学位論文要旨



No 117173
著者(漢字) 今中,園実
著者(英字)
著者(カナ) イマナカ,ソノミ
標題(和) 浜名湖におけるアサリの初期生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 117173
報告番号 甲17173
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2369号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 助教授 岡本,研
内容要旨 要旨を表示する

1章 序論

 アサリは日本の漁業において重要な位置を占める水産有用種であるが、近年日本各地で漁獲量の減少が問題となっている。減少の原因には生息に適した環境の減少および乱獲が考えられるが、実態は不明である。アサリ資源保護および増殖のためには、個体群動態および環境要因との関連性を解明し、漁獲制限や環境造成に応用することが必要である。

 浜名湖は高い生産性を持つアサリ漁場であるが、湖内のアサリ個体群動態は十分に解明されていない。また、日本各地のアサリ漁場と同様、浜名湖でもアサリ漁獲量の減少が問題となっており、対策が必要とされている。浜名湖のアサリ生産は、湖内での分布は一様でない、春期発生群は生残しないとされる、などの特徴を持つが、これらの個体群の変動は環境の影響を受けていると考えられる。

 本研究では浜名湖においてアサリの個体群動態および環境調査を行い、これらの関連性からアサリ増殖への可能性を検討することを目的とした。

2章 アサリ幼生の同定法の検討

 個体群動態の調査では、種の同定が簡便かつ確実に行われることが必要であるが、アサリ幼生については同定の基準となる形態学的記載が十分になされていない。アサリ浮遊幼生および初期着底稚貝の同定法を確立するため、二枚貝幼生同定の基準とされる交板の形態観察、および近年実用化されているアサリ幼生用モノクローナル抗体の有効性の検討を行った。

 1999年11月に人工受精で得たアサリ幼生を着底まで飼育し、各発生段階の幼生を得た。光学顕微鏡による観察では後期D型幼生から交装が観察され、初期アンボ期幼生で交歯の数が決定した。発生16日目で靭帯が完成し、着定期まで交装は変化しなかった。走査型電子顕微鏡(SEM)による観察では着底期の交歯は左殻で8本、右殻で9本であり、靭帯は左殻で交板の右端に形成された。

 アサリ幼生用モノクローナル抗体の有効性については、アサリおよび浜名湖産二枚貝5種の浮遊幼生を人工受精により得て反応性を検討した。その結果、本モノクローナル抗体はアサリ以外の二枚貝幼生に反応を示さず、浜名湖のアサリ浮遊幼生はモノクローナル抗体法により同定が可能であることが明らかになった。

 交板の形態学的観察により、これまで記載が不十分であったアサリ幼生の形態学的同定基準が明らかになった。光学顕微鏡観察ではアンボ期以降、SEMによる観察では後期D型幼生以降では他種の幼生と区別が可能であったが、形態学的同定法は簡便さの点で実用的ではないと考えられた。モノクローナル抗体法は簡便な同定法であり、形態学的観察との併用により有効性の検討も可能であると考えられたため、この方法をアサリ浮遊幼生のサンプル処理に使用した。

3章 浜名湖のアサリ個体群動態と環境条件

 浜名湖の天然海岸3地点(村櫛、佐久米、横山)、および湖北西部の人工干潟2地点(以下それぞれ人工干潟A、Bとする)においてアサリの個体群動態と環境の調査を行った。各海岸に3〜6定点を設置し、2000年10月〜2001年9月まで毎月1回調査を行った。底質約625cm2中に分布するアサリの個体数および殻長を毎月測定し、コホート解析を行った。その結果、2000年10月〜2001年9月までに5コホートが出現し、それぞれ2000年秋発生群(以下コホート1)、2000年春期発生群(コホート2)、1999年秋期発生群(コホート3)、1999年春期発生群(コホート4)、1998年秋期発生群(コホート5)と推定された。これより各コホートの成長および生残を推定した。

