学位論文要旨



No 117174
著者(漢字) 岩滝,光儀
著者(英字)
著者(カナ) イワタキ,ミツノリ
標題(和) 有殻渦鞭毛藻Heterocapsa属の分類学的研究
標題(洋) Taxonomic study on the genus Heterocapsa (Peridiniales, Dinophyceae)
報告番号 117174
報告番号 甲17174
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2370号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 福代,康夫
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 講師 武田,重信
 山形大学理学部 教授 原,慶明
 長崎大学水産学部 教授 松岡,數充
内容要旨 要旨を表示する

 有殻渦鞭毛藻Heterocapsa属は沿岸性の小型種からなる藻群で、渦鞭毛藻としては特異な鱗片が細胞表面にあることで知られている。同属は有殻類であるが、鎧板が極めて薄いため外見上無殻類と酷似しており、光学顕微鏡による同定が困難である。また同属の一種H. circularisquamaは、二枚貝の大量斃死を引き起こすため各種の研究が行われているが、その中で同定の困難さに加え類似種も確認され、根本的な分類学的研究が緊要の課題となっている。

 本研究は、日本沿岸に出現する未同定のHeterocapsaの記載を行うこと、本属構成種の包括的な形態比較を行うことで共有形質を示し、本属の特徴を明確にすること、およびそれぞれの形態形質を比較し、種レベルの分類形質を明らかにすることを目的として行った。

 研究試料には世界各地で採集された84の単藻培養株と固定試料を用いた。形態については、微分干渉顕微鏡による細胞外形とサイズ、核とピレノイドの位置の観察と、蛍光顕微鏡による鎧板配列の観察を行った。透過型電子顕微鏡を用いた細胞内微細構造の観察には超薄切片を、細胞鱗片の微細構造にはホールマウント試料を用いた。そしてSSU rRNA遺伝子の塩基配列を用いた系統解析により渦鞭毛藻中のHeterocapsa属の系統的位置を推定し、さらにITS1、5.8SrRNA、ITS2と周辺の一部を含む領域(ITS領域)を用いた分子系統解析によりHeterocapsa属内の系統関係の解明を試みた。最終的に形態形質と分子系統解析の結果を照らし合わせることで、属内における各形態形質の進化を想定し、分類形質としての評価を行った。

これまでのHeterocapsa属の分類とその問題点

 Heterocapsa属は上殻のみに鎧板をもつ藻群として、H. triquetraを基準種にStein(1883)により設立された。この当時の基準は下殻にも鎧板があることが知られている現在では適用することはできないが、H. triquetraは世界各地の沿岸域における普遍種であり、同種を基準種とすることは一般に受け入れられている。1977年に同種から細胞鱗片が発見され、1981年には全鎧板配列が発表された。そして同種と似た鎧板配列と細胞鱗片をもつCachonina illdefinaとC. nieiがHeterocapsa属に移され、共通の鎧板枚数と細胞鱗片をもつ渦鞭毛藻がHeterocapsaであると認識されるようになった。さらに近年では、細胞外形、鎧板配列、ピレノイドの内部構造の他に細胞鱗片の微細構造を示すことで新種記載がなされており、細胞鱗片の形態の違いも種レベルの分類形質として認識されるようになっている。

 このような分類学的経緯により、Heterocapsa属は基準種H. triquetraと共通の鎧板枚数と細胞鱗片をもつ有殻渦鞭毛藻の一群と見なされている。しかし同属に対する総合的な分類研究はなく、様々な研究者が独自の分類基準により同属に種を帰属させてきたため、共通して用いられるべき形態形質と種レベルの分類形質が明確でなくなってしまっている。例えば、有用な種レベルの分類形質として期待されている細胞鱗片の微細構造に関しても一部の種でしか観察されておらず、比較が困難な状況となっていた。

形態観察と分子系統解析の結果

 形態観察の結果、全ての種は基本的に同一の鎧板枚数、ピレノイド、細胞鱗片をもっていた。これらの形態形質中、ピレノイドと核の位置、ピレノイド内の管状陥入の有無、細胞鱗片の微細構造等に違いが見られ、これらを組み合わせることで試料中から7既知種H. arctica、H. circularisquama、H. illdefina、H. pygmaea、H. rotundata、H. triquetra、そして明らかに既記載種と異なる形態形質をもつ5つの形態型が識別された。これら5形態型は、新種H. lanceolata、H. horiguchii、H. ovata、H. pseudotriquetra、H. orientalisとして正式な記載を準備中である。

