学位論文要旨



No 117182
著者(漢字) 水澤,寛太
著者(英字)
著者(カナ) ミズサワ,カンタ
標題(和) 魚類におけるメラトニンリズムの調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 117182
報告番号 甲17182
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2378号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 加藤,久典
 東京大学 助教授 小林,牧人
内容要旨 要旨を表示する

 メラトニンは脊椎動物の松果体や網膜などで合成されるN−アセチル−5−メトキシトリプタミンの構造を持ったインドール化合物であり、その合成・分泌量が日中に低く夜間に高い日周リズムを示すことから体内に時刻情報を伝達するホルモンであると考えられている。多くの動物において、メラトニン分泌は光によって強く抑制され、また恒暗条件下においては約24時間周期のリズム(概日リズム)を示すことから、メラトニンリズムの調節には光と生物時計(生物に内在する自律性の計時機構)が深く関与していると考えられている。しかし数種のサケ科魚類では松果体におけるメラトニンリズムが恒暗条件下で消失することから生物時計による調節を欠いていることが知られている。そこで本研究では、松果体のメラトニンリズムが生物時計による調節を欠くニジマスと、生物時計により調節を受けるアユを対象として、メラトニンリズムの調節機構を生理学的、分子生物学的手法を用いて比較解析することを目的とした。

1.アユとニジマスの松果体と網膜におけるメラトニンリズムの検討

 アユとニジマスの松果体と網膜にメラトニンリズムが存在するか否か、また、それらが光と生物時計によって調節されているか否かを調べた。松果体については灌流培養を行い、培養液中に放出されるメラトニン含量を、網膜については眼球内メラトニン含量をラジオイムノアッセイ(RIA)を用いて測定した。血中メラトニン濃度についても同様に解析した。その結果、アユ松果体からのメラトニン分泌量、眼球内メラトニン含量、および血中メラトニン濃度は明暗条件下では明期に低く暗期に高い日周リズムを示した。恒暗条件下においてもリズムは自由継続し概日リズムを示したが、恒明条件下では低い値を示し、リズムは消失した。ニジマス松果体からのメラトニン分泌量、眼球内メラトニン含量、および血中メラトニン濃度は明暗条件下でアユ松果体と同様に日周リズムを示したものの、恒暗条件下ではリズムが消失し、高い値を示し続け、一方、恒明条件下では低い値を示しつづけた。以上の結果から、アユのメラトニンリズムは光と生物時計の両者によって調節されるが、ニジマスのメラトニンリズムについては生物時計による調節を欠き、光のみによって制御されることが判明した。これらのことから、アユとニジマスのメラトニン合成機構を比較することにより、光と生物時計によるメラトニンリズムの調節機構の違いを解明できると考えられた。

2.アユとニジマスのアリルアルキルアミンN−アセチルトランスフェラーゼ(AANAT: EC 2.3.1.87)のcDNAクローニング

 メラトニンの合成量は、メラトニン合成酵素の1つであるAANAT活性の変動に従うと考えられている。そこでまず、アユ松果体、アユ網膜、およびニジマス網膜からAANAT遺伝子を、縮重プライマーを用いたRT-PCR法とrapid amplification of cDNA ends法によってcDNAクローニングし、塩基配列を決定した。配列解析の結果、アユとニジマスの網膜から得られたAANATは魚類以外の脊椎動物のAANATと同じサブファミリ(AANAT1)に属し、アユ松果体から得られたAANATは魚類に特異的に存在するAANATサブファミリ(AANAT2)に属することが判明した。時期を同じくして、他の研究グループによってニジマス松果体からAANAT2のcDNAがクローニングされた。そこでアユとニジマスのAANAT1、AANAT2の発現部位をRT-PCR法を用いて調べた。その結果、アユとニジマスの両種において、AANAT1は網膜には発現するが松果体には発現しないこと、AANAT2 mRNAは松果体に発現するが網膜には発現しないことが判明した。また、心臓、胃、幽門垂、腸、肝臓、脾臓、腎臓、卵巣には両者とも発現していなかった。これらの結果から、魚類には2種類の異なるAANAT遺伝子が存在し、AANAT1は網膜、AANAT2は松果体に組織特異的に発現していることが明らかになった。

