No | 117176 | |
著者(漢字) | 北川,貴士 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | キタガワ,タカシ | |
標題(和) | 西部北太平洋におけるクロマグロ未成魚の遊泳行動とそれに及ぼす環境要因に関する研究 | |
標題(洋) | Study on the swimming behavior of immature Pacific bluefin tuna, Thunnus thynnus orientalis, and influence of the ocean environment in the western North Pacific | |
報告番号 | 117176 | |
報告番号 | 甲17176 | |
学位授与日 | 2002.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2372号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 太平洋産クロマグロThunnus thynnus orientalisはスズキ目サバ亜目サバ科に属し、北太平洋の温帯海域に分布している。本種は魚類の中で最大級にまで成長し、かつ高速で遊泳しながら大回遊を行う。また肉質や経済性にも優れることから、水産業上重要な魚種のひとつになっている。しかし、1992年のCITES(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)第8回締約国会議において、大西洋産クロマグロ(T. t. thynnus)を絶滅危惧種に含めることが提案されるなど、最近年は漁業規制の動きが活発化している。このような厳しい国際情勢を反映して資源の国際的な管理の強化が求められており、より精度の高い資源評価や資源の将来的な動向予測の基礎となる知見が必要となってきている。特に、北太平洋における回遊生態、産卵・初期生態等を把握することは最重要課題と考えられるが、日本周辺海域における本種の回遊生態に関する知見はまだ少なく、そのほとんどは漁獲情報に基づく大まかなものである。 そこで本研究では、標識型小型記録器(Archival tag)をクロマグロ未成魚の行動研究に適用し、個体の行動と個体が経験する海洋環境を同時に連続計測することにより、特に、西部北太平洋における未成魚期のクロマグロの遊泳行動とそれに影響を及ぼす物理・生物環境要因を明らかにし、本種の温帯水域への適応機構について考察することを目的とした。 用いた記録器の本体は、長さ10cm、直径16mmのステンレス製のシリンダーで覆われており、その一端に長さ15cm、直径2mmのケーブルがつながっている。ケーブルの先端は水温と照度のセンサーになっており、本体内に温度と圧力のセンサーがついている。記録器による計測間隔は128または256秒に1回で、最大80または160日間の記録が可能である。また、日出と日没の時刻から毎日の緯度経度を推定することができる。独立行政法人水産総合センター遠洋水産研究所では、東シナ海対馬沖において、曳縄で漁獲されたクロマグロの腹腔内にこの記録器を装着し、1995年から1998年の冬季(11-12月)に合計229個体を放流している。放流個体は尾叉長43-78cmで、当歳もしくは1歳魚と推定されている。本研究ではこれまでに再捕・回収された32個体のタグに記録された水温、遊泳深度、腹腔内温度の時系列データを解析した。なお、再捕された32個体のうち20個体は放流後12ヶ月以内に東シナ海で、5個体は5ヶ月から12ヶ月以内に日本海で、もう5個体は4ヶ月から4年以内に黒潮・親潮移行域、残り1個体は2年以内に東部太平洋で再捕された。 解析結果の大要は以下の通りである。 1.水温がクロマグロ未成魚の鉛直遊泳行動・分布に与える影響 クロマグロ未成魚の鉛直行動・分布の日周期及び季節変化、それらに及ぼす水温の影響を検討し、以下のことを明らかにした。 (1)東シナ海において、冬季には、クロマグロは表層混合層内で夜間は表層、昼間はより深い水深を遊泳しており、遊泳深度の変化に日周性が認められた。水温躍層が形成されていた南西海域まで大きく移動した数個体は日周性がとくに顕著であったことから、躍層の発達が遊泳水深の日周性を顕著にする要因であることが示唆された。(2)一方、水温躍層の発達する夏季は、クロマグロは一日の大半をごく表層で過ごしており、躍層付近での急激な水温変化を避けて表層を滞泳していた。しかし、昼間には水温躍層を越える鉛直移動が短時間ながら頻繁にみられ、そのため日周性は冬季より顕著になった。