学位論文要旨



No 117168
著者(漢字) 吉村,妙子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,タエコ
標題(和) 里山の持続的活用に関する地域社会学的及び森林経理学的研究
標題(洋)
報告番号 117168
報告番号 甲17168
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2364号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 下村,彰男
 日本大学生物資源学部 教授 木平,勇吉
 東京大学 助教授 白石,則彦
 東京大学 助教授 井上,真
内容要旨 要旨を表示する

 人里近くに存在し長期にわたって生産・生活と結びついて利用されてきた森林、あるいは集落、農耕地、河川、溜池なども含めたまとまった範囲である里山は、高度経済成長等の社会経済状況の激変により人々の暮らしとのかかわりを絶たれその多くが放置、放棄されている。一方、近年になり生物の生息地、都市住民にとっての緑地、レクリエーションの場等として里山への関心が高まってきている。このような状況下、研究サイドにおいても様々な視点からの成果がみられるものの、これまでの里山に関する研究は地域区分やミクロな生態系等、里山を分解し特定分野に限定した議論に偏る傾向があり、現代の社会状況に即して里山本来の「関係性」「総合性」を問う研究が不足している。そこで本研究では、社会的な側面から里山に関わる多様な主体の連接を把握し、森林経理的側面から里山の時間的・空間的秩序の形成のあり方を検討することにより、関係性および総合性を実現しうる里山活用のあり方を方向付け、提示することを目的とする。研究の進め方は、(1)これまでの里山の概念を整理し、本研究における里山の概念を提示し、(2)市民による里山活用の動向を新たな里山活用主体であり、また多様な主体をつなぐネットワーカーであるとして着目、全体的な動向を統計データ等により、個別的な動向をアンケート・インタビューを中心とした事例研究により把握し、(3)持続的な里山活用を可能にるす時間的・空間的秩序づけに向け、里山の土地利用等客観的データと社会的状況のデータの総合的な把握を事例研究によって試み、(4)社会的側面と時間的・空間的側面とを統合した里山活用の方向性を検討する。

 第1章においては里山の状況および里山を対象とした既往研究の成果を概観し,里山活用にむけて地域社会学的視点および森林経理学的視点からの総合的な研究が必要であることを示し、本研究の意義を明確化した。なお、ここで引用する地域社会学的視点とは、都市・農村問題の変容を地域社会の問題としてとらえなおす必要性、空間的地域が不明確化した現在においても観念的地域が存在すること、地域において活動する市民団体が地域を結びつける役割を持っていること、を示している。また森林経理学的視点とは生態や環境といった非経済的価値も森林において不可分なものであるとし、非経済的側面にまで拡張して「持続的な森林経営」をめざすものである。

 第2章では、議論されることの多い里山の定義について既往の定義を類似概念も含めて整理した結果、類似概念も含めておおむね機構的定義と地理的定義に大きく分かれており、類似概念に比較して里山はより機構的な面が強調されていることが分かった。その上で本研究においては(1)生産・生活と物的基盤とが予定調和した旧来の里山、(2)生産・生活と物的基盤が分断した現在の里山、(3)現代地域社会と物的基盤とが新たに統合しなおされた将来の里山、を想定することとした。

 第3章では、活動が活発化し地域社会集団の連接の契機になっている市民による里山活用団体に着目し、環境庁「里山における保護・ふれあい活動団体」リストをもとに都道府県別の数値を求め全国的な動向把握を試みた。また里山の非経済的価値が認識されているなかで行政が関わる場面が多くなっていると思われるため、都道府県による施策状況をアンケートにより明らかにした。なお市民による里山活用団体、都道府県いずれの状況についても人口や森林等社会的、自然的状況と関連づけて分析した。

 「里山における保護・ふれあい活動団体」の都道府県別団体数は人口や都市化の程度に関する値との間に正の相関が、森林・林業地域の度合いを示す値との間に負の相関がみられたことから、このような活動は都市化の進行にともない活発化しているといえよう。また人口に関する値との間の相関のほうが森林・自然条件に関する値との相関に比べかなり高く、このような活動は自然条件よりも社会条件に規定されていることが分かる。更に、活動内容の一つである「自然の管理・復元活動」の実施状況と社会的・自然的状況との間には相関がみられなかったことから、自然的条件と活動内容とは結びついていないといえる。

 続いて行政による里山活用施策の現状を尋ねるアンケートを実施した結果、里山を対象とした個別の事業は広く実施されているが、里山という枠組みでの計画など総合的な施策はまだあまりなされていないことが分かった。事業内容では、都市化が進行した地域では林地を確保する事業が特徴的であったが、普及啓発や環境教育に関しては社会的・自然的条件にかかわらず実施されていた。