 SSU rRNA分子系統解析の結果、Heterocapsa属は単系統群を形成した。しかしどの外群とも類縁が示されることはなく、同属の姉妹群は明らかにできなかった。ITS領域を用いた系統解析からも同様にHeterocapsa属の単系統性が示され、本属が自然分類群であることが支持された。属内でそれぞれの種は他種と混ざり合うことはなく、5新種も含めた各種は遺伝的にも分化していることが示された。そして構成種は3つのクレード、すなわちH. horiguchiiとH. ovata(クレード1)、H. pseudotriquetraとH. triquetra(クレード2)、H. arcticaとH. lanceolataとH. rotundata(クレード3)を形成し、H. circularisquama、H. illdefina、H. pygmaeaはそれぞれ独立して分枝していた。

各分類形質の評価

(1)細胞外形

 Heterocapsa属の細胞外形はそれぞれの種毎に安定しており、楕円形、球形、菱形、そして上殻が大きい種の4つに大別することができる。このうち菱形のH. triquetraと上殻の大きいH. lanceolataは後角があることから、その他の上殻の大きな種であるH. arcticaとH. rotundataとともに細胞外形のみにより識別可能であった。しかも上殻の大きな3種は系統樹においてもクレード3を形成することで類縁性を示しており、この形質は保存性が高く属内でも一度だけ獲得されていることがわかった。逆に楕円形と球形の細胞外形は他のクレード内に混在しており、進化的にも複数回の変化を経てきた比較的変わりやすい形質であることがわかった。

(2)鎧板配列

 属内における外部形態の多様性にかかわらず、全種ともPo,cp,5',3a,7'',6c,5s,5''',2''''と表される共通の鎧板枚数をもっていた。また配列においても前縦溝板が上殻に深く入り込み、上殻中央付近で第一頂板と接する特徴的な配列も全種にみられた。

(3)細胞内におけるピレノイドの位置と管状陥入の有無

 Heterocapsaの細胞核には球形と楕円形があり、球形の場合には上殻か下殻のどちらかに偏って存在していた。核が上殻にある場合にはピレノイドは核の下部に、下殻にあるときにはピレノイドは上部に安定して存在していた。楕円形の核をもつ種では判断することは難しいが、球形の核をもつ種では核とピレノイドの位置関係は種を識別できる形質となることがわかった。系統的にもそれぞれのタイプは同じクレードに含まれることから、この形質は進化的にも安定した形質であることが示唆された。

 また、ピレノイド基質中の管状陥入は約半数の種にみられ、種識別のための形態形質として有用であった。しかしクレード1と3に管状陥入をもつ種ともたない種が入っており、進化的には変化しやすい形質であることが示唆された。この形質は比較的細胞サイズの大きい種に偏って存在することから、細胞が大型化するに伴い細胞内輸送の効率を高めるために属内のそれぞれの系統で獲得した、もしくは小型化により平行的に失われた形質かもしれない。

(4)細胞鱗片

 細胞鱗片は三部からなる放射相称の基盤と、上部の立体的な骨組みでできた装飾構造からなっていた。この構造は全てのHeterocapsaに共通した形質であり、他の渦鞭毛藻、プラシノ藻、ハプト藻の鱗片とも識別される形態形質と考えることができた。また、鱗片の直径、基盤の形態、肋線や柱の数が種間で異なっており、これら微細構造を比較することで各種を識別することができた。H. arctica、H. circularisquama、H. nieiの3種からは2種類の鱗片が同じ試料中から観察されたが、周縁部の柱の数に変化がないため、構造的に小さな鱗片は未成熟のものであると考えられた。また、基盤の網目の粗さの違いがH. horiguchii、H. rotundataにおいて観察された。この変異は株毎に安定しており、培養株が維持されてから10年以上たった株のみに粗い網目が観察され、しかも天然試料ではすべて細かい網目をもっていたことから、長年の継代培養による変異であると考えられた。そのため、基盤の網目の相違は分類基準として使用しなかった。また、唯一同じ鱗片をもつ種にH. triquetraとH. pseudotriquetraが挙げられる。これらはクレード2を形成しており近縁な種と考えられた。そしてクレード1と3においてもそれぞれの構成種の鱗片構造は比較的似ていることから、鱗片は細胞外形と比べ進化的に安定した構造であることが示唆された。したがって、鱗片の微細構造はこれら2種を除く他の全種を明確に識別できる有用な分類形質となることがわかった。