これらの結果から、空間的・季節的な環境水温の鉛直構造の変化が、本種の鉛直遊泳行動・分布を規定していることが分かった。 2.クロマグロの摂餌に伴う鉛直遊泳行動とその海域間比較 夏季にクロマグロが行う水温躍層を越えた鉛直移動の目的を把握するため、その摂餌との関係について検討を加えた。また、鉛直行動の遊泳海域(東シナ海、黒潮・親潮移行域、日本海)による違いとその要因について検討を行い、以下のことを明らかにした。 (1)東シナ海から移行域へ移動した個体は、黒潮フロントや黒潮続流から生じた暖水渦の中で滞留していた。これらの海域では同時期の東シナ海ほど水温成層が発達していなかったにもかかわらず、クロマグロは表層を遊泳する傾向が強く、日出時と日没時にみられた鉛直移動を除けば50m以深への降下頻度は同時期に東シナ海を遊泳していた個体に比べ、有意に低いことが分かった。 (2)摂餌に伴い腹腔内温度が一時的に低下することを利用して摂餌頻度を推定した結果、移行域の個体は東シナ海の個体に比べて昼間により多くの摂餌を行っていることが分かった。このことから、東シナ海ではクロマグロは水温躍層以深への鉛直移動を行うことで索餌しているのに対し、移行域ではクロマグロは主に水平移動を行いながら、フロント付近に集積しているカタクチイワシなどを摂餌している可能性があることが分かった。一方、日本海に移動した個体についても主に表層を遊泳することが分かったが、これは餌の鉛直分布に加え、表層の水温が他の海域に比べ著しく低いことなどが影響したものと推察された。このように鉛直遊泳行動の海域による違いには、海域の密度成層や餌生物のバイオマスや鉛直分布などが複合的に関与していることが示唆された。(3)どの海域においてもクロマグロは日出時と日没時に必ず潜行を行ったものの摂餌は見られなかったことから、この鉛直移動は朝夕の急激な照度変化を避ける反応行動であると考えられた。 3.クロマグロ未成魚の体温保持機構 クロマグロが水温躍層を避けて主に表層に滞在している理由に関して、クロマグロの体温(ここでは腹腔内温度)の低水温環境下での保持機構という観点からデータ解析を行い、以下のことを明らかにした。 (1)腹腔内温度は、冬季には昼夜ともにまわりの水温より2℃ほど高く保たれており、この温度差は水温が変化してもほぼ一定であった。また尾叉長が大きい個体ほど温度差が大きくなる傾向があることから、温度保持に体の大きさが関係していることが示唆された。(2)一方、夏季においても腹腔内温度は基本的に水温より高く保たれていたが、どの個体についても水温が低くなるにしたがい両者の温度差が大きくなる傾向が見られた。(3)熱収支モデルを用いて、夏季における腹腔内温度の保持機構に関する検討を行った。その結果、腹腔内温度の保持には大きな熱的な慣性や高い発熱速度が重要であることが分かった。いったん体温が下がると回復するのに時間がかかるため、クロマグロは水温躍層下への長時間の侵入をできるだけ避けて主に表層混合層内遊泳する。侵入するにしても、体温への影響の小さい短時間の鉛直移動を行うことにより体温を保持しているものと考えられた。(4)鉛直行動は日照量に左右され、照度が低下する曇りの日は鉛直移動の頻度とこれに伴う体温変動が減少することが分かった。 4.クロマグロの温帯域への適応機構 クロマグロが、熱帯・亜熱帯より水温の低い西部北太平洋の温帯環境にどのように適応しているのかを明らかにするため、本種の温帯環境下における腹腔内温度の保持能力の成長に伴う変化について検討し、以下のことを明らかにした。 (1)本研究でのクロマグロの平均経験水温は15.0-20.7℃であり、本種の適水温範囲(12-22℃)にあった。また、腹腔内温度と水温との差は成長に伴い大きくなる傾向があったが、温度差の増大する割合は成長に伴い小さくなり、平均腹腔内温度は30℃を越えることはなかった。(2)熱収支モデルを用いて推定したクロマグロ腹部の熱伝導係数は、成長に伴い減少する傾向を示すことから、腹部の断熱性が増大したことが示唆された。さらに、同じモデルで見積もった腹腔内の発熱速度も減少傾向を示すことから、本種の単位体重当たりの代謝速度は成長とともに減少することが分かった。(3)このことから、本種は成長に伴い体の断熱性が増大するものの、その一方で腹腔内の発熱速度も減少するため、体温は致死温度には至らず、それが体が大きくなっても温帯水域で活動することを可能にしているものと推察された。(4)ただし、このような温度保持機構を可能にするためには、温帯海域の低水温環境を利用することが必要不可欠であると考えられた。本種の主産卵場である日本南方の亜熱帯海域に留まり温帯海域に移動することができなければ、成長するに従いオーバーヒートを起こしてしまう危険性がある。そのためクロマグロは黒潮上流の外側反流域で産卵するものの、発生後すばやく黒潮に取り込まれることにより、少ないエネルギーコストで温帯海域に逃れることができ、その良好な餌料環境を利用可能にしているものと考えられる。 以上、本研究により、西部北太平洋におけるクロマグロ未成魚の鉛直遊泳行動の時間的・空間的な変化、それに影響を及ぼす水温と餌の鉛直分布構造、さらには温帯の低水温環境への適応機構とその意義について、新たな知見が得られた。これらの成果はいずれも、海洋構造に対応したクロマグロの摂餌・回遊生態の全体像を解明したものであり、本種の適正な資源管理を進めるための生態学的基礎をなすものと考えられる。 | |