 都道府県をサンプルとして「里山における保護・ふれあい活動団体」団体数、施策状況、社会的・自然的条件を変数として因子分析を行い2つの因子を求めた結果、第1因子の持つ意味は「都市的地域−農山村的地域」を、第2因子の持つ意味は「里山に対する働きかけの程度」であると考えられた。関東地方南部の都県での都市化と里山保全活動・事業実施の進行が目立つが、それ以外には自然的・社会的条件と里山保全活動・事業実施状況が地域的特徴をそれほど示しておらず、自然的・社会的条件のほかに都道府県に固有の条件があることが示唆された。

 第4章では、大阪府南河内郡河南町で活動する市民による里山活用団体「里山倶楽部」および活動フィールドの持尾集落を対象に、団体の活動実態および土地利用変化について考察した。「里山倶楽部」を対象とする部分では、活動の内容と参加者らの意識をインタビューおよびアンケートによって明らかにし、里山活用における市民参加の実態と今後の発展方向を検討した。また持尾集落を対象とする部分では、1963年、1973年、1999年の3時点の空中写真判読により土地利用図を作成し、資料および聞き取り調査により集落の農林業、生活、集落社会の変化を明らかにし、また里山の変遷を土地利用変化という事実および社会的な意味との両面から把握することを試みた。

 「里山倶楽部」に関する部分では、会員の多様性、森林・林業に対する意識や関心の高さだけでなく多様な人々との出会いや日常では得られない達成感・満足感への要求の高さが明らかになり、このような活動の活発化は林業のなかでの位置付けの検討にとどめず、農林業や自然に対する認識の変化、ボランタリーな社会参加の活発化、都市生活の見直しなど、より広く複合的な動きとしてとらえるべきだと考えられた。

 持尾集落を対象とする部分では、まず聞き取りおよび統計データから1945年以降現在までを生活・生産・社会状況の変遷によって次の4時期に区分することができた。

 第1期:〜1955年頃 伝統的集落社会による自給的農業や薪炭生産

 第2期:1955〜1970年頃 伝統的集落社会の性格が残るが農林業・生活が近代化

 第3期:1970〜1985年頃 農林業の地位低下・兼業化の進行、協働の衰退

 第4期:1985年〜 農林業の更なる低迷、生活の個人化、新たな社会関係発生

 続いて土地利用変化の把握であるが、土地利用図から10mメッシュのラスターデータに変換し土地利用属性を持ったポイントデータを得て、各ポイントにおける3時点の属性変化を分析した。3時点を通して大幅に増加したのはスギ・ヒノキ人工林で、減少したのは広葉樹林、耕作地、造林地・新植地、荒地・草地等であった。樹園地は1963〜1973年にかけて増加、1973〜1999年にかけて減少した。宅地・構造物等は1973〜1999年にかけての増加が著しかった。更にさきの時期区分により各時点における各土地利用属性を、集落の農林業生産活動にとっての重要度から3段階に、その属性の土地への働きかけが協働によるもの個別的なものかという視点から2段階に区分しポイント数をカウントした。その結果、生産・生活における重要度は3時点を通じて低下、とくに最初の2時点間で重要度が高いと思われる土地利用が全くなくなった。集落社会の働きかけの形態であるが、最初の2時点間に結束した協働から個別へと大きく変化したと思われる。働きかけの頻度だけでなく形態の変化により里山に対する住民の意識も変化し、また世代間での認識の違いが生じていると考えられる。

 第5章では,霞ヶ浦流域で実施されている市民参加の公共事業「アサザプロジェクト」を対象に、プロジェクトに参加する様々な主体の特徴の把握、市民団体「NPO法人アサザ基金」を中心とした主体間の連接、「一日きこり」ボランティア活動参加者の意識と役割を明らかにし多様な主体による里山活用システム構築の方向性を示した。またアサザ保全のための粗朶消波工の材料である粗朶の生産を行った里山林、「一日きこり」実施里山林、茨城県による平地林保全整備事業対象平地林の森林価を算出、比較し持続的な里山管理を実現するための条件を考察した。なお「一日きこり」実施里山林にかかる費用は参加者の投入時間の貨幣評価額とした。

 参加主体の特徴として、「NPO法人アサザ基金」の活動対象と連携に対する考え方の開放性がみられた。また「NPO法人アサザ基金」およびこの団体から派生した「(有)霞ヶ浦粗朶組合」が各主体をつなぐ役割を果たしていることが明らかになった。また「一日きこり」参加者は霞ヶ浦浄化や流域森林環境への関心と同時に参加者同士の交流や自然体験としてこの活動をとらえ、リピート意識も高かった。

 森林価算出の結果、費用・貨幣評価額は「一日きこり」が最も高く、粗朶生産、平地林保全整備事業の順に低くなった。「一日きこり」の森林価の高さは森林の非経済的価値の評価の高さを示すと考えられた。粗朶生産地の森林価は5年という輪伐期から還元された値だということに意味があるが、価格競争のなかで5年の輪伐期を保ち持続的な経営を実現する困難さもあると思われる。

