学位論文要旨



No 117165
著者(漢字) 福田,あかり
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,アカリ
標題(和) イネ篩管glutathione S-transferaseの同定およびタンパク質の篩管への移行
標題(洋)
報告番号 117165
報告番号 甲17165
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2361号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

 高等植物の篩管は、糖やアミノ酸などの代謝産物や、情報伝達物質の長距離輸送経路である。篩管は篩部要素と呼ばれる細長い細胞の連なりによって構成される。篩部要素は、輸送経路として特殊化した細胞であり、その分化過程で核、液胞、ゴルジ体、リボソームなどの多くの細胞内小器官を失う。そのため、篩部要素自身はタンパク質合成能力を持たないと考えられる。しかし、篩部要素の機能発現には多くのタンパク質が必要であるため、篩部要素は隣接する伴細胞内で合成されたタンパク質を原形質連絡を介して受け取るというモデルが考えられる。このモデルは、篩部要素−伴細胞間に密な原形質連絡が観察されること、篩管液に多種のタンパク質が検出され、これらが新規に合成されること、篩管液タンパク質が細胞間移行能力を持つこと、篩管液タンパク質をコードする遺伝子の発現部位が伴細胞であること、によって支持されている。本論文は、より多くの篩管液タンパク質を同定し、また、これらを含む篩管液タンパク質組成に伴細胞におけるタンパク質合成が重要であることを明らかにしたものである。

 イネは、インセクトレーザー法により純粋な篩管液を採取することが可能であり、篩管内タンパク質の同定を行うことができる。イネ篩管液中には、100種を越えるタンパク質の存在が、2次元電気泳動解析から知られているが、その遺伝子配列の決定や、生理活性の検定が報告されたものは、thioredoxin h (TRXh)のみであった。本研究では、このイネ篩管液中のタンパク質のうち、存在量の多い3種のタンパク質について、これをコードする遺伝子の特定を行った。さらに、そのうちのひとつ、glutathione S-transferaseについて、in vitroでの活性検定や、植物体内におけるタンパク質の局在場所の確認を行った。

 また、篩管タンパク質の合成部位は、伴細胞であるとされているが、伴細胞での遺伝子発現と篩管液タンパク質濃度の関連を調べた研究はまだない。本研究では、形質転換により伴細胞内での遺伝子発現を制御し、篩管液中タンパク質の濃度を調節することができるか検証した。また、伴細胞から篩部要素へのタンパク質の移行は、外来のタンパク質でも篩管タンパク質と同じように起こるのか、あるいは移動量に差が生じるのかに関しても、今まで知られていなかった。外来タンパク質を発現する形質転換イネから篩管液を採取すれば、篩管中のタンパク質の有無や、タンパク質濃度の解析が可能である。本研究では、この方法を用いて、篩管タンパク質と外来タンパク質の篩部要素への移行能力の差について解析を行った。

1.イネ篩管液タンパク質の同定

1-1.篩管液タンパク質をコードする遺伝子の決定

 イネ篩管液中タンパク質を2次元電気泳法により分離し、タンパク質の部分アミノ酸配列の解析をプロテインシークエンサーにより行った。その結果、23 kDa、31 kDa、および36 kDaの3種のタンパク質の部分配列が明らかとなり、これをコードするcDNAがイネ遺伝子データベース上に見出された。既存のタンパク質との相同性検索の結果、これら3種のタンパク質は、それぞれ、植物heat shock protein、植物glutathione S-transferase(GST)、イネ塩ストレス誘導性タンパク質との相同性を示した。

1-2.イネ篩管液glutathione S-transferase(GST)の解析

 同定を行ったイネ篩管液タンパク質のうち、GSTと相同性を持つ31 kDaタンパク質(RPP31; rice phloem protein of 31 kDa)に注目し、その活性検定や、植物体内における存在部位の解析を進めた。GSTは、種々の疎水性求電子化合物と、トリペプチドのグルタチオン(γ-Glu-Cys-Gly; GSH)との抱合を触媒する酵素である。植物GSTは、そのアミノ酸配列とイントロン/エキソンの構造から、type I、type II、type IIIの3種に分類される。RPP31のアミノ酸配列は、typeI GSTと最も高い相同性を示し、また、予想されるイントロン/エキソンの構造もtypeIのものと一致した。このことから、RPP31は、type IのGSTに属するものと考えられた。

 大腸菌内でRPP31を合成し、そのGST活性測定を、一般的なGST基質である1-chloro-2,4-dinitrobenzenを用いて行った結果、RPP31がGST活性を持つことが示された。また、イネ篩管液中からもGST活性が検出され、RPP31が篩管内部で活性を持つGSTであることが示唆された。