 本研究により、日本沿岸域より見いだされた5新種が記載された。また、構成種の包括的な形態比較により、現在まで曖昧であったHeterocapsa属の共有形質が明確化された。さらに同属各種は細胞形態、ピレノイドと核の位置関係、ピレノイド内の管状陥入の有無、細胞鱗片の微細構造の組み合わせより識別されることが明らかとなった。中でも鱗片構造は最も有用な分類形質であることが示された。現在までに4種の鱗片構造が図示されていたが、本研究からさらに8つの鱗片と3つの未成熟な鱗片が図示されたことにより、鱗片構造比較によるHeterocapsaの種レベルでの同定が可能となった。この鱗片観察技術は透過電顕観察法の中でも比較的簡便であり、固定天然試料にも使用できることから、Heterocapsa属の分類研究はもとより分布・広域化研究への応用が今後期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 渦鞭毛藻は海洋の微小プランクトンの主要な一群であるだけでなく、赤潮や貝毒の原因となる有害種を多く含んでおり、水産上極めて重要な藻類である。しかし、本研究の対象であるHeterocapsa属など30μm以下の小型属種は、主に観察の難しさから分類学的研究が大きく立ち遅れている生物群である。本研究はHeterocapsa属に対する分類学的な解析と明確な分類基準の設定を目的として、未同定種の記載、共有派生形質の明確化と記載の修正、種レベルの分類形質の明確化を行ったものである。

 研究試料には84単藻培養株と固定天然試料を用い、細胞外形と細胞小器官の位置は光学顕微鏡で、鎧板配列は蛍光顕微鏡で、そして細胞鱗片と細胞内微細構造はTEMを用いて観察したが、この結果から、鎧板配列、ピレノイド、細胞鱗片がHeterocapsa属の共有派生形質であることを示した。そして細胞外形、ピレノイドと核の位置、ピレノイドへの細胞質の管状陥入、細胞鱗片の微細構造に種間の違いが見られたことから、これらを組み合わせることで7既知種H. arctica、H. circularisquama、H. illdefina、H. niei、H. pygmaea、H. rotundata、H. triquetra、およびこれら既知種と明らかに異なる形態形質をもつ5未記載種を識別した。そしてこれらをH. lanceolata、H. horiguchii、H. ovata、H. pseudotriquetra、H. orientalisとして記載した。

 またSSU rRNA遺伝子を用いた分子系統解析により渦鞭毛藻綱内におけるHeterocapsa属の系統的位置、さらにITS領域を用いてHeterocapsa属内の系統関係の解明を試み、最終的に明らかとなった属内系統関係から各形態形質の系統進化を推定し、分類形質としての評価を行った。その結果Heterocapsa属は渦鞭毛藻綱内に単系統群を形成したことから、自然分類群であることが支持され、同時にScrippsiellaを含む海産ペリディニウム目藻類と近縁であることが推定された。属内では所属各種は他種と混ざり合うことはなく、それぞれが遺伝的にも分化していることが示された。また、Heterocapsa属内にいくつかの系統群を見いだし、各系統群構成種が共有する形態形質を評価した。

 各分類形質の評価のうち、細胞外形に関しては、種毎に安定しているものの、多くの種は楕円形もしくは球形をしているためそれぞれの形態同士を識別することは困難であることを示した。上殻の大きな3種は分子系統樹においても類縁性が示され、大きな上殻は属内でも一度だけ獲得された保存性の高い形質であることが分かった。鎧板配列については、属内における外部形態の多様性にかかわらず、全種ともPo,cp,5',3a,7'',6c,5s,5''',2''''と表される共通の鎧板枚数を持っており、この配列は属の共有形質と見なされることを明らかにした。細胞内微細構造については、細胞核に球形と楕円形があり、球形の場合には細胞上部もしくは下部に位置していて、核が上殻にある場合にはピレノイドは核の下部に、もしくは逆の位置関係で安定して存在していることを示した。これらは種により安定しており、互いに識別が可能であった。また、約半数の種のピレノイド基質中に管状陥入を観察し、これが種毎に安定していたものの、系統樹内ではこの形質の単系統性は支持されず、変化しやすい形質であることを示した。特に、この管状陥入は属内で最も早く分岐していたH. illdefinaに存在し、しかも細胞サイズの小さな種はもたないことから、属内の複数の系統で細胞の小型化により失われた形質であると推察した。細胞鱗片は、網目模様の基盤に立つ三方放射相称の立体構造が全種に共通しているが、基盤の形態、柱・梁・刺の数等の微細構造により各種の鱗片は識別されうることを認め、この微細構造のみによりほぼ全種の識別が可能で、鱗片は細胞外形と比べ進化的に安定した構造であることを示した。すなわち、微細構造の違いは種間の遺伝的な分化を示す有用な種の指標形質であることを支持する結果をえた。

 以上、本論文は世界各地で維持されている培養株と天然試料を基に、細胞外形と内部器官の構造、鎧板配列と鱗片の構造の分類形質としての重要性を明らかにするとともに、これら形質に基づいて従来の分類基準の見直しを行って、Heterocapsa属を分類したもので、藻類学上および水産学上の貢献は大である。また、本研究では試みられた形態と分子系統解析結果の比較は今後の渦鞭毛藻分類学研究のとるべき方向性を示すものと考えられた。よって、本論文は学術博士(農学)の学位を授与するに値するものと審査委員一同認めた。

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