学位論文要旨



No 117180
著者(漢字) 田角,聡志
著者(英字)
著者(カナ) タスミ,サトシ
標題(和) ウナギ体表粘液レクチンに関する研究
標題(洋)
報告番号 117180
報告番号 甲17180
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2376号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 小川,和夫
 東北大学大学院生命科学研究科 教授 村本,光二
内容要旨 要旨を表示する

 魚類は水中生活者であることから陸上生物とは異なり、皮膚において常に異物が侵入するおそれがある。その皮膚の表面を覆っている体表粘液中には免疫グロブリン、補体、溶血素、C反応性タンパク質、レクチンなどといった、生体防御に関与する因子が多く存在することが知られている。このうち、レクチンは糖に結合するタンパク質として知られており、菌類から動物まで、様々な生物にみられる。動物ではこれまで体内のレクチンを中心に研究が進められており、それらの多くについて構造が解析されている。また、体内レクチンの役割には様々なものが報告されているが、補体経路の活性化など、生体防御に関与する機能も知られている。一方、体外のレクチンに関しては、多くの魚種の体表粘液中にその存在が報告され、単離精製されたものも少なくないものの構造に関する報告は1例しかなく、機能の解析はほとんど行われてこなかった。本研究では、粘液中に強いレクチン活性がみられ、また粘液量も豊富なウナギAnguilla japonicaを材料として、まずレクチンの単離精製を行い、活性の生化学的特性を調べた。ついでこのレクチンをコードする遺伝子の構造、およびアミノ酸配列の解析を行うとともに、発現組織の同定とその組織における分布について調べた。さらに、グラム陰性菌の1つである大腸菌Escherichia coliに対するこのレクチンの活性について調べることで、機能解明の手がかりを得ることを目指した。

第1章 ウナギ体表粘液中抽出液のレクチン活性の性状解析

 ウナギを2−フェノキシエタノールで麻酔し、体表から出血しないように注意しながら粘液をかき取り、5倍重量のバッファーを加えホモジェナイズした。これを10,000rpmで30分間遠心分離し、上清を粘液抽出液とした。ついで、粘液抽出液の赤血球凝集活性に対する熱、pH、塩濃度の影響について調べた。活性は40℃で20分間加熱しても低下せず、常温では比較的安定であることが示された。また、pH5から12の広い範囲で安定であることが示された。さらに、1MNaCl存在下でも活性は変化しなかった。つぎに、レクチンの性状解析において重要である、活性のCa2+イオン要求性および特異糖の検索を行った。活性はEDTAまたはEGTA添加により低下せず、またCa2+イオンの添加により上昇しなかったことから、Ca2+イオン非依存性であることが明らかとなった。一般にCa2+イオン依存性活性を示すレクチンはC型レクチンに分類されることから、この結果はこのレクチンがC型ではないことを示唆している。また、今回調べた糖類の中ではラクトースのみが活性阻害を示し、最小阻害濃度が3.125mMと低かったことから、このレクチンはラクトースに特異的結合をすることが推定された。以上の性質を総合すると、このレクチンを精製するにはpH7.0前後のバッファーを用いて体表粘液を抽出し、ついで同じバッファーを用いたラクトースーアフィニティークロマトグラフィーに供した後、必要に応じてゲル濾過やイオン交換クロマトグラフィーを適用すればよいと考えられた。

第2章 ウナギ体表粘液レクチンの精製と性状解析

 ラクトースをリガンドとしてSepharoseに導入したゲル担体をつめたカラムに体表粘液抽出液を通し、十分量のPBSで洗浄した。その後、50mMラクトースを含むPBSで溶出したところ鋭い単一のピークがみられ、この画分に活性が認められた。ついでこのピーク画分を濃縮し、さらにSuperose 6によるゲル濾過に付したところ2つのピークがみられ、これらのピーク画分は単独で活性を示した。はじめに溶出したレクチン(以下、AJL-1とする)はNative PAGEで移動度が小さいスメアなバンドとなり、SDS-PAGEでは非還元、還元両条件で約15kDaを示した。また、MALDI-TOF-MSにより分子量は16091Daと決定された。さらに、ゲル濾過により推定されたこのレクチンの分子量は約30kDaであった。これらより、AJL-1は非共有結合により2量体を形成して活性を示していると考えられた。一方、後から溶出されたレクチン(以下、AJL-2とする)はNative PAGEで移動度の大きいシャープなバンドとなり、非還元SDS-PAGEで約32kDa、還元SDS-PAGEでは約16kDaを示した。また、MALDI-TOF-MSにより分子量は31743Daと決定された。これらの結果、AJL-2は約16kDaのサブユニットがジスルフィド結合により2量体を形成して活性を示しているものと推定された。これらのレクチンは両者とも、温度、pH、塩の添加に対して安定であった。さらに、両者ともCa2+イオン非依存的活性を示すことが明らかとなった。また、活性阻害はAJL-1ではD−ガラクトース、N−アセチル−D−ガラクトサミン、ラクトース、メリビオースでみられ、特にラクトースに対する特異性が高いことが示された。AJL-2は調べた糖類ではラクトースのみに特異性を示した。つぎに、AJL-1および2のN末端アミノ酸配列の解析を行ったところ、AJL-1はブロックされていて決定できなかったが、AJL-2については40残基まで決定できた。最後に、マアナゴの体表粘液中に存在するレクチンであるcongerin IおよびIIに対する抗体を用いたウエスタンブロッティングを行ったところ、AJL-2にはいずれの抗体も反応しなかったがAJL-1には2つの抗体とも交差反応を示し、AJL-1がcongerinと同じレクチンファミリーに属していることが推定された。