 次に、抗RPP31抗体を用い、RPP31のイネ植物体内における存在量を調べた結果、葉の抽出液と篩管液中からRPP31タンパク質が検出され、特に篩管液中には、総可溶性タンパク質の1%以上の濃度でRPP31が存在することがわかった。一方、根抽出液からはRPP31タンパク質は検出されなかった。このことは、RPP31が地上部に特異的なGSTであることを示している。さらに、イネの葉鞘切片を用いて、細胞レベルでのRPP31の存在部位を、免疫染色法を用いて調べた。その結果、RPP31は、成熟葉大維管束と小維管束の篩部(篩部要素−伴細胞複合体)、さらに未熟葉の原生篩部で検出され、葉の成長段階にかかわらず、RPP31が篩部に局在していることが示された。

 トウモロコシなどの植物においてGSTは、除草剤処理により発現が誘導され、その解毒を行うことが知られている。しかし今回見つかったRPP31は、イネ除草剤のプレチラクロールや、その薬害軽減剤のフェンクロリン処理に対してはタンパク質濃度が変化しなかった。従ってRPP31は外来の薬剤に対し発現誘導が起こらないタイプのGSTであることが推察された。

 こうした恒常的に発現するGSTの機能として、酸化障害からの細胞の防御が考えられる。GSTは、脂質の酸化で生じたアルケンなどの毒性化合物を、GSHとの抱合により解毒する。細胞内小器官をほとんど持たない篩部要素においては、GSTが酸化ダメージの回復に貢献している可能性がある。また、動物GSTの一部は、ステロイド等の疎水性化合物のキャリアーとなり、その細胞内輸送を助けることから、植物の篩管内においても、GSTが膜成分や植物ホルモンなどの疎水性化合物を可溶化し、輸送しやすい形としていることが考えられる。今後こうした篩部で恒常的に発現するRPP31の解析が、植物の内在GSTの機能の理解に役立つと考えられる。

2.形質転換によるイネ篩管液タンパク質の濃度変化および外来タンパク質の篩管への導入

2-1イネ篩管液タンパク質の濃度調節

 伴細胞における遺伝子発現が、篩部要素内のタンパク質存在量に影響を及ぼすか明らかにするため、イネ成熟葉伴細胞で発現を誘導するTRXhプロモーター(PTRXh)下流に篩管液タンパク質oryzacystatin I(OC-I)あるいはTRXhのcDNAを繋ぎ、このキメラ遺伝子を導入した形質転換体イネを作成した。その結果、PTRXh-sense OC-I形質転換イネで篩管液中OC-I濃度の増加が、またPTRXh-antisense OC-I形質転換イネで篩管液中OC-I濃度の減少が確認された。さらに、PTRXh-antisense TRXh形質転換イネで、篩管液中TRXh濃度の減少が確認された。以上の実験により、伴細胞内の遺伝子発現を変化させることで、篩管液中の特定のタンパク質濃度を変動させることが可能であることが示された。これらの結果は、伴細胞内で合成されたタンパク質が、篩部要素内へ移行するというモデルをより強固にするものである。

2-2.篩部要素へのタンパク質の移行能力の解析

 次に、本来篩管内には存在しない外来のタンパク質についても、伴細胞から篩部要素へ移動が可能であるか調べるため、PTRXh下流に外来タンパク質のβ-glucuronidase(GUS, 分子量68kDa)、あるいはgreen fluorescent protein(GFP, 分子量27kDa)遺伝子を繋ぎ、これらのキメラ遺伝子を導入した形質転換イネを作成した。PTRXh-GUS形質転換イネの葉身切片でGUSタンパク質の存在場所を確認したところ、伴細胞に強いGUS活性が観察された。また、篩部要素内にも、GUS活性が確認された。さらに、この形質転換イネ篩管液中からもGUSタンパク質が検出された。また、PTRXh-GFP形質転換イネについても、蛍光顕微鏡で葉身切片の観察を行った結果、伴細胞に強いGFPの蛍光が観察され、さらに、篩管液中からGFPが検出された。この結果は、本来篩管内にはない外来タンパク質であるGUSやGFPも、伴細胞から篩部要素へ原形質連絡を通過して移動することが可能であることを示している。

 さらに外来タンパク質のGFPと、篩管液タンパク質であるTRXhやRPP31とでは、伴細胞から篩部要素内への移動程度に差があるか、篩管液のタンパク質濃度と、葉鞘全体の抽出液中のタンパク質濃度を測定することで比較を試みた。その結果、PTRXh-GFP形質転換イネでは、葉鞘全体におけるGFP濃度に対して、篩管液中のGFP濃度が、TRXhやRPP31に比べて有意に低いことがわかった。葉の切片において、GFPは伴細胞に多く存在することが確認されることから、これは、GFPが篩部要素内へ輸送されにくく、伴細胞内に多く蓄積していることを示している。

