエピマーである1aおよび左側鎖が欠落した化合物6bと共にラット海馬神経細胞に対して活性の評価を行った。

 その結果、1aは天然物より弱いながらも活性は認められたが、8や6bには活性が認められなかった。8に活性が認められないことから、右末端のアミノ酸部位は活性に必須であり、さらに1aが弱い活性であることから、2位の立体も天然物であるR体の方が強いことが判明した。また、6bに活性がないことから、左側鎖も活性発現には重要であることが明らかとなった。そこで、現在は左側鎖の一部をもたない9、10および9位のエピマー11を合成し、これらの化合物の活性の評価をすることにより、どの部位が活性発現に必要かをより詳細に解明する予定である。さらに、活性に関与しない部位が明らかとなれば、その部位にビオチンと結合させた化合物を合成し、その化合物を用いて未知のグルタミン酸レセプター複合蛋白質の探索に役立てたいと考えている。

論文

1) Hiroyuki Kobayashi, Kazuo Shin-ya, Koji Nagai, Ken-ichi Suzuki, Yoichi Hayakawa, Haruo Seto, Bong-sik Yun, In-ja Ryoo, Chang-Jin Kim and Ick-dong Yoo Journal of Antibiotics, 2002, in press.

2) Hiroyuki Kobayashi, Kazuo Shin-ya, Kazuo Furihata, Yoichi Hayakawa, Haruo Seto Tetradedron Letters, 2001, 42, 4021.

3) Masayuki Okue, Hiroyuki Kobayashi, Kazuo Shin-ya, Kazuo Furihata, Yoichi Hayakawa, Haruo Seto, Hidenori Watanabe and Takeshi Kitahara ibid., 2002, in press.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、脳神経保護作用物質についての有機化学的研究に関するもので四章から成る。

 生理活性物質の研究上基盤となる有機化学の立場から生物機能の解明に貢献するという観点で、筆者は脳虚血により生じる神経細胞死を抑制する生理活性物質についての研究を行った。

 第一章では脳虚血により生じるグルタミン酸の興奮毒性を抑制する新規な脳神経保護物質の単離、精製、構造決定とそれらの活性について研究した結果について述べている。脳卒中として知られている脳虚血の状態に陥ると、細胞外にグルタミン酸が放出され、グルタミン酸受容体と結合し、神経細胞死を誘発する。このグルタミン酸受容体に拮抗的作用を有する薬剤は、この神経細胞死を抑制する効果を示すと考えられる。こうした観点から、グルタミン酸受容体拮抗物質の探索を行った。その結果、抗捕体活性および抗HIV活性を有する化合物であるComplestatinとその新規類縁体であるNeuroprotectin AおよびBを発見し、その構造と生物活性について解析した。

放線菌Streptomyces sp. Q27107の培養液から、ComplestatinとともにNeuroprotectin AおよびBを単離し、各種NMRスペクトルの解析により構造決定を行った。これらの化合物はニワトリ胚初代終脳神経細胞に対して既知の拮抗薬であるDNQXより約10倍強い活性を示した。しかしながら、これらの化合物はグルタミン酸受容体に対しての結合能は顕著ではなく、また活性酸素の発生を抑制するものではなかった。従って、その作用機序は未だ解明されていない経路で神経細胞死を抑制していると考えられる。

 第二、三章では前章と同じ生理活性を有する化合物として既に単離されている化合物Kaitocephalinの立体配置の決定について述べている。

 Kaitocephalinは生物活性試験の結果、グルタミン酸毒性に対して非常に強力な細胞保護効果を有することが判明している。しかしながら、本化合物の微生物による生産量は非常に少なく、現在ではほとんど生産されなくなっている。本化合物の生物活性をより詳細に解明するためには、本化合物の大量供給が必須であるため、全合成による供給が望まれている。そこで、本化合物の全合成を行うのに先立ち、絶対立体配置の決定を行った。

 第二章ではKaitocephalinを誘導体化し、それに対して各種NMRスペクトルを解析することにより、Kaitocephalinの絶対立体配置を決定した経緯について述べている。

 第三章では、前章において提唱したKaitocephalinの絶対立体配置に誤りがあることが全合成により判明したため、その誤りを合成化学的に証明し、最終的に正しい絶対立体配置を決定した結果について述べている。

 第四章では、Kaitocephalinの構造活性相関の解析を行った結果について述べている。

 本化合物の活性発現部位を解明することにより、活性発現に必要な最小限の骨格を有する化合物を指標にして、人体に対して有用な高活性の化合物の探索が可能となる。そこで、まずKaitocephalinの左側鎖が欠落した化合物、右末端のアミノ酸部位が欠落した化合物およびKaitocephalinの2種類の立体異性体について活性の評価を行った。それにより、Kaitocephalinの2種類異性体は天然物より弱い活性であり、Kaitocephalinの左側鎖が欠落した化合物および右末端のアミノ酸部位が欠落した化合物には活性が認められないことがわかった。さらに、Kaitocephalinの左側鎖の一部をもたない化合物の合成を検討中であり、これらの活性を評価することにより、更なる構造活性相関の解明を目指している。

 以上本論文は、脳神経保護作用物質に関して、単離、構造決定、活性、類縁体合成とその生物活性評価と極めて広範な有機化学的アプローチで研究を行った成果をまとめたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものであると認めた。

UTokyo Repositoryリンク