第3章 AJL-1の1次構造および分布の解析

 AJL-1はN末端がブロックされていたため、ペプチダーゼにより断片化しこれらの配列を解析したところ5つの内部配列が得られた。このうち1つに基づきプライマーを作製し、皮膚cDNAを鋳型として3'−および5'−RACEによりこのレクチンをコードする塩基配列を決定した。ホモロジー検索の結果、AJL-1は多くの動物のガレクチン(Ca2+非依存的にβ−ガラクシドに対して特異的活性を示すレクチンファミリー)と比較的高い相同性を示すことが明らかとなった。これらのうちcongerin IIがもっともスコアが高く、congerinと同様にシステイン残基をもたない、特殊なガレクチンであることも明らかとなった。AJL-1は、ヒトgalectin-2においてラクトースと直接結合することが明らかにされている7つのアミノ酸残基をほぼ完全に保存しており、ガレクチンの糖認識部位(carbohydrate recognition domain, CRD)を保存していることが明らかとなった。また、分子量を計算したところ16.07kDaとなり、第2章で測定された分子量とほぼ一致した。このことから、この配列の130-132残基目の部分に、N結合型糖鎖が結合しうる配列(NIS)が認められたが、AJL-1は糖鎖をもたないと考えられた。ノーザンハイブリダイゼーションの結果、皮膚で特異的に発現していることが明らかとなった。発現量には個体差がみられたが、病気に対して特に高い抵抗性を示した1個体で発現量が多く、このレクチンと耐病性との関係が示唆された。

第4章 AJL-2の1次構造および分布の解析

 N末端アミノ酸配列に基づき作製したプライマーを用いて、皮膚cDNAを鋳型とした縮重PCR、3'−および5'−RACEによりAJL-2をコードする塩基配列を決定した。ホモロジー検索の結果、多くのC型レクチンのCRDと比較的高い相同性を示すことが明らかとなった。これまでにC型CRD内には2分子のCa2+イオンの存在が報告されている。AJL-2は糖との結合にも関与する2つめのCa2+イオンと結合するアミノ酸残基を完全に保存していたが、1つめについては4つの残基のうち1つが欠失していた。第2章でAJL-2は活性の面からはC型でないことが示されたが、本章の結果から、構造上はC型であることが示された。このようにAJL-2が相反する性質を持っているのは上述した1つめのCa2+イオンと結合するアミノ酸残基の欠失による可能性がある。さらに、AJL-2の糖結合特異性モチーフの配列がこれまでにマンノース特異的であるとされたEPNであった。しかし、AJL-2はマンノース特異的ではなくラクトース特異的であることから、既知のものとは異なるモチーフをもつ可能性が示された。つぎにAJL-2の配列の分子量を計算したところ、第2章で測定された分子量の1/2であることが明らかとなった。これらから、AJL-2は分子量15.87kDaのサブユニット2個からなる2量体を形成していることが明らかとなった。さらに、このレクチンが糖鎖をもっていないことが考えられる。ノーザンハイブリダイゼーションの結果、皮膚で特異的に発現していることが示された。また、精製AJL-2に対する抗血清を用いた免疫組織化学により、皮膚における分布を調べたところ、棍棒状細胞に存在することが明らかとなった。

第5章 AJL-1,2の機能解析

 AJL-1,2の大腸菌E. coli K 12株に対する凝集能をホルマリン死菌を用いて検討したところ、AJL-1は凝集しなかったのに対してAJL-2は強く凝集した。つぎに、この大腸菌株の成長に対するAJL-1,2の影響を調べたところ、両者ともコントロールの菌に比べて成長速度を遅らせることが明らかとなった。これらから、AJL-2では菌を凝集させることで凝集塊内部の菌に酸素不足を引き起こして菌の増殖を遅らせるものと考えられるのに対し、AJL-1の阻害機構は全く不明である。