 この結果は、伴細胞内で合成されたタンパク質が、みな同様に篩部要素内へ輸送されるのではなく、篩部要素内で必要とされるタンパク質が、優先的に取り込まれている可能性を示している。GFP(27 kDa)とRPP31(31 kDa)は、分子量では大きな差はないもの、RPP31のほうが、篩管内部での存在比が多いことは、篩部要素内への移動しやすさが分子量以外の要因によることを示している。今後より多くの篩管内タンパク質の構造解析がこうした細胞間移行に必要な要因の解明につながると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 高等植物の篩管は、糖やアミノ酸などの代謝産物、りん酸・イオウ化合物、微量栄養素、さらには情報伝達物質などの長距離輸送経路であり、成長・生産を制御している。篩管は輸送経路として特殊化した細胞であり、それ自身はタンパク質合成能力を持たない。しかし篩管の機能発現には多くのタンパク質が必要であるため、篩部に隣接する伴細胞内で合成されたタンパク質を原形質連絡を介して受け取ると考えられる。本論文は、篩管液に多く含まれたタンパク質3つを新しく同定し、また、これらを含むタンパク質が伴細胞において合成され篩管に移行されることを明らかにしたものである。

 第1章で、これまで報告された数少ない篩管液タンパク質について、それらの採取法、同定、生理活性など、本研究の背景と目的を述べている。第2章では、イネ篩管液に含まれた23 kDa、31 kDa、および36 kDaの3種の部分アミノ酸配列を解析し、イネ遺伝子データベースから、これらの遺伝子の決定をおこなった。既存のタンパク質との相同性検索の結果、これら3種のタンパク質は、それぞれ、植物heat shock protein、植物glutathione S-transferase(GST)、イネ塩ストレス誘導性タンパク質との相同性を示した。

 第3章では同定を行ったイネ篩管液タンパク質のうち、GSTと相同性を持つ31 kDaタンパク質(RPP31)に注目し、その活性検定や、植物体内における存在部位の解析を進めた。RPP31のアミノ酸配列は、GST typeIと最も高い相同性を示し、また、予想されるイントロン/エキソンの構造もtypeIのものと一致した。大腸菌で合成したRPP31は、GST基質1-chloro-2, 4-dinitrobenzenに対し活性があった。また、イネ篩管液中からもGST活性が検出された。次に、抗RPP31抗体を用い、イネ植物体内におけるRPP31の存在量を調べた結果、葉の抽出液と篩管液(総可溶性タンパク質の1%以上の濃度)で検出したが、根抽出液からは検出されなかった。さらに、イネの葉鞘切片を用いて、細胞レベルでのRPP31の存在部位を、免疫染色法を用いて調べた結果、RPP31は、成熟葉大維管束と小維管束の篩部(篩部要素−伴細胞複合体)、さらに未熟葉の原生篩部で検出され、葉の成長段階にかかわらず、RPP31が篩部に局在していることが示された。こうした恒常的に発現するGSTの機能として、酸化障害からの細胞の防御が考えられた。

 第4章ではイネ成熟葉伴細胞で発現を誘導するTRXhプロモーター(PTRXh)下流に篩管液タンパク質oryzacystatin I (OC-I)あるいはTRXhのcDNAを繋ぎ、このキメラ遺伝子を導入した形質転換体イネを作成した。この実験により、伴細胞内の遺伝子発現を変化させることで、篩管液中の特定のタンパク質濃度を変動させることが可能であることが示された。次に、本来篩管内には存在しない外来のタンパク質についても、伴細胞から篩部要素へ移動が可能であるか調べるため、外来タンパク質のβ-glucuronidase(GUS, 分子量68 kDa)、あるいはgreen fluorescent protein (GFP, 分子量27 kDa)遺伝子をPTRXh下流に繋ぎ、これらのキメラ遺伝子を導入した形質転換イネを作成した。GUSとGFPタンパク質は伴細胞と篩管液中から検出された。しかしPTRXh-GFP形質転換イネでは、葉鞘全体におけるGFP濃度に対して、篩管液中のGFP濃度が、TRXhやRPP31に比べて有意に低いことがわかった。この結果は、伴細胞内で合成されたタンパク質が、みな同様に篩部要素内へ輸送されるのではなく、篩部要素内で必要とされるタンパク質が、優先的に取り込まれている可能性を示していた。第5章では本研究での新しい知見について総合考察をおこなっている。

 以上本論文は、イネ篩管液から新たに3種のタンパク質を同定し、glutathione S-transferaseについては生理活性と植物組織局在性などの解析を行なった。さらに伴細胞で生成されたタンパク質の原形質連絡を介しての篩管への移行の制御について新しい知見とコンセプトを得ている。これらの研究成果は、植物篩管におけるタンパク質の機能と移行について、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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