 コホート1は各海岸で2000年5月〜6月までに殻長500μm以上となり、2000年7月に個体数が大きく減少したが消滅せず生残した。コホート2は湖南部の村櫛および人工干潟では個体数がごく少なかったが、湖北部の佐久米および横山では2000個体以上出現することもあり、新規加入しないとされていた春期発生群が湖内の一部海岸では死滅せず加入していることが明らかになった。コホート3、4は村櫛および人工干潟では冬期に大きく個体数が減少した。

 成長については、コホート1では2001年7月から殻長が増加し、9月に約10mmとなった。コホート2は、佐久米や人工干潟Aでは直線的な成長を示したが、村櫛、横山および人工干潟Bでは2001年3月、7〜8月に0.5mm/月以上の急激な成長を示した。コホート3および4は2000年秋期、2001年春期に殻長が増加する傾向を示したが、村櫛ではほとんど成長がみられなかった。定点別のコホート解析では、人工干潟では、沖寄りの定点ほど殻長が大きいコホートが出現したが、天然海岸では定点間で出現コホートに明確な差はみられなかった。

 浜名湖内の4地点(今切口付近、湖中央部、佐久米、松見ヶ浦沖)で浮遊幼生量の調査を行い、出現時期を殻長500μ以上の個体群動態と比較した。2000年10〜12月、2001年5〜7月に北原式プランクトンネット(目合い100μm)で3〜6mを鉛直曳きし、冷凍保存したサンプルからモノクローナル抗体でアサリを識別して個体数を調査した。今切口付近では個体数が少なかったが、湖中央部付近、および北部の佐久米・松見ヶ浦沖では秋期は11月上旬〜下旬、春期は5月下旬〜7月上旬の間に出現数のピークが見られ、最高189個体/m3に達した。総出現個体数は春期、秋期とも同程度であり、春期発生群も浮遊期間中に死滅していないと考えられた。

 アサリの個体数変動の要因として、アサリの移動の可能性をトラップ実験により検討した。実験は人工干潟Aで2001年6月下旬から約1カ月間行った。直径20cm、深さ23cmの容器を用い、容器全体を底質中に埋め、底質上を移動するアサリをトラップすることを目的とした「トラップA」、満潮時に水没する高さにまで埋め、潮流によって移動するアサリをトラップすることを目的とした「トラップB」の2種類を各定点に設置した。1週間ごとにトラップ内容物を調査した結果、トラップBではアサリはトラップされなかったのに対し、トラップAでは1〜18個体のアサリがトラップされ、アサリは能動的に底質上を移動していることが推定された。

 環境要因のうち、水温・塩分量・溶存酸素などの水質は通常年の変動範囲の中にあった。底質の粒度組成は人工干潟では定点間で均一であったが、天然海岸では定点間で差がみられた。底質のクロロフィルa、フェオ色素含有量は天然海岸では通年5mg/m3以下で定点間の差が少なかったが、人工干潟では秋期〜冬期、春期に10mg/m3以上になることもあり、定点によりピークとなる時期に差がみられた。人工干潟、天然海岸とも有機炭素含有量(OC)、有機窒素含有量(ON)は夏期〜秋期に増加傾向を示した。人工干潟ではOC、ONとも沖寄りの定点ほど高い含有量を示したのに対し、天然海岸では定点ごとの明確な傾向は見られなかった。底質クロロフィルa、フェオ色素含有量、OC、ONの地点間での差は、付着珪藻の現存量やアナアオサの堆積に影響を受けていると考えられた。

4章 アサリ個体群動態と環境の関連性

 3章で調査したアサリの個体数、成長率および各環境要因との関連性を、統計的解析により検討した。推定されたコホート別に個体数および成長率と各環境要因の単回帰分析を行った。また、全環境要因からステップワイズ回帰で個体数および成長率と相関のある環境要因を抽出し、重回帰分析を行って個体数および成長率と有意に相関がみられた要因について主因子分析を行い、海岸の特性を決定する因子を抽出した。