 第6章では第3章〜第5章をふまえて総合的な考察を行い、市民による里山活用が里山を媒介に多様な主体・対象を結んでいること、多様な主体と里山空間との構造が予定調和しない現在、里山の空間的・時間的秩序を社会構造と関連付けて計画する必要があることを指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

 里山は社会経済状況の激変により多くが放置、放棄されている一方で、近年様々な方面から関心が向けられ、里山本来の「関係性」と「総合性」を問う研究が求められている。本論文では、そのような観点から、里山の時間的・空間的秩序と社会的側面からの検討と総合的な里山活用のあり方が考究されている。研究の方法と資料は、(1)市民による活動への着目、(2)里山の時間的・空間的秩序づけに向けた土地利用・自然状況のデータと、社会的状況のデータの総合的な把握、(3)全体的動向は統計データ等であり、個別動向に関してはアンケート・インタビューを中心とする事例研究という形をとっている。

 第1章では、本研究の背景、目的、方法を記述し、地域社会学的視点および森林経理学的視点からの総合的な研究の必要性と、本研究の意義が述べられている。

 第2章では、既往の里山の定義を整理し機構的定義と地理的定義を示した上で、本研究に際して、新たに「現代地域社会と物的基盤とが新たに統合された将来の里山」という概念を提起している。

 第3章では、里山活用の全国的動向を、市民による里山活用については環境省「里山における保護・ふれあい活動団体」リストを用い、都道府県による施策状況についてはアンケートを実施し、社会的・自然的状況と関連づけて分析している。その結果、市民による里山活用、都道府県による施策いずれも都市化の進行にともない活発化していること、施策については事業が広く実施されているのに比較して計画策定など総合的な施策はあまりなされていないことが明らかにされた。更に都道府県をサンプルとして「里山における保護・ふれあい活動団体」団体数、施策状況、社会的・自然的条件を変数として因子分析を行い2つの因子を求めた結果、第1因子の持つ意味は「都市的地域−農山村的地域」、第2因子の持つ意味は「里山に対する働きかけの程度」であるとされた。

 第4章では、大阪府南河内郡河南町で活動する団体「里山倶楽部」および活動地の持尾集落を対象に、団体の活動実態および土地利用変化について考察している。「里山倶楽部」の活動内容と参加者の意識を把握するためインタビューとアンケートを実施した結果、会員の多様性や森林・林業に対する関心の高さに加え多様な人々との出会いや達成感などへの要求・満足度の高さが明らかになり、このような活動の複合性や森林・林業以外の分野への発展可能性が示された。

 続いて持尾集落の土地利用および集落社会の総合的変化を把握するため1963年、1973年、1999年の3時点の空中写真判読による土地利用図作成と資料等による集落社会の変化把握を行い、総合的に検討している。まず、1945年以降現在までの集落の状況を「第1期:〜1955年頃」、「第2期:1955〜1970年頃」、「第3期:1970〜1985年頃」、「第4期:1985年〜」の4時期に区分することができ、伝統的農業・農村社会の崩壊と現代的な社会関係発生という変遷が明らかになった。土地利用変化は、3時点を通して増加したのがスギ・ヒノキ人工林、減少したのが広葉樹林や耕作地等、増加から減少に転じたのが樹園地であった。更に里山の生産・生活における重要度は3時点を通じて低下し、集落住民の働きかけの形態は結束した協働から個別へと変化しており、里山への働きかけの頻度・形態の変化に伴い里山に対する住民意識の変化や世代間での認識の差が生じていると推論している。

 第5章では,霞ヶ浦流域で実施されている市民参加の公共事業「アサザプロジェクト」を対象に、各参加主体の特徴と主体間の連接の把握を行い、多様な主体による里山活用システム構築の方向性を示した。また粗朶の生産を行った里山林、ボランティア活動実施里山林、茨城県による平地林保全整備事業対象平地林の森林価を算出、比較し持続的な里山管理を実現するための条件を森林経理学の観点から考察している。

 参加主体の特徴として「NPO法人アサザ基金」の開放性が、また主体間連接に関して「NPO法人アサザ基金」および「(有)霞ヶ浦粗朶組合」が各主体をつなぐ役割を果たしていることが明らかにされた。また、森林価算出の結果、ボランティア活動、粗朶生産、平地林保全整備事業の順に低くなった。また内容の検討から、森林の非経済的価値に対する評価の高さとともにその評価を反映する社会システム確立の必要性が示された。

 第6章では、第3章〜第5章を踏まえて総合的な考察を行い、市民による里山活用が里山を媒介に多様な主体・対象を結んでいること、多様な主体と里山空間との構造が予定調和しない現在、里山の空間的・時間的秩序を社会構造と関連付けて計画する必要があることを森林経理学の観点から指摘している。

 以上、本論文は、里山の持続的活用に関して、地域社会学的視点に立脚しつつその実態と動向を社会的・経済的に分析するとともに、森林経理学の観点から里山の価値評価と計画的管理の必要性を明らかにしたもので、これからの里山の研究及び管理に資するものと考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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