 以上、本研究によりウナギ体表粘液中に存在するラクトース特異的レクチンの生化学的性質が明らかとなり、構造が決定され、発現組織が同定された。さらに機能について若干の検討を行った。これらの成果は、まだ基礎的知見の乏しい体表粘液レクチンについて多くの情報を提供するものである。今後、本研究で得られた成果を手がかりにして、病原性細菌に対する作用やこれらのレクチンと耐病性との関係を明らかにし、育種や養殖技法の改善につなげていくことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

水中生活者である魚類では,皮膚は多くの病原生物と接する場である.その皮膚の表面を覆っている体表粘液中には生体防御に関与するさまざまな因子が存在する.本論文は,この内,ウナギの体表粘液に存在するレクチン(特異的な糖に結合するタンパク質)について解析を進めた結果を記したものである.

 まず,第1章ではレクチン活性の性状を解析した結果をまとめている.粘液粗抽出液に存在するレクチンの活性は,40℃で20分間の加熱でも低下せず,pH5から12の範囲で安定であった.また,Ca2+非依存性であり,Ca2+依存性の活性を示すC型レクチンではないと,この時点では推定している.さらにラクトースの添加により活性が阻害されることから,このレクチンはラクトースに特異的な結合をすることを明らかにしている.

 第2章では,レクチン精製の結果と,得られた精製レクチンの性状解析について記している.ラクトースをリガンドとしたアフィニティーカラムに粘液抽出液を通し,結合した成分をラクトースを含むバッファーで溶出すると活性を示す単一のピークが得られるが,ゲル濾過に付すと2つのピークからなり,ウナギが少なくとも2つのレクチン(AJL-1,AJL-2)をもつことを明らかにしている.AJL-1は非共有結合で,AJL-2はジスルフィド結合でいずれも2量体を形成していた.熱やpH安定性,Ca2+要求性,特異糖は粗抽出液とほぼ同様である.また,N末端アミノ酸配列解析によりAJL-2については40残基まで決定している.さらに,マアナゴの体表粘液中レクチンのcongerinに対する抗体はAJL-1のみと結合し,類似性が示されている.

 第3章ではAJL-1の1次構造を解析している.N末端がブロックされていることから,ペプチダーゼにより断片化して内部配列が得て,それ基づきプライマーを作製し,RACE法により塩基配列を決定している.ホモロジー検索の結果,congerinなど,動物のガレクチンと比較的高い相同性があり,その糖認識部位(carbohydrate recognition domain, CRD)を保存していることが明らにしている.

 第4章では,AJL-2の1次構造を解析している.N末端アミノ酸配列に基づいて作製したプライマーを用いたRACE法により塩基配列を決定し,そのCRDが多くのC型レクチンと比較的高い相同性が見られることを示している.C型レクチンはCa2+要求性をその特徴としているが,このAJL-2は要求せず,ウナギがCa2+に乏しい淡水中にも生息することと考え合わせて興味深い結果である.ノーザンハイブリダイゼーションの結果,皮膚でのみ特異的に発現していること,精製AJL-2に対する抗血清を用いた免疫組織化学により,表皮の棍棒状細胞に存在することから,皮膚特有のレクチンであるとしている.

 第5章では,精製したAJL-1,2の機能解析の端緒として大腸菌E. coliに対する作用を見た結果を記している.まずホルマリン死菌に対しては,AJL-2が強く凝集するのに対し,AJL-1は凝集しないことを示している.その一方で大腸菌株の成長については,両者ともその速度を遅らせることから,これらのレクチンがいずれも生体防御に関与しているものと推定している.大腸菌を凝集しないAJL-1にも成長阻害が見られるという結果については更なる検討が必要としている.

 体表粘液レクチンに関しては多くの魚類でその存在が知られており,重要な役割があるものと信じられているが,系統だった解析が行なわれておらず,今後の研究の進展が望まれているところである.本研究はウナギ体表粘液中の2種類のレクチンについて,その構造を決定し,予備的ではあるが,機能についての検討も加えたものである.魚類粘液レクチンとしてはアナゴに次ぐ構造決定であり,菌に対する作用にまで言及したのは初めてのケースである.特にAJL-2はCタイプレクチンの定義を変えなければならないような発見であり,分子進化の面からも興味深く,学術上の貢献が大きい.また,病原性細菌に対する作用や耐病性との関係をさらに解析していくことにより,育種や養殖技法の改善につながる新しい分野が開ける可能性を秘めた有意義な研究ということもできる.よって,審査委員一同,博士(農学)の学位授与として価値あるものと認めた.

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