 アサリ個体数は、ステップワイズ回帰および重回帰分析でいくつかの環境要因と相関を示した。コホート1、2は粒径106〜75μm、75μm未満の粒度成分の含有量、およびフェオ色素またはOCと相関を示した。主因子分析からは、生息環境の特性は粒度の成分によって決定づけられていた。各月ごとの個体数変動ではクロロフィルa含有量やOCなど、餌料と考えられる環境要因と相関を示す月が存在した。コホート3および4ではアサリ個体数と有意な相関を示す環境要因は存在しなかった。各月の成長率は、環境要因との単回帰分析の結果、クロロフィルa含有量やOC、ONと高い相関を示す月が存在した。天然海岸、人工干潟それぞれの結果のみで解析を行った結果では、天然海岸では粒度組成のみと相関を示すことが多く、人工干潟ではクロロフィルa含有量やOCとも相関を示した。

 コホート1および2の個体数と粒度との相関は、稚貝が物理的に安定な底質環境に多いことを示すものと考えられた。コホート2は2000年春期発生群と推定され、各月の個体数と餌料との相関から、海岸による生残の有無は餌料の量に影響を受けている可能性があると考えられた。コホート3および4は殻長20mm以上であり、移動能力が高いため底質の粒度組成と分布に相関がみられないと考えられた。成長率は各環境要因との相関を示した結果が少なかったが、成長は餌料の量のみでなく質にも関連している可能性があり、将来的に体成分についても検討する必要があると考えられた。地点内でのアサリの分布は、粒度組成が均一である人工干潟では餌料により決定され、天然海岸では粒度組成の違いが影響を及ぼしている可能性が示された。アサリが粒度や餌料の量から能動的に分布域を選択するかについては実験的検討が必要であるが、トラップ実験から能動的に海岸内を移動することが明らかになり、能動的底質選択により移動を行う可能性があると考えられた。

5章 総合考察

 アサリ資源保護および増殖のための環境造成について、いくつかの可能性を検討した。

 浮遊幼生調査の結果から、浜名湖でのアサリの産卵最盛期は6月中旬、および11月下旬であり、この時期の漁獲量制限により、産卵個体の保護が可能になると考えられた。

 コホート1、2に相当する殻長12mm未満のアサリは、粒径106μm以下の細砂およびシルト分含有率が多い底質環境に多く出現した。これらの粒度成分は底質の物理的安定性に関連していると考えられる。これまでアサリ増殖のための人工干潟には、砂質の底質が有効であるとされていたが、アサリ稚貝を定着させるには粒度組成における細砂およびシルト分含有率を考慮する必要性があると考えられる。粒度組成が均一であった人工干潟では、個体群の成長・生残にクロロフィルa含有量やOCなど餌料環境に関連する要因が影響を与えていると考えられたことから、環境造成に際しては、付着珪藻の量などの餌料環境の考慮も必要であると考えられる。

 本調査では殻長500μm以下の着底稚貝が含まれておらず、今後の調査が必要である。また、アサリの粒度組成・餌料の量に関する能動的選択性については、実験的検証を行うことが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 アサリは沿岸を代表する有用種であるが、近年各地で漁獲量の大幅な減少が問題となっており、科学的研究に基づいた資源の保護および増殖が必要と考えられている。本論文では、それらの基礎研究として、全国有数のアサリ産地である浜名湖において個体群動態および環境調査を行い、またそれらの関連性からアサリ増殖への可能性を検討した。

アサリ幼生の同定法の検討

 種の同定は個体群動態調査の根幹をなすにもかかわらず、アサリ幼生については形態学的記載が十分になされていない。序章に続く第2章では、人工受精で得たアサリ幼生を着底まで飼育し、光学顕微鏡および走査型電子顕微鏡(SEM)を用いて通常二枚貝幼生同定の基準とされる交板の形態観察と分類形質の確定、またアサリ幼生用モノクローナル抗体の反応性を浜名湖産二枚貝5種の幼生と比較し、同定への実用性を検討した。

 光学顕微鏡ではアンボ期以降、SEMでは後期D型幼生以降で他種との区別が可能であったが、モノクローナル抗体法は大量の試料の処理に迅速、かつ簡便な同定法であり、以後この方法を研究に使用した。