3.アユとニジマスの松果体と網膜におけるAANAT mRNAの動態

 次に、アユAANAT1、AANAT2、ニジマスAANAT1の発現が光と生物時計による制御を受けているか否かを明らかにするため、TaqManプローブを用いた定量PCR法によってmRNAの動態を解析した。その結果、アユ網膜のAANAT1、松果体のAANAT2 mRNA量は明暗、恒暗、恒明の各条件において明期および主観的明期に低く、暗期および主観的暗期に高いリズムを示した。一方、ニジマス網膜のAANAT1 mRNA量は明暗条件下では明期に低く暗期に高い日周リズムを示したが、恒暗条件下ではリズムが消失し、明暗条件下の暗期よりも高い値を示し続けた。一方、恒明条件下では明暗条件下の明期とほぼ同じ値を示した。以上の結果から、アユ網膜のAANAT1、松果体のAANAT2のmRNA量は生物時計によって調節されているのに対し、ニジマス網膜のAANAT1 mRNA量は光によって調節され、生物時計による調節を受けていないことが明らかとなった。ニジマス松果体のAANAT2 mRNA量は光条件と時刻に関わらず常に一定で、光と生物時計による調節をいずれも欠いているということが報告されている。これらのことから、AANATの転写調節機構は、生物時計によって調節されているアユ網膜・松果体のAANAT1・AANAT2タイプ、光によって調節されているニジマス網膜のAANAT1タイプ、および光と生物時計のどちらにも調節されていないニジマス松果体のAANAT2タイプの合計3タイプが存在することが判明した。

4.アユ・ニジマス松果体のメラトニン分泌日周リズムの調節における転写・翻訳の役割

 メラトニンリズムの調節に転写と翻訳が関与しているか否かを明らかにするために、RNA合成阻害剤(actinomycin D; Act D)とタンパク合成阻害剤(cycloheximide; CHX)がアユおよびニジマス培養松果体のメラトニン分泌リズムに与える影響を比較検討した。松果体を明暗条件下において通常の培養液中で24時間培養した後、さらに24時間各阻害剤を含む培養液で培養した。その結果、Act Dを投与した場合には、アユ松果体からの暗期のメラトニン分泌は対照群の約20%に抑制されたが、ニジマスでは約60%に低下するにとどまった。一方CHXを投与した場合には、両者とも夜間のメラトニン分泌は対照群の約2%に低下した。以上の結果から、メラトニンリズムが生物時計による制御を受けているアユ松果体においてはメラトニン分泌リズムの維持に新規の転写およびタンパク合成が関与しているのに対し、生物時計による制御を受けていないニジマス松果体では主にタンパク合成が関与することが明らかになった。これらの結果は、魚類の松果体におけるメラトニンリズムが遺伝子の転写調節段階で生物時計による制御を、翻訳段階で光による制御を受けていることを強く示唆している。

5.アユ松果体のメラトニン分泌概日リズムの生物時計による調節における転写と翻訳の役割

 アユ松果体のメラトニン分泌概日リズムを調節する生物時計の発振系において遺伝子の転写と翻訳はどのように関わっているのであろうか?このことを明らかにするため、mRNA合成阻害剤5,6-dichloro-1-β-D-ribofuranosylbenzimidazole(DRB)、およびタンパク質合成阻害剤CHXがアユ松果体のメラトニン分泌概日リズムに与える影響を調べた。恒暗条件下で灌流培養したアユ松果体に対して、8つの異なる時間帯に6時間の薬剤パルス処理を行い、引き続き恒暗条件下で培養した。メラトニン分泌量を指標として生物時計の位相変位を測定した結果、DRB、CHXの両者ともに生物時計の位相を変化させる時間帯があることが判明した。このことからメラトニンリズムを制御する生物時計の駆動には遺伝子の新たな転写と翻訳の双方が必要であることが判明した。DRB、CHXのパルス処理に対して位相変位の感受性が高い時間帯が複数存在したことから、生物時計の駆動には複数の遺伝子の周期的な発現が必要であることが示唆された。