審査要旨 | クロマグロは、肉質が良く経済的価値が高いことから、日本近海における大型魚類として重要な漁業資源である。しかし、近年絶滅危惧種としての提案が出されるほどにその資源量が減少してきている。また、北太平洋を渡海する広域回遊種ではあるが、大半が日本の200海里内で漁獲されていることから、日本が主導性を発揮して適切な資源管理を行うことが求められている。その生物学的基礎として、本種の生活史生態や、回遊、産卵、加入等に関するより詳細な知見が必須であるが、これまで回遊に関する生態学的情報は乏しく、そのほとんどは漁獲と通常の標識魚の再捕資料によっていた。しかし10年程前から温度、圧力、照度等の物理量に対する超小型の計測・記録計が開発され、サケやマグロ等の大型魚類への装着に対しても実用化の域に達し、個体レベルでの回遊行動の詳細が、1年以上の長期にわたって把握できるようになってきている。 本研究は、この標識型小型記録計を取り付けて放流し回収されたクロマグロ未成魚32個体の遊泳行動を対象にして、それらの潜水行動の日変化の実態、海域環境の違いの影響および温帯水域への適応機構に関して、野外での測定データに基づいて明らかにしたものである。資料としては、水産庁遠洋水産研究所が1995-98年に対馬西方沖で行った大規模なクロマグロ未成魚の標識放流実験で得られたデータを用いた。とくにその中から、主に鉛直遊泳行動に関する部分を駆使用して、体温保持能力、および海洋中の光条件と水温躍層の有無による餌の鉛直分布の違い等から解析し、鉛直移動に対する説明を加えた。 本研究の成果の大要は以下の通りである。 1.クロマグロ未成魚の遊泳行動に与える水温躍層の影響 (1)水温が鉛直に一様に近い越冬季の東シナ海において、夜間は表層付近を遊泳するが、昼間は100m深付近まで潜水して索餌する。これに対して、水温躍層の発達するする夏季は一日の大半を表層で過ごし、昼間は下層への短時間の潜水・索餌活動を頻繁に行う。 (2)夏季に日本海や黒潮親潮移行域に抜け出した個体は、水温前線や暖水渦の表層水中に滞留して、ほとんど潜水せず表層水中で索餌活動する。これらのことから、鉛直遊泳行動の違いには、海域あるいは季節による水温躍層や餌生物の鉛直分布が複合的に関与していることが示唆された。 2.クロマグロの体温保持機構 (1)クロマグロ未成魚が夏季の東シナ海において、一日の大半を表層で滞泳しつつ昼間に活発な短期的潜水索餌活動を示した習性傾に関して、クロマグロの大きな熱的慣性(断熱性)とともに、メバチなど他の熱帯域のマグロ類に比べて1桁程度高い発熱速度を持つことに関与していることがわかった。 (2)また、鉛直遊泳行動は日照量に左右され、照度が低下する曇りの日には潜水頻度とこれに伴う体温の上昇が減少する傾向のあることが見い出された。 3.クロマグロの温帯域への適応機構、(1)腹腔内温度の保持能力の成長に伴う変化について検討した結果、本種は成長に伴い体の断熱性が増大するものの発熱速度が減少し、低温環境下で過熱状態を避ける形で熱帯、亜熱帯域ではなく温帯海域に適応していることが示唆された。(2)また、クロマグロが台湾東方沖の黒潮反流・渦流域で4-7月に集中的に産卵するのは、この場所で孵化した仔稚魚が比較的速く成長し、かつ早期に黒潮に取り込まれて温帯海域に運ばれやすい条件が関与していることが示唆された。 以上、本研究により、西部北太平洋におけるクロマグロ未成魚の鉛直遊泳行動の時間的・空間的な変化、それに影響を及ぼす水温の鉛直分布構造、さらには温帯の低水温環境への適応機構とその意義について、新たな知見が得られた。これらの成果はいずれも、クロマグロの熱的生理学的特性と、海洋構造に対応した摂餌・回遊生態に関わる重要な素過程を解明したものであり、本研究で得られた成果は、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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