浜名湖のアサリ個体群動態と変動要因の推定

 浜名湖の天然海岸3地点(湖南部の村櫛、湖北部の佐久米・横山)、および湖北西部の人工干潟A、B2地点にそれぞれ3〜6定点を設置し、2000年10月〜2001年9月まで毎月1回アサリの個体群動態と環境の調査を行った。この期間には5コホートが出現し、それぞれ2000年秋発生群(以下コホート1)、2000年春期発生群(コホート2)、1999年秋期発生群(コホート3)、1999年春期発生群(コホート4)、1998年秋期発生群(コホート5)と推定された。

 成長・生残に関しては、コホート1は各海岸で2000年5〜6月までに殻長500μm以上とり、9月に約10mmとなった。コホート2は湖北部では大量に出現し、死滅により新規加入しないとされていた春期発生群が一部海岸では加入していることが明らかになり、村櫛、横山および人工干潟Bでは2001年3月、7〜8月に0.5mm/月以上の急激な成長を示した。コホート3および4は2000年秋期、2001年春期に殻長が増加する傾向を示したが、村櫛ではほとんど成長がみられなかった。定点別のコホート解析では、人工干潟では、沖寄りの定点ほどコホートの殻長が大きいかったが、天然海岸では定点間で明確な差はみられなかった。

 浮游期の生残が個体群の変動に影響する可能性を調べるため、浜名湖内の4地点でプランクトンネットを鉛直曳き、冷凍保存サンプルからモノクローナル抗体でアサリを識別して個体数を調査した。浮游量は秋期、春期とも最高189個体/m3と同程度であり、春期発生群も浮遊期間中には死滅しないと考えられた。

 環境要因のうち、水温・塩分量・溶存酸素などの水質は通常の変動範囲の中にあったが、天然海岸では定点間で底質の粒度組成に差がみられた。一方底質のクロロフィルa、フェオ色素含有量は、天然海岸では通年5mg/m3以下で定点間の差が少なかったが、人工干潟では10mg/m3以上になることもあり、定点によりピークとなる時期に差がみられた。人工干潟、天然海岸とも有機炭素含有量(OC)、有機窒素含有量(ON)は夏から秋期に増加傾向を示した。

アサリ個体群動態と環境の関連性

 アサリの個体数、成長率は、ステップワイズ回帰および重回帰分析でいくつかの環境要因と相関を示した。コホート1、2は粒径106〜75μm、75μm未満の粒度成分の含有量、およびフェオ色素またはOCと相関を示した。主因子分析からは、とくに天然海岸では生息環境の特性は粒度の成分によって決定づけられていた。各月ごとの個体数変動では、人工干潟ではクロロフィルa含有量やOCなど、餌料と考えられる環境要因と相関を示す月が存在した。コホート3および4は殻長20mm以上であり、移動能力が高いため底質の粒度組成と分布に相関がみられないと考えられた。すなわち、地点内でのアサリの分布は、粒度組成が均一である人工干潟では餌料により決定され、天然海岸では粒度組成の違いが影響を及ぼしている可能性が示された。

資源保護および増殖のための環境造成に関する論議

 浜名湖でのアサリの産卵最盛期は6月中旬、および11月下旬であり、この時期の漁獲量制限により、産卵個体の保護が可能になると考えられた。

 殻長12mm未満のアサリは、細砂およびシルト分含有率が多い底質環境に多く出現し、またトラップ実験からもアサリは能動的に海底を移動していることが明らかになったことから、人工干潟に稚貝を定着させるには粒度組成を考慮する必要があると考えられる。また、粒度組成が均一な場合には個体群の成長・生残に餌料環境要因が影響を与えていることから、環境造成に際しては、付着珪藻などへ考慮も必要であると考えられる。

 以上本研究は、従来ほとんど科学的な研究の無かった浜名湖アサリ資源の動態を資源学的手法、環境学的手法により解析し、さらに天然海岸と人工干潟を比較することから資源保護および増殖のための環境造成について論及したものであり、基礎科学上また応用科学上資するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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