 以上、本研究においては、魚類の松果体と網膜におけるメラトニンリズムの光と生物時計による調節機構について、アユとニジマスを対象として比較検討し、いくつかの興味深い知見を得た。本研究で得られた成果は魚類におけるメラトニンリズム研究のみならず、生物時計の発振機構および時刻情報伝達機構の解明にとって重要な基礎的知見となるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 メラトニンは脊椎動物の松果体や網膜などで合成されるN−アセチル−5−メトキシトリプタミンの構造を持ったインドール化合物であり、その合成・分泌量が日中に低く夜間に高い日周リズムを示すことから体内に時刻情報を伝達するホルモンであると考えられている。多くの動物において、メラトニン分泌は光によって強く抑制され、また恒暗条件下においては約24時間周期のリズム(概日リズム)を示すことから、メラトニンリズムの調節には光と生物時計が深く関与していると考えられている。しかし数種のサケ科魚類では松果体におけるメラトニンリズムが恒暗条件下で消失することから生物時計による調節を欠いていることが知られている。そこで本研究では、松果体のメラトニンリズムが生物時計による調節を欠くニジマスと、生物時計により調節を受けるアユを対象として、メラトニンリズムの調節機構を生理学的、分子生物学的手法を用いて比較解析することを目的とした。その大要は以下のとおりである。

1.アユとニジマスの松果体と網膜におけるメラトニンリズムの検討

 アユとニジマスの松果体と網膜にメラトニンリズムが存在するか否か、また、それらが光と生物時計によって調節されているか否かを調べた。松果体については灌流培養を行い、培養液中に放出されるメラトニン含量を、網膜については眼球内メラトニン含量をラジオイムノアッセイ(RIA)を用いて測定した。血中メラトニン濃度についても同様に解析した。その結果、アユのメラトニンリズムは光と生物時計の両者によって調節されるが、ニジマスのメラトニンリズムについては生物時計による調節を欠き、光のみによって制御されることが判明した。

2.アユとニジマスのアリルアルキルアミンN-アセチルトランスフェラーゼ(AANAT: EC 2.3.1.87)のcDNAクローニング

 メラトニンの合成量は、メラトニン合成酵素の1つであるAANAT活性の変動に従うと考えられている。そこでアユ松果体、アユ網膜、およびニジマス網膜からAANAT cDNAをクローニングし塩基配列を決定した。配列解析の結果、アユとニジマスの網膜から得られたAANATは魚類以外の脊椎動物のAANATと同じサブファミリ(AANAT1)に属し、アユ松果体から得られたAANATは魚類に特異的に存在するAANATサブファミリ(AANAT2)に属することが判明した。発現解析の結果、魚類には2種類の異なるAANAT遺伝子が存在し、AANAT1は網膜、AANAT2は松果体に組織特異的に発現していることが明らかになった。

3.アユとニジマスの松果体と網膜におけるAANAT mRNAの動態

 アユAANAT1、AANAT2、ニジマスAANAT1の発現が光と生物時計による制御を受けているか否かを明らかにするため、定量的PCR法によってmRNAの動態を解析した。その結果、AANATの転写調節機構は、生物時計によって調節されているアユ網膜・松果体のAANAT1・AANAT2タイプ、光によって調節されているニジマス網膜のAANAT1タイプ、および光と生物時計のどちらにも調節されていないニジマス松果体のAANAT2タイプの合計3タイプが存在することが判明した。

4.アユ・ニジマス松果体のメラトニン分泌日周リズムの調節における転写・翻訳の役割

 メラトニンリズムの調節に転写と翻訳が関与しているか否かを明らかにするために、RNA合成阻害剤(actinomycin D; Act D)とタンパク合成阻害剤(cycloheximide; CHX)がアユおよびニジマス培養松果体のメラトニン分泌リズムに与える影響を比較検討した。その結果、メラトニンリズムが生物時計による制御を受けているアユ松果体においてはメラトニン分泌リズムの維持に新規の転写およびタンパク合成が関与しているのに対し、生物時計による制御を受けていないニジマス松果体では主にタンパク合成が関与することが明らかになった。

5.アユ松果体のメラトニン分泌概日リズムの生物時計による調節における転写と翻訳の役割

 アユ松果体のメラトニン分泌概日リズムを調節する生物時計の発振系において遺伝子の転写と翻訳はどのように関わっているのかを、mRNA合成阻害剤5,6-dichloro-1-β-D-ribofuranosylbenzimidazole(DRB)、およびタンパク質合成阻害剤CHXがアユ松果体のメラトニン分泌概日リズムに与える影響を調べた。その結果、DRB、CHXのパルス処理に対して位相変位の感受性が高い時間帯が複数存在したことから、生物時計の駆動には複数の遺伝子の周期的な発現が必要であることが示唆された。

 以上、本研究は、魚類の松果体と網膜におけるメラトニンリズムの光と生物時計による調節機構について明らかにしたもので、今後、生物時計の発振機構および時刻情報伝達機構の解明にとって重要な基礎知見となると考えられる。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク