学位論文要旨



No 117169
著者(漢字) 笹井,清二
著者(英字)
著者(カナ) ササイ,セイジ
標題(和) ウナギの塩類細胞に関する生理生態学的研究
標題(洋) Ontogeny and ecophysiology of chloride cells in the Japanese eel
報告番号 117169
報告番号 甲17169
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2365号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 木村,伸吾
 三重大学生物資源学部 教授 大竹,二雄
内容要旨 要旨を表示する

 ウナギ属魚類はウナギ目15科141属の中で唯一降河回遊型の生活史を持ち、生活史のある特定の時期に淡水域と海水域の間を行き来する。このため、ウナギは環境の様々な塩濃度に対する優れた適応能を有している。こうした浸透圧調節能には、鰓、腎臓、消化管など様々な器官が関係する。とりわけ鰓表皮に存在する塩類細胞はイオン輸送に関して極めて重要な役割を担っている。塩類細胞には多くのミトコンドリアと良く発達した管状構造が認められ、その管状構造上には、イオン輸送に関わるNa+, K+-ATPaseが存在する。塩類細胞は海水中で体内に過剰となった塩類を排出し、淡水中ではイオンの取り込みに関与していると考えられている。古くから浸透圧調節のモデル生物として、養殖ウナギを用いた多くの生理学的研究がなされてきた。しかし、野外で採集したウナギを対象として、生態学的観点から浸透圧調節機構や塩類細胞の発達について研究した例はほとんどない。

 本研究の目的は、まずウナギの初期生活期における塩類細胞と鰓の個体発生過程を、胚からレプトケファルス、シラスウナギまで発育段階を追って明らかにすることにある。次にウナギの回遊行動に伴う塩類細胞の動態を、河川遡上期のシラスウナギ、定着期の黄ウナギおよび降河回遊期の銀ウナギを用いて明らかにする。さらに、河口域における数時間周期の急激な塩濃度変化に対する個体の行動と鰓上の塩類細胞の応答を、テレメトリーによる追跡実験と室内の生理実験を併用して明らかにすることも目的とした。以上を総合して、ウナギのライフサイクルにおける塩類細胞の動態と役割を考察し、通し回遊行動の進化と浸透圧調節機能の獲得過程の関係についても総合的に議論する。

1.初期生活期における塩類細胞の個体発生

 人為催熟により得られた胚と孵化仔魚のwhole-mount試料を、Na+, K+-ATPaseに対する抗体を用いて免疫組織化学的に染色し、塩類細胞を検出した。胚では卵黄嚢上皮に、また卵黄吸収の進んだ孵化仔魚では体表のほぼ全域にNa+, K+-ATPase免疫活性を示す塩類細胞が多数認められた。天然海域で採集された全長17 mmと22 mmのレプトケファルスでは、4対の鰓弓が認められるものの鰓弁はまったく発達しておらず、鰓表皮にも塩類細胞は認められなかった。全長32 mmのレプトケファルスでは、分化し始めた一次鰓弁の上皮にNa+, K+-ATPase抗体反応が認められ、初めて塩類細胞の存在が確認された。その後、塩類細胞の数はレプトケファルスの成長による一次鰓弁の発達に伴って増加した。変態の完了したシラスウナギでは、二次鰓弁の分化がみられ、伸長した一次鰓弁上には多数の塩類細胞が認められた。参考としてマアナゴの鰓の発達過程をみると、変態期間中に二次鰓弁の急速な分化が認められ、鰓は変態に伴って呼吸と浸透圧調節の場として完全に機能化するものと考えられた。これよりウナギにおいても孵化直後からレプトケファルス期までは卵黄嚢上皮と体表上に存在する塩類細胞が主に浸透圧調節に関わり、鰓は副次的な役割を果たすにすぎないが、約3週間の変態期間内に起こる鰓の機能化に伴って塩分排出の場は体表から鰓に急激に移行・局在していくものと考えられた。

2.回遊に伴う塩類細胞の機能分化

 淡水と海水中での塩類細胞の形態的変化を明らかにするため、淡水中で飼育した養殖ウナギを淡水および海水に14日間馴致した(それぞれ、淡水群、海水群とよぶ)。それぞれの環境に十分適応したウナギの鰓のNa+, K+-ATPase活性は、海水群で淡水群の2倍近い値を示した。塩類細胞は一次鰓弁と二次鰓弁に認められ、環境塩分に対してそれぞれ異なる応答を示した。すなわち、一次鰓弁上の塩類細胞は数、大きさ共に海水群で大きかったのに対し、二次鰓弁上の塩類細胞では両群に顕著な差は認められなかった。このことより、まず、ウナギの鰓には2型の塩類細胞が存在することが確認され、一次鰓弁上の細胞は高張な外部環境で塩分を排出する海水型の塩類細胞であると考えられた。

 海水域で採捕した河川遡上前のシラスウナギを淡水に移すと、一次鰓弁上の塩類細胞の数は変化しなかったが、細胞の大きさは移行後1日目から減少し、14日目には対照群(海水群)の57%になった。一方、二次鰓弁上には明らかな塩類細胞は観察されなかったものの、Na+, K+-ATPase抗体反応を示す部位が認められた。次に、河川内で採捕した黄ウナギと銀ウナギの鰓のNa+, K+-ATPase活性を比較すると、銀ウナギは黄ウナギより最大で2.8倍高い値を示した。塩類細胞は、黄ウナギでは一次鰓弁上と二次鰓弁上共に認められたが、銀ウナギでは二次鰓弁上にはほとんどみられず、しかも一次鰓弁上の細胞は淡水中にもかかわらず、数、大きさ共に黄ウナギより増加していた。

 以上の結果から、一次鰓弁上の塩類細胞が海水中で活性化されるのは明らかであり、この細胞が海水中で塩類の排出に関わっているものと示唆された。一方、二次鰓弁上の塩類細胞は淡水生活期の黄ウナギにのみ認められたことから、これは淡水におけるイオンの取り込みに関与しているものと考えられた。また、黄ウナギから銀ウナギに至る成長過程で観察された一次、二次鰓弁上の塩類細胞の分布の変化と鰓のNa+, K+-ATPase活性の上昇は、降海前のウナギが淡水中ですでに海水適応能を有することを示しており、これらは成熟の開始に伴う降海と海水中での産卵回遊に備えた変化であると考えられた。

3.河口域の急激な塩分変動に伴う塩類細胞の応答

 数時間周期で塩分が急激に変化する河口域に生息するウナギが、どのように浸透圧調節しているのか明らかにするため、河口域においてバイオテレメトリー法を用いたウナギの追跡実験を行い、同時にウナギが経験した環境塩分を計測した。河口域で採集した3個体の黄ウナギに超音波発信器を装着して約10日間追跡した結果、日中は物陰に潜み、夜間にわずか数メートルから数十メートルの狭い範囲を活動する典型的な定着型の行動パターンを示すことが明らかとなった。これらの個体が経験した環境塩分濃度は、干潮時の0.1ppt(ほぼ淡水)から満潮時の32.5ppt(95%海水)と、1日のうちに2回ずつ自らの体液より低張の値から高張の値へと大きく変化した。

 これら河口の黄ウナギは、一次鰓弁上に大きな塩類細胞を多数持つ海水型の塩類細胞の分布を示した。このウナギに河口域の潮汐による塩分変動をシミュレーションじて、実験的に6時間周期で淡水と2/3海水の環境を与え、鰓の塩類細胞の変化と血中浸透圧を観察したところ、淡水移行群、淡水・海水再移行群いずれも塩類細胞は一次鰓弁上にのみ多数みられる海水型で、対照群との差は認められなかった。また、血中浸透圧は各区とも295-333mOsm/kg・H2Oの範囲に留まり、これは通常の生理的変化の範囲内にあると考えられた。すなわち、河口域の急激な塩分変化に対してもウナギがこれを補償するような移動を示さなかったこと、また塩類細胞の分布や体液浸透圧にも大きな変化が認められなかったことを考えると、ウナギは塩類細胞の分布や機能を変化させて大きな環境塩分の変動に長期的に適応するシステムとは別に、体液浸透圧のわずかな変化を感知して速やかに且つ短期的に応答するなんらかの生理機構を備えているものと考えられた。

4.産卵回遊と塩類細胞

 沿岸域を離れた銀ウナギの採捕報告は過去50年間でみても極めて少ない。そこで東シナ海において1993〜1999年まで7年間にわたる採集調査を実施した。冬季の夜間、手掬い網で産卵回遊中のウナギの採集を試みたところ、男女群島周辺海域(52尾)と五島列島の姫島近海(20尾)において、計72尾の銀ウナギを採集することが出来た。魚体はブロンズ色の光沢を呈し、拡大した目(eye index : 3.2-8.0)と黒く大型化した胸鰭などすべて銀ウナギの特長を備えていた。来遊時期は11月から3月にわたり、盛期は12月と1月であった。河川における銀ウナギの降海時期が9月から10月であることを考えると、これらの個体は沿岸から産卵回遊に出発して間もない個体であると推定された。また、河川の銀ウナギ(生殖腺重量指数:1.1-2.5)と比較してより発達した生殖腺(1.3-3.5)を持っていた。

 これらのウナギの鰓には一次鰓弁上に発達した塩類細胞が認められた。二次鰓弁上の塩類細胞の数は個体差が大きいものの、鰓弁の組織切片上の1mmの区間に平均4.9個であり、河川(6.5)および河口域の銀ウナギ(2.6)の値と有意差はなかった。これらのウナギの淡水適応能を調べるため、12日間淡水中に移行させたところ、血中浸透圧は対照の海水群で327.9mOsm/kg・H2Oであったのに対し、淡水群では307.9mOsm/kg・H2Oを示した。しかし、両者の値は河川、河口域の黄ウナギや銀ウナギと同程度の生理的範囲内であった。塩類細胞の数は一次、二次鰓弁上の塩類細胞共に海水群と淡水群の間に差は認められなかったものの、一次鰓弁上の塩類細胞の大きさは淡水群で有意に減少した。これらのことから、外洋の産卵場に向かう途中の個体でも広塩性を保持していることが明らかとなった。しかし、生殖腺重量指数が大きい個体ほど二次鰓弁上の塩類細胞の数は少ない傾向が認められ、成熟初期では広塩性を示すものの、成熟の進行に伴って徐々に二次鰓弁上の細胞が消失し、淡水適応能を失っていくものと推察された。

 以上、ウナギの浸透圧調節に関わる塩類細胞の個体発生と、実際の回遊行動に伴う塩類細胞の応答を明らかにすることが出来た。今後の課題として、レプトケファルス体表皮における塩類細胞の有無を確認すること、また電子顕微鏡により、短期的な塩分変化に対応する塩類細胞の微細構造の変化を捉えることが重要である。また、他のウナギ目魚類の塩類細胞の分布を精査することで、ウナギ目の中で唯一淡水域に生息域を拡大することを可能にしたウナギの通し回遊の成立過程を明らかにすることができるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 魚類の鰓表皮に存在する塩類細胞は浸透圧調節に関して極めて重要な役割を担っている。ウナギは環境の様々な塩濃度に対する優れた適応能を有するため、古くから浸透圧調節のモデル生物として多くの生理学的研究に用いられてきた。しかし、これらは養殖ウナギを用いたものであり、野生魚を対象として生態学的観点から浸透圧調節機構やこれに関わる塩類細胞について研究した例はない。そこで本研究は、主に野外調査に基づいてウナギの生活史における塩類細胞の発達過程を明らかにし、各生活史段階の回遊行動に伴う塩類細胞の動態を明らかにすることを目的とした。

 第1章の緒言に続く第2章では、生活史初期におけるウナギの塩類細胞の個体発生過程をNa+, K+-ATPaseに対する抗体を用いた免疫組織化学的解析により明らかにした。人工授精で得られた胚では塩類細胞は卵黄嚢上皮に、また孵化直後の仔魚では体表のほぼ全域に分布することがわかった。天然海域で採集された全長32 mmのレプトケファルスでは、分化し始めた鰓の上皮上に塩類細胞が初めて確認された。その後、鰓の塩類細胞の数は個体の成長による鰓弁の発達に伴って増加した。変態の完了したシラスウナギでは伸長した一次鰓弁上に多数の塩類細胞が認められた。これより鰓が未発達な時期では、卵黄嚢上皮や体表上に存在する塩類細胞が主に浸透圧調節に関わり、個体の成長に伴って塩分調節の場は卵黄嚢上皮、体表から鰓へと移行・局在していくことが明らかになった。

 第3章では、ウナギの回遊行動に伴う塩類細胞の動態を、養殖および天然のウナギを用いて明らかにした。まず、淡水中で飼育した養殖ウナギを海水に馴致したところ、一次鰓弁上の塩類細胞は数・サイズ共に増大したのに対し、二次鰓弁上の塩類細胞には顕著な変化は認められなかった。また、天然の河川(淡水)で採捕した定着期の黄ウナギでは、塩類細胞は一次鰓弁上と二次鰓弁上共に認められたが、成熟の始まった銀ウナギでは二次鰓弁上にはほとんどみられず、一次鰓弁上の細胞は黄ウナギより発達していた。このことから一次鰓弁上の塩類細胞は海水中で塩分の排出に、一方、二次鰓弁上の塩類細胞は淡水中でイオンの取り込みに関与しているものと考えられた。また、同じ淡水域に生息するにもかかわらず一次、二次鰓弁上の塩類細胞の数とサイズが黄ウナギと降海前の銀ウナギの間で大きく変化したのは、来るべき海水中での産卵回遊に備えた適応であると考えられた。

 第4章では、河口域における数時間周期の急激な塩濃度変化に対する個体の行動と塩類細胞の応答をテレメトリーによる追跡調査と室内実験を併用して明らかにした。まず、河口域で採集した黄ウナギに超音波発信器を装着して10日間追跡した結果、昼間は物陰に潜み、夜間には狭い範囲内で活動する典型的な定着型の行動パターンを示すことがわかった。また、これらの個体が経験した環境塩分濃度は、干潮時の0.1PSU(ほぼ淡水)から満潮時の32.5PSU(ほぼ海水)まで大きく変化した。これより、ウナギは短時間の急激な塩分変化に対しても特に顕著な回避行動を示さないことが明らかとなった。続いて、実験室内においてこれらのウナギに河口域の潮汐による塩分変化を与えてみたところ、塩類細胞と血中浸透圧は共に顕著な変化を示さなかった。以上のことから、ウナギは短時間の塩分変化に速やかに応答する即応型の浸透圧調節機構を備えているものと考えられた。

 第5章では、これまで採捕例が少なく、生物学的知見の乏しい産卵回遊中の銀ウナギについて調査した。7年間にわたる調査の結果、東シナ海男女群島周辺海域と五島列島姫島近海で計72尾の銀ウナギを採集することができた。銀ウナギの採集時期は11月から3月にわたった。これらのウナギは発達した目(eye index : 3.2〜8.0)と黒く大型化した胸鰭など銀ウナギの特徴を備えていた。また河川の銀ウナギに比べ、より発達した生殖腺(GSI : 1.3〜3.5)を有していることがわかった。これらのウナギの一次鰓弁上には発達した塩類細胞が多数認められた。一方、二次鰓弁上には塩類細胞はほとんど認められず、その数は河川内の銀ウナギの値と有意差はなかった。また、淡水移行実験の結果、海域を産卵回遊中の個体でも淡水適応能を保持していることが明らかとなった。しかし、成熟の進んだ個体ほど二次鰓弁上の塩類細胞の数は少ない傾向が認められ、成熟初期では広塩性を示すものの、成熟の進行に伴って淡水適応能を失っていくものと推察された。

 最後にこれら一連の結果から第6章の総合考察では、ウナギの通し回遊行動の進化と浸透圧調節能の獲得過程について総合的に考察した。当初、一次鰓弁上にのみ存在して海水中で塩分の排出を司っていたウナギの塩類細胞は、通し回遊の進化の過程で、淡水中で塩類の取り込み機能を獲得した。さらには二次鰓弁上に淡水中でのみ機能する塩類細胞を配置することによって、ウナギはより効率的に浸透圧調節を行う広塩性魚へと変化していったものと考えられた。

 以上本研究では、ウナギの浸透圧調節に関わる塩類細胞の個体発生と、野外における実際の回遊行動に伴う塩類細胞の応答を明らかにしている。また本研究は黄ウナギと銀ウナギの行動学的・生態学的な理解を飛躍的に発展させ、生態学と生理学を融合することによって魚類回遊の研究に新たな局面を切り開いた。よって、学術上、応用上寄与するところが少なくないと判断され、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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