学位論文要旨



No 117172
著者(漢字) やそじゃ すじぇわにー りやなげ
著者(英字) Yasoja Sujeewanee Liyanage
著者(カナ) ヤソジャ スジェワニー リヤナゲ
標題(和) 粘液胞子虫Thelohanellus hovorkaiによるコイの出血性テロハネルス症に関する研究
標題(洋) Studies on hemorrhagic thelohanellosis of carp caused by a myxosporean parasite Thelohanellus hovorkai
報告番号 117172
報告番号 甲17172
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2368号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

 魚類に寄生する粘液胞子虫は今まで1250種類以上が記載されており、それらの多くは宿主魚に対して無害であるが、重篤に寄生すると致命的影響をもたらして産業的に問題となる場合もある。1994年、新潟県内のニシキゴイ養殖場で体表面に著しい出血を呈して2〜3歳親魚が死亡する事例があり、粘液胞子虫Thelohanellus hovorkaiによる「出血性テロハネルス症」と診断された。従来、コイの結合組織に寄生するT.hovorkaiは魚に対する病害性がほとんどない寄生虫と考えられていたため、なぜ今回、ニシキゴイが死に至るほど異常に寄生したのか、発病原因に疑問が持たれた。最近の研究により、粘液胞子虫の生活環には交互宿主として貧毛類などの水生無脊椎動物が関与していること、およびその体内で放線胞子虫ステージに変態することが明らかにされているが、T.hovorkaiについても、エラミミズ(Branchiura sowerbyi)の体内で変態したオーランチアクチノミクソン放線胞子虫がコイへの感染ステージとなることが証明されている。本研究では、コイの出血性テロハネルス症について病理学的・疫学的に調査するとともに、T.hovorkaiの発育動態や発病メカニズムを実験的に解明し、実用的な感染防除対策を開発することを目的とした。

養鯉池における疫学的調査

 新潟県内のニシキゴイ養殖場において1996年6〜7月に粘液胞子虫未感染のニシキゴイ(1歳、2歳魚)を7週間飼育し、3,5,7週目に採材して寄生虫検査と内臓諸器官(鰓、皮膚、筋肉、腎臓、脾臓、腸管、肝臓)の病理組織学的観察を行った。飼育開始3週目から発病がみられ、体表のウェットマウント観察により大量のT.hovorkai胞子が検出された。さらに、5,7週目では明らかに出血性テロハネルス症による死亡が増加した。病魚は体表全体、特に頭部から腹部にかけて著しく発赤あるいは出血斑を呈するのが特徴的であった。病理組織により、皮膚出血患部に散在した多数のT.hovorkai胞子と、皮膚上皮の剥離、広範囲にわたる細胞浸潤、充血、出血および水腫などの顕著な病変が確認された。患部組織を2%トリプシン液を用いて37℃で2時間酵素処理し胞子を精製・計数することにより寄生強度を定量的に調べた結果、腹側筋肉内の寄生強度が約50,000胞子/gを超えたときに典型的な病徴を呈した。養殖場の底生生物調査の結果、発病が起きた養魚池は底質が富栄養的な泥であり、貧毛類はエラミミズが優占的で、その生息密度は1.9〜3.4個体/kg-泥、T.hovorkai放線胞子虫の寄生率は最高で80.8%(1996年6月)に達した。一方、発病歴のない茨城県内のマゴイ養殖場で同様の調査を行ったところ、底質は砂地で、貧毛類相はユリミミズ(Limnodrilus socialis)とイトミミズ(Tubifex sp.)が優占し、放線胞子虫は全く検出されなかった。

出血性テロハネルス症の実験的再現

 粘液胞子虫未感染のニシキゴイとマゴイの1歳魚を供試魚として、流水式水槽で以下の5つの試験区を設けた(各30尾):発病のみられた養鯉池の底泥から採集されたエラミミズと、ニシキゴイ(実験区1)またはマゴイ(実験区2)を同居飼育する区、エラミミズ飼育槽からの排水でニシキゴイを飼育する区(実験区3)、ミミズ飼育水と全く接触させないニシキゴイとマゴイの対照区。2,4,5週間後に採材して、剖検、各臓器の病理組織および寄生強度の測定を行った結果、実験区1と2の同居飼育区で4週間後から発病が見られ、腹側筋肉内の寄生強度は50,000胞子/gを超えた。一方、実験区3の排水飼育では、軽度の感染は起きたものの病徴や死亡は見られなかった。また、寄生強度により胞子の体内分布を比較したところ、同居区の魚では腸管壁や腹側筋肉に胞子が多く分布していたのに対し、排水飼育区では鰓に最も多く分布した。なお、対照区ではT.hovorkaiの感染も死亡も全く見られなかった。実験終了後、実験区1と2の水槽の中からエラミミズが回収されなかったことから、今回の実験で発病したコイは放線胞子虫に寄生したエラミミズを大量に摂食したと考えられる。また、胞子の体内分布の結果から、同居区の病魚は実際の養殖場で見られた病態をよく再現していると思われた。

実験感染系における貧毛類および魚体内での発育動態

 エラミミズをウエルプレート内で個体飼育する方法により採集した放線胞子を用いてコイに対する感染実験を行い、T.hovorkaiの発育過程を追跡した。この実験感染系において、放線胞子との接触密度、飼育水温、品種(ニシキゴイまたはマゴイ)、感染経路(浸漬または経口)などの違いが寄生強度に与える影響について調べた。侵入経路を調べるため、予め蛍光色素5(6)-carboxyfluorescein diacetate succinimidyl-ester(CFSE)で標識した放線胞子を用いて感染実験を行ったところ、浸漬30分以内にCFSE標識された胞子原形質が鰓弁から侵入するのが蛍光顕微鏡下で観察された。さらに、浸漬1週間後には眼球周辺や頭部の皮下組織などに多核の発育ステージがみられ、3週間後には成熟胞子が形成されシスト崩壊に伴い周辺組織に散逸した。放線胞子の経口投与においても同様の発育過程が観察されたが、主な寄生部位は肝臓と腸管の結合組織であった。発病は全ての経口投与区および高濃度浸漬区(4.5×106胞子/尾)において再現された。水温による違いについては、20℃よりも25℃の方が寄生強度が高まったが、顕著な差ではなかった。また、コイの品種の違いによる感受性の差は全く見られなかった。T.hovorkai粘液胞子を放線胞子虫未感染のエラミミズに投与し、一定水温(15,20,25℃)で飼育して水中に放出された放線胞子を測定した結果、20℃および25℃飼育43日目から放線胞子が放出され、70〜90日目でピークに達し(25℃で105胞子/日/個体、20℃で104胞子/日/個体)、以降、減少した。15℃では94日目に初めて胞子が検出されたが、量は少なかった(102胞子/日/個体)。以上より、水温20-25℃の飼育条件では、魚体内で粘液胞子虫ステージが約1ヶ月弱、貧毛類内で放線胞子虫ステージが約2ヶ月強、合計3ヶ月間で生活環が回る発育動態が明らかになった。また、コイの品種や感染経路にかかわらずT.hovorkai放線胞子虫を大量に取り込むことで出血性テロハネルス症が起こることが証明されたが、実際には経口的に摂取することで発病しやすいと思われる。

貧毛類相の操作による生態学的・生物学的制御法

 貧毛類の基質選択性を実験的に調べた結果、エラミミズは泥質を好み砂質からは逃避する行動が観察されたばかりでなく、砂質内では生残率が低下した。一方、他の貧毛類(ユリミミズやイトミミズ)では目立った基質嗜好性は認められなかった。貧毛類の体表を組織学的に調べた結果、皮膚上皮が固いクチクラ層で覆われているユリミミズ等と異なり、エラミミズの皮膚は脆弱であるため、鋭い突起状の砂粒により物理的傷害を受けやすいと考えられた。エラミミズと他の貧毛類を混合飼育してT.hovorkaiの感染実験を試みたところ、エラミミズ単一種飼育の場合と比べて放線胞子放出量および寄生率が減少したことから、非感受性の貧毛類がT.hovorkaiを取り込んで不活化した可能性が示された。これらの結果より、養魚場の底質を泥から砂に替えることで貧毛類相が変移し、T.hovorkai密度を低下させることができると考えられる。次に、底生貧毛類の密度自体を減少させるために、ベントス食性魚が生物学的制御法として使えるかどうか検討した。まず、ドジョウ、キンギョおよびコイにエラミミズを給餌したところ、3魚種とも同程度に摂食することがわかった。そこで、ドジョウとキンギョに対してT.hovorkaiの放線胞子を用いた感染実験を試みたところ、いずれの魚も感染に抵抗力を有しT.hovorkaiのキャリアにはならないことが確認された。この結果から、上記のような非感受性魚種を養鯉場に放養して底泥の貧毛類を捕食させれば、有効にT.hovorkai密度を減少させられる可能性がある。

 以上のように、コイの出血性テロハネルス症はT.hovorkai放線胞子虫をコイが大量に取り込むことにより(主には放線胞子虫に感染したエラミミズを摂食することにより)寄生強度が異常に高まり、50,000胞子/gを超えると外観的にも出血を呈し発病に到ると考えられた。発病要因としてニシキゴイとマゴイの遺伝的・生理的な違いや養殖方法の違いなども推測されたが、根本的には、養殖場の富栄養化が進行しエラミミズが優占的に繁殖した結果、T.hovorkaiの量が異常に増加したことが主因と思われる。対策としては、養殖場の土壌改良やベントス食性魚を混養することによりエラミミズの生息密度を低下させることができれば、出血性テロハネルス症を抑制できると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 1994年、新潟県のニシキゴイ養殖場で体表に著しい出血を呈して親魚が死亡する事例があり、粘液胞子虫Thelohanellus hovorkai(以下、本種)による「出血性テロハネルス症」と診断された。従来、本種は病害性がほとんどないと考えられていたため、なぜニシキゴイが死に至るほど異常に寄生したのか、疑問が持たれた。粘液胞子虫の生活環には交互宿主として貧毛類などの無脊椎動物が関与している。本種についても、エラミミズの体内で変態した放線胞子虫がコイへの感染ステージとなることが証明されている。本研究では、コイの出血性テロハネルス症について病理学的・疫学的に調査するとともに、本種の発育動態や発病メカニズムを実験的に解明し、実用的な感染防除対策を開発することを目的とした。

養鯉池における疫学的調査

 新潟県のニシキゴイ養殖場において1996年6〜7月に未感染のニシキゴイを7週間飼育し、定期的に採材して検査した。その結果、3週目から発病がみられ、5週目以降では明らかに発症して死亡する魚が増加した。病理組織により、皮膚出血患部に多数の胞子と充血、出血および水腫などの顕著な病変が確認された。患部組織をトリプシン処理して胞子を定量した結果、腹側筋肉内の胞子数が約50,000胞子/gを超えたときに典型的な病徴を呈した。発病した養魚池は底質が富栄養的な泥であり、貧毛類はエラミミズが優占的で、本種の放線胞子虫の寄生率は最高で80.8%に達した。一方、発病歴のない茨城県内のマゴイ養殖場では底質は砂で、貧毛類相も異なり、放線胞子虫も検出されなかった。

出血性テロハネルス症の実験的再現

 未感染のニシキゴイとマゴイを用いて、流水式水槽で以下の5試験区を設けた:発病のみられた養鯉池のエラミミズとニシキゴイ(実験区1)またはマゴイ(実験区2)を同居飼育する区、エラミミズ飼育槽からの排水でニシキゴイを飼育する区(実験区3)、ミミズ飼育水と全く接触させないニシキゴイとマゴイの対照区。その結果、実験区1と2で4週間後から発病が見られた。一方、実験区3では、軽度の感染は起きたものの病徴や死亡は見られなかった。また、同居区の魚では腸管壁や腹側筋肉に、排水飼育区では鰓に胞子が多く分布した。なお、対照区では感染しなかった。実験終了後、同居区の水槽からエラミミズが回収されなかったことから、発病したコイは寄生したエラミミズを大量に摂食したと考えられる。

実験感染系における貧毛類および魚体内での発育動態

 エラミミズから採集した放線胞子を用いてコイに対する感染実験を行った。蛍光色素CFSEで標識した放線胞子に浸漬して30分以内に、標識された胞子原形質が鰓弁から侵入するのが観察された。1週間後には皮下組織などに多核の発育ステージがみられ、3週間後には成熟胞子が形成され、シスト崩壊に伴い周辺組織に散逸した。放線胞子の経口投与によっても同様の発育過程が観察されたが、寄生部位は異なった。発病は全ての経口投与区および高濃度浸漬区において再現された。水温については、20℃よりも25℃の方が寄生強度が高い傾向にあった。また、コイの品種の違いによる感受性の差は見られなかった。本種の粘液胞子を未感染のエラミミズに投与し、異なる水温で飼育した結果、20℃および25℃飼育43日目から放線胞子が放出され、70〜90日目でピークに達した。15℃では94日目に初めて胞子が検出されたが、量は少なかった。以上より、水温20-25℃の飼育条件では、本種の生活環は3ヶ月で回ることが明らかになった。また、コイの品種や感染経路にかかわらず放線胞子虫を大量に取り込むことで発症することが証明されたが、実際には経口的に摂取することで発病しやすいと思われる。

貧毛類相の操作による生態学的・生物学的制御法

 エラミミズは泥質を好み砂質からは逃避する行動が観察され、砂質内では生残率が低下した。一方、他の貧毛類では目立った基質嗜好性は認められなかった。エラミミズと他の貧毛類を混合飼育したところ、エラミミズ単一飼育と比べて放線胞子放出量および寄生率が減少した。これらの結果より、養魚場の底質を泥から砂に替えることで貧毛類相が変移し、本種の密度を低下させることができると考えられる。次に、ドジョウ、キンギョおよびコイにエラミミズを給餌したところ、3魚種とも同程度に摂食することがわかった。さらに、ドジョウとキンギョは本種の放線胞子の感染に抵抗性があることが確認された。この結果から、上記のような非感受性魚種を養鯉場に放養して底泥の貧毛類を捕食させれば、有効に本種密度を減少させられる可能性がある。

 以上のように、本研究はコイの出血性テロハネルス症についてフィールド調査および感染実験によって発症機序や対策を検討したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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